カテゴリー別アーカイブ: Yamakuse Yoji’s World View

「戦争とビジネス」、そして「グーグルとビッグデータ」

Delegations during signing of the Treaty of Versailles

“We hold these truths to be self-evident, that all men are created equal, that they are endowed by their Creator with certain unalienable Rights, that among these are Life, Liberty and the pursuit of Happiness.”

(われわれは、すべての人間は生まれながらにして平等であり、その創造主によって、生命、自由、および幸福の追求を含む不可侵の権利を与えられているということは、自明なる真実であることを信じる。)
― アメリカの独立宣言より

パリ講和会議に見る「アメリカの世紀」

 ちょうど100年前の1月18日から、パリで第一次世界大戦後の体制を決定するための講和会議が開催されました。
 会議の名前は、パリ講和会議。日本を含む主要な戦勝国5カ国を中心に、世界大戦に関与した国々が集まり、戦後の世界のあり方について討議したのです。
 
 世界史に興味のある人ならお分かりのように、この会議では当初、敗戦国には賠償金を請求せず、恒久的な和平を実現するために国際連盟を設立することなど、様々な理想が討議される予定でした。
 しかし、実際に締結された講和条約には、敗戦国ドイツに対する高額な賠償金の支払いが盛り込まれ、国際連盟にアメリカ合衆国は参加しませんでした。その結果、経済的に破綻したドイツが国家主義に走り、ヒトラー政権を生み出したことは、多くの人の知るところでしょう。
 
 講和会議では、世界史で初めてアメリカの存在感の大きさが注目されました。20世紀は「アメリカの世紀」と呼ばれています。20世紀初頭に移民による豊富な労働資源と消費パワーに押され、さらに19世紀に開拓した広大な領土と、そこで根付いた産業に押され、アメリカは経済大国へと成長したのです。
 アメリカは世界の金融市場にも大きな影響を与えるようになります。もともとアメリカは、イギリスの経済的束縛から脱却しようと独立した国家です。ヘッドラインで紹介した独立宣言にも書かれているように、アメリカは「幸福を追求すること」を国民の基本的な権利であると、世界に先駆けて保障した国家です。この「幸福を追求する権利」の保障こそが、アメリカ人の資本主義精神の背骨となるのです。言い換えれば、アメリカでは経済活動、資本主義活動は、国民の根本的な価値観に沿った行為であるといえましょう。
 
 さらにいえば、こうした経済的発想こそが、アメリカ人のいう「business」という感覚なのです。例えば、日本人は露骨にお金の話をすることを伝統的に忌避する傾向があります。ですから、「business」感覚をむき出しにせず、商業活動においても物事を婉曲に進めることを求めがちです。しかし、20世紀になって、そうした「business」的な風土を持つアメリカが世界経済に大きな影響を与えだすと、人々は以前よりも資本主義を信奉し始めるのです。
 

John Trumbull: Declaration of Independence

資本主義が推進する「戦争」という名の「ビジネス」

 第一次世界大戦は、そんな経済的な論理の影響を強く受けた、最初の戦争といっても過言ではありません。アメリカの金融界は戦争に対して投資を行い、その投資した資金の回収を強引に進めます。特にイギリスやフランスへの投資が無駄にならないようにと、アメリカは経済界の圧力の下、伝統的な孤立主義を打ち破って自らもヨーロッパ戦線に参戦します。そして、戦争が終わると、敗戦国からの賠償金の取り立てによって投資の回収を急ぎます。当時のアメリカのウィルソン大統領が提唱した理想主義も、金融界のそうした動きの中で封じ込められてしまうのです。
 
 それ以降、「戦争はビジネス」という一つの常識が生まれました。戦争は国家による巨大な消費行動です。武器のみならず、ありとあらゆる産業が戦争に動員されます。このことが、金融業界や資本家を益々豊かにしてゆきます。
 戦争は、必ずしも有利に展開するとは限りません。しかし、仮に味方が不利であったとしても、生産活動やそれに対する投資には追い風になるかもしれないのです。ある時期まで、ヘンリー・フォードをはじめとしたアメリカの経営者の多くが、ヒトラーを支持していたことは有名な話です。彼らの心の中によぎったのは、こうした資本主義の理念が、ソ連によって打ち砕かれることへの恐怖でした。ドイツに共産主義の浸透を阻止する壁となって欲しかったのです。同時に、独裁国家によって急成長を遂げるドイツの軍備、そして経済への投資にも興味があった彼らにとって、ヒトラーを支持することは、一石二鳥の効果があったのです。
 
