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ラトビアの歴史と日本の終戦、そのリンクから学ぶこと

“My uncle, aunt, and grandparents were incarcerated in Riga for several years by the German government after being sent there from their home in Bavaria. Speaking of hidden histories.”

(僕の叔父と叔母、そして祖父母は故郷のバイエルンからドイツ政府によって移送され、リガで数年間監禁されたんだよ。すでに忘れられた歴史かもね。)
(Facebookのある友人のメッセージから)

今、ラトビアLatvia)の首都リガ(Riga)でこの原稿を書いています。
もうすぐ日本は73年目の終戦記念日をむかえます。1945年8月は、日本がポツダム宣言Potsdam Declaration)の受諾の是非を巡って大きく揺れた時期でした。
当時の日本の状況を考えるとき、参考にしたいのがラトビアをはじめとしたバルト三国の歴史だというと、驚かれる方も多いかもしれません。
ラトビアの戦後の運命を考えると、当時の日本の選択がいかにぎりぎりの、そして大切な選択であったかがみえてくるのです。
 

【 原爆ドーム 】
 
まずはラトビアの長い歴史を振り返ります。
ラトビアは、1991年に旧ソ連から独立しました。それはソ連が崩壊した頃のことでした。
しかし、元々ラトビアと共にソ連から独立したバルト三国は、長年ドイツと北方の強国だったスウェーデン、そして東から押し寄せるロシア帝国に挟まれて揺れ動いた地域なのです。
ときには、そうしたパワーバランス(power balance)の中でポーランドと連携して独立を保っていた時代もありました。しかし、最終的にはバルト三国はスウェーデン、そしてその後は帝政ロシアの統治を受けることになります。
 
この地域で元々特権を持っていた人々は、中世に移住してきたドイツ騎士団の末裔ともいわれるバルト系ドイツ人でした。実は、19世紀にドイツで君臨したプロシャ(Prussia)はこのドイツ騎士団がそのルーツなのです。従って、長年この地域ではドイツ語が話されていました。
彼らは周辺の列強の思惑を利用して、見事にこの地域での特権を維持してきました。しかし、19世紀末期にロシアの支配が強まり、さらにロシア革命Russian Revolution)でロシアがソ連となると、バルト系ドイツ人は没落し、特権も奪われます。同時に、ラトビアも独立を達成したのです。
 

【 戦争で破壊されたリガ旧市街 】
 
しかし、第二次世界大戦World War 2)が始まると、ドイツとソ連との協定で、ラトビアをはじめとするバルト三国はソ連に併合され、厳しい共産化の中で、ラトビア人もバルト系ドイツ人もひどい迫害を受けました。そんなとき、ソ連との協定を破っていきなりソ連に宣戦し、東進してきたナチス・ドイツNazi Germany)は、彼らにとっては自らを解放する同盟者に映ったのでした。
皮肉なことです。ソ連に対抗しようとナチス・ドイツに協力したラトビアでは、多くのユダヤ人がラトビア人の監視のもとで強制収容所に送られ、虐殺(slaughter)の対象となったのです。リガには、当時の模様を記録したユダヤ人博物館(Rīgas Geto un Latvijas Holokausta muzejs)があり、重たい歴史の事実を人々に伝えています。ユダヤ系の人々は元々、中世にポーランドを通してラトビアに移住してきた人々でした。しかし、そんなラトビア在住のユダヤ系の人々のみならず、ドイツ本国やドイツの占領地から大量のユダヤ人が移送されてきたのです。ここに紹介した私の友人の祖父母や親戚もそうした人々の中に含まれていたわけです。
しかも、第二次世界大戦でバルト三国はソ連のみならず、ドイツにも蹂躙され、多くの被害を受けたのでした。
さらに悲劇は続きます。戦後になると、連合国の協定によってラトビアなどバルト三国はソ連に併合され、スターリンの圧政を受けるのです。その後バルト三国はソ連が崩壊するまでソビエト連邦の共和国となったのでした。
 

【 ラトビアに侵攻したドイツ軍 】
 
日本は、終戦間際に北から迫るソ連の脅威に晒されていました。
ソ連が北海道に到達する前にアメリカに対して降伏し、日本を社会主義の圧政から守ることが緊急の課題だったのです。
バルト三国は大陸国家であったが故に、日本が経験することのなかった厳しい体験を強いられることになります。ラトビアの中には今でも旧ソ連時代に移住してきたロシア系の人々が多く居住しています。こうした人々にラトビアは国籍を与えず、それが人権問題ともなっています。列強に挟まれた戦争の怨念が今でも残っているのです。
 
