山久瀬洋二の日常と旅日記

戦後がまた一つ、シカゴの Belmont Avenue の思い出


3月も終わりというのに、シカゴは氷点下。風の強い街で知られているだけに、寒さはひとしおでした。
仕事が終わり、ふと久しぶりにミシガン湖沿いをドライブしてみようと思い立ち、高層ビル街を北へと抜けます。
やがて、右手に風に煽られて慌ただしく波立つ湖畔が広がります。湖といっても、五大湖の一つ。大きくて向こう岸は見えません。
陽は少しずつ傾き、家路に急ぐ車も増え始めていました。

しばらく走ると、Belmont Avenue への出口の標識が目にはいります。
ふと懐かしさがこみ上げます。その昔、書籍のセールスマンをしていた頃、その通りにあった戸栗商店 Toguri Merchandise というお店に立ち寄っていたことを思い出したのです。久しぶりにとそのまま Belmont Avenue へとハンドルをきりました。
80年代、そこにいくと、日本に昔あったような雑貨屋さん、あるいは万屋 (よろずや) さんの香りが店内に漂い、日本の食品やお線香、さらには日本の食器や生花の道具まで、様々なものが売られていました。
私は、Toguri に日本を紹介する英語の書籍を販売しに行っていたのです。

当時、シカゴにはこうした店は殆どなく、Toguri は日系人や駐在員だけではなく、アジアの文化に興味をもつ人々も集っていました。
しかし、ここが太平洋戦争と戦後が深く関わった場所だと知っている人はどれだけいたでしょうか。あの有名な物語を知っているアメリカ人はいても、まさかここがと、殆どの人が思っていたのではないでしょうか。

2006年9月26日、一人の女性が90歳で息を引き取りました。
彼女の名前は Iva Ikuko Toguri。Toguri Merchandise を経営していた Fred Toguri の妹です。Iva は、太平洋戦争中、アメリカ軍兵士から Tokyo Rose というニックネームで呼ばれていました。
戦前、Toguri 一家はロサンゼルスで雑貨店を営んでいました。Iva Ikuko Toguri は、UCLA を卒業すると、日系人一世の両親から、叔母に会うようにといわれ、日本に渡ります。
ところが訪日の最中に真珠湾攻撃があり、戦争が勃発。彼女は日本で敵国民として拘束されます。
一方、Iva のロサンゼルスの家族は、日系人ということで、1942年に強制収容所に移送されます。Iva は、故国アメリカとの連絡も取れないまま、日本に一人置き去りにされてしまったのです。
アメリカ人として育った Iva にとって、帰国できないことは相当なショックだったということです。その後、彼女はアメリカ兵の士気を挫かせるための Zero Hour というラジオ放送のパーソナリティとして、敵国の中で生き抜いたのです。

皮肉なことに、彼女のエキゾチックな英語放送は、アメリカ兵の間で話題となり、いつしか Tokyo Rose という名前で知られるようになります。

1945年に戦争が終わると、Iva はなんとかしてアメリカに帰国しようと考えます。ところが、その資金を得るために受けたインタビューでの証言が元で、Iva は日本でアメリカ側に拘束されてしまったのです。1948年、アメリカに送還された Iva を待っていたのは、国家反逆罪という重い罪での裁判でした。
裁判で、アメリカ軍は様々な証人をたてて、Iva を裁こうとします。結果は禁固10年、市民権剥奪という厳しい判決でした。

1956年に保釈された Iva は、その後シカゴに移って雑貨店をはじめた家族の元で暮らします。それから 20年後、彼女の逮捕から裁判に至る過程での様々な偽証や軍のプロットが暴かれます。シカゴ・トリビューン Chicago Tribune の記者が調査をし、その経緯を特集したのです。その結果、フォード大統領が 1976年に、彼女に謝罪、市民権も付与されました。

そんな Tokyo Rose のストーリーをそっと抱く Toguri Merchandise。
Belmont Avenue を、速度を落として運転しながら、昔の記憶をたどって探しましたが、店は見つかりませんでした。ホテルに戻り、ネットで調べると、去年閉店したということです。街の雰囲気は、以前とさほど変わっていません。その中で、ぽっかりと穴があいたように、Toguri Merchandise は時の流れの向こうに消えていました。

第二次世界大戦の記憶が一つなくなりました。
そして戦後という時代も、その感覚も日ごとに薄れてゆくことを実感します。
二つの祖国に挟まれた日系人の物語は、数えきれないほどあるはずです。その中でも Iva Toguri とその家族を見舞った悲話は、突出しています。
戦時中、敵国の市民ということで、Toguri一家をはじめ、多くの日系人を強制収容所に送った大統領令 9066号が誤った指令で、その非を正式にアメリカ政府が謝罪したのが 1988年。賠償金の支払いが決定したのが 1992年のことでした。

その頃、あの Toguri Merchandise には、バブル経済を謳歌する日本に関心をもつアメリカ人も多く訪れ、私が販売していた日本関係の英文書もよく売れていたことを覚えています。

日本とアメリカとの長く深い歴史の中、激動の時代を生きた Tokyo Rose は、今シカゴ郊外の Montrose Cemetery という墓地で、アメリカ人として静かに眠っています。

最後にこのストーリーに関連した記事の一部をここに紹介します。

Bitter aftermath of World War II, a California native named Iva Toguri D’Aquino, accused of being the notorious “Tokyo Rose… Her conviction, historian Edwin Reischauer wrote, was the product of a public “under the influence of traditional racial prejudices
(シカゴ・トリビューンより)

第二次世界大戦の痛々しい後日談、カリフォルニア生まれで、悪名高い東京ローズで知られるアイバ・トグリ・ダキーノ。彼女の有罪判決について歴史家エドィン・ライシャワーは、古典的な人種偏見に元づく産物だと記す

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