 その後、ヒトラーの政策が過激になり常軌を逸してくると、彼らの態度も一変します。しかし、この「戦争とビジネス」との関係は、第一次世界大戦以後、現在に至るまで継続しているのです。ベトナム戦争はアメリカに苦い教訓を与えました。しかし、当初ベトナム戦争に消極的であったケネディ大統領を押し切って、泥沼の内戦への介入を強く求めたのは、アメリカの経済界だったのです。中東でも同様のことがおこります。「戦争とビジネス」、それは今もなお切っても切れない、人間の欲望の追求のテーマとなっているのです。
 
 もちろん、こうした発想にブレーキをかけようと、人々が良心に訴えてきたことは事実です。しかし、戦争とビジネスとの相乗作用によって世界がより便利になり、軍事技術が通常の産業に転用され、人々の「幸福を追求する権利」への甘い蜜となったとき、我々はともすれば妥協をして、そうした繁栄を享受しようとしがちです。
 
 21世紀に入り、「戦争とビジネス」との関係は新たな段階へと「進化」しました。それは、サイバーセキュリティという新たなビジネスが、戦争やそれを遂行する国家運営と手を組んだことです。
 世論を操作するために、グーグルなどによるデータが、国家のニーズに沿って活用されつつあることも懸念材料です。個人の様々な消費行動や趣味趣向がビッグデータに集積され、それが世論操作へ活用されようとしています。選挙はいまや、ネットビジネスにおける巨大な市場の一つです。民主主義を操るツールとしてSNSやAI、さらにビッグデータが活用されていることは周知のことです。しかし、それが第一次世界大戦以降の「戦争とビジネス」との婚姻関係が進化し、モンスター化した結果であることに気づいている人は少ないかもしれません。
 

2019年、「戦争とビジネス」はどこへ向かうのか

 18世紀から19世紀にかけて、人々はアメリカでの綿花の生産を支えるために、進んで奴隷貿易に投資しました。奴隷を捕獲し輸出したのは、アメリカの資本家だけではありません。それによって利益を享受した、イギリスやオランダも奴隷貿易の恩恵にあずかったのです。そのモラルが問われたとき、人々はさらに巧妙に民主主義やグローバリズムの衣を被りながら、「戦争とビジネス」との婚姻を進めました。そして現在、その婚姻関係の蜜月を享受しようと、新たなツールであるインターネットやAI技術に目をつけているのです。
 
 ビジネスは、人々に幸福と不幸を同時にもたらす諸刃の剣であることを、我々は今まで以上に知っておく必要があるわけです。
 パリ講和会議からちょうど100年経つ今、我々は改めて「戦争とビジネス」との関係に注視するべきなのです。
 

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『The Mark Zuckerberg Story (Facebookを創った男: ザッカーバーグ・ストーリー)
』トム・クリスティアン(著)The Mark Zuckerberg Story (Facebookを創った男: ザッカーバーグ・ストーリー)』トム・クリスティアン(著)

世界を席巻する巨大メディアFacebook創始者マーク・ザッカーバーグ。最新の話題をシンプルな英語で読む!ビジネスシーンで使えるボキャブラリーも満載。
利用者が全世界で増え続ける交流サイト最大手”Facebook”のアイデアは、米ハーバード大学の寮の一室からはじまった。2004年のことだ。その部屋に住む男子学生の名前は、マーク・ザッカーバーグ。数年で巨大メディアを生み出すことなど想像もしない19歳の学生だ。その若き実業家ザッカーバーグの大学時代の活動から、最新の超大型企業買収までを平易な英語で綴る。

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AI時代にJapan Inc.の遺物として立ちはだかる「How to 教育」

“Japan Inc. is a descriptor for that country’s traditional, highly centralized economic system.”

(ジャパンインクとは、日本の極めて中央集権的な経済システムを指す記述である。)
― Investopediaより

変革を拒む日本の「How to教育」

 よく日本人はHow(「どのようにするか」というやり方を問いかける質問)には強いものの、Why(「なぜ」という理由や本質を尋ねる質問)を受けると戸惑ってしまうといわれます。欧米では、教育の基本は子供に「Why?」と質問することを奨励することから始まります。
 しかし日本では、教師に「なぜ」と聞くこと自体めったにないことで、教育はいまだに双方向ではなく、教師から生徒への一方通行で行われています。そしてその教育は、問題の解き方の「How to」を教える教育に終始します。
 
