カテゴリー別アーカイブ: Yamakuse Yoji’s World View

日本人の「グレンチャイ」を振り返れば

“Almost 95 per cent of the population practices the southeast Asian form of Buddhism called Theravada. The Buddhist approach to life has strongly influenced Thai attitudes and behavior.”

(95%の人が東南アジアに伝搬された小乗仏教を信奉しており、仏教徒としてのライフスタイルが、タイの人々の行動や態度に大きな影響を与えている)

グレンチャイという言葉があります。
タイに駐在するか、タイと深く関わったことのある人なら一度は聞いたことがある言葉ではないでしょうか。
日本語に翻訳すると「遠慮」となります。
では、遠慮という概念を英語で説明するとどうなるでしょう。これは結構至難の技です。特にアメリカのビジネス文化では、遠慮という概念は日本ほど重要ではありません。それどころか、遠慮せず自らのニーズを即座に表明することが、相手との信頼関係を築く上では欠かせません。
ということは、日本人のコミュニケーション文化は、タイなど他のアジアの国々と共通することが多いのでしょうか。
 
タイは、東南アジアにあって唯一独立を保ってきた国です。
その昔、ベトナムやカンボジアがフランスに、インドネシアがオランダに、そしてマレーシアやミャンマーがイギリスの植民地となり、フィリピンも19世紀まではスペイン、その後はアメリカ領となっていました。タイだけが、王国として自国の伝統を維持してきたのです。かつ、タイは仏教国です。アジアの伝統を維持してきた仏教国といえば、当然そこに日本にも通じるアジア古来のコミュニケーションスタイルが残っているといってもおかしくはないはずです。
 

アジア流グレンチャイ=「遠慮」の文化に翻弄されて

しかし、そんなタイに駐在した日本人はおしなべて、このグレンチャイというコミュニケーション文化に苛まれます。
昔ながらの上下関係がしっかりと根付いているタイにおいて、人といかに和を保ってものごとを進めてゆくかということは、彼らが最も意識していることです。この意識がビジネスをシステムにのっとって進めてゆく上での障害となるのです。
 
例えば、タイにおいて日本人の上司から何か指示されたとき、タイの人は本音では「はい」ではないときでも「はい」と承諾することがままあるのです。「できません」とか「そうは思いません」といった本音はいわず、遠慮(グレンチャイ)しながら建前として「はい」というわけです。波風を立てないために。しかも笑みを浮かべて。
ですから、その言葉を信じて仕事をしたものの、デッドラインが守られないということで駐在員は翻弄されるのです。
 
実は以前、これと同じような逸話が欧米人の間で話題になったことがありました。
それは、彼らが、バブル経済にわいていた頃の日本人といかに仕事をするべきか、という課題に直面したときのことでした。
日本へ投資し、ビジネスを拡張しようと世界中の人が考えていた時代、彼らは日本語を勉強し、日本の企業に勤め、慣れない箸を使いながら、いかに日本人とコミュニケーションをするか試行錯誤を繰り返していました。
そんな彼らが、曖昧な笑みを浮かべ、意思をはっきり表明せず、本音と建前を使い分ける日本人の行動に翻弄されていたのです。いわば、日本流のグレンチャイに戸惑っていたのです。
 
バブルがはじけ、日本の硬直した構造疲労が話題となったとき、こうした日本の価値観にこだわる日本社会の体質そのものが、海外から批判されました。
香港シンガポールといった、より欧米流のコミュニケーションが流通している地域にアジアの本部機能を移動する会社も現れました。
しかし、今考えてみれば、日本はアジアの中ではじめて欧米のビジネス環境に、そしてその中で切磋琢磨する競争社会に飛び込んだ国だったのです。
従って、多くの人が日本という経済大国が引き潮と共に遠ざかったときに、アジアの価値そのものを日本独自の価値と取り違え、それを時代遅れの骨董品のように批判したのです。
 

経済の波に歪められた「日本のコミュニケーション文化」

しかし、タイに行けば、そんな伝統的なアジア流コミュニケーションスタイルがしっかりと維持されています。
仏教国であるタイでは、感情の起伏をそのまま仕事場で表せば、その人の「人徳」への懸念へとつながります。家族意識の強いタイでは、「内と外」という観念が根付いていて、「内」の人間にならない限り、なかなか本音はききだせません。
 
