カテゴリー別アーカイブ: ニュースの英語と文化背景・時事解説

山久瀬洋二の「ニュースの英語と文化背景・時事解説」
話題の海外ニュースから旬な英語表現をピックアップ。グローバルな視点で文化背景、歴史、時事を解説。過去の記事は「海外ニュースの英語と文化背景・時事解説」目次からどうぞ。

ラトビアの歴史と日本の終戦、そのリンクから学ぶこと

“My uncle, aunt, and grandparents were incarcerated in Riga for several years by the German government after being sent there from their home in Bavaria. Speaking of hidden histories.”

(僕の叔父と叔母、そして祖父母は故郷のバイエルンからドイツ政府によって移送され、リガで数年間監禁されたんだよ。すでに忘れられた歴史かもね。)
(Facebookのある友人のメッセージから)

今、ラトビアLatvia)の首都リガ(Riga)でこの原稿を書いています。
もうすぐ日本は73年目の終戦記念日をむかえます。1945年8月は、日本がポツダム宣言Potsdam Declaration)の受諾の是非を巡って大きく揺れた時期でした。
当時の日本の状況を考えるとき、参考にしたいのがラトビアをはじめとしたバルト三国の歴史だというと、驚かれる方も多いかもしれません。
ラトビアの戦後の運命を考えると、当時の日本の選択がいかにぎりぎりの、そして大切な選択であったかがみえてくるのです。
 

【 原爆ドーム 】
 
まずはラトビアの長い歴史を振り返ります。
ラトビアは、1991年に旧ソ連から独立しました。それはソ連が崩壊した頃のことでした。
しかし、元々ラトビアと共にソ連から独立したバルト三国は、長年ドイツと北方の強国だったスウェーデン、そして東から押し寄せるロシア帝国に挟まれて揺れ動いた地域なのです。
ときには、そうしたパワーバランス(power balance)の中でポーランドと連携して独立を保っていた時代もありました。しかし、最終的にはバルト三国はスウェーデン、そしてその後は帝政ロシアの統治を受けることになります。
 
この地域で元々特権を持っていた人々は、中世に移住してきたドイツ騎士団の末裔ともいわれるバルト系ドイツ人でした。実は、19世紀にドイツで君臨したプロシャ(Prussia)はこのドイツ騎士団がそのルーツなのです。従って、長年この地域ではドイツ語が話されていました。
彼らは周辺の列強の思惑を利用して、見事にこの地域での特権を維持してきました。しかし、19世紀末期にロシアの支配が強まり、さらにロシア革命Russian Revolution)でロシアがソ連となると、バルト系ドイツ人は没落し、特権も奪われます。同時に、ラトビアも独立を達成したのです。
 

【 戦争で破壊されたリガ旧市街 】
 
しかし、第二次世界大戦World War 2)が始まると、ドイツとソ連との協定で、ラトビアをはじめとするバルト三国はソ連に併合され、厳しい共産化の中で、ラトビア人もバルト系ドイツ人もひどい迫害を受けました。そんなとき、ソ連との協定を破っていきなりソ連に宣戦し、東進してきたナチス・ドイツNazi Germany)は、彼らにとっては自らを解放する同盟者に映ったのでした。
皮肉なことです。ソ連に対抗しようとナチス・ドイツに協力したラトビアでは、多くのユダヤ人がラトビア人の監視のもとで強制収容所に送られ、虐殺(slaughter)の対象となったのです。リガには、当時の模様を記録したユダヤ人博物館(Rīgas Geto un Latvijas Holokausta muzejs)があり、重たい歴史の事実を人々に伝えています。ユダヤ系の人々は元々、中世にポーランドを通してラトビアに移住してきた人々でした。しかし、そんなラトビア在住のユダヤ系の人々のみならず、ドイツ本国やドイツの占領地から大量のユダヤ人が移送されてきたのです。ここに紹介した私の友人の祖父母や親戚もそうした人々の中に含まれていたわけです。
しかも、第二次世界大戦でバルト三国はソ連のみならず、ドイツにも蹂躙され、多くの被害を受けたのでした。
さらに悲劇は続きます。戦後になると、連合国の協定によってラトビアなどバルト三国はソ連に併合され、スターリンの圧政を受けるのです。その後バルト三国はソ連が崩壊するまでソビエト連邦の共和国となったのでした。
 