また、第二次世界大戦で日本と同盟したドイツは、首都ベルリンにソ連軍が侵入し、激戦の中で降伏(surrender)しました。
ちょうど赤坂見附や新橋まで戦車(tank)や装甲車(armored car)に先導されたソ連軍が皇居に迫ってきたことを想像すれば、その状況がいかに緊迫したものか理解できるのではないでしょうか。
しかし、終戦まで日本の本土には海外の兵士は一人も侵入してはきませんでした。
沖縄やアジア各地で犠牲となった日本人、そして空襲(air raid)や原爆(atomic bomb)の犠牲になった日本人は300万人以上。そうした人々を見舞った悲劇を忘れてはなりません。しかし、戦争の最後まで、本土が軍靴に蹂躙されなかったことは、他国の事例と比較すれば、極めて好運なことだったのです。(参考:戦争による国別死者数
 
アメリカは、日本が降伏すると即座にソ連に対してアメリカが主体となって日本を占領する旨の意思表示をします。その結果、日本はドイツのように分断もされず、ラトビアのようにソ連の支配下におかれることもなかったのです。日本の代わりに犠牲となり分断されたのが朝鮮半島だったことを考えると、今の日本の繁栄と平和がどのような背景のもとで培われたかがわかってきます。
 
今、ラトビアでは二つの世代が共存しています。
一つは、1991年の独立前の世代。そしてもう一つはそれ以降の若い世代です。若い世代には英語教育が浸透し、彼らは
EU(European Unionの一員として西欧の文化の洗礼を受けています。しかし、それ以前の世代は、過去の重い歴史を記憶に残し、今のラトビアを見つめています。
戦後70年以上が経過した今、日本でも戦争体験が風化しつつあると人々は警鐘を鳴らします。ラトビアはソ連の圧政から解放されて27年。二つの世代はラトビアの世論を大きく左右する要因となっています。
ベルリンの壁(が崩壊したのが1989年。東西冷戦は第二次世界大戦と共に、次第に彼らの中で遠い記憶となってゆくのかもしれません。
 
リガ旧市街は、戦後昔の趣を再現し、中世の街並みの残る地域として、世界遺産(world heritage)となり、観光都市として繁栄しています。バルト三国の今後は、戦後70年以上戦争のない西ヨーロッパの未来と深く関わっているのです。
そして、戦争体験が風化しつつある日本も、ラトビアやドイツの体験から、自らのあり方を再び見つめ直す時代の転換期に差し掛かっているといえましょう。

【 現在のリガの旧市街 】
 

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『海外メディアから読み解く世界情勢』山久瀬洋二日英対訳
海外メディアから読み解く世界情勢
山久瀬洋二 (著)
IBCパブリッシング刊

海外ではトップニュースでありながら、日本国内ではあまり大きく報じられなかった時事問題の数々を日英対訳で。最近の時事英語で必須のキーワード、海外情勢の読み解き方もしっかり学べます。

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オバマ氏の南アフリカでの演説が語る空虚な現実

“Do you remember that feeling? It seemed as if the forces of progress were on the march, that they were inexorable. Each step he took, you felt this is the moment when the old structures of violence and repression and ancient hatreds that had so long stunted people’s lives and confined the human spirit – that all that was crumbling before our eyes.”

―みなさん、あの感覚を覚えていますか。みんなで歩いて勝ち取った止めることのできない流れ。彼が成し遂げた一つ一つのこと。それによって人々を絶望させ、人々の精神を押さえ込んできた古来以来の憎悪や抑圧、暴力の構造が、我々の目の前で崩壊しはじめたと思ったことを。
(オバマ氏の7月17日の演説より)

去る7月17日、南アフリカのヨハネスブルグで、ネルソン・マンデラ氏の生誕100年を祝う式典がありました。
ネルソン・マンデラが生まれたのは1918年。彼はアパルトヘイトの撤廃に生涯を捧げ、1964年から27年間にわたって、白人優越主義をモットーにしていた当時の政府によって拘束され、国家反逆罪で服役していたことでも知られています。彼が釈放されたのは1990年のことでした。
彼の最大の功績は、いうまでもなくその後大統領に選出され、人種差別を撤廃し、それまで支配層であった白人系の人々と、抑圧されていた黒人系の人々とが融和する社会造りを目指したことにあります。
一般的に、支配されていた層の人々が革命などによって制度が転覆されたとき、そこには人種や民族の憎悪が吹き出し、報復による流血も予想されます。マンデラ氏は、自らが国家の指導者になったとき、本人をも見舞った厳しい差別への報復を否定したのです。

