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スポーツ選手の人種的発言によるトラブル

【海外ニュース】

Chelsea captain John Terry has been cleared of racially abusing QPR defender Anton Ferdinand – a complicated case that simply comes down to nobody being sure what happened.(BBC)

チェルシーのキャプテン、ジョン・テリーがクイーンズ・パーク・レインジャーズのデフェンダー、アントン・フェルジナンドを人種的発言で侮辱したとされる一件は、一体実際に何が起きたのかはっきりしない混迷を極めた事件として結局有罪とされることなく終了した。

【ニュース解説】

今、オリンピックを前にしたロンドンで話題となっている事件が一段落しました。
それは、名門サッカーチーム、チェルシーのキャプテンをつとめるジョン・テリー John Terry が、クイーンズ・パーク・レインジャーズ Queens Park Rangers に所属する黒人系の選手アントン・フェルジナンドに対して、去年10月23日の試合で人種的な暴言をはいたということで、イギリスサッカー協会からチャンピオンの地位を剥奪された事件です。
その後、警察が事情聴取を行い、ジョン・テリーはその発言をしたという容疑で訴追されました。
しかし、このケース。どこにも確実な証拠はありません。被害者のアントン・フェルジナンドですら、ジョン・テリーが何を言ったか定かでないという始末。証拠として提出されたのは、試合のビデオから読唇術 lip reading によって読み取られた言葉だけだったのです。
結果は、被告人は証拠不十分により無罪。
口の動きから専門家が読み取ったとされるのは “fucking black cunt”。「黒人のゲス野郎」という意味の、確かに下品な表現です。
実際、警察がテリーに事情聴取をはじめ、ビデオが広く放映されると、その口の動きから本当は何を言ったのかと、多くの憶測が全英に広がりました。

イギリスには、「好ましからざる品格による証拠 Bad Character Evidence」に従って人を訴追できるという法律が存在します。そして、その法律の規定によれば、「好ましからざる品格による証拠」の代表例として人種差別的な発言が含まれていて、テリーの発言は、この条項に触れるというものでした。
ヨーロッパの中でも特に多人種が共存するイギリスやフランスでは、こうした人種的偏見への様々な規定があります。そして、アメリカでは公民権法によって、人種差別行為は刑法上、民法上の処罰の対象となっていることはご存知の通りです。
しかし、そうした背景からみても、今回のジョン・テリーへの嫌疑は後味の悪いものでした。そもそも、サッカーの試合という公の場での行為でありながら、人と人とが激しくぶつかるスポーツの中での発言内容を、単にビデオだけから掘り起こして推察することが、訴追できる充分な証拠となり得るのかということは大きな課題です。

スポーツ選手の人種的発言によるトラブルの事例はたくさんあります。
例えば、1997年、アメリカのマスターズで優勝したタイガー・ウッズへのコメントとして、ファジー・ゾエラ Fussy Zoeller という選手が、「来年タイガーがマスターズの夕食会でフライドチキンとコラードグリーン Fried chicken and collard greens を注文しないといいがね」というジョークを飛ばし、それが不適切であるということで、大問題になったことがありました。フライドチキンも、コラードグリーンという野菜もアメリカ南部の黒人の間に人気のある食べ物で、そのジョークの背景にはそうした人種的偏見があるのだということが、問題の主旨でした。
この失言は、ゾエラが公式にウッズに謝罪し、ウッズがそれを受け入れたことで一件落着しましたが、ゾエラのイメージはこれで決定的なダメージを受けました。しかしこの場合は、インタビュー上の発言という確かな証拠がありました。

サッカーの世界では、2006年のフィファ・ワールドカップの決勝戦で、引退を決めていたフランスのジネディーヌ・ジタン Zinedine Zidane が、イタリアのマルコ・マテラッチ Marco Materazzi 選手に頭突きをして退場させられたケースが記憶に新しいはずです。その原因は、マルセイユでアルジェリア系移民の子供として産まれたジタンの母親に対する侮辱にあったとされています。この時も、マテラッチが何を言ったか、ビデオを読唇術 lip reading で解析しようと多くの人が試みましたが、確証を得るには至りませんでした。

ハングリーな移民が、能力を正当に評価してくれるスポーツへ進出し、社会的地位を勝ち取ってゆく図式は世界のどこにでもある光景です。それだけに、そこで繰り広げられる格闘ドラマの中に、ときとしてこうした人種問題を彷彿とさせる事件が見え隠れすることは、ある意味で避けられないリスクともいえましょう。彼らの行為に対して、どこまでが犯罪でどこまでがモラルの問題か。議論の余地はたくさんあります。

差別には一切の妥協を排除 Zero tolerance against the racial discrimination という意識を社会の当然の規範としている国は多くあります。そのこと自体は素晴らしいことといえましょう。
とはいえ、この夏のオリンピックで世界から選手が集まるロンドンでおきた今回のスキャンダルは、この「一切の妥協を排除」Zero Tolerance してゆくために、スポーツ界にどのようなモラルとチェック機能を備え付けてゆくかという課題をつきつけました。
ある種の「モラル上のドーピング検査」の難しさを突きつけられたのが今回の裁判だったということになるのです。

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