【 ラトビアに侵攻したドイツ軍 】
 
日本は、終戦間際に北から迫るソ連の脅威に晒されていました。
ソ連が北海道に到達する前にアメリカに対して降伏し、日本を社会主義の圧政から守ることが緊急の課題だったのです。
バルト三国は大陸国家であったが故に、日本が経験することのなかった厳しい体験を強いられることになります。ラトビアの中には今でも旧ソ連時代に移住してきたロシア系の人々が多く居住しています。こうした人々にラトビアは国籍を与えず、それが人権問題ともなっています。列強に挟まれた戦争の怨念が今でも残っているのです。
 
また、第二次世界大戦で日本と同盟したドイツは、首都ベルリンにソ連軍が侵入し、激戦の中で降伏(surrender)しました。
ちょうど赤坂見附や新橋まで戦車(tank)や装甲車(armored car)に先導されたソ連軍が皇居に迫ってきたことを想像すれば、その状況がいかに緊迫したものか理解できるのではないでしょうか。
しかし、終戦まで日本の本土には海外の兵士は一人も侵入してはきませんでした。
沖縄やアジア各地で犠牲となった日本人、そして空襲(air raid)や原爆(atomic bomb)の犠牲になった日本人は300万人以上。そうした人々を見舞った悲劇を忘れてはなりません。しかし、戦争の最後まで、本土が軍靴に蹂躙されなかったことは、他国の事例と比較すれば、極めて好運なことだったのです。(参考:戦争による国別死者数
 
アメリカは、日本が降伏すると即座にソ連に対してアメリカが主体となって日本を占領する旨の意思表示をします。その結果、日本はドイツのように分断もされず、ラトビアのようにソ連の支配下におかれることもなかったのです。日本の代わりに犠牲となり分断されたのが朝鮮半島だったことを考えると、今の日本の繁栄と平和がどのような背景のもとで培われたかがわかってきます。
 
今、ラトビアでは二つの世代が共存しています。
一つは、1991年の独立前の世代。そしてもう一つはそれ以降の若い世代です。若い世代には英語教育が浸透し、彼らは
EU(European Unionの一員として西欧の文化の洗礼を受けています。しかし、それ以前の世代は、過去の重い歴史を記憶に残し、今のラトビアを見つめています。
戦後70年以上が経過した今、日本でも戦争体験が風化しつつあると人々は警鐘を鳴らします。ラトビアはソ連の圧政から解放されて27年。二つの世代はラトビアの世論を大きく左右する要因となっています。
ベルリンの壁(が崩壊したのが1989年。東西冷戦は第二次世界大戦と共に、次第に彼らの中で遠い記憶となってゆくのかもしれません。
 
リガ旧市街は、戦後昔の趣を再現し、中世の街並みの残る地域として、世界遺産(world heritage)となり、観光都市として繁栄しています。バルト三国の今後は、戦後70年以上戦争のない西ヨーロッパの未来と深く関わっているのです。
そして、戦争体験が風化しつつある日本も、ラトビアやドイツの体験から、自らのあり方を再び見つめ直す時代の転換期に差し掛かっているといえましょう。

【 現在のリガの旧市街 】
 

* * *

『海外メディアから読み解く世界情勢』山久瀬洋二日英対訳
海外メディアから読み解く世界情勢
山久瀬洋二 (著)
IBCパブリッシング刊

海外ではトップニュースでありながら、日本国内ではあまり大きく報じられなかった時事問題の数々を日英対訳で。最近の時事英語で必須のキーワード、海外情勢の読み解き方もしっかり学べます。

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オバマ氏の南アフリカでの演説が語る空虚な現実

“Do you remember that feeling? It seemed as if the forces of progress were on the march, that they were inexorable. Each step he took, you felt this is the moment when the old structures of violence and repression and ancient hatreds that had so long stunted people’s lives and confined the human spirit – that all that was crumbling before our eyes.”

―みなさん、あの感覚を覚えていますか。みんなで歩いて勝ち取った止めることのできない流れ。彼が成し遂げた一つ一つのこと。それによって人々を絶望させ、人々の精神を押さえ込んできた古来以来の憎悪や抑圧、暴力の構造が、我々の目の前で崩壊しはじめたと思ったことを。
(オバマ氏の7月17日の演説より)

去る7月17日、南アフリカのヨハネスブルグで、ネルソン・マンデラ氏の生誕100年を祝う式典がありました。
ネルソン・マンデラが生まれたのは1918年。彼はアパルトヘイトの撤廃に生涯を捧げ、1964年から27年間にわたって、白人優越主義をモットーにしていた当時の政府によって拘束され、国家反逆罪で服役していたことでも知られています。彼が釈放されたのは1990年のことでした。
彼の最大の功績は、いうまでもなくその後大統領に選出され、人種差別を撤廃し、それまで支配層であった白人系の人々と、抑圧されていた黒人系の人々とが融和する社会造りを目指したことにあります。
一般的に、支配されていた層の人々が革命などによって制度が転覆されたとき、そこには人種や民族の憎悪が吹き出し、報復による流血も予想されます。マンデラ氏は、自らが国家の指導者になったとき、本人をも見舞った厳しい差別への報復を否定したのです。