非暴力の系譜に忍び寄るポピュリズムの影

7月17日の式典には、アメリカのオバマ前大統領が来賓として招かれ、講演を行いました。講演は1時間を有に越え、スピーチの原稿は5万字にもなるものでした。それは、久しぶりの、オバマ氏らしい、雄弁で説得力のある演説でした。
彼は、その講演において、その昔ガンジーがイギリスからの独立運動で示した、非暴力不服従のキャンペーンを念頭におきます。ガンジーが暴力的な報復に訴えず、独立後もヒンズー教徒とイスラム教徒との対立に心血を注いだことを前提に、ガンジーの思想がその後アメリカで同様の運動を展開し、アメリカで黒人への差別撤廃運動を行なったキング牧師に、さらに2013年に他界したマンデラ氏へと受け継がれてきたことを強調しました。
その上でオバマ氏は、そうした人種や民族の融和への試みが、無責任なポピュリズムによって踏みにじられようとしていると警告します。
 
マンデラ氏が大統領になったあとの南アフリカでは、長年人種差別を受けてきた黒人層の貧困や犯罪によって社会が大きく揺れました。また、南アフリカ同様に白人支配を撤廃してきた隣国ジンバブエでは、支配層による白人社会への報復が問題視されました。
こうした人種や民族の対立という試練は、今なお克服されていないのです。もちろん、アメリカも例外ではありません。そして、ガンジー亡き後、インドはイスラム教徒が多く住むパキスタンと分離され、分断された二つの国家間は今でも一触即発の緊張関係にあるのです。さらにインドでは、カースト制度は撤廃されたものの、もともと低い身分にいた人々への人権侵害が今なお社会の病巣として治癒されずにきています。
確かに、このように社会が揺れれば、それを安易に批判するポピュリズムが横行する原因ともなるはずです。ヨーロッパでも中東やアフリカからの移民に対し、それを排斥するべきだと訴える人々が政界にも進出してきていることは周知の事実です。
 
また、オバマ大統領などによって唱えられる自由と平等、そして人権擁護の理想が、単なるアメリカの価値の押し付けだとする批判があることも事実です。もともと移民を受け入れて成長したアメリカと、そうでない国々との間では事情も背景も大きくことなることは事実です。
ただ、日本を例にとってみるならば、明らかに今海外からの労働力を必要としているにもかかわらず、入国管理があまりにも排他的であることは否めない事実でしょう。我々も、アメリカやヨーロッパからの移民を受け入れ、その人々の人権の課題と取り組んでいた先例から、さらにはガンジーからキング牧師、そしてマンデラ氏へと至る多様性への受容の歴史から学ぶべきことは多くあるはずです。

「自由を求める潮流」の行き着いた先は

さて、話を元に戻しましょう。
ネルソン・マンデラが釈放されたのは1990年。それは、ベルリンの壁が崩壊し、冷戦構造が瓦解しはじめた翌年のことでした。
オバマ大統領は、当時を振り返り、いよいよ世界が人種の対立を乗り越えて、一つになろうとする強いうねりを肌で感じたことを強調します。
ベルリンの壁が崩壊したときとほぼ同じ頃、中国では天安門事件がおき、言論の自由を求めた若者が軍隊と警察の力で一掃されたことが世界に衝撃を与えました。権力の横暴に抗議する若者が戦車の前に立ちはだかる映像が、中国から世界に流れたことをよく覚えています。以来、中国はそうした新しい流れをせき止め、人権問題を軽視し、言論の自由を抑圧する国家の象徴として欧米が意識するようになったのです。
 