逆に、日本では、バブル崩壊の後の暗黒の10年と呼ばれる経済の低迷に苦しむ中、自己批判するかのように旧来の価値観が否定されたこともありました。
伝統的な日本流コニュニケーションスタイルがいびつに変化し、欧米流でもなければ、旧来の日本人らしいものでもない、新しい世代文化が培われました。以前はあり得ないことだった、上司から飲みに誘われたときに「用事がありますから」と断る若者も増えてきました。「顧客が神様」という上下関係のマニュアルも通用しにくくなり、終身雇用からくる組織への忠誠の神話にも変化が現れました。
 
こうした変化について語ったとき、「それはより日本がグローバルになったということさ」という反応を示す外国の人も多くいます。
しかし、本当にそうなのでしょうか。もし、日本人がバブルの崩壊と共にその背骨そのものをへし折られ、直立歩行できないままにグローバル経済の重力に押しつぶされながら変質を遂げていたとしたら、これからの未来はどうなるのでしょうか。
グローバル化し競争力をつけるのではなく、本来日本人がもっていた品質へのこだわりや、相手に配慮して物事を進める柔軟な交渉力が、この変化と共に失われつつあるのではという危機感を抱いている人は多いはずです。
 

日本が迎えている「変質の危機」

文化には、強い部分と弱い部分がちょうどコインの表と裏のように存在し、他の文化と接したとき、それが交互に現れ相手と接触します。普通はその強弱によって相手と接しながら調整を行い、コミュニケーションのバランスを保ちながら、異文化環境で鍛えられてゆくのです。しかし、もし文化の弱い部分が強い部分を凌駕した場合、あるいは強い部分も弱い部分の一部と誤解してそれを崩壊させた時、その国や民族の文化そのものが変質してしまうこともよくあるのです。今日本が直面しているのは、そんな変質の危機なのではないかと思ってしまいます。
 
タイの「グレンチャイ」に接して、しょうがないなと呆れる日本人が、蟹の横ばいのように自らの背骨にも同じアジアの遺伝子を抱いているのだということを、もう一度考えてみるのもまた必要なのかもしれません。
 

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アジアの人々と働くこと

『なぜ銀座のデパートはアジア系スタッフだけで最高のおもてなしを実現できるのか!?』千葉祐大 (著者)なぜ銀座のデパートはアジア系スタッフだけで最高のおもてなしを実現できるのか!?』千葉祐大 (著者)
価値観の違うメンバーを戦力化するための17のルール!
訪日外国人の数が、毎年過去最高を記録している現在の日本。お客さまが外国人であれば、接客する側も言葉や文化を理解している同国人のほうがいいと考えるのは当然のこと。
しかし、「はたして外国人に、日本人と同じレベルのおもてなしを実践することができるのか」「どうやって、外国人におもてなしの教育をすればいいのか」と、懸念や疑問を持つ現場関係者が多いのも事実です。
本書は、外国人とりわけアジア系人材を、おもてなし提供者として育成する教育方法について、銀座のデパートで実際に行われている事例を取り上げながら、詳しく解説します。

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欧米の価値観が育んだ変化とは

“Since large scale human corporation is based on the myths, the way people cooperate can be altered by changing the myths-by telling different stories. Under the right circumstances, myths can change rapidly.”

(人々は神話によって結ばれているので、そうした人々の協力のあり方は、異なった神話を語ることで変えることができる。環境が整えば、神話は即座に変えることができるのだ。)
Yuval Harari著、Sapiens より

今回は、欧米人の意識構造がいかにして形成されたかを考えます。7月3日のブログで、ベンジャミン・フランクリンの「Time is money」という言葉について解説したことがありました。そこで、16世紀の宗教改革によって芽生えたプロテスタントは、神を教会やローマ教皇という従来の権威を通して意識せず、自らが勤勉に働き、奢侈を禁じ敬虔な日々を送ることで、直接自己と神とを繋げてゆこうと意識していると解説しました。
20世紀初頭の著名な宗教社会学者マックス・ウェーバーは、この概念がヨーロッパで人々が勤勉に富を蓄積しようという意識を生み出し、その後の資本主義の発展につながったのだという見解を表明し、注目されました。
 
このように、宗教が直接人々の行動様式や、行動の背景にある意識に影響を与えてゆくケースは、他の宗教に支配されている人々にも見られる現象です。
 

アメリカ社会に潜在する「プロテスタンティズム」

プロテスタントの信条は、その後のカトリックとプロテスタントとの抗争の中で、ヨーロッパを逃れた移民によってアメリカに上陸し、培養されます。そして、アメリカではプロテスタントの様々な分派が育ち、社会に大きな影響を与えていったのです。
ですから、その後アメリカにやってくる人々は、たとえ宗教や心情、文化が異なっていても、こうして育てられたアメリカ人の価値観や常識に馴染まない限り、アメリカ社会で生き抜けなくなりました。もちろん、宗教的にプロテスタントを信仰する必要はありません。しかし、アメリカで生活する以上、プロテスタントが育成した勤労の意識や、人と人とが交流するための価値観を、多かれ少なかれ受け入れてゆく必要があるのです。
 