非暴力の系譜に忍び寄るポピュリズムの影

7月17日の式典には、アメリカのオバマ前大統領が来賓として招かれ、講演を行いました。講演は1時間を有に越え、スピーチの原稿は5万字にもなるものでした。それは、久しぶりの、オバマ氏らしい、雄弁で説得力のある演説でした。
彼は、その講演において、その昔ガンジーがイギリスからの独立運動で示した、非暴力不服従のキャンペーンを念頭におきます。ガンジーが暴力的な報復に訴えず、独立後もヒンズー教徒とイスラム教徒との対立に心血を注いだことを前提に、ガンジーの思想がその後アメリカで同様の運動を展開し、アメリカで黒人への差別撤廃運動を行なったキング牧師に、さらに2013年に他界したマンデラ氏へと受け継がれてきたことを強調しました。
その上でオバマ氏は、そうした人種や民族の融和への試みが、無責任なポピュリズムによって踏みにじられようとしていると警告します。
 
マンデラ氏が大統領になったあとの南アフリカでは、長年人種差別を受けてきた黒人層の貧困や犯罪によって社会が大きく揺れました。また、南アフリカ同様に白人支配を撤廃してきた隣国ジンバブエでは、支配層による白人社会への報復が問題視されました。
こうした人種や民族の対立という試練は、今なお克服されていないのです。もちろん、アメリカも例外ではありません。そして、ガンジー亡き後、インドはイスラム教徒が多く住むパキスタンと分離され、分断された二つの国家間は今でも一触即発の緊張関係にあるのです。さらにインドでは、カースト制度は撤廃されたものの、もともと低い身分にいた人々への人権侵害が今なお社会の病巣として治癒されずにきています。
確かに、このように社会が揺れれば、それを安易に批判するポピュリズムが横行する原因ともなるはずです。ヨーロッパでも中東やアフリカからの移民に対し、それを排斥するべきだと訴える人々が政界にも進出してきていることは周知の事実です。
 
また、オバマ大統領などによって唱えられる自由と平等、そして人権擁護の理想が、単なるアメリカの価値の押し付けだとする批判があることも事実です。もともと移民を受け入れて成長したアメリカと、そうでない国々との間では事情も背景も大きくことなることは事実です。
ただ、日本を例にとってみるならば、明らかに今海外からの労働力を必要としているにもかかわらず、入国管理があまりにも排他的であることは否めない事実でしょう。我々も、アメリカやヨーロッパからの移民を受け入れ、その人々の人権の課題と取り組んでいた先例から、さらにはガンジーからキング牧師、そしてマンデラ氏へと至る多様性への受容の歴史から学ぶべきことは多くあるはずです。

「自由を求める潮流」の行き着いた先は

さて、話を元に戻しましょう。
ネルソン・マンデラが釈放されたのは1990年。それは、ベルリンの壁が崩壊し、冷戦構造が瓦解しはじめた翌年のことでした。
オバマ大統領は、当時を振り返り、いよいよ世界が人種の対立を乗り越えて、一つになろうとする強いうねりを肌で感じたことを強調します。
ベルリンの壁が崩壊したときとほぼ同じ頃、中国では天安門事件がおき、言論の自由を求めた若者が軍隊と警察の力で一掃されたことが世界に衝撃を与えました。権力の横暴に抗議する若者が戦車の前に立ちはだかる映像が、中国から世界に流れたことをよく覚えています。以来、中国はそうした新しい流れをせき止め、人権問題を軽視し、言論の自由を抑圧する国家の象徴として欧米が意識するようになったのです。
 
オバマ氏が今懐かしげに語る80年代終盤から90年代にかけて世界を見舞った「自由を求める強い潮流」を象徴した人物。それがネルソン・マンデラだったのです。
しかし、その後90年代にはいって間も無く、鉄のカーテンがなくなり、民主主義が導入されたはずの東ヨーロッパは内戦に苦しみます。旧ユーゴスラビアでは分断された国家同士の戦いが相次ぎ、その中でイスラム教徒への大量虐殺が行われました。また、ソ連崩壊後のロシアでの民族運動への強い弾圧など、オバマ大統領が肌で感じたという流れが淀み、行き場所を失い、人々を当惑の渦へと押し流し始めたのです。
そんなとき勃発したのが、2001年のアメリカでの同時多発テロだったのです。

