カテゴリー別アーカイブ: Yamakuse Yoji’s World View

識字率の高さを誇るには

Japan Literacy–
Literacy: definition: age 15 and over can read and write
total population: 99%
male: 99%
female: 99% (2002)

日本の識字率-定義(15歳以上で読み書きができる者)、全人口の99%、うち男性99%、女性99%(女性は2002年の統計)
 
-CIA World Factbook より

為政者による文字の独占と情報の操作

 ここに記された統計資料をみて、皆さんはどのように感じるでしょうか。
 いつの時代にも、為政者にとって最も都合の良いことは、情報をコントロールできることです。ネット時代になって、多くの為政者は嘆きます。どんなに情報をコントロールしようとしても、ネットによって様々なことがすぐに拡散してしまうと。しかし、人々は思います。ネットを利用することで、為政者はより情報を簡単に操作できるようになると。
 
 このどちらも真実です。為政者になるためには、選挙で勝って権力を握るか、現在の価値観に従って、官僚機構を登りつめ、そうした政治家をコントロールするかといった方法しかありません。どちらの道を選んだとしても、彼らが情報をしっかりコントロールでき、例えそれが虚構であっても、人々に恐怖や悦楽の媚薬を流布し続ければ、彼らはその地位にとどまることができるというわけです。
 
 情報を牛耳るための最も簡単な方法は、文字情報を独占することです。
 江戸時代を例にとります。江戸時代、日本は意外と識字率が高かったという人もいますが、それを証明できる具体的な根拠はありません。ただ、武士と町人が多く集まる江戸や大阪といった都市部と、地方とでは識字率に大きな差異があったはずです。さらに、男性と女性との間でも違いがあったことは推察できます。
 

受け手が考えるべきは流れる情報の量と質

 では、現代はどうなのでしょうか。確かに、日本の識字率は過去に比べて大幅に改善され、世界のトップレベルであることは事実です。しかし、文字を読めることと、現象や事象を分析し、批判する能力とは異なります。分析力、批判力の根本は、いかに情報が間断なく流通しているかということと大きく関係します。
 
 江戸時代、江戸の日本橋という限定した地域では、確かに識字率は8割を超えていたかもしれません。しかし、日本経済の中心であった日本橋にあっても、海外からの情報は殆ど入って来なかったのが鎖国時代の現実です。
 ですから、識字率は高くても、科学技術、社会制度はさほど発展しませんでした。逆に識字率が高い分だけ、「お上」は文字によって庶民をうまくコントロールできたのかもしれません。
 
 つまり、為政者にとっては、文字情報の伝達力を独占できれば最も都合が良いのですが、仮にそれが難しい場合、識字率が高いものの、情報の流通の風通しが悪ければ、実に都合よく社会を誘導できるというわけです。
 従って、現在の日本においても、日本語での識字率の高さだけを誇ってみても意味のないことがわかってきます。海外からの情報をどれだけバイアスなく受け取れるか。少なくとも、英語で発信される海外の情報にどれだけの人が直に接しているかという視点も重要なのです。
 
 80年代から90年代、日本は世界第二位の経済大国であると自負していました。そして、その地位を中国に奪われたとき、多くの日本人は心の中で思いました。中国には言論の自由もなければ、一部の富裕層を除けば大多数は貧困に苦しんでいると。質という面では日本の方がはるかに上なのだと。
 実は、GDPにおいて中国に日本が追い抜かれるまで、欧米の識者はそれと似たような批判を、GDPの高さを誇っていた日本人に向けていました。それはほんの30年前のことでした。実は、識字率と同様にGDPによる国の評価にも、こうしたトリックがあることを我々は知っておくべきです。
 
 確かに、日本は中国よりも言論の自由はあるでしょう。しかし、よく考えてみましょう。日本人は目に見えない言論統制に翻弄されていないでしょうか。英語力の低さ、海外とのコミュニケーション力の瑕疵によって、情報が日本に届いたときには、日本人にとって心地良いように変質されたり、選別されたりしていないでしょうか。ここのところを我々は真剣に考えるべきかもしれません。
 

「事実」に翻弄される時代、日本人はどうするか

 事実が何か、何が良いことで悪いことかといった情報は、あくまでも相対的なものです。江戸時代に事実であると思われていたことが、現在では荒唐無稽なものだという事例はいくらでもあるでしょう。また、中世には罪悪であると断罪されたことが、現在では人間の当然の権利として大切にされている事例も無数にあるはずです。従って、現代人が当然と思っていることも、未来には変化してゆくことは当然起こりうることなのです。
 