プロテスタントの多くは、集団より個人を尊重します。権威に服従せず、自らの責任と意思で勤勉に働くことに重きを置きます。それが、集団でのコンセンサスを重んずる日本など、他の社会とは異なった価値観や行動様式を育みます。異なる意識を持つ個人の価値を大切にする社会であれば、ビジネスでは結果を重視し、結果にコミットするための契約が重んじられます。
また、アメリカ社会では、個人が自らの意思をしっかりと明快に表明することが求められます。その上で、仕事の進め方も、個々人の創意工夫を尊重し、その進行を通して次第にプロジェクトやビジネスが形成されてゆきます。逆に日本などでは、まず全体の合意を取り付け、リスクを全て解消した上でプロジェクトを前に進めます。仕事の進め方の本質の相違がそこにはあります。
多くの人が、最初にアメリカにやってきたときに、この違いの向こうに、ここまで深い宗教観が介在していることに気づかず、戸惑ってしまうのです。
 

富の投資と勤勉さが育む「資本主義」

ここで、欧米の資本主義を形成する上での原点となった、神と自己とを直接結び付けようとする考え方が、その後どう変化していったのかということについて考えてみます。
 
勤勉に働けば、富が生まれます。
人は富が生まれれば、それを自らの享楽のために使用したがります。宗教改革の頃のプロテスタントは、そんな享楽を信仰の上での罪であると考えます。ですから、罪の意識をシフトするために、富を慈善事業などに寄付する風習が生まれます。今でも欧米にはキリスト教系の病院や学校などが多いのはそのためです。しかし、もっと大切なのは、富を蓄積したときは、それを個人の享楽に使わず、その富を投資し、さらに大きな事業へと転換してゆこうという、金融戦略的な発想が生まれたことです。そうなのです。起業家は成功しても、次のビジネスへと自らを掻き立てて、プロテスタントとして勤勉に、忙しく働くのです。
 
この発想が、欧米の経済が世界を席巻したときに、グローバルベースで拡散しました。好むと好まざるとにかかわらず、我々はこうして育てられたビジネスの常識や金融システムの中で生きているのです。
これは、他の宗教にも影響を与えます。例えば、元々国を持たず、迫害による移動を強いられてきたユダヤ系の人々は、自らの資産の安全に対して常に注意を喚起してきました。彼らはアメリカに移住してきたとき、プロテスタントの土壌の中で、自らの金融戦略を縦横無尽に培養できたのです。
 
さて、ここまでまとめてきたことは、マックス・ウェーバーが着眼した、プロテスタントと資本主義の発展の過程の歴史を、私なりに解釈したものです。
では、彼の死後100年以上が経過した現在はどうなのでしょうか。実は、彼が生きていた19世紀から20世紀初頭にかけての時代ですら、宗教改革から400年が経過しています。その時間の経過の中で、宗教改革での理念がその後の社会システムの構築に大きな影響を与えながらも、それを担う人の意識は時とともに変化していったのです。
 

「貨幣経済」とプロテスタンティズムのねじれが形作る現代社会

確かに、勤勉に働くことで富を得た人間が、富をさらに増殖させることで、社会的なインフラや産業システムそのものが進化していったことは事実です。しかし、その過程で、宗教改革の中で戒められた富を謳歌することへの罪の意識が薄れたのみならず、富の獲得の過程で人類が行なった収奪や人権への侵害などの歴史をみれば、本来プロテスタンィズムという信仰の中で培われていた意識が、時とともに大きく変化してきた現実がみえてきます。この意識の変化の原因となった「罠」。それは富がMoney、すなわち貨幣経済と結び付けられざるを得なかった宿命です。
勤勉と節約により、富が増えた人は、それをさらに活用するために、貨幣経済の原則に取り込まれてゆきます。貨幣をより蓄え、資産を増やすことへの人間の本能的な欲望が、プロテスタントの作り上げたシステムを活用し、それを運用する人の意識自体を大きく変化させていったのです。
 