マンデラが目指した社会は「幻」か

その後、世界は90年代初頭に人々が感じた未来に向けた強い流れは、単なる幻であったのではと思うようになりました。中東ではISISが恐怖を世界に撒き散らし、混乱の中で難民がヨーロッパに押し寄せます。中国では天安門事件などなかったかのように、経済成長による自信の陰で、言論統制がごく当然のごとく横行し、政府は少数民族の抗議にも強権をもって対処しています。
そして、日本をはじめ多くの持てる国の人々は、こうした変化に無関心です。
 
マンデラ氏の改革を目を輝かせてみていた人々にとって、そんな過去は一瞬の幻だったのでしょうか。オバマ氏の演説を聴きながら、そんな不安を持った人が少なからずいたのではと危惧するのは、私一人ではないはずです。

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先人たちから学ぼう!

『Inspirational Proverbs and Sayings (心に響く英語のことわざ・名言100)』 レベッカ・ミルナー(著)Inspirational Proverbs and Sayings (心に響く英語のことわざ・名言100)』 レベッカ・ミルナー(著)
庶民の生活や知恵から出た社会常識を示す言葉。ビジネスやスポーツ選手の経験からくる事柄の本質をうまくとらえた言葉。そして人生の真実や機微を端的にまとめた先人の言葉。本書で集めた100の名言・ことわざは、現代の生活にも通じ、我々にその教訓や戒めを再認識させてくれるものばかり。100の言葉には意を汲んだ和訳つき。

 

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タイでのよろこびと、日本の暑い夏、そしてフィリピン

“Hello Yoji. Yes, it’s flooded all over Dagupan and nearby. Cities, towns. My village including our house, is also flooded now. I feel sorry for those who live near riverside.”

ヨウジ、そうなんだ。ダグパンやその近郊はどこもここも洪水だ。大きな街も小さな街も、僕の村も。もちろん僕の家も水が溢れている。川のそばの人たちはとても大変だよ。
(フィリピンの友人のラインから)

タイで少年たちが洞窟から無事に救出されたとき、私も思わず歓声をあげました。本当によかったです。でも、この喜びを翳らせる事実があることに、どれだけの人が気付いているでしょうか。
 
それは現在のメディアとマスコミのあり方に深く関わります。
世界では常に惨事がおきています。いうまでもなく、日本でもその頃台風の影響を受けた集中豪雨で西日本を中心に多数の命が奪われました。それだけでなく、家屋などの財産を失った人が避難所生活を送っています。
 
先日、福島県白河市の城趾公園の近所を散歩していたとき、東日本大震災で被災した人々の仮設住宅の跡がそこにありました。すでに入居者は退去し、夕暮れ時の道の横に薄暗く無人の住宅が並んでいることに気付いたとき、ふと足をとめてしばらくその閑散とした風景を見詰めてしまいました。当時と今と、災害がおきたときの様子には何の変化も進歩もありません。
 
そして今、フィリピン北西部では、台風の通過を受けて洪水がおきています。
子供の頃、河川が整備されていなかった日本でもしょっちゅう台風による浸水があり、床下床上浸水がいかに生活に影響を与えたかよく覚えています。洪水のときは、たとえ家屋が流される危機に見舞われなくても、下水から河川の汚水まで、全てが家に流れ込みます。衛生面でも、そのあとの除湿を考えた上でも、それが例え床下浸水であっても大変です。
 
私が、フィリピンに連絡をとったとき、友人は一家をあげて1階から2階に家財道具を避難させているところでした。都市部から離れたところに住んでいる一人の友人は、川のすぐそばの家が流されそうになっているとラインで知らせてきました。それが今日のヘッドラインです。私は、日本でほんの少し前におきた惨事を思い出し、どうか皆が無事でいてくれるよう祈っています。フィリピンのこの地域は平地で、日本のような土石流の心配はないものの、護岸工事が充分でない河川が氾濫したときは、その猛威は想像をはるかに超えます。
 
そんな私は今カリフォルニアに来ています。
青空の下、パームツリーが微風にそよいでキラキラと輝いています。空港の近くにいるため、時折飛行機のエンジンの音がホテルにも聞こえてきます。フェイスブックにその光景をアップしているので是非みてください。ここにいると、日本の土石流もフィリピンの洪水もまったくの他人事です。誰もそのニュースすら知らない状況です。
しかし、タイの洞窟の少年の話は誰でも知っています。救出のために落命した隊員への同情も集まっています。そう、この話は劇的なのです。もちろん、子供の命が助かったことは素晴らしいことです。救助隊の人々にも敬意を表します。しかし、劇的ではない、日々の中で世界各地でおきている同様の惨事にはマスコミは無関心です。
 