 現在最も危険なことは、溢れる情報の質の良し悪しを判断すること自体が困難な時代に、我々が生きているという現実です。相対的な事柄を絶対的な事柄に置き換えて、それをさも当然であるかのごとくネットで配信し、誘導し、ポピュリズムを煽ることも簡単にできる時代に生きているということを意識する必要があるのです。
 日本人もそうした意味では見事に言論統制されているのかもしれません。決して識字率やGDP、そして表面的な教育レベルだけで、我々の社会の質そのものを評価し、比較してはいけないのです。
 
 もちろん、このことは日本だけに言えることではありません。世界中で人類はこうした表面上「事実」といわれている事柄に翻弄されています。
少なくとも、我々にとって身近な日本という国の中においては、人々がこうした課題に真摯でありたいと思うのです。
 

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『 ネット時代の「取材学」: 真実を見抜き、他人とつながるコミュニケーション力の育て方』 藤井誠二 (著者) ネット時代の「取材学」: 真実を見抜き、他人とつながるコミュニケーション力の育て方』 藤井誠二 (著者)

人間関係が希薄になっているネット時代にこそ必要なコミュニケーション力を、「取材」のノウハウから学ぶ。
取材とは人とつながることであり、わかり合うことであり、通じ合うことです。言い換えれば取材のスキルには普遍性があり、メディア業界以外の日常でも「使える」ものなのです。ノンフィクションライターである著者が自らの取材経験を通じて身につけたコミュニケーション術をわかりやすく伝授します。津田大介氏との特別対談を収録!マスコミ志望の学生はもちろん、コミュニケーション能力を高めたい、全てのビジネスパーソン必読!

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癌の克服とノーベルの発明に共通する人類の矛盾と未来とは

“Nobody knows where the brakes are. While some experts are familiar with development in one field, such as artificial intelligence, nanotechnology, big data or genetics, no one is an expert on everything. No one is therefore capable of connecting all the dots and seeing the full picture. —-and nobody has a clue where we are heading in such a rush. Since no one understands the system any more, no one can stop it.”

(ブレーキがどこにあるのか誰も知らない。例えば、AIやナノテクノロジー、ビッグデータや遺伝子学など、それぞれの分野の専門家はいても、全ての専門家はいない。従って、これらの点をつなぎ合わせて、全体を鳥瞰できる人はいない。そして、この急激な変化に向けて、誰も我々がどこに行こうとしているのか理解することはできない。もうシステム全体を理解できる人はいないのだ。だからその変化を止めることは誰にもできない)
 
Yuval Noah Harari著Homo Deusより

これは、以前紹介した、ユバル・ノア・ハラリ氏の最新の著作「ホモ・デウス」からの引用です。彼は、本書で今までのホモ・サピエンスを凌駕した、ホモ・サピエンスにとっては神のような新たな人種を、人類の未来像として描いています。
 
ノーベル賞受賞のシーズンとなりました。日本からは本庶佑氏が、癌の免疫に関する長年の研究が認められ、受賞することになりました。
ノーベルはダイナマイトを発明した人物です。しかし、ダイナマイトの技術が戦争に利用され、多くの人命が奪われたことから、彼が発明で得た資産を運用し、世界の発展や平和に役立った人や組織に賞を送ろうとしたことが、ノーベル賞のはじまりであったことは周知の事実です。

死を恐れる人間が望む医学の進歩

今回は、ノーベル賞の受賞となった「癌の克服」というテーマについて、少し変わった視点から考えてみたいと思います。
本庶氏は記念講演で、癌の完治は難しいかもしれないものの、癌が通常の慢性病と同じように治癒され、人々が救済されるようになるのは、そう遠い将来ではないだろうと語っていました。癌と同様に、現在人類を脅かすほとんどの病魔が治癒可能になろうとしています。人類は長寿を全うでき、さらに不死の領域にまで向かおうとしているのではという声まで聞こえてきます。そんな人類の将来の姿を「ホモ・デウス」としてハラリ氏が描いたのです。
 
実は、今年私は二人の親を失いました。義理の父が脳梗塞によって他界したのが今年の1月。膵臓癌が体を蝕んでいるのではと医師が疑った直後のことでした。それから7ヶ月して、実の母がアルツハイマーと10年以上闘った末に94歳の生涯を終えました。
二人とも、最後の2~3ヶ月は管(くだ)と点滴による栄養補給で、わずかに残った命をつなぎました。医師は鼻からの栄養補給は延命行為ではなく、通常の医療行為の一環だと主張。苦しめずに人生を全うできるようにと願った我々遺族も、結局はその判断に従いました。しかし、母の遺骸に接したとき、手首に点滴の針による黒じみが痛々しく残っている様子が、心に焼き付いて離れません。
人は死を恐れ、長く生きようとします。しかし、その最終段階で、ほんの数ヶ月の延命のためのこうした医療行為が本当に必要なのかは、誰もが考える課題です。
 