それが、今回ヘッドラインとして紹介した、神話が変化したことでの、人の行動様式の変化なのです。富の蓄積は、神話による信仰の対象が、キリストから貨幣へと変化し、人の行動様式と価値観そのものを変えてしまったのです。
 
プロテスタントの遺伝子、つまりジーンによって、組織と構造が形成されながらも、それを取り扱う人の意識が変化し、ねじれながら現代社会は形成されたのです。そのねじれの過程で人類は世界大戦を経験し、さらにITはAIの世代を通して膨大な富の蓄積と、生命の限界への挑戦をはじめているのです。
このねじれながら加速する変化が、人々の間で無意識のアイデンティティクライシスを育み、それが現代人の歪みや不安、恐怖の源泉になっているのかもしれません。
 
また、欧米人の意識の原点を500年前の宗教改革におきながら、その意識で作られた社会経済システムが世界に拡大したとき、全く異なる環境で文化を形成してきた、日本をはじめとする世界の他の民族は、それを消化不良やアイデンティティクライシスなしに受け入れてゆくこと自体、多くの困難を伴いました。
日本や中国など、プロテスタンティズムの土壌のない地域を見舞う様々な課題をみるときに、こうした視点をもってそれを分析することも、また必要なのではないでしょうか。
 

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『日英対訳 アメリカQ&A』山久瀬洋二日英対訳 アメリカQ&A
山久瀬洋二 (著)
IBCパブリッシング刊

地域ごとに文化的背景も人種分布も政治的思想も宗教感も違う、複雑な国アメリカ。アメリカ人の精神と社会システムが見えてくる!

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ビジネスの未来のためにも求められるco-existenceという概念

“Nobody in Europe will be abandoned. Nobody in Europe will be excluded. Europe only succeeds if we work together… Germany wants peaceful co-existence of Muslims and members of other religions.”

(ヨーロッパの誰も見捨てられず、排除されない。ヨーロッパの試みは多くの人が一つになるときに、成功するのだ。そしてドイツはイスラム教徒と他の宗教のメンバーとの共存を望んでいる)
Angela Merkelのスピーチより

“interactive”な市場から取り残される日本

今、ビジネスはグローバル化されていると誰もがいいます。
実は、ビジネスもグローバルとローカルとに二分され、そこに明らかにギャップや格差が生まれています。
ただ、これからのビジネスでは、何を行うにしろ、AIやInternet、MaaS (Mobility as a Service)といった未来型のネットワークがなければ、市場から取り残されてゆくことだけは確実でしょう。例えば細かいことですが、いまだに日本の鉄道の中ではクレジットカードが使えない駅が多く、実は新幹線でも車内で切符を変更してもらうときなどは、キャッシュだけの応対です。オンラインどころではありません。これを海外の状況と比較すると、将来の日本に強烈な不安を覚えます。
 
海外でのサービスはますますinteractive、すなわち双方向になろうとしています。ユーザーとサプライヤーが双方のニーズを交換し、サービスのネットワークを広げるのです。例えば、ネットで航空機を予約すれば、それに連結した鉄道やホテル、さらには現地のレストランでの夕食の予約や機内食の好みまで、様々なサービスが受けられるように、国際間でネットワークすることがMaaSの目指すところです。そこには、Uberやそれに類するタクシーやバスなどのサービスも含まれます。もしかすると、長距離を移動してきたビジネストラベラーが、空港に到着すれば、そこに自動運転のタクシーやカーシェアリングサービスが待機していて、それを利用すれば、そこに注文していたサンドイッチとコーヒーがあり、それを楽しみながらホテルへ、ということも近未来にはあり得るのです。
 
日本の弱点は、実は中国と似ています。それは、日本は島国で物理的に他国と閉ざされ、さらに隣国とも良好な関係が築けないのです。ですから、ヨーロッパなどのインタラクティブなサービスへの発想に限界が生まれ、しかもその限界をよしとする行政の規制が根強いのです。中国は、大陸国家ですが、民主化を恐れ、国が海外からの情報とそのインタラクティブな流通を極度に規制しているという課題があります。ですから、現在中国国内がいかに電子化され便利になっていても、海外からの知恵を自由な発言と共に取り入れない限り、いずれ技術力にも中国ならではのガラパゴス現象がおきるはずです。
日本も中国も、双方にこうしたジレンマを抱えながら未来を見据えているのです。

“co-existence”を揺るがす”identity crisis”