実は、アメリカのメディアは、救出された子供の自宅にまでインタビューに行き、そのことが、PTSD(Post traumatic stress disorder)に苛まれている可能性のある児童への対応に問題があると地元の政府から非難を受けています。映画化の話もあるとのことですが、今大切なことは、救出された子供たちの精神状態や、親や関係者との再会のために静かな時間を与えてあげるべきではと思うのです。
 
そして、メディアはその数倍も犠牲者のでている日本の状況や、フィリピンなど途上国での災害の様子やその背景に目を向けるべきです。災害は、天災であると共に人災です。その国々の政治の状況や、税金の使われ方、さらには教育によって培われた災害への意識や、隣人への思いが大きく影響します。日本の場合、被災者を学校などの施設に収容し、硬いフロアの上で暑い夏を過ごすことを余儀なくされた人々がたくさんいます。先進国とは思えない情けない有様です。近郊のホテルに空室があっても、シャッターストリートに空き家が並んでいても、誰も気付かず、アレンジをする政治的システムもありません。
 
フィリピンの場合は、灌漑施設への対応の遅れが事態を深刻にしています。その背景には賄賂などで腐敗した政治があるといわれています。そこに鋭いメスをいれようとしているドゥテルテ大統領は、フィリピンの内政の深刻な実情をアメリカの尺度からみた世論に批判され、一時国際社会で孤立しました。
 
カリフォルニアは、そんな「リベラル」なアメリカを代表する地域です。
アメリカの「リベラル」は、アメリカの中で徹底して追求されるべきであることは、私も同意します。この国の格差や差別、新しい移民と数世代に渡って社会を築いてきた人々との意識の対立は確かに深刻です。その対立を乗り越え、安易なポピュリズムにメスをいれながら社会を再生しようとするリベラルな人々の強い意志には、日本人も見習うところがあるはずです。そして先進国と呼ばれる多くの国が、アメリカと同じ矛盾へのチャレンジを強いられていることも間違いないはずです。
 
しかし、アジアやアフリカといった、現代と過去との間でもがく国々には、それぞれに適した発展の仕方があるはずです。アメリカのリベラル層はそこの繊細なカラクリに意識を向けず、大上段でアメリカの自由と民主主義を世界に持ち込もうとします。そうした人々が見落としている現実が、タイの少年への同情と、他の惨事との報道姿勢のギャップなのです。
 
子供の権利は世界で守られるべきです。しかし、日本で体育館に押し込められている老人を報道して、その課題を追求するマスコミは世界に皆無です。まして、フィリピンの地方都市の災害と、途上国が取り組んでいる文字通りの「泥にまみれながらの近代化」に、観客席からあるときは声援をおくり、あるときは批判をするのが、今の「リベラル」な世論に押された世界のマスコミの課題なのです。「子供」、「勇敢な救出劇」の二つがセンセーショナルなニュースとなったわけです。
 
そして、マスコミの報道を常に監視し、しっかりとした立ち位置でその課題を指摘するのは、我々視聴者の役割なのかもしれません。
 

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『日英対訳 アメリカQ&A』山久瀬洋二日英対訳 アメリカQ&A
山久瀬洋二 (著)
IBCパブリッシング刊

地域ごとに文化的背景も人種分布も政治的思想も宗教感も違う、複雑な国アメリカ。アメリカ人の精神と社会システムが見えてくる!

 
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「市民」と「庶民」、オウム真理教幹部の死刑執行を振り返って

“Japan has executed as many as eight people a year since an effective moratorium ended in 2010. Officials do not give advance public notice of executions, and those condemned usually learn they are scheduled to die just a few hours beforehand.”

