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わかった振りをせざるを得ない日本人?

オフィスなどで、英語でペラペラと喋ってくるアメリカ人やネイティブ・スピーカーの同僚、そして知人などに、面倒なのでついついわかったふりをして頷くことはありませんか。
試しに、日本人からそのように頷かれた経験のあるアメリカ人に、それをどう受け取ったか聞いてみたことが以前ありました。ここに紹介してみます。

「頷いているんだから、言っていることはわかってくれたんだろ」

このように答えた人が約半分。

「わかっているかどうかは知らないよ。ともかくこちらは言いたいことを言ったのだから、自分としては責任を全うしたというわけさ」

この答えのように、仕事の上での誤解につながりそうな反応をした人も多くいました。
さらに、厳しい人は、

「あの人、わかっているのかどうかはともかく、積極的な反応がない。これって仕事を一緒にする相手としては不安だし、困ったものだよ」

と日本人への評価につながっている人も多くいました。

ここで強調したいことは、英語に慣れていない日本人の不満や、苦しみを理解して、そこに同情する人は、殆どいなかったということ。
そこで、このことを日本人に問いかけると、

「身勝手だよね。彼らって、自分だけよければ良いと思っているんじゃない」

という人や、

「英語が母国語の人には、結局我々の苦労はわかなないよ」

と嘆く人。
さらには、

「ちゃんとこちらにわかってもらえるように話さないなんて無責任だよね。これからも一緒に仕事ができるかどうか不安だよ」

と、アメリカ人が日本人に対して抱いた不信感と似たコメントをした人もいるではありませんか。

このからくり、異文化での典型的な行き違いだって気付いている人はいるのでしょうか。
つまり、ネイティブ・スピーカー(特にアメリカ人)の多くは、自分の英語がわからないなら、信号を送るのは日本人の責任だと考えている一方、日本人は、英語で苦労している日本人に気遣いを持って、わかり易く話すのは彼らの責任だと思っているのです。 
もっというならば、これはニーズがある人が、自らのニーズを積極的にいうべきだと考える文化と、相手のニーズをちゃんとおもんばかって、気を使うべきだと考える文化との摩擦なのです。

「第一、相手の英語を気遣ってスピードを落としたりすることは簡単にはできないさ。だって、それって何か子供相手に話をしているみたいで、それこそ相手を見下しているって思われかねないしね」

このアメリカ人のコメントは興味深いもの。
確かに、日本人でも日本語が苦手な外国人を前に喋る速度を極端に落としたり、簡単な表現ばかりを選んで話したりすることには、このコメントをした人と同じように、抵抗があるかもしれません。
であれば、国際舞台で英語が苦手な日本人がとらなければならない対策はただ一つ。
それは、相手の気遣いに「期待」をせずに、自分のことは自分で解決する、明快な姿勢を持つことです。
わかったふりをした結果、喋った側はそれで全て伝達したのだからと判断されれば、当然後になってとんでもない行き違いや対立の原因になるはずです。
ですから、自分のためにも、わからないことはわからないといい、相手の英語が早すぎればスピードダウンして欲しいといわなければならないのです。

「それって、どんなタイミングですればいいのですか」

私がこのように解説すると、多くの日本人はそう質問します。
答えはこのブログの中でも何度か説明しています。つまり、わからないときは即座に対応するのです。例え相手の話を途中で止めることになったとしても。
多くのネイティブ・スピーカーにこのことを尋ねると、ほぼ全員が、

「僕の英語がわからない?それなら途中でちゃんと信号をだしてよ。話の最中であっても全然構わないよ」

と答えてくれます。
相手の話の腰をおっても、自らのニーズを伝えても構わない。これこそ、異文化でのコミュニケーションの違いそのものです。
ですから、安心して、そして勇気をもって、是非自分のために、自分のニーズをどんどん相手に伝え、アクションをおこしていきたいものです。

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