 日本の教育は究極のところ、大学入試に向かうためにデザインされています。
 大学入試制度は戦後、様々な試行錯誤を続け、センター試験の導入などはあったものの、入学試験自体のあり方に根本的なメスを入れることはありませんでした。
 高度経済成長に向けて、そうした教育で育った人材が優秀なビジネスマンや官吏として社会に送り出されました。当時の日本はまだ貧しく、人々はハングリー精神を抱き、成長する経済に挑んでゆきました。
 詰め込み教育と批判されながらも、教育現場にも競争原理が持ち込まれ、そうして育成された人材が、そのままJapan Inc.(株式会社 日本)と世界から評された強力な組織の土台を造ったのです。
 そして、この日本の土台を造った教育が、日本の経済的成功の中で評価され、日本人自身もそれを維持することの必要性を感じていました。
 
 ところが、オイルショックなどと共に高度成長が終わり、低成長時代に入り、社会環境が変化し始めた後も、日本はそれまでの教育方針を時代の針に合わせて変革することを拒んできたのです。
 高度成長の時代までは、塾などの補助教育の機能は、進学校自体が概ね担って優秀な学生を有名校に送り出していました。しかし、その後、その役割を塾業界がビジネスとして担うようになりました。そして、バブル経済の到来です。好景気の波に乗って塾業界も急成長し、大学への進学を考える生徒のほとんどが、何らかの塾に通うことが定例化するようになったのです。その背景には、親の世代の個人所得が以前に比べ大幅に増加したこともあったと考えられます。
 結局、日本の教育は塾などの民間企業と学校などの公的機関との二人三脚で、産業として肥大化し、その結果、組織として教育界全体が迅速に変化することが難しくなりました。
 教育業界は、まさにJapan Inc.の典型例であると共に、その負の遺産の象徴となってしまったのです。
 
 英語教育を例にとってみましょう。
 今、改めて日本の英語教育の質が問われています。しかし、塾も学校も多くの英語教師は高年齢化しています。あと数年変化がなければめでたく定年ということで、わざわざ今求められているコミュニケーション型の英語教育にシフトしてゆくことには極めて消極的です。
 さらに、学校の教員や塾の講師など、教育者自身も、すでに塾世代の洗礼を受けているため、どうしても今のままの受験教育のやり方に固執してしまいます。
抜本的な改革をしようとしても、彼らは原則を変えるノウハウを見出せずに、できる限り現状維持を求めます。従って、変化しなければならない本質を残したまま、微調整だけに終始してしまうのです。
 

AI時代に求められる「人間のコミュニケーション力」

 では、そうした変化しにくい教育現場に突きつけられている日本の課題とは、どのようなものなのでしょうか。
 簡潔にいうならば、AI(人工知能)に取って代わられ必要ではなくなる知識を、日本人は今なお必死に勉強しているのです。そして、AIが人間の生活に多くの変化をもたらしたときに必要とされる教育へのアプローチが皆無なのです。
 数世紀先の世界を考えれば、AIも相当進化するでしょう。しかし、少なくとも今後数十年の状況を予想したとき、AIは情報を学習し、集積し、そのデータをもとに機能してゆくはずです。もちろん高度な計算や状況分析の分野ではAIは相当役に立つはずです。また、自動翻訳のように、言葉の壁を乗り越えた意思疎通の場でもAIは大きく貢献できるはずです。
 
 しかし、いかに自動翻訳が進んでも、人と人とのコミュニケーションは、人間の領域として残るはずです。また、そのコミュニケーションの母体となる、相手への理解と、その理解の原点となる知識を引き出そうとする行為は、人間に所属します。
 であれば、求められる英語教育のみならず、教育全般の将来像も自ずと見えてきます。情報の供給はAIが行うものの、情報源自体の存在を知悉し、それにアクセスする判断と好奇心は人間に属した行為となるはずです。そうした判断力と対応力の育成こそが、教育業界に求められているのです。
 
 例えば、ある国の人と別の国の人とが緊張関係に陥ったとします。その時にまず世界言語である英語を使い、双方がコミュニケーションを促進しようと努めなければなりません。同時に、どうしてお互いが相手にそうした感情を抱いたかという原因を、それぞれが自らの知識の引き出しの中から取り出して、その知識が正しいかどうかを確認するとき、さらに副次的な情報を得るときにAIの力を借りなければなりません。
 その上で、緊張関係を協力関係へと進化させるための行動を選択するための判断を行います。その判断はAIのサポートを得ながらも、最終的には人間が行わなければならないでしょう。
 
 今の日本の教育は、こうしたプロセスを深化させるためのコミュニケーション力、判断力、そして想像力及び創造力を養うことなく、AIが行う情報の収集と習得という覚える行為に、その力の大半が削がれているのです。また、そうした情報源へのアクセスを促す動機を形成するリベラル・アーツ、すなわち一般教養が極めて軽視され、事実の存在を知らないために、そこにアクセスすること自体が不可能な人材が育てられているのです。
 塾や学校は、大学入試が変わらなければ、そうした改革にメスを入れることは不可能といいます。しかし大学側は、学生が入学してきた時点で、教養面、コミュニケーション力や判断力という人間力の側面から、すでに多くの課題を背負っていると批判します。
 