オバマ氏が今懐かしげに語る80年代終盤から90年代にかけて世界を見舞った「自由を求める強い潮流」を象徴した人物。それがネルソン・マンデラだったのです。
しかし、その後90年代にはいって間も無く、鉄のカーテンがなくなり、民主主義が導入されたはずの東ヨーロッパは内戦に苦しみます。旧ユーゴスラビアでは分断された国家同士の戦いが相次ぎ、その中でイスラム教徒への大量虐殺が行われました。また、ソ連崩壊後のロシアでの民族運動への強い弾圧など、オバマ大統領が肌で感じたという流れが淀み、行き場所を失い、人々を当惑の渦へと押し流し始めたのです。
そんなとき勃発したのが、2001年のアメリカでの同時多発テロだったのです。

マンデラが目指した社会は「幻」か

その後、世界は90年代初頭に人々が感じた未来に向けた強い流れは、単なる幻であったのではと思うようになりました。中東ではISISが恐怖を世界に撒き散らし、混乱の中で難民がヨーロッパに押し寄せます。中国では天安門事件などなかったかのように、経済成長による自信の陰で、言論統制がごく当然のごとく横行し、政府は少数民族の抗議にも強権をもって対処しています。
そして、日本をはじめ多くの持てる国の人々は、こうした変化に無関心です。
 
マンデラ氏の改革を目を輝かせてみていた人々にとって、そんな過去は一瞬の幻だったのでしょうか。オバマ氏の演説を聴きながら、そんな不安を持った人が少なからずいたのではと危惧するのは、私一人ではないはずです。

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先人たちから学ぼう!

『Inspirational Proverbs and Sayings (心に響く英語のことわざ・名言100)』 レベッカ・ミルナー(著)Inspirational Proverbs and Sayings (心に響く英語のことわざ・名言100)』 レベッカ・ミルナー(著)
庶民の生活や知恵から出た社会常識を示す言葉。ビジネスやスポーツ選手の経験からくる事柄の本質をうまくとらえた言葉。そして人生の真実や機微を端的にまとめた先人の言葉。本書で集めた100の名言・ことわざは、現代の生活にも通じ、我々にその教訓や戒めを再認識させてくれるものばかり。100の言葉には意を汲んだ和訳つき。

 

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欧米社会を創造してきた法の下での「balance and payment」

“A payment is the trade of value from one party to another for goods, or services, or to fulfill a legal obligation.”

(「Payment」は一方から他方への商品やサービス、法的な義務を遂行することを意味した言葉である。)
Wikipediaより

Paymentという単語の意味はといえば、殆どの人が「支払い」と答えるはずです。
もちろん動詞は「pay」となります。
しかし、英語頭でこの単語の意味するところを掘り下げて考えると、それが人と人との契約に基づいてお互いになさなければならない全ての「縛り」を意味する言葉であることがわかってきます。
 
Paymentは、単に金銭的な支払いを意味するものではないのです。
例えば、社会がそこに帰属する人間の最大公約数の幸福と安全、そして権利を担保するために、法律を設定します。その法律を維持するためのバランス balanceが、このpaymentの意味と深くつながるのです。
つまり、paymentは契約上のbalanceが傾いたときに発生する「負債」のことなのです。
 
そこで、このBalanceという単語についても考えてみます。この単語が直截に物語るイメージは「天秤」です。天秤は、二つの皿に同じ重量の分銅をおいたときに、均衡を保ちます。
従って、AがBにお金を貸したとき、そのbalanceを保つためには、Bはその負債を返済しなければなりません。このことから「今のbalanceはどうなっているのか」と債務者が債権者に問い合わせるとき、このbalanceという単語は、負債残高を示す言葉として使用されているのです。法律は、このbalanceが均衡を保っているかどうかを示す尺度でもあります。このことから、アメリカなどで裁判所のシンボルとして、正義を象徴する女神が天秤を持ったイメージが使用されているのです。
 
わかりやすく解説すれば、paymentはこの法律に従ったありとあらゆる「負債」の支払いのことを意味しているのです。このことから、犯罪行為によって法を破った者は、その負債を支払って、天秤を元に戻さなければなりません。実際にpaymentは刑罰に処せられる者に対して、その人物が負わなければならない量刑を受けるときにも使用される単語なのです。
 
このbalanceとpaymentとの関係は、古代ギリシャから現代に至るまで、西欧社会では常に議論されてきた概念です。
以前は、宗教的な掟を破った者が、来世で正義の女神の天秤にのせられ、それが負の方向に傾いたとき、死者は地獄に送られるものと信じられてきました。
この発想が、宗教と身分制度との束縛がなくなったとき、そのまま平等な人と人との契約の発想へと置き換えられていったのです。
すなわち、近代になって、欧米で革命や市民運動を通して、身分制度が打破されてきたとき、このbalanceとpaymentとは、「法の下での平等」という考え方とリンクするようになったのです。
こうして、あらゆる人がbalanceを保つために、paymentを意識するようになったことが、近代社会の育成に大きな影響を与えてきたのです。
 
