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オバマ氏の南アフリカでの演説が語る空虚な現実

“Do you remember that feeling? It seemed as if the forces of progress were on the march, that they were inexorable. Each step he took, you felt this is the moment when the old structures of violence and repression and ancient hatreds that had so long stunted people’s lives and confined the human spirit – that all that was crumbling before our eyes.”

―みなさん、あの感覚を覚えていますか。みんなで歩いて勝ち取った止めることのできない流れ。彼が成し遂げた一つ一つのこと。それによって人々を絶望させ、人々の精神を押さえ込んできた古来以来の憎悪や抑圧、暴力の構造が、我々の目の前で崩壊しはじめたと思ったことを。
(オバマ氏の7月17日の演説より)

去る7月17日、南アフリカのヨハネスブルグで、ネルソン・マンデラ氏の生誕100年を祝う式典がありました。
ネルソン・マンデラが生まれたのは1918年。彼はアパルトヘイトの撤廃に生涯を捧げ、1964年から27年間にわたって、白人優越主義をモットーにしていた当時の政府によって拘束され、国家反逆罪で服役していたことでも知られています。彼が釈放されたのは1990年のことでした。
彼の最大の功績は、いうまでもなくその後大統領に選出され、人種差別を撤廃し、それまで支配層であった白人系の人々と、抑圧されていた黒人系の人々とが融和する社会造りを目指したことにあります。
一般的に、支配されていた層の人々が革命などによって制度が転覆されたとき、そこには人種や民族の憎悪が吹き出し、報復による流血も予想されます。マンデラ氏は、自らが国家の指導者になったとき、本人をも見舞った厳しい差別への報復を否定したのです。

非暴力の系譜に忍び寄るポピュリズムの影

7月17日の式典には、アメリカのオバマ前大統領が来賓として招かれ、講演を行いました。講演は1時間を有に越え、スピーチの原稿は5万字にもなるものでした。それは、久しぶりの、オバマ氏らしい、雄弁で説得力のある演説でした。
彼は、その講演において、その昔ガンジーがイギリスからの独立運動で示した、非暴力不服従のキャンペーンを念頭におきます。ガンジーが暴力的な報復に訴えず、独立後もヒンズー教徒とイスラム教徒との対立に心血を注いだことを前提に、ガンジーの思想がその後アメリカで同様の運動を展開し、アメリカで黒人への差別撤廃運動を行なったキング牧師に、さらに2013年に他界したマンデラ氏へと受け継がれてきたことを強調しました。
その上でオバマ氏は、そうした人種や民族の融和への試みが、無責任なポピュリズムによって踏みにじられようとしていると警告します。
 
マンデラ氏が大統領になったあとの南アフリカでは、長年人種差別を受けてきた黒人層の貧困や犯罪によって社会が大きく揺れました。また、南アフリカ同様に白人支配を撤廃してきた隣国ジンバブエでは、支配層による白人社会への報復が問題視されました。
こうした人種や民族の対立という試練は、今なお克服されていないのです。もちろん、アメリカも例外ではありません。そして、ガンジー亡き後、インドはイスラム教徒が多く住むパキスタンと分離され、分断された二つの国家間は今でも一触即発の緊張関係にあるのです。さらにインドでは、カースト制度は撤廃されたものの、もともと低い身分にいた人々への人権侵害が今なお社会の病巣として治癒されずにきています。
確かに、このように社会が揺れれば、それを安易に批判するポピュリズムが横行する原因ともなるはずです。ヨーロッパでも中東やアフリカからの移民に対し、それを排斥するべきだと訴える人々が政界にも進出してきていることは周知の事実です。
 
また、オバマ大統領などによって唱えられる自由と平等、そして人権擁護の理想が、単なるアメリカの価値の押し付けだとする批判があることも事実です。もともと移民を受け入れて成長したアメリカと、そうでない国々との間では事情も背景も大きくことなることは事実です。
ただ、日本を例にとってみるならば、明らかに今海外からの労働力を必要としているにもかかわらず、入国管理があまりにも排他的であることは否めない事実でしょう。我々も、アメリカやヨーロッパからの移民を受け入れ、その人々の人権の課題と取り組んでいた先例から、さらにはガンジーからキング牧師、そしてマンデラ氏へと至る多様性への受容の歴史から学ぶべきことは多くあるはずです。

「自由を求める潮流」の行き着いた先は

さて、話を元に戻しましょう。
ネルソン・マンデラが釈放されたのは1990年。それは、ベルリンの壁が崩壊し、冷戦構造が瓦解しはじめた翌年のことでした。
オバマ大統領は、当時を振り返り、いよいよ世界が人種の対立を乗り越えて、一つになろうとする強いうねりを肌で感じたことを強調します。
ベルリンの壁が崩壊したときとほぼ同じ頃、中国では天安門事件がおき、言論の自由を求めた若者が軍隊と警察の力で一掃されたことが世界に衝撃を与えました。権力の横暴に抗議する若者が戦車の前に立ちはだかる映像が、中国から世界に流れたことをよく覚えています。以来、中国はそうした新しい流れをせき止め、人権問題を軽視し、言論の自由を抑圧する国家の象徴として欧米が意識するようになったのです。
 
オバマ氏が今懐かしげに語る80年代終盤から90年代にかけて世界を見舞った「自由を求める強い潮流」を象徴した人物。それがネルソン・マンデラだったのです。
しかし、その後90年代にはいって間も無く、鉄のカーテンがなくなり、民主主義が導入されたはずの東ヨーロッパは内戦に苦しみます。旧ユーゴスラビアでは分断された国家同士の戦いが相次ぎ、その中でイスラム教徒への大量虐殺が行われました。また、ソ連崩壊後のロシアでの民族運動への強い弾圧など、オバマ大統領が肌で感じたという流れが淀み、行き場所を失い、人々を当惑の渦へと押し流し始めたのです。
そんなとき勃発したのが、2001年のアメリカでの同時多発テロだったのです。

マンデラが目指した社会は「幻」か

その後、世界は90年代初頭に人々が感じた未来に向けた強い流れは、単なる幻であったのではと思うようになりました。中東ではISISが恐怖を世界に撒き散らし、混乱の中で難民がヨーロッパに押し寄せます。中国では天安門事件などなかったかのように、経済成長による自信の陰で、言論統制がごく当然のごとく横行し、政府は少数民族の抗議にも強権をもって対処しています。
そして、日本をはじめ多くの持てる国の人々は、こうした変化に無関心です。
 
マンデラ氏の改革を目を輝かせてみていた人々にとって、そんな過去は一瞬の幻だったのでしょうか。オバマ氏の演説を聴きながら、そんな不安を持った人が少なからずいたのではと危惧するのは、私一人ではないはずです。

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