日本では、2010年に一時停止したものの、その後年間約8名の死刑を執行してきている。当局は、処刑について事前に知らせることはなく、死刑囚本人にも、ほんの数時間前に執行を通知する。
(BBCより)

死刑の是非を巡る論議に大きな影響を与えたオウム真理教事件に一つの区切りがつきました。
この機会に、もう一度死刑制度について考えてみたく思います。
このときに、我々がまず考えたいのは、市民意識という概念です。
 
「市民」という言葉を翻訳すれば、citizen となります。
市民の意味を厳密に規定すれば、選挙権のある人のことを指します。
つまり、市民とは基本的に政治意識がある人であるということが前提となります。
 
さて、ここで庶民という言葉について考えます。
庶民とは大衆にもつながり、英訳すれば ordinary people など、いくつかの用語をあてはめます。
 

自らの権利と自由を求める「市民」

市民と庶民とでは、根本的にその意味するところが異なるのです。
 
実は、欧米での市民とは、革命や政治運動を通して、次第に増加していった人々のことを指しているのです。
一例をアメリカにみてみます。
アメリカは1776年にイギリスの植民地から独立を宣言します。
それまでアメリカに住む人々には選挙権は与えられていませんでした。
イギリスがそんな植民地へ課税をしようとしたことで独立戦争がおこったのです。
「代表なくして課税なし」 No taxation without representation というのが、独立のスローガンでした。
そしてアメリカが独立するときに「全ての人は平等である」 all men are created equal と独立宣言でうたわれます。
ここでいう all men こそが「市民」なのです。
 
しかし、アメリカの場合、独立当時の市民とは資産を持った男性に限られていました。
その後、南北戦争を経て奴隷が解放され、20世紀になり女性にも選挙権が付与されます。
さらに、60年代に人種に関係なく選挙権を含む公民権が全ての人に付与されたことで、アメリカ人は全て市民となったのです。
これはアメリカだけではありません。
類似したことをイギリス人やフランス人も経験しているのです。
 
このことからもおわかりのように、もともと、市民とは、王族や貴族などに対して、次第に経済力を蓄え自らの権利と自由を主張した「ビジネスマン」が求めた地位だったのです。
 

「市民」=「庶民」、citizen=市民?

では、日本ではこうした概念での市民はいつ発生したのでしょうか。
明治維新かというとそれは少し違います。
というのも、明治維新を推進したのは武士階級で、それは近代国家のあり方に目覚めた武士階級による政治改革だったのです。
ですから、明治時代になって階級制度は廃止されても、政府が主導で産業を育成し指導します。
市民自らが権利を獲得し、国家を運営したわけではないのです。
状況は戦後もさほど変わりませんでした。
戦後に選挙権は全ての人に与えられましたが、それは日本を占領したアメリカの主導の下で、当時の政府によってなされた改革だったのです。
 
従って、日本には欧米型の市民は育ちませんでした。
日本では、「市民」は「庶民」と同義なのです。
もちろん、これは日本に限ったことではありません。
いち早く市民社会を築き上げて力を蓄えた欧米がアジアを植民地にしたときに、市民という概念が輸入はされたものの、欧米から独立した国家の多くは、日本の明治維新と似たような経緯をもって国づくりを試みたのです。
シンガポールなどの東南アジアの国々、共産党や国民党の指導で国家を造ろうとした中国などでも「市民」は育ちませんでした。
 
アメリカに住むと、市民という概念が明快にわかってきます。
それは、国民のほとんどが自らの税金がどのように使われているかということについて、極めて敏感で雄弁だからです。
taxpayer’s money 「納税者による資金」という言葉は、政府がどのように資金を使うかを監視するときに、アメリカ人の誰もが使う言葉です。
 
こうしてみると、日本では市民権を持った人々はいるものの、そうした人々はただの人、つまり庶民であることがわかってきます。
欧米の人々が英語で citizen という言葉を使うとき、それを日本人が市民として翻訳したとしても、ここの違いがわかっていないと、彼らの意識を誤解することになるのです。
 

市民として「人権」のあり方を問う

さらに話を進めます。
「人権」という言葉があります。
これは英語では human rights となります。
文字通り、これは人が基本的に守られなければならない権利を意味します。
しかし、欧米の場合、市民という権利を獲得するときに、人々は常に血を流してきました。
従って、人権と市民権とは常に一体として捉えられます。
政府が自らの利益のために人を裁くのではなく、人は裁判を受ける権利を持ち、法によって裁かれるべきだというのが、この長い闘争の歴史から人権という考えを生み出したのです。
 
もちろん、日本人にも人権という意識はありますが、人権を自らの力で獲得したという意識は希薄です。
そのために、権利のあり方に対してそれを常に考えようという認識も旺盛ではないように思えます。
 
今回、オウム真理教の幹部が一斉に処刑されたとき、こうした立場から死刑のあり方に光をあて、罪と罰のあり方を問いかけたメディアが少なかったこともその表れでしょう。
すなわち、欧米で常に行われている死刑が人権の侵害にあたるのかどうかという議論がそれほど強く巻き起こらなかったことは、海外からみれば驚きではなかったかと思われます。
 