人間は、そんな死の恐怖と苦痛から逃れようと、医学の進歩を望みます。もちろん、高齢者への延命行為のみではなく、幼い命も若い命も等しく病魔にさらされる可能性があるわけですから、人が医学の進歩を望むのは、当然といえば当然のことかもしれません。

高齢者の増加に伴う世代間の差異

ただ、一方で人生が長くなり、60代でも70代でも、昔の40代のように元気で働くことができるようになれば、社会は大きく変化せざるを得なくなります。社会保障制度の見直しも必要になります。世代間の格差、さらには若い世代と年長者との意識やものの考え方のギャップも顕著になります。同時に、若者が膨大な老齢人口を支えるのではなく、昔は老人と呼ばれていた世代が、積極的に社会に貢献し勤労できる仕組みも考えなければなりません。
 
そんなことを考えていたとき、フランスでマクロン政権が打ち出した燃料税の引き上げに反対するデモがおこりました。それは、既にデモの領域を通り越して、革命を彷彿とさせる大衆運動にまで拡大しようとしているとメディアは報道します。世代のみならず、高齢者の増加は、こうした暴動の引き金になる貧富の格差にも直接影響を与えるはずです。ネット世代の人々が、大衆運動を起こすときの規模感は、過去には想像もできないほどのものになりつつあります。
 
今までは異文化といえば、水平方向に広がるもの、つまり国や文化が異なる人々の間でおきるコミュニケーションの問題がテーマでした。
しかし、これからは世代間の異文化も拡大しつつあります。年齢差が拡大すればするほど、そのギャップは大きくなります。その差異にソーシャルメディアなどの進歩が絡まる中で、社会は様々な影響を受けるはずです。今回のフランスでの騒動も、こうした現代の社会の不安要因と決して無縁ではないはずです。
 

善意が生む文明の利器は諸刃の剣

実は、発明や発見のほとんどは、善意によって成し遂げられます。
本庶氏は癌に苦しむ人々のために、と免疫の研究を続けてきたはずです。課題は、同様の意図で、世界中で様々な異なる研究が進められていることです。免疫のみならず、細胞の再生やAIによる医学への応用など。それぞれは別々の場所で研究されていても、それが集大成されたとき、人類はその膨大な研究の集合体をどのようにでも活用できる可能性をもっているのです。そんな集大成によって、人は遺伝子を操作し、人の手で人が最も理想とする人間を創造できるようになるかもしれないのです。その人間は我々とは異なる感情、発想をもった、全く我々とは異なる生き物となるかもしれないとハラリ氏は解説しています。
 
ノーベルは火薬の軍事利用に、決して消極的ではなかったようです。しかし、火薬は鉱山での採掘や工事現場などで使用されることで、文明に寄与してきたことも事実でしょう。個々の発明が善意によるものとしても、それを総論で捉えたとき、はたしてそれが人間のモラルを崩壊させることなく運用されるか、それは誰にも予想できないリスクなのです。病気にもかからず、怒りや恨み、そして嫉妬といった感情を持たず、人々が一般的に求める幸福のみを追求できる人間が、様々な異なる研究の末に偶然にも創造されるとき、人類はどのような未来を迎えるのか。これには我々も不安を覚えてしまいます。
 
癌が克服されたとき、人は他の多くの病気も克服しているかもしれません。本庶氏もノーベル賞受賞の講演で語っているように、そんな夢の世界は既に目の前に訪れようとしているのです。
しかし、残念なことに、人類は利器を手にいれたとき、それを凶器に変化させながら進化し現在に至りました。そんな利器が、現在は様々な分野で無数に人類の手によって造られているのです。我々は、そうした利器を我々の手の余るような凶器に変えないように、常に見つめてゆかなければならないのです。
 

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海外駐在や留学に必携の医療フレーズブック!