もちろん、日本にも罪と量刑との関係は刑法で定められています。
民法でも債権と債務との関係は定められています。
しかし、日本をはじめアジアの多くの社会では、このbalanceとpaymentとの関係を社会全体で考え、法律をつくってゆこうという発想はありませんでした。それはあくまでも「お上」が定めるもので、一般の人々はそれを遵守するだけというのが、欧米に追いつくことだけを重要視したアジアの近代化の歴史でした。欧米とアジア社会のどちらが良くどちらが劣っているのかということではありません。そこには文化背景、歴史的背景の違いがあるのです。
 
実際、欧米の有権者は雄弁です。
自らの支払った税金の使い道を常に見つめ、そこに疑問があれば即座に声をあげ、抗議します。それに対して上下関係 hierarchyを基本とした社会のままに近代化してきた日本では、今でも相手の立場、さらに地位、時には「場」や「空気」まで考えて、自らの言葉を選びます。
一方、欧米、特にアメリカ社会では、上下関係を社会の秩序と考える発想そのものが消滅しているのです。そして、そんな彼らの社会秩序を維持するための仕組みの原点としてbalanceとpaymentの発想があるわけです。
 
先日オウム真理教の被告への死刑が全て執行されたニュースを、私はロサンゼルスで聞きました。
そのとき、アメリカの友人が言った言葉が印象的でした。
「彼らは自分たちのやったことのpaymentをしたのさ。しかし、これは難しいよね。死刑に反対して終身刑を導入したとして、彼らの食費など刑務所での費用は、我々の税金から支払われている。Tax payer’s moneyを使っているわけだから、一概に死刑制度に反対とはいえないよ」
いかにもアメリカ人らしい発想です。
すると、別の友人が人権という発想からみて、死刑制度はやはりおかしいと主張し、その二人の間でデベート(論争)がはじまりました。実は、その二人は同じ会社の上司と部下なのです。しかし、二人とも自分の意見をしっかりと主張し、ついには、お前はどう思うんだと私の意見を聞いてきます。
 
こうした議論や討論が会社などでの上下関係とは関係なく、自由に行えるのがbalanceとpaymentによる契約社会で平等に育ってきたアメリカ社会の特徴といえましょう。
 
文化の違いを知ることが、英語の単語の意味を理解する上でもどれだけ大切なことかを、このbalanceとpaymentという言葉の意味に接した時、改めて実感できるのです。
 

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『日英対訳 アメリカQ&A』山久瀬洋二日英対訳 アメリカQ&A
山久瀬洋二 (著)
IBCパブリッシング刊

地域ごとに文化的背景も人種分布も政治的思想も宗教感も違う、複雑な国アメリカ。アメリカ人の精神と社会システムが見えてくる!

 

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タイでのよろこびと、日本の暑い夏、そしてフィリピン

“Hello Yoji. Yes, it’s flooded all over Dagupan and nearby. Cities, towns. My village including our house, is also flooded now. I feel sorry for those who live near riverside.”

ヨウジ、そうなんだ。ダグパンやその近郊はどこもここも洪水だ。大きな街も小さな街も、僕の村も。もちろん僕の家も水が溢れている。川のそばの人たちはとても大変だよ。
(フィリピンの友人のラインから)

タイで少年たちが洞窟から無事に救出されたとき、私も思わず歓声をあげました。本当によかったです。でも、この喜びを翳らせる事実があることに、どれだけの人が気付いているでしょうか。
 
それは現在のメディアとマスコミのあり方に深く関わります。
世界では常に惨事がおきています。いうまでもなく、日本でもその頃台風の影響を受けた集中豪雨で西日本を中心に多数の命が奪われました。それだけでなく、家屋などの財産を失った人が避難所生活を送っています。
 
先日、福島県白河市の城趾公園の近所を散歩していたとき、東日本大震災で被災した人々の仮設住宅の跡がそこにありました。すでに入居者は退去し、夕暮れ時の道の横に薄暗く無人の住宅が並んでいることに気付いたとき、ふと足をとめてしばらくその閑散とした風景を見詰めてしまいました。当時と今と、災害がおきたときの様子には何の変化も進歩もありません。
 
