「世界の心の交差点で」〜コミュニケーションと誤解の背景〜

ジェネレーション・ギャップ V.S. 変わらない価値


子供の頃、男の子は泣いてはいけないと教わりました。
そして、今、卒業式のシーズンで、私の甥も中学を卒業します。
その式の録画を皆でみると、出席している卒業生、特に男の子たちが泣いている様子にびっくり。
早速甥の聡(さとる)に話しかけます。

「最近、男の子の方がこうした場所でよく泣くんだよ」

「本当?そうなんだ。しかも、親に泣いているところをビデオで撮られて、それを平気で家族でみているんだから」

「それって変かなあ」

「僕が子供の頃、泣いているところを見られるのはとても恥ずかしかった。まして、ビデオに撮られて、家族でそれをみるなんて信じられない」

聡は無言でした。

ジェネレーション・ギャップという言葉がありますが、それぞれ生きてきた時代を通し、国は同じでも世代の間に異文化があることは事実です。

「企業の入社式に親子で出席する時代だもんなあ。卒業式で泣くぐらい、別に特別なことじゃないのかな」

「おじちゃんの頃はどうだったの?」

「いえね。まず10代になると、親とは一緒にいたくなかった。だから、大人になって親が会社に来るなんて、ありえないことさ」

こうした違いが、ビジネス文化にも影響を与えるのでしょうか。
実は今空港にいます。これから、ロサンゼルスに向けて出張です。
昔、アメリカに行けば、日本人のビジネス文化との差異に驚かされることが多くありました。典型的な例は、自己PR を当然のことと思って、どんどん自分の能力をアピールするアメリカ人と、能ある鷹は爪を隠すという風に、おくゆかしくあることが美徳とする日本人との違いなど、例を挙げればきりがありませんでした。

そんな違いが、ジェネレーションを経て、時を経て変化してゆくのでしょうか。
そんなことを思いながら卒業式の録画をみていると、子供達が入場し、式がはじまり、校長先生が話をし、卒業証書が手渡され、卒業生総代が挨拶をし、そして皆で歌を唄うという式次第が、昔と変わっていないことにふと気付きます。
式次第。そこには、日本ならではの風習が沢山盛り込まれています。ト書きという文化。つまり、パフォーマンスをするときに型を大切にして、その型に従うことで和を保つ日本の風習がそこに盛り込まれているのです。
そのト書きを軽んじて、ちょっと不規則な行動をする子供は情緒不安定とされ、そして、周辺の子供も「なんかむかつく」というのです。

聡も、同じことを言いました。

「あの子さ。いつも変なんだ。皆で感動しているときも、なんかわからない行動をする。ちょっとむかつく」

「その子、個性があるんじゃないのかなあ」とコメントしようとして、私は言葉を呑み込みました。
男の子が人前で泣く時代になっても、ト書き文化や、型、そして和を保つための行動様式は変わっていないと気付き、一人で考え込み始めたからです。

「そうか。型を守らない奴は、いやなんだ。逆に、僕の頃は、そうした古めかしい型に敢えて反抗しようと、髪を長くしたり、人によっては卒業式をボイコットするなんていう行動に出たり。学生運動ってそんなものだったね」

私は、言葉を呑み込んだあと、一人でそう思いました。
それぞれの世代で、文化の本質への順応や反抗が違った形で繰り返されているのです。

そんな文化の本質が変化するには相当の時間が必要です。
それには、個々の行動様式が少しずつ変わり、積もり、そして大きな流れになるための蓄積が必要だからです。
だから、男の子が泣いているというだけで、日本人のコミュニケーションスタイルが変化したとは、いえないのです。
海外で、異文化について語る難しさは、こうした複雑さにあるのかもしれません。

それでは、アメリカに行って参ります。

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