『アメリカ医療ハンドブック』黒田基子、二宮未来 (著) Tanden Medical Management (監修)アメリカ医療ハンドブック』黒田基子、二宮未来 (著) Tanden Medical Management (監修)

本書は、アメリカの医療のしくみや健康保険制度など、渡米前に知っておくべきことから、アメリカに着いたらすぐすべきこと、そして実際に医者にかかるときに必要な知識や情報が満載。さらに会話例と指差しで使えるポイント表現や、病名・医療用語のキーワードを対訳で紹介しています。英語が得意な人でも外国で病気になると、医者に症状を伝えるのはひと苦労です。イザというとき頼りになる1冊です。

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文化というコインの表と裏を考える

“Once, “Yuzu” or flexibility was one of the key values among Japanese. Traditionally, to maintain Japan’s interdependent society, one had to take action based on how the person one is dealing with feels and what that person wishes to do.”

以前は、「融通」は日本人の最も大切な価値観の一つでした。伝統的に、お互いが依存し合っていた日本社会では、相手がどのように感じ行動したいかを考えて、その意思に対して自らも対応できるようにしなければなりませんでした。
 
(IBCパブリッシング刊行「日本人のこころ」より–一部編集–)

「融通」に見える、文化の「表」と「裏」

先週、西欧文明をヘブライズムヘレニズムという概念から分析してみました。それをベースに、今回は日本人の意識とその変遷について考えてみたいと思います。
全ての文化には、コインの表と裏のように、強い部分と脆弱な部分とがあります。
例えば、日本に昔からあった価値観に「融通」というものがあります。まずは、この「融通」という考え方にスポットを当ててみましょう。
 
融通の利く人といえば、柔軟で物事を多面的にとらえ、その場その場で状況や人に対してうまく対応する知恵をもった人を指しています。
しかし、コインの裏側となる脆弱な部分をみれば、例えば人脈やコネ、さらには賄賂といったもので、特定の人や組織に便宜を図ることも「融通」は意味しています。
このコインの裏側が社会悪として指摘されたとき、コインの表側にあたる本来の強い部分までもが同時に否定され、その価値自体が絶滅してしまうリスクを我々は常に抱えているという問題を、まずここで指摘します。
 

「表」:西欧文化の受容と伝統的価値観の継承

このことを心に留めながら、前回紹介したヘブライズムとヘレニズムの乖離について、場所を欧米から日本に移して、さらに考えてみたいのです。
キリスト教社会において、ヘレニズムとヘブライズムとが両輪となって、西欧文化という馬車を走らせてきたことを先週解説しました。
そんな西欧の文化を、明治以降日本人は必死で学び、社会を変革させてきたわけです。しかし、明治時代においては、その変革を行ったのは日本人自身でした。従って、当時の指導者の多くは、欧米の文化を取り入れながらも、日本の従来の価値観はしっかりと維持しつつ、社会を近代化させていこうとしたはずです。
 
その従来の日本の価値観は、ヘブライズムに象徴される一神教的な価値観とは相容れぬものでした。日本人の宗教観は、もともと森羅万象に神々が宿るとされたアニミズムにその基盤がありました。仏教が伝来したときは、仏教を知恵の学問として捉え、寺院を建立しながらも、アニミズムとしての神社が寺院の一角に祀られるなど、まさに日本人は宗教においても「融通」を利かせて文化を育ててきたのです。
突き詰めていうならば、「正」と「邪」を二元論で捉えるのではなく、状況に応じて相対的に捉えることに、日本人は心の拠り所をもっていたのです。従って、欧米流の一神教の原理にそぐわない行為をしたときに発生する「罪」の意識は、日本人には希薄でした。
 
第二次世界大戦に至るまで、日本人はこの伝統的な判断を維持しつつ、技術や手法としての西欧文明を受容してきたのです。
これが、一刀両断に否定されたのが、第二次世界大戦に日本が敗れたときでした。
日本が占領されたときに、ヘブライズムとヘレニズムの二つの刃をもった欧米の価値観が、日本に容赦無く突きつけられ、浸透していったのです。
 
それは良いことでもありました。それまで日本にはなかった、基本的人権主権在民という意識が芽生えたことなどは、そんな利点の代表例といえましょう。また、過去にアミニズムによって育まれた神道を政治に導入し、日本を軍国主義の軍靴に巻き込んだ事実への反省もなされました。戦争を放棄し平和を求める憲法の制定などが、それにあたります。その結果、政治と宗教を分離し、天皇制を頂点とした社会のために、人々が犠牲を強いられなくなったことも良いことでした。
 
この利益はまさに、戦後の日本文化のコインの「」を象徴していたのです。しかし、同時に日本はコインの「」の影響も被ったのです。
長い戦後の歴史の中で、先に触れた「融通」などの価値観が葬られだしたのです。戦後の歴史を通して、ヘブライズムに象徴される「正」と「邪」の二元論で、日本人の古き良き「曖昧さ」が裁かれてしまったのです。
 