 その結果、社会には、高度成長の時代のエネルギーが冷めきったまま形骸化したJapan Inc.で、組織の歯車としてしか機能できない人間が排出されています。これが、日本人が今世界でリーダーシップをとれず、国力自体が減退している原因なのです。
 そんな日本人が最も得意なことは、組織を可もなく不可もなく安全に運営してゆくことでしょう。社会人の多くが、慎重に責任を負わないように従順であればよいという消極的な動機から、組織全体がコンプライアンスと財務的な安定性のみに注力し、現状維持以外のソリューションを見出せなくなっているのです。しかし、変化のない組織はいずれ淘汰されるのです。
 

「知識を蓄積する」教育から「判断力・創造力を養う」教育へ

 Japan Inc. の遺物にすがる教育を、いち早く是正しなければなりません。暗記偏重のリベラル・アーツ教育から、判断力や思考力を養う糧としてのリベラル・アーツ教育へと、見直しが求められます。その上で英語教育改革をはじめとした、様々な分野での変革を実施しなければなりません。
 AIは「How to」は得意です。であれば、「How to 教育」を脱却し、白紙から何かを創造する空想力やダイナミックな発想力を養える、人間力育成教育へのシフトが必要なのです。
 

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『コミュニケーションのためのやり直し英文法』草野進、スティーブ・リア (共著)コミュニケーションのためのやり直し英文法』草野進、スティーブ・リア (共著)
「会話力アップ」を目的に英文法をやり直そう!
コミュニケーション・ツールとしての英会話力に必要な「50の文法」

中学や高校で学んだ英文法。文章読解や英作文だけに使っていたその文法は、会話をする上でも、やはり大切な要素です。相手が言っていることを間違いなく理解し、自分が考えていることを正確に伝えるために必要な文法を、会話文から実践的に学びます。挨拶程度ではなく、“コミュニケーション・ツール” としての英会話力に必要な「50の文法」をギュっと凝縮して1冊にまとめました。

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“How to see”を忘れた”How to use”の危険性、ナチズムやISISから学ぶこと

 

“Philosophy is the study of general and fundamental problems concerning matters such as existence, knowledge, values, reason, mind, and language.”

(哲学とは、存在、知識、価値、事由、心、そして言語など、一般的で根源的な課題について学習することを意味している)
 
― Gilles Deleuze, Felix Guattari著 – What is philosophyより

「実用」偏重の ”How to use” 型教育へ

 今、学校教育で、大きな過ちが起きようとしています。
 社会の進化に伴って、小学生からプログラミングを習い、英語を学習するという方針にさほど異論を唱える人はいないはずです。私も、今までの文法と読解中心の英語教育には強い疑問をもってきました。それだけに、コミュニケーションのできる英語を教えることは全面的に支持したいと思っています。また、これからの時代についていける人材を育てるためにも、子供の頃からコンピュータ環境に馴染むことも大切かと思います。
 ただ、こうした教育は“How to use”型教育であることを、我々は知っておく必要があります。そして、そうした教育に比重を置く分だけ、もう一方の“How to see”型教育に対しても、重きを置くようにしなければならないと思うのです。
しかし、現実に社会が求めているのは、“How to use” つまり「いかに使うか」という技能を持った人々です。教育現場も例外ではありません。
 
 ここで改めて、“How to use”“How to see”とは何か、ということを解説します。
 スマートフォン(以下、スマホ)を例にとりましょう。スマホにソフトウエアをダウンロードし、様々な人々とコミュニケーションをしたり、データを蓄積したり、楽しんだりすることは、今では誰もがしていることです。このスマホの使い方が“How to use”の一例に他なりません。
 それに対して、こうしたスマホ社会や今後のネット社会、さらにはAI等の進化をどのように捉え、それが人々の生活やものの考え方にいかなる影響を与えてゆくかというテーマをじっくりと見つめることが、“How to see”ということになります。
 今、教育界全体が「実用」を重んじる教育へと変化しつつあります。“How to see”へのアプローチがないままに、“How to use”が強調されようとしているのです。
具体的に言えば、教育現場に英語やコンピュータに関する科目が増えた分だけ、人文科学への比重が軽減されようとしているのです。
 