現在の市場社会で、世界の動きに対応するためには、人々の知恵の共有とネットワーク、そして知識そのものの流通に注目しなければなりません。サービスの必要なところに、世界中から知恵や人材が集まり、ニーズのあるところに、世界中からビジネスのオファーがあるような社会造りが必要なのです。それには、日本でもある程度の移民の受け入れと、出入国、さらには就労に関する自由化が不可欠です。
 
この課題に古くから取り組んできたのがヨーロッパです。ここに紹介したドイツの指導者メルケルの言葉はその背景を象徴しています。
ヨーロッパやアメリカでよく話題になる概念に、ここで彼女が語ったco-existenceという言葉があります。それを直訳すれば「共存」となります。
今、世界ではこのco-existenceが大きなテーマになっています。つまり、移民や異なるジェネレーション、さらには同じ民族であっても異なる価値観を持った人と、いかに共同して社会を形成してゆくか、ということがそのテーマになります。
 
ヨーロッパやアメリカの場合、この課題が社会を揺るがしています。
例えば、ロンドンの例をみるならば、そこには多くのイスラム教徒の移民がいます。彼らは伝統的なイギリスの生活習慣とは全く異なった毎日を送っています。日本では「郷にいれば郷に従え」という言葉がありますが、そこに宗教が絡むとそう簡単にはいきません。
例えば、学校での給食を考えても、食べられるものに大きな違いがあります。祈りの時間も考えなければなりません。さらに、断食月といわれるラマダンの期間は、日の出から日没まで食事ができません。女性の地位に関する常識も、時には大きく異なります。
こうしたことは、別にイスラム教徒に限ったことではありません。ベジタリアンとして生きている人は、レストランでの食事のメニューのみならず、そこで使用されている目に見えない材料にも気を配ります。レストラン側でも、こうしたベジタリアンや様々な宗教のニーズにあったサービスが求められます。それは、ちょうどアレルギーのある人が、その素材に対して気をつかうことと同じです。
 
こうした、風俗習慣の異なる人が共存するときに起こりがちなことが、そこに元々住んでいた人々を見舞うidentity crisisアイデンティテイ・クライシスです。
自らの伝統的生活文化が蝕まれてゆくような危機感に苛まれるのです。それは、そこに新たに移住して来た人々にとっても同様です。その典型的な事例がアメリカにあります。
アメリカは、最初に大量に移住してきたプロテスタント系の白人が社会規範を作りました。後発の移民達は、宗教的な儀式や風習は維持できても、ビジネス文化や社会常識においてプロテスタント系のアメリカ人の作り上げた常識に従って生活をしてゆかざるを得なかったのです。
しかし、移民がより多様になった現在、従来の風習や常識そのものが変化を強いられています。こうしたことへの不安や苛立ちが、社会に新旧双方のグループに排他的な意識を育むのです。ヨーロッパやアメリカでおきるテロ事件の多くが、海外から送られてきた犯人によるものではなく、自国に育ち教育を受けた移民グループや伝統的な価値に固執する人々によって起こされていることに注目するべきなのです。

日本に求められる”cultural awareness”

こうしたidentity crisisの軋轢を乗り越えて「共存」を模索するときに使われるのがco-existenceという言葉なのです。co-existenceの基本はdifference、つまり人との相違を肯定すること。そしてcultural awarenessという概念を常に意識することになります。cultural awarenessとは、他の文化への受容性と寛容性を抱くことを意味します。
 
日本の場合、社会においてまずグループでの発想が優先される傾向にあるために、difference という言葉はともすればネガティブな意味で捉えられます。
「彼は変わっている」といえば、それはその人に対する批判と捉えられます。しかし、co-existenceという課題と取り組んできた欧米ではdifference は良いことだという意識が主流です。その土台の上に、cultural awarenessというアプローチが存在するのです。
 
こうした事例をみるにつけ、移民や異文化摩擦へ柔軟に対応する方途の模索が、今後の日本の競争力を担う上でも求められていることがわかります。ここに記したco-existence, difference, cultural awareness, そしてdiversityについて考えることが、世界の知恵を流通させ、日本の中にもそれを導入し、応用し、創造的な技術を芽生えさせる社会的な知恵を育む原点になるのです。
島国国家日本が、精神的な島国から脱出せざるを得ない現在、こうした海外の動きや現実を直視することが強く求められているのです。
 

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外国人とビジネスをするためのテクニックを学ぶなら

『異文化摩擦を解消する英語ビジネスコミュニケーション術』山久瀬洋二異文化摩擦を解消する
英語ビジネスコミュニケーション術

山久瀬洋二、アンセル・シンプソン (共著)
IBCパブリッシング刊
*山久瀬洋二の「英語コミュニケーション講座」の原稿は本書からまとめています。文法や発音よりも大切な、相手の心をつかむコミュニケーション法を伝授! アメリカ人のこころを動かす殺し文句32付き!