「裏」:ヘブライズムの注入と価値観の否定・歪曲

前回、私は欧米では、ヘブライズムとヘレニズムとの乖離が、現代社会の分断に直接影響を与えていることを強調しました。
しかし、この乖離のプロセスの中にありながらも、欧米の人々の心の中には厳然と、ヘブライズムに支えられた「罪」の意識は残り続けました。さらに、一神教によって培われた、思想や意識が異なる人に対して妥協せず、相手を「邪」としてしまう強い意識が社会の分断に拍車をかけていることも、解説した通りです。
 
そんな、ヘブライズム的な発想を受け入れた日本人は、それが自らの伝統にそぐわないという微妙な不快感を抱きながらも、ヘブライズムとヘレニズムとに支えられた西欧文化のコインの「表」を必死で吸収し、自己の文化の中に注入をはじめたのです。
この微妙な不快感。それが、そのまま日本人のアイデンティティの喪失に対する恐怖へと繋がったのです。その恐怖が偏狭なナショナリズムを育成したこともあれば、逆に潔癖すぎるまで透明な社会を目指そうとする社会の動きも醸成しました。
例えば、会社経営でコンプライアンスが必要であるという主張が是とされれば、過去になされていた「融通」の精神の全てが否定され、厳格なプロセスの履行のために、膨大な書類の作成や、人的資源が使われるようになりました。
 
個々の人権が尊重され、それを遵守するプロセスの中で、プライバシーという意識が導入されると、江戸時代にあった長屋などでの共同体意識が破壊され、今では日本人は世界の中でも稀にみるプライバシーを重んずる民族へと変貌しました。社会で個人のプライバシーが尊重されながら、隣同士の連帯や相互扶助による村社会的発想が葬られてゆきました。
 
それでいて、従来の意識は会社の中などでの上下関係や、組織への盲従といった不自然な形式で継承されもしたのです。そして、そのことが却ってコンプライアンスやプライバシーの管理の課題としてクローズアップされるのも、皮肉な現実です。この捻れが、今の日本社会の中で多くの社会問題を生み出しているのです。
 

文化の「表」と「裏」を見つめて

ものごとはバランスが大切です。文化そのものに何が正しく、何が過ちというレッテルを貼るのは危険です。文化や価値はその運用の仕方が大切です。運用の方法によって、コインのどちらかの部分が大きく見え隠れするという現象を、我々は冷静に見つめなければなりません。その上で、日本人にとっての日本文化のあり方を、改めて考えることも必要なのかもしれないのです。
 

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『日本人のしぐさ』ハミル・アキ (著)日本人のしぐさ』ハミル・アキ (著)
笑えて、ためになる、異文化交流本。日英対訳。
日本人には当たり前。でも外国人が戸惑ってしまう日本人のしぐさを、写真と日英対訳で楽しく紹介。お辞儀、いただきます、土下座などといった日本独特のジェスチャーを、外国人にわかりやすく、そして楽しく説明する方法が学べます。スラング、子供のジェスチャーに至るまで、幅広く70を厳選。日本文化の一面を、気軽に紹介できる一冊です。

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ニューヨークの亡霊が語る中間選挙への思いとは

ニューヨーク証券取引所(PC:山久瀬洋二)

“They cultivated land, created villages and sometimes they traded with American Indians and sold what they received or produced to Europe. For example, in the early days, many immigrants in New York went into such wild land to hunt beavers as its fur was used to make hats in Europe.”

彼らは土地を開墾し、村を作り、アメリカン・インディアンと交易をして得たものでヨーロッパと交易をした。例えば、初期の頃、多くの移民たちは荒野に出てビーバーを獲り、その毛皮を帽子の材料としてヨーロッパに輸出していたのだ。
 
(近刊、ラダーシリーズ「アメリカ歴史ものがたり」より)

アメリカ人のルーツをたどる旅へ

中間選挙も近づいてきた今、ニューヨークを旅していました。そして、久しぶりに街の中を散策しました。
そこで今日は、この街のある側面を紹介しましょう。
ニューヨークを訪れる人は、摩天楼の下の活気ある街で忙しく働く人、アートやパフォーマンスの世界で個性ある舞台や作品を発表する劇場、といったダイナミックな街に期待していると思います。もちろんそれは事実です。
 