そして今、フィリピン北西部では、台風の通過を受けて洪水がおきています。
子供の頃、河川が整備されていなかった日本でもしょっちゅう台風による浸水があり、床下床上浸水がいかに生活に影響を与えたかよく覚えています。洪水のときは、たとえ家屋が流される危機に見舞われなくても、下水から河川の汚水まで、全てが家に流れ込みます。衛生面でも、そのあとの除湿を考えた上でも、それが例え床下浸水であっても大変です。
 
私が、フィリピンに連絡をとったとき、友人は一家をあげて1階から2階に家財道具を避難させているところでした。都市部から離れたところに住んでいる一人の友人は、川のすぐそばの家が流されそうになっているとラインで知らせてきました。それが今日のヘッドラインです。私は、日本でほんの少し前におきた惨事を思い出し、どうか皆が無事でいてくれるよう祈っています。フィリピンのこの地域は平地で、日本のような土石流の心配はないものの、護岸工事が充分でない河川が氾濫したときは、その猛威は想像をはるかに超えます。
 
そんな私は今カリフォルニアに来ています。
青空の下、パームツリーが微風にそよいでキラキラと輝いています。空港の近くにいるため、時折飛行機のエンジンの音がホテルにも聞こえてきます。フェイスブックにその光景をアップしているので是非みてください。ここにいると、日本の土石流もフィリピンの洪水もまったくの他人事です。誰もそのニュースすら知らない状況です。
しかし、タイの洞窟の少年の話は誰でも知っています。救出のために落命した隊員への同情も集まっています。そう、この話は劇的なのです。もちろん、子供の命が助かったことは素晴らしいことです。救助隊の人々にも敬意を表します。しかし、劇的ではない、日々の中で世界各地でおきている同様の惨事にはマスコミは無関心です。
 
実は、アメリカのメディアは、救出された子供の自宅にまでインタビューに行き、そのことが、PTSD(Post traumatic stress disorder)に苛まれている可能性のある児童への対応に問題があると地元の政府から非難を受けています。映画化の話もあるとのことですが、今大切なことは、救出された子供たちの精神状態や、親や関係者との再会のために静かな時間を与えてあげるべきではと思うのです。
 
そして、メディアはその数倍も犠牲者のでている日本の状況や、フィリピンなど途上国での災害の様子やその背景に目を向けるべきです。災害は、天災であると共に人災です。その国々の政治の状況や、税金の使われ方、さらには教育によって培われた災害への意識や、隣人への思いが大きく影響します。日本の場合、被災者を学校などの施設に収容し、硬いフロアの上で暑い夏を過ごすことを余儀なくされた人々がたくさんいます。先進国とは思えない情けない有様です。近郊のホテルに空室があっても、シャッターストリートに空き家が並んでいても、誰も気付かず、アレンジをする政治的システムもありません。
 
フィリピンの場合は、灌漑施設への対応の遅れが事態を深刻にしています。その背景には賄賂などで腐敗した政治があるといわれています。そこに鋭いメスをいれようとしているドゥテルテ大統領は、フィリピンの内政の深刻な実情をアメリカの尺度からみた世論に批判され、一時国際社会で孤立しました。
 
カリフォルニアは、そんな「リベラル」なアメリカを代表する地域です。
アメリカの「リベラル」は、アメリカの中で徹底して追求されるべきであることは、私も同意します。この国の格差や差別、新しい移民と数世代に渡って社会を築いてきた人々との意識の対立は確かに深刻です。その対立を乗り越え、安易なポピュリズムにメスをいれながら社会を再生しようとするリベラルな人々の強い意志には、日本人も見習うところがあるはずです。そして先進国と呼ばれる多くの国が、アメリカと同じ矛盾へのチャレンジを強いられていることも間違いないはずです。
 
しかし、アジアやアフリカといった、現代と過去との間でもがく国々には、それぞれに適した発展の仕方があるはずです。アメリカのリベラル層はそこの繊細なカラクリに意識を向けず、大上段でアメリカの自由と民主主義を世界に持ち込もうとします。そうした人々が見落としている現実が、タイの少年への同情と、他の惨事との報道姿勢のギャップなのです。
 