もちろん、オウム真理教のなした犯罪の残忍性は決して許されるものではありません。
課題は、死刑存置か否かという議論が放置されている日本の現状です。
先進国の中で死刑が存在するのは、アメリカと日本のみ。
それも絞首刑が実行されているのは日本だけという事実に、アムネスティなど世界から批判が集まっている状況を注視したいのです。
 
庶民と市民との概念の違いをみるとき、注意しなければならないのは、ポピュリズムへの傾斜の揚力です。
アメリカでトランプ政権が生まれ、ポピュリズムへの懸念を深刻に捉えたヨーロッパでは、ほとんど全ての選挙で、排外主義的な扇動を行い、刑事事件にも厳しい対応を求めた指導者が敗退しました。
市民が人権と市民権とを同時に意識し、政権を選択したのです。
死刑存置か否かの課題も、庶民としてのポピュリズムではなく、市民と人権の課題として議論されるべきというのが、主要国の立場なのです。
 
これから日本に「市民」が育ってゆくかどうか。
それとも、欧米流の市民ではなく、アジアではアジアならではの市民の育て方があるのか。
この課題は、未来の世界のあり方を考える上でも大切なことなのではないでしょうか。
 

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あの名演説からアメリカを学ぼう!

『I Have a Dream!』マーティン・ルーサー・キング・ジュニア (著者)、山久瀬洋二 (翻訳・解説)I Have a Dream!』マーティン・ルーサー・キング・ジュニア (著者)、山久瀬洋二 (翻訳・解説)
生声で聴け!世界を変えたキング牧師のスピーチ(日英対訳)
1955年、バスの白人優先席を譲らなかったという理由で逮捕された男性がいた。この人種差別への抗議運動として知られるモンゴメリー・バス・ボイコット事件を契機に、自由平等を求める公民権運動がにわかに盛り上がりを見せた。マーティン・ルーサー・キング・ジュニアはこの運動を舵取りし、そのカリスマ的指導力で、アメリカ合衆国における人種的偏見をなくすための運動を導いた人物である。「I have a dream.」のフレーズで有名な彼の演説は、20世紀最高のものであるとの呼び声高い。この演説を彼の肉声で聞き、公民権運動のみならず、現在のアメリカに脈々と受け継がれている彼のスピリット、そして現在のアメリカのビジネスマネジメントの原点を学ぼう。山久瀬洋二による詳細な解説つきで、当時の時代背景、そして現代への歴史の流れ、アメリカ人の歴史観や考え方がよく分かる1冊。

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各論にこだわる日本、「しがらみ」を捨てたアメリカ

ロシアは日本を求めている?

 

“Putin: It’s important to look for Russia-Japan WW2 peace treaty, solution that would reflect the strategic interests of both. “

(プーチン大統領は、第二次世界大戦を解決した平和条約を見つめ、お互いの戦略的連携を見つめてゆきたいと表明)
Reuterより

モスクワの街を歩けば、スーパーマーケットに寿司が並んでいます。
この寿司を生産しているのは、日本企業ではないとのこと。アメリカで発案されたカリフォルニアロールがヨーロッパ経由でロシアにはいってきたのです。この日本とアメリカとロシアが関わって流通している寿司をみると、それが現在の極東情勢を象徴したものとして映ってくるのも事実です。
 
ロシアの広大な国土の半分以上はアジアにあります。
その国境の向こうには、モンゴルがあり、さらには中国があります。
1960年代、共産主義社会での覇権をめぐり、中国とソ連とが激しく対立しました。以来中国とソ連、そしてソ連の権益を引き継いだロシアとは、アジアのライバルとしてお互いを意識し続けてきたのです。
 
そもそも、中国とロシアとの対立は旧ソ連時代にはじまったことではありません。
帝政ロシアの頃、南へと利権の拡大を目論んでいたロシアは、当時中国を統治していた帝国への進出を目論みます。このロシアの南下に対して当時の日本(大日本帝国)が脅威を感じた結果勃発したのが、日露戦争であったはずです。
 
なぜロシアと中国との関係をここで解説する必要があるのかというと、そこには大きな理由があります。それが北朝鮮への日本のアプローチのヒントになるからです。
確かにロシアは、アジアにおいては常に中国を意識してきました。そんなロシアにとって、実は日本は極めて組みやすい相手なのです。
しかも、シベリアには日本が欲しがる膨大な資源が眠っています。そんなロシアがシベリアの開発のために日本の経済力に期待しているのも事実です。
こうしたお互いの利益を前向きに捉え、ロシアと強力なパイプを造ることができれば、中国とアメリカとの間で硬直した日本の北朝鮮政策に新たな可能性が生まれるはずです。ロシアのプーチン大統領は、日本のそうしたアプローチを強く望んでいることが、このヘッドラインからも見えてきます。
 