しかし、ニューヨークにはもう一つの面白い顔があるのです。
アメリカ人でニューヨークを訪れる人の多くは、まずそこに自らのルーツを探しにきます。
その昔、この街にはヨーロッパから経済的、政治的、宗教の迫害を逃れて、ありとあらゆる移民がたどり着いていました。アメリカ人の多くがその子孫です。
そして、そんな子孫のうち、17世紀から18世紀という早い時期にアメリカに移住してきた人たちが、この街の原型を作りました。
 

世界の金融の中心、パールストリートとウォールストリートとの交差点(PC:山久瀬洋二)

17世紀:オランダ人の入植と欧州との交易

ここで17世紀の話をしましょう。
まずは、現在金融街として知られるウォールストリートとその周辺、すなわちマンハッタン島の最南端近くに行ってみましょう。それは、ニューヨークがニューアムステルダムといわれていた頃の話です。その名前が示すように、ここは、オランダ人が入植して1626年に造った街です。人口は1500人にも満たず、彼らはマンハッタン島の南端でヨーロッパとの交易に従事していました。
ヨーロッパとの交易で一番人気があったのが、ビーバーの皮でした。それは帽子の皮として重宝されていたのです。ハドソン川にはビーバーがいました。ビーバーを捕獲し交換していたのが、当時のネイティブ・アメリカン、つまりアメリカン・インディアンだったのです。時には移民自身が荒野に分け入って、ビーバーを捕獲したこともありました。
ビーバーを売買していた場所は、ビーバーストリート(Beaver Street)と名付けられ、当時のままの名前で今も残っています。
 
そのすぐそばは海辺でした。そこにはオイスターがいて、その殻が転がっていたことから、今でもオイスターストリートという名前が残っています。その先は浜辺でした。そのため、現在そこを南北に走る道はWater Streetと名付けられています。
オランダ人は、アメリカン・インディアンと交易をする一方で、自分たちの街の防御のため、街はずれに木杭の壁を作りました。その壁「Wall」のあったところが、そのままWall Street という名前になったのです。通りの名前から、360年前の入植者の生活が偲ばれるのです。これは、ニューヨークが最も古かった頃の話です。
当時、ヨーロッパから新大陸に到達するには数ヶ月を要し、時には風や海流に流され、ニューヨークに入港する前にアメリカ北部などに漂着することも間々ありました。
オランダとイギリスとの交信には、半年近くの時間を要していたのです。
 
その後、ヨーロッパでオランダとイギリスが戦争を始めると、イギリスの軍艦がニューアムステルダムにやってきます。オランダ人の総督は交戦を主張しますが、住民の多くは様々な移民で、むしろ交易に影響のないよう平和裡にイギリスに植民地を明け渡すことを求めます。こうしてニューアムステルダムは、1664年にニューヨークとなりました。
最後のオランダ人の総督は、ペトラス・スタイブサンといいますが、彼の名前は、彼が所有していた農園のあったイーストビレッジに今でも通りの名前として残っています。そしてそのあたりから、オフブロードウエイやレストランなどの並ぶグリニッチビレッジ一帯は、果樹園や農園が切り開かれていました。そんなマンハッタン島の南端からずっと一本だけ粗末な道が北に伸び、オランダ人の農園のあったマンハッタン北部まで繋がっていました。その馬車道が、現在のブロードウエイです。北部マンハッタンのオランダ人は故国にあったハーレムという街からやってきました。その名前が現在のハーレムとなっています。
 

パールストリートに残るフランシス・タバーン(PC:山久瀬洋二)

18世紀:イギリスからの独立と移民の対立

イギリス領ニューヨークとなったマンハッタン。
しかし18世紀になっても、現在のダウンタウンが街はずれでした。イギリスからの課税に反対して人々が立ち上がり、独立革命がおきたとき、イギリスはニューヨークを拠点に守りを固めようとしました。
そんなイギリスに対する謀議を行った当時の居酒屋が、今も残っています。ビーバーストリートにあるフランシス・タバーンという建物は、当時のまま摩天楼の中に保存され、今でもレストランとして生き残っています。その謀議にはジョージ・ワシントンも加わっていました。1776年に有名な独立宣言が人々の前で披露されたのも、現在ニューヨークに19世紀のままの姿で残る市庁舎が建つ「コモン」と呼ばれた広場でした。
 
しかし、独立戦争が始まるとニューヨークはイギリス軍に圧倒され、占領されます。その後アメリカ各地で戦闘が続いていたとき、ニューヨーク湾に浮かぶイギリスの軍艦の中に、アメリカの人々が捕虜として収容されていたといわれています。
 
