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“How to see”を忘れた”How to use”の危険性、ナチズムやISISから学ぶこと

 

“Philosophy is the study of general and fundamental problems concerning matters such as existence, knowledge, values, reason, mind, and language.”

(哲学とは、存在、知識、価値、事由、心、そして言語など、一般的で根源的な課題について学習することを意味している)
 
― Gilles Deleuze, Felix Guattari著 – What is philosophyより

「実用」偏重の ”How to use” 型教育へ

 今、学校教育で、大きな過ちが起きようとしています。
 社会の進化に伴って、小学生からプログラミングを習い、英語を学習するという方針にさほど異論を唱える人はいないはずです。私も、今までの文法と読解中心の英語教育には強い疑問をもってきました。それだけに、コミュニケーションのできる英語を教えることは全面的に支持したいと思っています。また、これからの時代についていける人材を育てるためにも、子供の頃からコンピュータ環境に馴染むことも大切かと思います。
 ただ、こうした教育は“How to use”型教育であることを、我々は知っておく必要があります。そして、そうした教育に比重を置く分だけ、もう一方の“How to see”型教育に対しても、重きを置くようにしなければならないと思うのです。
しかし、現実に社会が求めているのは、“How to use” つまり「いかに使うか」という技能を持った人々です。教育現場も例外ではありません。
 
 ここで改めて、“How to use”“How to see”とは何か、ということを解説します。
 スマートフォン(以下、スマホ)を例にとりましょう。スマホにソフトウエアをダウンロードし、様々な人々とコミュニケーションをしたり、データを蓄積したり、楽しんだりすることは、今では誰もがしていることです。このスマホの使い方が“How to use”の一例に他なりません。
 それに対して、こうしたスマホ社会や今後のネット社会、さらにはAI等の進化をどのように捉え、それが人々の生活やものの考え方にいかなる影響を与えてゆくかというテーマをじっくりと見つめることが、“How to see”ということになります。
 今、教育界全体が「実用」を重んじる教育へと変化しつつあります。“How to see”へのアプローチがないままに、“How to use”が強調されようとしているのです。
具体的に言えば、教育現場に英語やコンピュータに関する科目が増えた分だけ、人文科学への比重が軽減されようとしているのです。
 
 例えば、大学教育でみるならば、今ドイツ文学やフランス文学といった学部は、後継者が少なく存亡の危機にあるといわれています。文学を学ぶ人そのものが減少傾向にあるのです。欧米のものの考え方の原点となる、ギリシャ哲学やドイツ哲学なども例外ではありません。そもそも、子供達がじっくりと本を読む機会自体が、少なくなりつつあるようです。Heavy contents つまり、重厚な書籍を時間をかけて熟読し、多面的にものを見つめ、時には社会の常識をも疑ってゆくような思索の訓練が、おろそかになりつつあるのです。問題は深刻で、こうしたアプローチを教育現場で実践するノウハウ自体が、教師の間で枯渇しつつあるのです。
 

目まぐるしい産業の変化、追いつけない人々の意識変革

 ではなぜ、この問題の指摘が必要かということについて解説します。
 この20年間、世界の産業、そして技術は飛躍的に進歩しました。その変化の激しさは、過去に例を見ないものだといっても過言ではありません。私の場合、子供の頃は学校にも家にもキーボードすらなく、全ては手書きの世界でした。それが成人して会社に入り、次第にコピーマシンにファックス、そしてワープロが導入されはじめます。その後、瞬く間にパソコンがお目見えし、メール社会となり、さらには携帯電話が普及する中で、ネットへの知識がなければ何もできなくなりました。
 ところが、そうしたことも既に過去のこととなり、クラウドなどネット上での様々なソリューションが登場し、AIにおいても我々が子供の頃はSFの世界だったことが現実になろうとしています。これらすべてが、最近30年で変化したことなのです。
 