 例えば、大学教育でみるならば、今ドイツ文学やフランス文学といった学部は、後継者が少なく存亡の危機にあるといわれています。文学を学ぶ人そのものが減少傾向にあるのです。欧米のものの考え方の原点となる、ギリシャ哲学やドイツ哲学なども例外ではありません。そもそも、子供達がじっくりと本を読む機会自体が、少なくなりつつあるようです。Heavy contents つまり、重厚な書籍を時間をかけて熟読し、多面的にものを見つめ、時には社会の常識をも疑ってゆくような思索の訓練が、おろそかになりつつあるのです。問題は深刻で、こうしたアプローチを教育現場で実践するノウハウ自体が、教師の間で枯渇しつつあるのです。
 

目まぐるしい産業の変化、追いつけない人々の意識変革

 ではなぜ、この問題の指摘が必要かということについて解説します。
 この20年間、世界の産業、そして技術は飛躍的に進歩しました。その変化の激しさは、過去に例を見ないものだといっても過言ではありません。私の場合、子供の頃は学校にも家にもキーボードすらなく、全ては手書きの世界でした。それが成人して会社に入り、次第にコピーマシンにファックス、そしてワープロが導入されはじめます。その後、瞬く間にパソコンがお目見えし、メール社会となり、さらには携帯電話が普及する中で、ネットへの知識がなければ何もできなくなりました。
 ところが、そうしたことも既に過去のこととなり、クラウドなどネット上での様々なソリューションが登場し、AIにおいても我々が子供の頃はSFの世界だったことが現実になろうとしています。これらすべてが、最近30年で変化したことなのです。
 
 歴史を振り返りましょう。まず、誰かが新しい製品を発明します。そして、その発明に従って、ライフスタイルが変化しはじめてから、人々は意識をそれに合わせ変革させてゆくのです。さらに、社会制度そのものがその変化を追いかけます。例えば、蒸気機関が発明されたのが1769年のことです。この発明を契機に、先進国では工業技術が飛躍的に進歩し、生産力が向上します。その結果、都市に労働力が集まるようになり、社会構造そのものが変化をはじめました。このように、何かが発明され、社会構造が変化し、それに社会そのもの、さらには人間そのものがしっかりと対応できるようになるには、50年から、時には200年の年月が必要なのです。
 ところが、現在は、蒸気機関の発明に匹敵するような変化が、5年ごとに起きています。人々は消化不良のまま、自らが抱える不安や苛立ちの原因も理解できないままに、新たな商品やシステムへの対応を余儀なくされているのです。
 その結果、“How to see”がなされないまま、“How to use”に特化した技能者だけが珍重されるという、奇妙な現象が生まれているのです。
 
 こうした社会現象は、歴史上過去にはないことです。
 蒸気機関が発明され、資本主義社会が成熟するまでに200年かかりました。蒸気機関がお目見えしたのち、人々は新たな生産社会に適応できず、最初に大企業、大資本と労働者との対立が起こりました。また、そうした変化に対応できない帝政や王政といった旧政治体制への批判も集中し、蒸気機関の発明から150年後、ついにロシアでは社会主義革命が起こりました。その波は中国やベトナム、東ヨーロッパなどに飛び火します。そうした紆余曲折を経て、社会主義を反面教師とした資本主義社会ができあがったのは、ほんの少し前のことだったのです。その過程での消化不良が、ナチズムや日本での軍国主義の伸長といった悲劇にもつながりました。
 では現在、通信のみならず、人々の生活のありとあらゆるところで、これだけ多くの変化が起こりつつある中で、我々は未来をどのように予測できるのでしょうか。蒸気機関が発明されてからの変化と同様に、150年後には今の我々には想像もできない社会システムの中で、人類は生活をしているのでしょうか。民主主義は、そして資本主義は継続できるのでしょうか。あるいは、新たな技術を消化できないままに、ネット世界の影響を受け、中東で一時急速に拡大したISISのような原理主義の脅威に、これからも晒されるのでしょうか。そうした不透明な未来の中で、人権は守られてゆくのでしょうか。
 

求められる「哲学」追求の”How to see”型人材育成

 今、世の中の進化のペースが早まる中で、人々の心の中でその変化とどう折り合いをつけてゆくかという「哲学」が、そのペースに追いつけずにいるのです。さらにそうした“How to see”を地道に追求する人材が、極度に不足しつつあるのです。
 医学でいうならば、心臓の専門、関節の専門など、各分野での専門性が高まり、技術が進歩する一方、体全体、さらには体と心のバランスを鳥瞰しながら人を診察する医師が不足していることと同じ現象が、社会のありとあらゆるところで起きているのです。
 
 哲学者、文学者は、日常と乖離した特殊な世界に生きる者ではなく、我々の日常で起きている全ての事柄を見極める、“How to see”のスペシャリストということになります。
 教育現場で、こうした人材育成の作業、さらには人材開発への投資が、今ほど必要とされている時はないように思われるのです。
 