しかし、日本人には常にこうしたチャンスを見逃す弱点があります。
それは日本人の各論にこだわる癖に他なりません。つまり、日本人は各論にこだわりすぎ、大きな絵図面から外交問題を有利に解決するチャンスを何度も逸してきたのです。
ロシアとの間の北方領土問題、そして北朝鮮との間の拉致問題への日本の取り組み方は、そんな日本の弱点を象徴しています。不当に拉致された人々への家族の思いに疑問を抱いているわけではありません。拉致を解決するには、拉致からあえて離れた大きな視野と戦略が必要だと思うのです。
ロシアとの間も同様です。北方領土を解決するためには、日本とロシアとの経済協力が双方にとって無視できなくなるほど強くなることが大切なのです。
 
拉致問題一点に日本がこだわりすぎれば、北朝鮮への外交的な対応そのものが後手にまわります。そして北方領土にこだわれば、ロシアとの経済協力はなかなか進みません。そうした状況を一番利用できるのは中国であり、北朝鮮そのものなのです。
安倍首相は、トランプ大統領が金正恩との会談で拉致問題に触れてくれたことを、国民に強調しました。
しかし、トランプ大統領が、拉致問題に触れたというのは、日本のメッセージを伝えたよということに過ぎないのです。アメリカが積極的に日本の利益のために拉致問題に触れたのでない以上、それは何ら意味のない伝言ゲームにすぎません。
 
結局、日本は単独で北朝鮮と拉致問題について交渉をせざるを得ないわけです。そんな状況の中で日本が拉致問題を理由に北朝鮮との対話を進めないことは、北朝鮮からみるならば、日本を交渉相手からブロックし、中国を味方につけながらアメリカに対応するためには極めてありがたいことなのです。
 
一方、ロシアは北朝鮮への影響力を維持するためにも、日本との連携を視野にいれたいはずです。しかし、何かを持ち出せば北方領土にこだわる日本の対応にロシアの幹部がうんざりしているのもまた事実でしょう。
 
北朝鮮問題は、単に北朝鮮に核を断念させて、国際社会の仲間入りをさせることを意味しているわけではありません。北朝鮮問題は、北朝鮮という扱いにくい国家の存在を利用して、極東の中でいかに自らの利益や影響力の伸長をはかろうかと模索する関係国同士の外交合戦なのです。
日本が、北方領土と拉致問題という「動かない石」にこだわればこだわるほど、そうした関係国の複雑な交渉の蚊帳の外に日本が置かれてしまい、最終的に拉致問題や北方領土問題自体の解決も遠のいてしまうのです。
 
どこの世界でも、政治は「しがらみ」によって動いています。
アメリカの歴代大統領も、支持母体の政党や有権者という「しがらみ」を常に意識して政権を維持してきました。それは日本でも中国でも同様です。ところが、トランプ大統領はそうした「しがらみ」が最も希薄な大統領として選挙に勝利しました。そして、金正恩も中国という「しがらみ」を離脱した指導者でした。ですから、この二人は様々なスタンドプレーが可能だったのです。
 
日本の場合、多くの政権は国内では自民党内部の「しがらみ」があり、国外ではアメリカとの強い「しがらみ」に左右されながら外交の舵をきってきました。そんな政治家の「しがらみ」が、拉致問題と北方領土問題への取り組みにも大きな影響を与えているようです。
しかし、今のアメリカは「America First」というスローガンを大きく掲げています。「しがらみ」よりも自国の利益を優先させようとするアメリカに最も翻弄されているのが、今でもアメリカを「しがらみ」と捉える日本なのです。
 
日本がこうした実態を改めて見直しながら、改めて中国とロシアとの立ち位置を冷静に見つめた独自のリーダーシップを取ることができれば、北朝鮮問題への日本の影響力にも大きな変化がおこるはずです。
 
 

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『海外メディアから読み解く世界情勢』山久瀬洋二日英対訳
海外メディアから読み解く世界情勢
山久瀬洋二 (著)
IBCパブリッシング刊

海外ではトップニュースでありながら、日本国内ではあまり大きく報じられなかった時事問題の数々を日英対訳で。最近の時事英語で必須のキーワード、海外情勢の読み解き方もしっかり学べます。

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