 歴史を振り返りましょう。まず、誰かが新しい製品を発明します。そして、その発明に従って、ライフスタイルが変化しはじめてから、人々は意識をそれに合わせ変革させてゆくのです。さらに、社会制度そのものがその変化を追いかけます。例えば、蒸気機関が発明されたのが1769年のことです。この発明を契機に、先進国では工業技術が飛躍的に進歩し、生産力が向上します。その結果、都市に労働力が集まるようになり、社会構造そのものが変化をはじめました。このように、何かが発明され、社会構造が変化し、それに社会そのもの、さらには人間そのものがしっかりと対応できるようになるには、50年から、時には200年の年月が必要なのです。
 ところが、現在は、蒸気機関の発明に匹敵するような変化が、5年ごとに起きています。人々は消化不良のまま、自らが抱える不安や苛立ちの原因も理解できないままに、新たな商品やシステムへの対応を余儀なくされているのです。
 その結果、“How to see”がなされないまま、“How to use”に特化した技能者だけが珍重されるという、奇妙な現象が生まれているのです。
 
 こうした社会現象は、歴史上過去にはないことです。
 蒸気機関が発明され、資本主義社会が成熟するまでに200年かかりました。蒸気機関がお目見えしたのち、人々は新たな生産社会に適応できず、最初に大企業、大資本と労働者との対立が起こりました。また、そうした変化に対応できない帝政や王政といった旧政治体制への批判も集中し、蒸気機関の発明から150年後、ついにロシアでは社会主義革命が起こりました。その波は中国やベトナム、東ヨーロッパなどに飛び火します。そうした紆余曲折を経て、社会主義を反面教師とした資本主義社会ができあがったのは、ほんの少し前のことだったのです。その過程での消化不良が、ナチズムや日本での軍国主義の伸長といった悲劇にもつながりました。
 では現在、通信のみならず、人々の生活のありとあらゆるところで、これだけ多くの変化が起こりつつある中で、我々は未来をどのように予測できるのでしょうか。蒸気機関が発明されてからの変化と同様に、150年後には今の我々には想像もできない社会システムの中で、人類は生活をしているのでしょうか。民主主義は、そして資本主義は継続できるのでしょうか。あるいは、新たな技術を消化できないままに、ネット世界の影響を受け、中東で一時急速に拡大したISISのような原理主義の脅威に、これからも晒されるのでしょうか。そうした不透明な未来の中で、人権は守られてゆくのでしょうか。
 

求められる「哲学」追求の”How to see”型人材育成

 今、世の中の進化のペースが早まる中で、人々の心の中でその変化とどう折り合いをつけてゆくかという「哲学」が、そのペースに追いつけずにいるのです。さらにそうした“How to see”を地道に追求する人材が、極度に不足しつつあるのです。
 医学でいうならば、心臓の専門、関節の専門など、各分野での専門性が高まり、技術が進歩する一方、体全体、さらには体と心のバランスを鳥瞰しながら人を診察する医師が不足していることと同じ現象が、社会のありとあらゆるところで起きているのです。
 
 哲学者、文学者は、日常と乖離した特殊な世界に生きる者ではなく、我々の日常で起きている全ての事柄を見極める、“How to see”のスペシャリストということになります。
 教育現場で、こうした人材育成の作業、さらには人材開発への投資が、今ほど必要とされている時はないように思われるのです。
 

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『なぜ「偏差値50の公立高校」が世界のトップ大学から注目されるようになったのか!?』日野田直彦 (著) なぜ「偏差値50の公立高校」が世界のトップ大学から注目されるようになったのか!?』 日野田直彦 (著)

著者日野田直彦は、大阪府で始まった校長の民間公募制で、当時36歳で全国最年少の校長として箕面高校に赴任、4年間の学校経営で数々の実績を出しました。地域四番手だった学校を世界に通用するまでにし、海外トップ大学への進学実績日本一を短期間で達成するなどの大改革はどうやってなし得たのか、その手腕がこの本であきらかに。変化の激しい時代に対応し世界に貢献できる人材を育成するための教育改善と、同時に教師の働き方改革も実践したノウハウを公開します。

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