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『なぜ「偏差値50の公立高校」が世界のトップ大学から注目されるようになったのか!?』日野田直彦 (著) なぜ「偏差値50の公立高校」が世界のトップ大学から注目されるようになったのか!?』 日野田直彦 (著)

著者日野田直彦は、大阪府で始まった校長の民間公募制で、当時36歳で全国最年少の校長として箕面高校に赴任、4年間の学校経営で数々の実績を出しました。地域四番手だった学校を世界に通用するまでにし、海外トップ大学への進学実績日本一を短期間で達成するなどの大改革はどうやってなし得たのか、その手腕がこの本であきらかに。変化の激しい時代に対応し世界に貢献できる人材を育成するための教育改善と、同時に教師の働き方改革も実践したノウハウを公開します。

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識字率の高さを誇るには

Japan Literacy–
Literacy: definition: age 15 and over can read and write
total population: 99%
male: 99%
female: 99% (2002)

日本の識字率-定義(15歳以上で読み書きができる者)、全人口の99%、うち男性99%、女性99%(女性は2002年の統計)
 
-CIA World Factbook より

為政者による文字の独占と情報の操作

 ここに記された統計資料をみて、皆さんはどのように感じるでしょうか。
 いつの時代にも、為政者にとって最も都合の良いことは、情報をコントロールできることです。ネット時代になって、多くの為政者は嘆きます。どんなに情報をコントロールしようとしても、ネットによって様々なことがすぐに拡散してしまうと。しかし、人々は思います。ネットを利用することで、為政者はより情報を簡単に操作できるようになると。
 
 このどちらも真実です。為政者になるためには、選挙で勝って権力を握るか、現在の価値観に従って、官僚機構を登りつめ、そうした政治家をコントロールするかといった方法しかありません。どちらの道を選んだとしても、彼らが情報をしっかりコントロールでき、例えそれが虚構であっても、人々に恐怖や悦楽の媚薬を流布し続ければ、彼らはその地位にとどまることができるというわけです。
 
 情報を牛耳るための最も簡単な方法は、文字情報を独占することです。
 江戸時代を例にとります。江戸時代、日本は意外と識字率が高かったという人もいますが、それを証明できる具体的な根拠はありません。ただ、武士と町人が多く集まる江戸や大阪といった都市部と、地方とでは識字率に大きな差異があったはずです。さらに、男性と女性との間でも違いがあったことは推察できます。
 

受け手が考えるべきは流れる情報の量と質

 では、現代はどうなのでしょうか。確かに、日本の識字率は過去に比べて大幅に改善され、世界のトップレベルであることは事実です。しかし、文字を読めることと、現象や事象を分析し、批判する能力とは異なります。分析力、批判力の根本は、いかに情報が間断なく流通しているかということと大きく関係します。
 
 江戸時代、江戸の日本橋という限定した地域では、確かに識字率は8割を超えていたかもしれません。しかし、日本経済の中心であった日本橋にあっても、海外からの情報は殆ど入って来なかったのが鎖国時代の現実です。
 ですから、識字率は高くても、科学技術、社会制度はさほど発展しませんでした。逆に識字率が高い分だけ、「お上」は文字によって庶民をうまくコントロールできたのかもしれません。
 
 つまり、為政者にとっては、文字情報の伝達力を独占できれば最も都合が良いのですが、仮にそれが難しい場合、識字率が高いものの、情報の流通の風通しが悪ければ、実に都合よく社会を誘導できるというわけです。
 従って、現在の日本においても、日本語での識字率の高さだけを誇ってみても意味のないことがわかってきます。海外からの情報をどれだけバイアスなく受け取れるか。少なくとも、英語で発信される海外の情報にどれだけの人が直に接しているかという視点も重要なのです。
 
 80年代から90年代、日本は世界第二位の経済大国であると自負していました。そして、その地位を中国に奪われたとき、多くの日本人は心の中で思いました。中国には言論の自由もなければ、一部の富裕層を除けば大多数は貧困に苦しんでいると。質という面では日本の方がはるかに上なのだと。
 実は、GDPにおいて中国に日本が追い抜かれるまで、欧米の識者はそれと似たような批判を、GDPの高さを誇っていた日本人に向けていました。それはほんの30年前のことでした。実は、識字率と同様にGDPによる国の評価にも、こうしたトリックがあることを我々は知っておくべきです。
 
 確かに、日本は中国よりも言論の自由はあるでしょう。しかし、よく考えてみましょう。日本人は目に見えない言論統制に翻弄されていないでしょうか。英語力の低さ、海外とのコミュニケーション力の瑕疵によって、情報が日本に届いたときには、日本人にとって心地良いように変質されたり、選別されたりしていないでしょうか。ここのところを我々は真剣に考えるべきかもしれません。
 