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欧米社会を創造してきた法の下での「balance and payment」

“A payment is the trade of value from one party to another for goods, or services, or to fulfill a legal obligation.”

(「Payment」は一方から他方への商品やサービス、法的な義務を遂行することを意味した言葉である。)
Wikipediaより

Paymentという単語の意味はといえば、殆どの人が「支払い」と答えるはずです。
もちろん動詞は「pay」となります。
しかし、英語頭でこの単語の意味するところを掘り下げて考えると、それが人と人との契約に基づいてお互いになさなければならない全ての「縛り」を意味する言葉であることがわかってきます。
 
Paymentは、単に金銭的な支払いを意味するものではないのです。
例えば、社会がそこに帰属する人間の最大公約数の幸福と安全、そして権利を担保するために、法律を設定します。その法律を維持するためのバランス balanceが、このpaymentの意味と深くつながるのです。
つまり、paymentは契約上のbalanceが傾いたときに発生する「負債」のことなのです。
 
そこで、このBalanceという単語についても考えてみます。この単語が直截に物語るイメージは「天秤」です。天秤は、二つの皿に同じ重量の分銅をおいたときに、均衡を保ちます。
従って、AがBにお金を貸したとき、そのbalanceを保つためには、Bはその負債を返済しなければなりません。このことから「今のbalanceはどうなっているのか」と債務者が債権者に問い合わせるとき、このbalanceという単語は、負債残高を示す言葉として使用されているのです。法律は、このbalanceが均衡を保っているかどうかを示す尺度でもあります。このことから、アメリカなどで裁判所のシンボルとして、正義を象徴する女神が天秤を持ったイメージが使用されているのです。
 
わかりやすく解説すれば、paymentはこの法律に従ったありとあらゆる「負債」の支払いのことを意味しているのです。このことから、犯罪行為によって法を破った者は、その負債を支払って、天秤を元に戻さなければなりません。実際にpaymentは刑罰に処せられる者に対して、その人物が負わなければならない量刑を受けるときにも使用される単語なのです。
 
このbalanceとpaymentとの関係は、古代ギリシャから現代に至るまで、西欧社会では常に議論されてきた概念です。
以前は、宗教的な掟を破った者が、来世で正義の女神の天秤にのせられ、それが負の方向に傾いたとき、死者は地獄に送られるものと信じられてきました。
この発想が、宗教と身分制度との束縛がなくなったとき、そのまま平等な人と人との契約の発想へと置き換えられていったのです。
すなわち、近代になって、欧米で革命や市民運動を通して、身分制度が打破されてきたとき、このbalanceとpaymentとは、「法の下での平等」という考え方とリンクするようになったのです。
こうして、あらゆる人がbalanceを保つために、paymentを意識するようになったことが、近代社会の育成に大きな影響を与えてきたのです。
 
もちろん、日本にも罪と量刑との関係は刑法で定められています。
民法でも債権と債務との関係は定められています。
しかし、日本をはじめアジアの多くの社会では、このbalanceとpaymentとの関係を社会全体で考え、法律をつくってゆこうという発想はありませんでした。それはあくまでも「お上」が定めるもので、一般の人々はそれを遵守するだけというのが、欧米に追いつくことだけを重要視したアジアの近代化の歴史でした。欧米とアジア社会のどちらが良くどちらが劣っているのかということではありません。そこには文化背景、歴史的背景の違いがあるのです。
 
実際、欧米の有権者は雄弁です。
自らの支払った税金の使い道を常に見つめ、そこに疑問があれば即座に声をあげ、抗議します。それに対して上下関係 hierarchyを基本とした社会のままに近代化してきた日本では、今でも相手の立場、さらに地位、時には「場」や「空気」まで考えて、自らの言葉を選びます。
一方、欧米、特にアメリカ社会では、上下関係を社会の秩序と考える発想そのものが消滅しているのです。そして、そんな彼らの社会秩序を維持するための仕組みの原点としてbalanceとpaymentの発想があるわけです。
 