独立後、短い期間ではありましたが、ニューヨークはアメリカの最初の首都となりました。
それから50年も経たないうちに、ニューヨークはグリニッチビレッジあたりまで、移民で埋め尽くされます。ファイブポイントと言われた交差点の一帯には特に貧しい移民が多く、その中で新参者と、古くからの移民とが、利権をめぐって激しく対立していた話は、ディカプリオが出演する映画、『ギャングズ・オブ・ニューヨーク』のテーマとなっています。
ディカプリオが演じる人物が成人した頃、南北戦争がおこり、そこでもすでに富を得て、街の北に豪邸を構える人々と、島の南部に暮らす人々との対立が、徴兵制度の不平等から暴動へと発展します。その結果、多くの黒人がリンチに遭いました。暴動のあった場所は、現在のグリニッチビレッジだったのです。
 

その昔、移民がひしめき合ったファイブ・ポイント(PC:山久瀬洋二)

21世紀:対立深まるアメリカの未来は

摩天楼の街ニューヨークが今の姿に近づいたのは、20世紀前期のことでした。そして現在、ウォール街をはじめとしたロウアー・マンハッタン(Lower Manhattan)は、そこにあるニューヨーク証券取引所を中心に世界の金融市場を動かしています。
しかし、その高層ビルの底にうごめく過去の人々の物語は、あたかも亡霊のように、中間選挙を前にして二つの世論に大きく割れるアメリカ人に語りかけています。
いつまで、新しい移民とアメリカに渡り生活が成り立った人々との対立を続けているのかと。アメリカはそんな対立の中から、様々な人権への配慮を法律にし、妥協しながらそれを制度にして、現在の繁栄を勝ち取ったのではないのかと。
 

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『日英対訳 アメリカQ&A』山久瀬洋二日英対訳 アメリカQ&A
山久瀬洋二 (著)
IBCパブリッシング刊

地域ごとに文化的背景も人種分布も政治的思想も宗教感も違う、複雑な国アメリカ。アメリカ人の精神と社会システムが見えてくる!

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日本人の「グレンチャイ」を振り返れば

“Almost 95 per cent of the population practices the southeast Asian form of Buddhism called Theravada. The Buddhist approach to life has strongly influenced Thai attitudes and behavior.”

(95%の人が東南アジアに伝搬された小乗仏教を信奉しており、仏教徒としてのライフスタイルが、タイの人々の行動や態度に大きな影響を与えている)

グレンチャイという言葉があります。
タイに駐在するか、タイと深く関わったことのある人なら一度は聞いたことがある言葉ではないでしょうか。
日本語に翻訳すると「遠慮」となります。
では、遠慮という概念を英語で説明するとどうなるでしょう。これは結構至難の技です。特にアメリカのビジネス文化では、遠慮という概念は日本ほど重要ではありません。それどころか、遠慮せず自らのニーズを即座に表明することが、相手との信頼関係を築く上では欠かせません。
ということは、日本人のコミュニケーション文化は、タイなど他のアジアの国々と共通することが多いのでしょうか。
 
タイは、東南アジアにあって唯一独立を保ってきた国です。
その昔、ベトナムやカンボジアがフランスに、インドネシアがオランダに、そしてマレーシアやミャンマーがイギリスの植民地となり、フィリピンも19世紀まではスペイン、その後はアメリカ領となっていました。タイだけが、王国として自国の伝統を維持してきたのです。かつ、タイは仏教国です。アジアの伝統を維持してきた仏教国といえば、当然そこに日本にも通じるアジア古来のコミュニケーションスタイルが残っているといってもおかしくはないはずです。
 

アジア流グレンチャイ=「遠慮」の文化に翻弄されて

しかし、そんなタイに駐在した日本人はおしなべて、このグレンチャイというコミュニケーション文化に苛まれます。
昔ながらの上下関係がしっかりと根付いているタイにおいて、人といかに和を保ってものごとを進めてゆくかということは、彼らが最も意識していることです。この意識がビジネスをシステムにのっとって進めてゆく上での障害となるのです。
 
例えば、タイにおいて日本人の上司から何か指示されたとき、タイの人は本音では「はい」ではないときでも「はい」と承諾することがままあるのです。「できません」とか「そうは思いません」といった本音はいわず、遠慮(グレンチャイ)しながら建前として「はい」というわけです。波風を立てないために。しかも笑みを浮かべて。
ですから、その言葉を信じて仕事をしたものの、デッドラインが守られないということで駐在員は翻弄されるのです。
 