「事実」に翻弄される時代、日本人はどうするか

 事実が何か、何が良いことで悪いことかといった情報は、あくまでも相対的なものです。江戸時代に事実であると思われていたことが、現在では荒唐無稽なものだという事例はいくらでもあるでしょう。また、中世には罪悪であると断罪されたことが、現在では人間の当然の権利として大切にされている事例も無数にあるはずです。従って、現代人が当然と思っていることも、未来には変化してゆくことは当然起こりうることなのです。
 
 現在最も危険なことは、溢れる情報の質の良し悪しを判断すること自体が困難な時代に、我々が生きているという現実です。相対的な事柄を絶対的な事柄に置き換えて、それをさも当然であるかのごとくネットで配信し、誘導し、ポピュリズムを煽ることも簡単にできる時代に生きているということを意識する必要があるのです。
 日本人もそうした意味では見事に言論統制されているのかもしれません。決して識字率やGDP、そして表面的な教育レベルだけで、我々の社会の質そのものを評価し、比較してはいけないのです。
 
 もちろん、このことは日本だけに言えることではありません。世界中で人類はこうした表面上「事実」といわれている事柄に翻弄されています。
少なくとも、我々にとって身近な日本という国の中においては、人々がこうした課題に真摯でありたいと思うのです。
 

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『 ネット時代の「取材学」: 真実を見抜き、他人とつながるコミュニケーション力の育て方』 藤井誠二 (著者) ネット時代の「取材学」: 真実を見抜き、他人とつながるコミュニケーション力の育て方』 藤井誠二 (著者)

人間関係が希薄になっているネット時代にこそ必要なコミュニケーション力を、「取材」のノウハウから学ぶ。
取材とは人とつながることであり、わかり合うことであり、通じ合うことです。言い換えれば取材のスキルには普遍性があり、メディア業界以外の日常でも「使える」ものなのです。ノンフィクションライターである著者が自らの取材経験を通じて身につけたコミュニケーション術をわかりやすく伝授します。津田大介氏との特別対談を収録!マスコミ志望の学生はもちろん、コミュニケーション能力を高めたい、全てのビジネスパーソン必読!

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癌の克服とノーベルの発明に共通する人類の矛盾と未来とは

“Nobody knows where the brakes are. While some experts are familiar with development in one field, such as artificial intelligence, nanotechnology, big data or genetics, no one is an expert on everything. No one is therefore capable of connecting all the dots and seeing the full picture. —-and nobody has a clue where we are heading in such a rush. Since no one understands the system any more, no one can stop it.”

(ブレーキがどこにあるのか誰も知らない。例えば、AIやナノテクノロジー、ビッグデータや遺伝子学など、それぞれの分野の専門家はいても、全ての専門家はいない。従って、これらの点をつなぎ合わせて、全体を鳥瞰できる人はいない。そして、この急激な変化に向けて、誰も我々がどこに行こうとしているのか理解することはできない。もうシステム全体を理解できる人はいないのだ。だからその変化を止めることは誰にもできない)
 
Yuval Noah Harari著Homo Deusより

これは、以前紹介した、ユバル・ノア・ハラリ氏の最新の著作「ホモ・デウス」からの引用です。彼は、本書で今までのホモ・サピエンスを凌駕した、ホモ・サピエンスにとっては神のような新たな人種を、人類の未来像として描いています。
 
ノーベル賞受賞のシーズンとなりました。日本からは本庶佑氏が、癌の免疫に関する長年の研究が認められ、受賞することになりました。
ノーベルはダイナマイトを発明した人物です。しかし、ダイナマイトの技術が戦争に利用され、多くの人命が奪われたことから、彼が発明で得た資産を運用し、世界の発展や平和に役立った人や組織に賞を送ろうとしたことが、ノーベル賞のはじまりであったことは周知の事実です。

死を恐れる人間が望む医学の進歩

今回は、ノーベル賞の受賞となった「癌の克服」というテーマについて、少し変わった視点から考えてみたいと思います。
本庶氏は記念講演で、癌の完治は難しいかもしれないものの、癌が通常の慢性病と同じように治癒され、人々が救済されるようになるのは、そう遠い将来ではないだろうと語っていました。癌と同様に、現在人類を脅かすほとんどの病魔が治癒可能になろうとしています。人類は長寿を全うでき、さらに不死の領域にまで向かおうとしているのではという声まで聞こえてきます。そんな人類の将来の姿を「ホモ・デウス」としてハラリ氏が描いたのです。
 
