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新元号の発表とイギリス王室のインスタグラムから見えることは

“Welcome to our official Instagram; we look forward to sharing the work that drives us, the causes we support, important announcements, and the opportunity to shine a light on key issues. We thank you for your support, and welcome you to @sussexroyal.”- Harry & Meghan

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― ハリーとメーガン

「国民主権」の日本、「国王大権」のイギリス

 イギリスの王室がSNSを活用していることは昔から知られていました。
 今回、ハリー王子と結婚したメーガン妃が懐妊し、間もなく第一子が誕生することを受けて、ハリー王子がメーガン妃と一緒にインスタグラムを開設したところ、瞬く間に100万件を越すフォロワーが殺到し、ギネスブックを塗り替えたことも世界中で話題になっています。
 
 さて、同じ頃に、日本では皇位継承に伴う新しい元号が発表されました。
 元号は発表まで極秘にされ、一部の専門家や学者によって原案が作られ、内閣を通して発表されました。
 
 日本国憲法には、天皇の地位について次のような表記があります。それは憲法の最初の部分、つまり第一条にあります。
「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく」
 
 この条文の解釈は色々とあります。
 しかし、一つ確かなことは、国民に主権があり、天皇はその国民によって形成される国家の象徴である、ということです。
 つまり、日本の皇室は主権者である国民に対して開かれた存在で、主権者の上に君臨するものではないことになります。
 
 さて、イギリスは日本と比較すると、法的に国王は旧来の大権を有しています。国民の上に君臨し、法の網の目をくぐれば、君主として様々な政治的決裁を行うことも可能です。
 ただ、現実では国王の権限には様々な制限が課され、国王は内閣の助言によって国家運営への承認を行っています。
 そして、民主主義が浸透した現在、実質上は日本の天皇とイギリスの王室とは似通った存在になっているといっても過言ではありません。
 

帳の向こうに閉じられた皇室、ネット社会にも開かれた王室

 その上で、イギリス王室が開設したインスタグラムと、今回の皇位継承での元号制定の現実とについて比較してみましょう。
 そこに見えてくるのは、時代の変化に応じて、いまだに国王大権という大きな権限を背負いながらも自ら鎧を脱ぎ、国民のみならず世界に向けても開かれた存在となったイギリスの王室と、戦前戦後という大きな時代の節目を越えながらも、かつ主権者から象徴へと地位が変化しながらも、いまだに閉鎖的で世界から見ても帳の向こうで君臨する日本の皇室との違いです。
 
 日本で皇太子と皇太子妃とのインスタグラムが開設され、カジュアルに国民に情報が公開されるのはいつのことでしょうか。
 日本の皇室は日本人にとっても遠い存在で、海外から見れば、ミステリアスで理解できない存在です。
 ハリー王子とメーガン妃のインスタグラムには、今では400万人を超すフォロワーが世界中から殺到しています。しかも、そうしたフィーバーの向こうには、王室の国際結婚の是非を巡った政治的な論争までオープンに展開されているのです。
 
 そうした事情に程遠い日本の皇室。
 それは、そうした皇室をつくっている日本の政治、社会の問題でしょう。
 「令和」という元号が我々の知らない遠いところで考案され、あたかも国民に下賜するかのように発表される現実に疑問が湧かない、日本の社会そのものに大きな課題があるようです。
 雅子妃が長いこと精神的に苦しんできたことも、こうした閉鎖性が故であると欧米のメディアは批判してきました。それでも皇室は変化せず、あと僅かな日時で新しい元号の時代になろうとしています。
 

皇室に見える「変化」に消極的な日本の姿

 こうした違いの背景には、変化を良しとする社会と、変化を嫌う社会との異文化が存在するのかもしれません。変化することにブレーキをかける「正論」が山ほど語られる日本社会は、こと皇室のみならず、ありとあらゆる物事が極限まで追い詰められないと変化しません。
 黒船が来ない限り変わらない日本、マッカーサーが来ない限り変わらない日本と、多くの人が皮肉をいいます。ただ課題は、これからは黒船もマッカーサーも来ないだろうということです。であれば、自滅するか、長年の重みで制度そのものが壊滅しない限り、日本は変化しないということかもしれません。
 変化できない日本の象徴。それが日本の皇室の現実であるとは、極めて皮肉なことだと思うのです。
 