先日オウム真理教の被告への死刑が全て執行されたニュースを、私はロサンゼルスで聞きました。
そのとき、アメリカの友人が言った言葉が印象的でした。
「彼らは自分たちのやったことのpaymentをしたのさ。しかし、これは難しいよね。死刑に反対して終身刑を導入したとして、彼らの食費など刑務所での費用は、我々の税金から支払われている。Tax payer’s moneyを使っているわけだから、一概に死刑制度に反対とはいえないよ」
いかにもアメリカ人らしい発想です。
すると、別の友人が人権という発想からみて、死刑制度はやはりおかしいと主張し、その二人の間でデベート(論争)がはじまりました。実は、その二人は同じ会社の上司と部下なのです。しかし、二人とも自分の意見をしっかりと主張し、ついには、お前はどう思うんだと私の意見を聞いてきます。
 
こうした議論や討論が会社などでの上下関係とは関係なく、自由に行えるのがbalanceとpaymentによる契約社会で平等に育ってきたアメリカ社会の特徴といえましょう。
 
文化の違いを知ることが、英語の単語の意味を理解する上でもどれだけ大切なことかを、このbalanceとpaymentという言葉の意味に接した時、改めて実感できるのです。
 

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『日英対訳 アメリカQ&A』山久瀬洋二日英対訳 アメリカQ&A
山久瀬洋二 (著)
IBCパブリッシング刊

地域ごとに文化的背景も人種分布も政治的思想も宗教感も違う、複雑な国アメリカ。アメリカ人の精神と社会システムが見えてくる!

 

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日本人の美徳を世界に生かすためのdialectical approachのすすめ

“Dielectrics decision method helps to overcome such problems as converging too quickly one solution while overlooking others, participants dislike of meetings, incomplete evaluations, and the failure to confront tough issues. “

(弁証法的決済方法は、参加者が会議の内容に合意せず、評価が十分でなく、大きな課題に直面しかねないような状況を、一つの解決方法に時間をかけずに導くための有効な手段である。)
APA Styls より

6月26日の記事で、演繹法的 deductiveな文化と帰納法的 inductiveな文化との相違が現代社会にどう影響を与えているかを、歴史的発想法などを紹介しながら考え、アジア型発想法が、ITやAI社会に思わぬ利益を与えるのではないかということについても触れてみました。今回はこの思考をさらに掘り下げます。
 
哲学的発想には、上記の発想の他に弁証法 dialecticというものがあります。この dialectical approach(弁証法的アプローチ) について触れたいのです。Dialectical approachとは、ヨーロッパに伝統的にあった考え方で、ヘーゲルやマルクス、キルケゴールといった様々な哲学者や思想家が発展的に解釈し採用した思考方法です。
 
簡単なことなのです。一つの考え方を甲とし、別の考え方を乙とします。この甲と乙とが対立をしているとき、それについて思考し、話し合い、より高い段階の発想を生み出そうというのが dialectical approach の基本的プロセスです。それを様々な哲学者が独自に考え、思考や分析の方法を発展させてきたのです。
 
この発想がビジネス上最も活かされるのがブレーンストームという会議形式です。つまり、アイディアをテーブルの上に出して、それぞれの違いについて議論しながら、より高い発想を導き出すというのが、ブレーンストームの形式です。
 
しかし、そこには二つの課題があります。
 
一つは対立した意見から、ビジネス的なアクションプランを引き出す導き手、すなわちファシリテータがそこには必要であることです。異文化間での議論では特にそれが必要です。
 
そして、もう一つが、日本をはじめアジアの多くの国の文化が、このブレーンストームで必要なコミュニケーションスキルであるディベート debateに馴染まないのです。多くの日本人は、英語はできてもディベートは苦手です。そのために自らの意見を提供できず、相手に押し切られたまま、弁証法的アプローチに貢献できないのです。ですから、異文化環境のやりとりでは、それをよく理解したファシリテーターが特に必要というわけです。
 
では、日本人はまったくこうした発想に寄与し、貢献することは不可能なのかといえば、そうではありません。
 
日本人は帰納型の文化で育ってきたことを前にお話ししました。帰納型の文化の特徴は、discount approachにあります。過去や現状を検証し、様々な背景や各論でのリスクを見つけて潰すことで、まず発想をdiscountします。その上で次第に物事を前に進めます。それは、時間はかかるものの実に堅実な方法です。
 
対して、欧米型は逆の演繹型の発想をとりますから、ブレーンストームの時点ではこうした検証はあまり行わず、大前提の計画やルール、そして契約を決め、そこからリスクへのアプローチにはいります。
 