実は、今年私は二人の親を失いました。義理の父が脳梗塞によって他界したのが今年の1月。膵臓癌が体を蝕んでいるのではと医師が疑った直後のことでした。それから7ヶ月して、実の母がアルツハイマーと10年以上闘った末に94歳の生涯を終えました。
二人とも、最後の2~3ヶ月は管(くだ)と点滴による栄養補給で、わずかに残った命をつなぎました。医師は鼻からの栄養補給は延命行為ではなく、通常の医療行為の一環だと主張。苦しめずに人生を全うできるようにと願った我々遺族も、結局はその判断に従いました。しかし、母の遺骸に接したとき、手首に点滴の針による黒じみが痛々しく残っている様子が、心に焼き付いて離れません。
人は死を恐れ、長く生きようとします。しかし、その最終段階で、ほんの数ヶ月の延命のためのこうした医療行為が本当に必要なのかは、誰もが考える課題です。
 
人間は、そんな死の恐怖と苦痛から逃れようと、医学の進歩を望みます。もちろん、高齢者への延命行為のみではなく、幼い命も若い命も等しく病魔にさらされる可能性があるわけですから、人が医学の進歩を望むのは、当然といえば当然のことかもしれません。

高齢者の増加に伴う世代間の差異

ただ、一方で人生が長くなり、60代でも70代でも、昔の40代のように元気で働くことができるようになれば、社会は大きく変化せざるを得なくなります。社会保障制度の見直しも必要になります。世代間の格差、さらには若い世代と年長者との意識やものの考え方のギャップも顕著になります。同時に、若者が膨大な老齢人口を支えるのではなく、昔は老人と呼ばれていた世代が、積極的に社会に貢献し勤労できる仕組みも考えなければなりません。
 
そんなことを考えていたとき、フランスでマクロン政権が打ち出した燃料税の引き上げに反対するデモがおこりました。それは、既にデモの領域を通り越して、革命を彷彿とさせる大衆運動にまで拡大しようとしているとメディアは報道します。世代のみならず、高齢者の増加は、こうした暴動の引き金になる貧富の格差にも直接影響を与えるはずです。ネット世代の人々が、大衆運動を起こすときの規模感は、過去には想像もできないほどのものになりつつあります。
 
今までは異文化といえば、水平方向に広がるもの、つまり国や文化が異なる人々の間でおきるコミュニケーションの問題がテーマでした。
しかし、これからは世代間の異文化も拡大しつつあります。年齢差が拡大すればするほど、そのギャップは大きくなります。その差異にソーシャルメディアなどの進歩が絡まる中で、社会は様々な影響を受けるはずです。今回のフランスでの騒動も、こうした現代の社会の不安要因と決して無縁ではないはずです。
 

善意が生む文明の利器は諸刃の剣

実は、発明や発見のほとんどは、善意によって成し遂げられます。
本庶氏は癌に苦しむ人々のために、と免疫の研究を続けてきたはずです。課題は、同様の意図で、世界中で様々な異なる研究が進められていることです。免疫のみならず、細胞の再生やAIによる医学への応用など。それぞれは別々の場所で研究されていても、それが集大成されたとき、人類はその膨大な研究の集合体をどのようにでも活用できる可能性をもっているのです。そんな集大成によって、人は遺伝子を操作し、人の手で人が最も理想とする人間を創造できるようになるかもしれないのです。その人間は我々とは異なる感情、発想をもった、全く我々とは異なる生き物となるかもしれないとハラリ氏は解説しています。
 
ノーベルは火薬の軍事利用に、決して消極的ではなかったようです。しかし、火薬は鉱山での採掘や工事現場などで使用されることで、文明に寄与してきたことも事実でしょう。個々の発明が善意によるものとしても、それを総論で捉えたとき、はたしてそれが人間のモラルを崩壊させることなく運用されるか、それは誰にも予想できないリスクなのです。病気にもかからず、怒りや恨み、そして嫉妬といった感情を持たず、人々が一般的に求める幸福のみを追求できる人間が、様々な異なる研究の末に偶然にも創造されるとき、人類はどのような未来を迎えるのか。これには我々も不安を覚えてしまいます。
 
癌が克服されたとき、人は他の多くの病気も克服しているかもしれません。本庶氏もノーベル賞受賞の講演で語っているように、そんな夢の世界は既に目の前に訪れようとしているのです。
しかし、残念なことに、人類は利器を手にいれたとき、それを凶器に変化させながら進化し現在に至りました。そんな利器が、現在は様々な分野で無数に人類の手によって造られているのです。我々は、そうした利器を我々の手の余るような凶器に変えないように、常に見つめてゆかなければならないのです。
 

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