AI時代にJapan Inc.の遺物として立ちはだかる「How to 教育」


“Japan Inc. is a descriptor for that country’s traditional, highly centralized economic system.”

(ジャパンインクとは、日本の極めて中央集権的な経済システムを指す記述である。)
― Investopediaより

変革を拒む日本の「How to教育」

 よく日本人はHow(「どのようにするか」というやり方を問いかける質問)には強いものの、Why(「なぜ」という理由や本質を尋ねる質問)を受けると戸惑ってしまうといわれます。欧米では、教育の基本は子供に「Why?」と質問することを奨励することから始まります。
 しかし日本では、教師に「なぜ」と聞くこと自体めったにないことで、教育はいまだに双方向ではなく、教師から生徒への一方通行で行われています。そしてその教育は、問題の解き方の「How to」を教える教育に終始します。
 
 日本の教育は究極のところ、大学入試に向かうためにデザインされています。
 大学入試制度は戦後、様々な試行錯誤を続け、センター試験の導入などはあったものの、入学試験自体のあり方に根本的なメスを入れることはありませんでした。
 高度経済成長に向けて、そうした教育で育った人材が優秀なビジネスマンや官吏として社会に送り出されました。当時の日本はまだ貧しく、人々はハングリー精神を抱き、成長する経済に挑んでゆきました。
 詰め込み教育と批判されながらも、教育現場にも競争原理が持ち込まれ、そうして育成された人材が、そのままJapan Inc.(株式会社 日本)と世界から評された強力な組織の土台を造ったのです。
 そして、この日本の土台を造った教育が、日本の経済的成功の中で評価され、日本人自身もそれを維持することの必要性を感じていました。
 
 ところが、オイルショックなどと共に高度成長が終わり、低成長時代に入り、社会環境が変化し始めた後も、日本はそれまでの教育方針を時代の針に合わせて変革することを拒んできたのです。
 高度成長の時代までは、塾などの補助教育の機能は、進学校自体が概ね担って優秀な学生を有名校に送り出していました。しかし、その後、その役割を塾業界がビジネスとして担うようになりました。そして、バブル経済の到来です。好景気の波に乗って塾業界も急成長し、大学への進学を考える生徒のほとんどが、何らかの塾に通うことが定例化するようになったのです。その背景には、親の世代の個人所得が以前に比べ大幅に増加したこともあったと考えられます。
 結局、日本の教育は塾などの民間企業と学校などの公的機関との二人三脚で、産業として肥大化し、その結果、組織として教育界全体が迅速に変化することが難しくなりました。
 教育業界は、まさにJapan Inc.の典型例であると共に、その負の遺産の象徴となってしまったのです。
 
 英語教育を例にとってみましょう。
 今、改めて日本の英語教育の質が問われています。しかし、塾も学校も多くの英語教師は高年齢化しています。あと数年変化がなければめでたく定年ということで、わざわざ今求められているコミュニケーション型の英語教育にシフトしてゆくことには極めて消極的です。
 さらに、学校の教員や塾の講師など、教育者自身も、すでに塾世代の洗礼を受けているため、どうしても今のままの受験教育のやり方に固執してしまいます。
抜本的な改革をしようとしても、彼らは原則を変えるノウハウを見出せずに、できる限り現状維持を求めます。従って、変化しなければならない本質を残したまま、微調整だけに終始してしまうのです。
 

AI時代に求められる「人間のコミュニケーション力」

 では、そうした変化しにくい教育現場に突きつけられている日本の課題とは、どのようなものなのでしょうか。
 簡潔にいうならば、AI(人工知能)に取って代わられ必要ではなくなる知識を、日本人は今なお必死に勉強しているのです。そして、AIが人間の生活に多くの変化をもたらしたときに必要とされる教育へのアプローチが皆無なのです。
 数世紀先の世界を考えれば、AIも相当進化するでしょう。しかし、少なくとも今後数十年の状況を予想したとき、AIは情報を学習し、集積し、そのデータをもとに機能してゆくはずです。もちろん高度な計算や状況分析の分野ではAIは相当役に立つはずです。また、自動翻訳のように、言葉の壁を乗り越えた意思疎通の場でもAIは大きく貢献できるはずです。
 
 しかし、いかに自動翻訳が進んでも、人と人とのコミュニケーションは、人間の領域として残るはずです。また、そのコミュニケーションの母体となる、相手への理解と、その理解の原点となる知識を引き出そうとする行為は、人間に所属します。
 であれば、求められる英語教育のみならず、教育全般の将来像も自ずと見えてきます。情報の供給はAIが行うものの、情報源自体の存在を知悉し、それにアクセスする判断と好奇心は人間に属した行為となるはずです。そうした判断力と対応力の育成こそが、教育業界に求められているのです。
 
 例えば、ある国の人と別の国の人とが緊張関係に陥ったとします。その時にまず世界言語である英語を使い、双方がコミュニケーションを促進しようと努めなければなりません。同時に、どうしてお互いが相手にそうした感情を抱いたかという原因を、それぞれが自らの知識の引き出しの中から取り出して、その知識が正しいかどうかを確認するとき、さらに副次的な情報を得るときにAIの力を借りなければなりません。
 その上で、緊張関係を協力関係へと進化させるための行動を選択するための判断を行います。その判断はAIのサポートを得ながらも、最終的には人間が行わなければならないでしょう。
 
 今の日本の教育は、こうしたプロセスを深化させるためのコミュニケーション力、判断力、そして想像力及び創造力を養うことなく、AIが行う情報の収集と習得という覚える行為に、その力の大半が削がれているのです。また、そうした情報源へのアクセスを促す動機を形成するリベラル・アーツ、すなわち一般教養が極めて軽視され、事実の存在を知らないために、そこにアクセスすること自体が不可能な人材が育てられているのです。
 塾や学校は、大学入試が変わらなければ、そうした改革にメスを入れることは不可能といいます。しかし大学側は、学生が入学してきた時点で、教養面、コミュニケーション力や判断力という人間力の側面から、すでに多くの課題を背負っていると批判します。
 
 その結果、社会には、高度成長の時代のエネルギーが冷めきったまま形骸化したJapan Inc.で、組織の歯車としてしか機能できない人間が排出されています。これが、日本人が今世界でリーダーシップをとれず、国力自体が減退している原因なのです。
 そんな日本人が最も得意なことは、組織を可もなく不可もなく安全に運営してゆくことでしょう。社会人の多くが、慎重に責任を負わないように従順であればよいという消極的な動機から、組織全体がコンプライアンスと財務的な安定性のみに注力し、現状維持以外のソリューションを見出せなくなっているのです。しかし、変化のない組織はいずれ淘汰されるのです。
 

「知識を蓄積する」教育から「判断力・創造力を養う」教育へ

 Japan Inc. の遺物にすがる教育を、いち早く是正しなければなりません。暗記偏重のリベラル・アーツ教育から、判断力や思考力を養う糧としてのリベラル・アーツ教育へと、見直しが求められます。その上で英語教育改革をはじめとした、様々な分野での変革を実施しなければなりません。
 AIは「How to」は得意です。であれば、「How to 教育」を脱却し、白紙から何かを創造する空想力やダイナミックな発想力を養える、人間力育成教育へのシフトが必要なのです。
 

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