このメカニズムの相違を知れば、日本人は海外に対して自分が思っている以上に貢献でき、かつ日本の企業力そのものの体力強化にも役立つはずです。
 
日本や中国など極東には「沈思黙考」を美徳とする価値観が存在します。
 
大脳生理学的にいうならば、大脳の記憶を司る「海馬」を使って過去の記憶を見つめ、大前提となる発想をdiscountした上で前に進みます。逆に欧米では、アイディアに対して point addition approach、つまり加点しながら未来に活かすシステムに従って議論します。そして演繹法特有のルールと前提をまずこしらえ、詳細にはいります。日本人からみれば、それは成り行き任せの発想に思えます。
 
実際にグローバルなビジネスでは、海外が先に決済し、日本が周到な準備と根回しをしている間に取り残されたり、日本がやっと動き出したときに、海外で思わぬリスクによって方針が転換され、日本側が戸惑ったりという行き違いが頻発しています。海外からみれば日本人はそうした変化に柔軟ではなく、日本人からみれば海外の人は手前勝手で無責任に映るのです。
 
これを解決するためには、discount approach と point addition approachとの対立こそを弁証法 dialectical approachで解消すればいいのです。
 
まず、伝統的な沈思黙考を奨励しましょう。そして、そこで生まれた課題やリスクを、解決への資料として提出します。この資料を海外からみると examples、つまり「もしアクションを起こすことを怠ったり、準備不足だったりしたときに起きる事例」として理解されるように努めることが大切です。
 
そのためには時間差も必要です。日本は、早い段階で会議のアジェンダや語られることへの課題を想定して、まず各々が沈思黙考の美徳をもって準備します。
 
沈思黙考とは、単に黙って考え込むことではありません。自分に対して言葉で語りかけ、自分の内部でしっかりとブレーンストームを繰り返し、より高い発想へとそれを独自に育ててゆく、従来日本にあった発想法を思い出すことが大切です。独り言を繰り返し、発想を磨くメソッドを身につけるのです。
 
次に、そうした発想を持ち寄り会議を運営するグループを蘇生し、日本人だけで議論を重ね、日本人が得意とするグループでのスタンスを決めておくのです。
 
国際会議では最初に小グループでの会議を提案します。小グループの会議ののちに、大グループにそれを持ち寄って議論する段取りを組むのです。日本人の持ち寄った発想を大グループでのブレーンストームに飲み込まれ消滅させないために、これは必須です。小グループには英語でのプレゼンテーションの得意な人(外国の人かもしれません)が必ずいるはずで、その人に大グループでのプレゼンテーションを託すのも一案です。
 
日本人特有の discount approachは、今までネガティブで意図不明なものと誤解されてきました。しかし、グローバルでの合意なしには物事が前に進めない社会に進化した現在、日本人の discount approach、そして帰納型 inductive approachはむしろ世界をリードする重要なアプローチとなるはずです。
 
この異文化でのコミュニケーションのプロセスをもって、deductive cultureの人と、inductive cultureの人とが語り合いdialectical approachに従って、より強固な結論を導き出すのです。この方法こそが cultural synergy effect (異文化でのシナジー効果)を導き出すのです。
 
明治時代以来、第二次世界大戦で敗戦して以来、日本人は欧米に物事を学ばなければというコンプレックスに苛まれました。そして今、英語教育においても、日本流の英語教育が失敗だと批判されています。確かに日本流の文法読解中心の英語教育では国際舞台には通用しません。しかし、日本人が従来持っていた帰納型発想とdiscount approachは今後の世界戦略への強い武器になるはずです。
 
そのことを理解し、英語でのコミュニケーションの方法をそれに合わせて変化させてゆく教育、発想法が今求められているに過ぎないのです。
 

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英語力だけじゃない、世界に通用するスキルを身につけるなら

『日本人がグローバルビジネスで成功するためのヒント Tips for How to Succeed in a Global Business Context』ジョン・K・ギレスピー (著)、小野寺粛 (訳)日本人がグローバルビジネスで成功するためのヒント Tips for How to Succeed in a Global Business Context
ジョン・K・ギレスピー (著)、小野寺粛 (訳)
グローバルビジネスのスキルを学びながら、英語学習にもなる。ビジネスパーソンのための対訳読み物。
20年間で、海外の日系企業の5000人を超えるビジネスパーソンと面談を行ってきた著者が教える、「日本人のためのグローバルビジネスで成功するためのヒント」。日本人以外の人々とのコミュニケーションやビジネスに対する見方を説明しながら、日本人の問題点を指摘し、その解決方法を伝授。グローバルに成功したいビジネスパーソンのみなさんに、英語力よりももっとはるかに大事なことをお教えします。

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