実は以前、これと同じような逸話が欧米人の間で話題になったことがありました。
それは、彼らが、バブル経済にわいていた頃の日本人といかに仕事をするべきか、という課題に直面したときのことでした。
日本へ投資し、ビジネスを拡張しようと世界中の人が考えていた時代、彼らは日本語を勉強し、日本の企業に勤め、慣れない箸を使いながら、いかに日本人とコミュニケーションをするか試行錯誤を繰り返していました。
そんな彼らが、曖昧な笑みを浮かべ、意思をはっきり表明せず、本音と建前を使い分ける日本人の行動に翻弄されていたのです。いわば、日本流のグレンチャイに戸惑っていたのです。
 
バブルがはじけ、日本の硬直した構造疲労が話題となったとき、こうした日本の価値観にこだわる日本社会の体質そのものが、海外から批判されました。
香港シンガポールといった、より欧米流のコミュニケーションが流通している地域にアジアの本部機能を移動する会社も現れました。
しかし、今考えてみれば、日本はアジアの中ではじめて欧米のビジネス環境に、そしてその中で切磋琢磨する競争社会に飛び込んだ国だったのです。
従って、多くの人が日本という経済大国が引き潮と共に遠ざかったときに、アジアの価値そのものを日本独自の価値と取り違え、それを時代遅れの骨董品のように批判したのです。
 

経済の波に歪められた「日本のコミュニケーション文化」

しかし、タイに行けば、そんな伝統的なアジア流コミュニケーションスタイルがしっかりと維持されています。
仏教国であるタイでは、感情の起伏をそのまま仕事場で表せば、その人の「人徳」への懸念へとつながります。家族意識の強いタイでは、「内と外」という観念が根付いていて、「内」の人間にならない限り、なかなか本音はききだせません。
 
逆に、日本では、バブル崩壊の後の暗黒の10年と呼ばれる経済の低迷に苦しむ中、自己批判するかのように旧来の価値観が否定されたこともありました。
伝統的な日本流コニュニケーションスタイルがいびつに変化し、欧米流でもなければ、旧来の日本人らしいものでもない、新しい世代文化が培われました。以前はあり得ないことだった、上司から飲みに誘われたときに「用事がありますから」と断る若者も増えてきました。「顧客が神様」という上下関係のマニュアルも通用しにくくなり、終身雇用からくる組織への忠誠の神話にも変化が現れました。
 
こうした変化について語ったとき、「それはより日本がグローバルになったということさ」という反応を示す外国の人も多くいます。
しかし、本当にそうなのでしょうか。もし、日本人がバブルの崩壊と共にその背骨そのものをへし折られ、直立歩行できないままにグローバル経済の重力に押しつぶされながら変質を遂げていたとしたら、これからの未来はどうなるのでしょうか。
グローバル化し競争力をつけるのではなく、本来日本人がもっていた品質へのこだわりや、相手に配慮して物事を進める柔軟な交渉力が、この変化と共に失われつつあるのではという危機感を抱いている人は多いはずです。
 

日本が迎えている「変質の危機」

文化には、強い部分と弱い部分がちょうどコインの表と裏のように存在し、他の文化と接したとき、それが交互に現れ相手と接触します。普通はその強弱によって相手と接しながら調整を行い、コミュニケーションのバランスを保ちながら、異文化環境で鍛えられてゆくのです。しかし、もし文化の弱い部分が強い部分を凌駕した場合、あるいは強い部分も弱い部分の一部と誤解してそれを崩壊させた時、その国や民族の文化そのものが変質してしまうこともよくあるのです。今日本が直面しているのは、そんな変質の危機なのではないかと思ってしまいます。
 
タイの「グレンチャイ」に接して、しょうがないなと呆れる日本人が、蟹の横ばいのように自らの背骨にも同じアジアの遺伝子を抱いているのだということを、もう一度考えてみるのもまた必要なのかもしれません。
 

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アジアの人々と働くこと

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価値観の違うメンバーを戦力化するための17のルール!
訪日外国人の数が、毎年過去最高を記録している現在の日本。お客さまが外国人であれば、接客する側も言葉や文化を理解している同国人のほうがいいと考えるのは当然のこと。
しかし、「はたして外国人に、日本人と同じレベルのおもてなしを実践することができるのか」「どうやって、外国人におもてなしの教育をすればいいのか」と、懸念や疑問を持つ現場関係者が多いのも事実です。
本書は、外国人とりわけアジア系人材を、おもてなし提供者として育成する教育方法について、銀座のデパートで実際に行われている事例を取り上げながら、詳しく解説します。

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