子供の権利は世界で守られるべきです。しかし、日本で体育館に押し込められている老人を報道して、その課題を追求するマスコミは世界に皆無です。まして、フィリピンの地方都市の災害と、途上国が取り組んでいる文字通りの「泥にまみれながらの近代化」に、観客席からあるときは声援をおくり、あるときは批判をするのが、今の「リベラル」な世論に押された世界のマスコミの課題なのです。「子供」、「勇敢な救出劇」の二つがセンセーショナルなニュースとなったわけです。
 
そして、マスコミの報道を常に監視し、しっかりとした立ち位置でその課題を指摘するのは、我々視聴者の役割なのかもしれません。
 

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『日英対訳 アメリカQ&A』山久瀬洋二日英対訳 アメリカQ&A
山久瀬洋二 (著)
IBCパブリッシング刊

地域ごとに文化的背景も人種分布も政治的思想も宗教感も違う、複雑な国アメリカ。アメリカ人の精神と社会システムが見えてくる!

 
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日本人の美徳を世界に生かすためのdialectical approachのすすめ

“Dielectrics decision method helps to overcome such problems as converging too quickly one solution while overlooking others, participants dislike of meetings, incomplete evaluations, and the failure to confront tough issues. “

(弁証法的決済方法は、参加者が会議の内容に合意せず、評価が十分でなく、大きな課題に直面しかねないような状況を、一つの解決方法に時間をかけずに導くための有効な手段である。)
APA Styls より

6月26日の記事で、演繹法的 deductiveな文化と帰納法的 inductiveな文化との相違が現代社会にどう影響を与えているかを、歴史的発想法などを紹介しながら考え、アジア型発想法が、ITやAI社会に思わぬ利益を与えるのではないかということについても触れてみました。今回はこの思考をさらに掘り下げます。
 
哲学的発想には、上記の発想の他に弁証法 dialecticというものがあります。この dialectical approach(弁証法的アプローチ) について触れたいのです。Dialectical approachとは、ヨーロッパに伝統的にあった考え方で、ヘーゲルやマルクス、キルケゴールといった様々な哲学者や思想家が発展的に解釈し採用した思考方法です。
 
簡単なことなのです。一つの考え方を甲とし、別の考え方を乙とします。この甲と乙とが対立をしているとき、それについて思考し、話し合い、より高い段階の発想を生み出そうというのが dialectical approach の基本的プロセスです。それを様々な哲学者が独自に考え、思考や分析の方法を発展させてきたのです。
 
この発想がビジネス上最も活かされるのがブレーンストームという会議形式です。つまり、アイディアをテーブルの上に出して、それぞれの違いについて議論しながら、より高い発想を導き出すというのが、ブレーンストームの形式です。
 
しかし、そこには二つの課題があります。
 
一つは対立した意見から、ビジネス的なアクションプランを引き出す導き手、すなわちファシリテータがそこには必要であることです。異文化間での議論では特にそれが必要です。
 
そして、もう一つが、日本をはじめアジアの多くの国の文化が、このブレーンストームで必要なコミュニケーションスキルであるディベート debateに馴染まないのです。多くの日本人は、英語はできてもディベートは苦手です。そのために自らの意見を提供できず、相手に押し切られたまま、弁証法的アプローチに貢献できないのです。ですから、異文化環境のやりとりでは、それをよく理解したファシリテーターが特に必要というわけです。
 
では、日本人はまったくこうした発想に寄与し、貢献することは不可能なのかといえば、そうではありません。
 
日本人は帰納型の文化で育ってきたことを前にお話ししました。帰納型の文化の特徴は、discount approachにあります。過去や現状を検証し、様々な背景や各論でのリスクを見つけて潰すことで、まず発想をdiscountします。その上で次第に物事を前に進めます。それは、時間はかかるものの実に堅実な方法です。
 
対して、欧米型は逆の演繹型の発想をとりますから、ブレーンストームの時点ではこうした検証はあまり行わず、大前提の計画やルール、そして契約を決め、そこからリスクへのアプローチにはいります。
 
このメカニズムの相違を知れば、日本人は海外に対して自分が思っている以上に貢献でき、かつ日本の企業力そのものの体力強化にも役立つはずです。
 
日本や中国など極東には「沈思黙考」を美徳とする価値観が存在します。
 
大脳生理学的にいうならば、大脳の記憶を司る「海馬」を使って過去の記憶を見つめ、大前提となる発想をdiscountした上で前に進みます。逆に欧米では、アイディアに対して point addition approach、つまり加点しながら未来に活かすシステムに従って議論します。そして演繹法特有のルールと前提をまずこしらえ、詳細にはいります。日本人からみれば、それは成り行き任せの発想に思えます。
 
実際にグローバルなビジネスでは、海外が先に決済し、日本が周到な準備と根回しをしている間に取り残されたり、日本がやっと動き出したときに、海外で思わぬリスクによって方針が転換され、日本側が戸惑ったりという行き違いが頻発しています。海外からみれば日本人はそうした変化に柔軟ではなく、日本人からみれば海外の人は手前勝手で無責任に映るのです。
 
これを解決するためには、discount approach と point addition approachとの対立こそを弁証法 dialectical approachで解消すればいいのです。
 
まず、伝統的な沈思黙考を奨励しましょう。そして、そこで生まれた課題やリスクを、解決への資料として提出します。この資料を海外からみると examples、つまり「もしアクションを起こすことを怠ったり、準備不足だったりしたときに起きる事例」として理解されるように努めることが大切です。
 
そのためには時間差も必要です。日本は、早い段階で会議のアジェンダや語られることへの課題を想定して、まず各々が沈思黙考の美徳をもって準備します。
 
沈思黙考とは、単に黙って考え込むことではありません。自分に対して言葉で語りかけ、自分の内部でしっかりとブレーンストームを繰り返し、より高い発想へとそれを独自に育ててゆく、従来日本にあった発想法を思い出すことが大切です。独り言を繰り返し、発想を磨くメソッドを身につけるのです。
 
次に、そうした発想を持ち寄り会議を運営するグループを蘇生し、日本人だけで議論を重ね、日本人が得意とするグループでのスタンスを決めておくのです。
 
国際会議では最初に小グループでの会議を提案します。小グループの会議ののちに、大グループにそれを持ち寄って議論する段取りを組むのです。日本人の持ち寄った発想を大グループでのブレーンストームに飲み込まれ消滅させないために、これは必須です。小グループには英語でのプレゼンテーションの得意な人(外国の人かもしれません)が必ずいるはずで、その人に大グループでのプレゼンテーションを託すのも一案です。
 
日本人特有の discount approachは、今までネガティブで意図不明なものと誤解されてきました。しかし、グローバルでの合意なしには物事が前に進めない社会に進化した現在、日本人の discount approach、そして帰納型 inductive approachはむしろ世界をリードする重要なアプローチとなるはずです。
 
この異文化でのコミュニケーションのプロセスをもって、deductive cultureの人と、inductive cultureの人とが語り合いdialectical approachに従って、より強固な結論を導き出すのです。この方法こそが cultural synergy effect (異文化でのシナジー効果)を導き出すのです。
 
明治時代以来、第二次世界大戦で敗戦して以来、日本人は欧米に物事を学ばなければというコンプレックスに苛まれました。そして今、英語教育においても、日本流の英語教育が失敗だと批判されています。確かに日本流の文法読解中心の英語教育では国際舞台には通用しません。しかし、日本人が従来持っていた帰納型発想とdiscount approachは今後の世界戦略への強い武器になるはずです。
 
そのことを理解し、英語でのコミュニケーションの方法をそれに合わせて変化させてゆく教育、発想法が今求められているに過ぎないのです。
 

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英語力だけじゃない、世界に通用するスキルを身につけるなら

『日本人がグローバルビジネスで成功するためのヒント Tips for How to Succeed in a Global Business Context』ジョン・K・ギレスピー (著)、小野寺粛 (訳)日本人がグローバルビジネスで成功するためのヒント Tips for How to Succeed in a Global Business Context
ジョン・K・ギレスピー (著)、小野寺粛 (訳)
グローバルビジネスのスキルを学びながら、英語学習にもなる。ビジネスパーソンのための対訳読み物。
20年間で、海外の日系企業の5000人を超えるビジネスパーソンと面談を行ってきた著者が教える、「日本人のためのグローバルビジネスで成功するためのヒント」。日本人以外の人々とのコミュニケーションやビジネスに対する見方を説明しながら、日本人の問題点を指摘し、その解決方法を伝授。グローバルに成功したいビジネスパーソンのみなさんに、英語力よりももっとはるかに大事なことをお教えします。

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