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『イギリス民話 English Folk Tales』エマ・サリー(リライト)イギリス民話 English Folk Tales』エマ・サリー(リライト)
イギリスという土地が別の名前で呼ばれていた古い時代から伝わる物語。おかしみのある小話『ゴッサムの賢人』、日本でもおなじみの『三匹の子豚』、『ジャックと豆の木』、そしてアーサー王も登場する冒険物語『ジャックと巨人』の4編を収録。ユーモア、メルヘン、不思議、わくわくする冒険、少しの残酷さで味付けされた、どれから読んでも楽しめる短編集。

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日本の未知の体験、「拡大から縮小」とは

19世紀末、アメリカに移動する移民たち

Rather than rely on battleships and the mettle of the Imperial Army for their expansion, they could build their commerce on mechanisms forged largely by the Anglo American –jets, modern telecommunications and open financial markets—to explore an ever-wider sphere of activities and countries.

軍艦や陸軍の強靭な意識に依存することなく、ほとんど欧米が開発した航空機や電信システム、自由経済市場によって彼らは自らの商圏を今までなく広範に地球上の様々な国々に拡大することができた。
(Joel Kotkin著 Tribesより)

Diasporaという言葉があります。
これは、世界に拡散移住したユダヤ系の人々を指し、民族の離散、移住を意味した宗教的な用語です。Diasporaはユダヤ系の人々のような経験のない日本人には最も縁のない用語といえます。
 
とはいえ、日本人が海外に移住拡散した経験がないわけではありません。
実際、戦前には多くの日本人がアジア各地に、アメリカなどに移住しました。
そして、第二次世界大戦の終了と共に、海外の植民地に在住していた500万人の人々が日本に戻ってきました。中には旧満州でロシア軍の侵攻にさらされ、家族や同胞を失いながら命がけの帰国を経験した人々も多くいました。
 
もちろん、すべての人が帰国したわけではありません。
例えば、アメリカに移住した日系人の人々は、戦争がはじまるとアメリカの収容所に収監されたものの、戦後はそのままアメリカに残り、アメリカ人として生活を続けました。彼らは、まさに日本人のDiasporaです。
戦後も一部の日本人は南米などに移住し、未来にチャレンジしたことはありました。しかし、500万人が日本に帰国したのを最後に、現在まで大規模な海外移住の波を日本人が経験したことはありません。
 

アメリカ人は皆、Diasporaの子孫たち

 
このヘッドラインの文章を書いた著者は、この著書で1925年の日本の状況に触れています。それによると、当時の日本の人口密度はドイツやイタリアのおよそ3倍以上だったようです。この過密な状況が生み出す経済的困難に押し出されるように、多くの日本人移民が海外に流出したのです。
当時、ニューギニアボルネオといった太平洋西岸の島の主権を日本に渡すことで、日本の軍事的な膨張の原因となっていた過密な人口問題を解決するべきだ、といったオックスフォード大学の学者がいたほどなのです。それは、増加する日本や中国からの移民に、アメリカなどで社会的反発や差別がおき、移民の流入への規制が進められていた最中の提案でした。ひどい話です。
そして、こうした状況に押されるように、日本は中国に進出し、権益を拡大しようとしたことが、第二次世界大戦の引き金となったのは周知のことです。
 
戦後、日本はアメリカを軸とした戦勝国の管理下におかれ、自由経済の枠組みの中で活動するように位置づけられました。戦前のような膨大な軍事的負担もなくなり、日本は自由経済のプールの中でうまく泳ぐことによって奇跡的な復興をなしとげたのです。
その段階で、戦前よりも多くの日本人が海外に渡航するようになりました。その傾向は現在も変わっていません。しかし、それは移住ではなく、あくまでも渡航だったのです。軍事的野心を放棄させられ、戦前とは真逆な方法で経済的に成功した日本は、国内にコアを維持し、海外に支店や工場を拡張することで、世界へと平和に進出できたのです。
興味深いことに、その結果日本企業は常に日本に本社をおき、本社の中枢は全て日本人が管理運営することで、そのネットワークを維持してきました。戦前は軍事的な拡張のニーズによって、日本人の海外移住が促進されました。しかし、戦後は経済的なニーズのみによって、日本人は本社と海外の支社とを振り子のように行き来するだけでよくなったというわけです。
 
ただ、このことで、島国に閉じ込められた日本人は、海外と日本とを区別し、日本と海外との溶解を拒絶して生きてゆくことに馴染んでしまいました。例えば、数百年にわたって海外に進出してきたイギリスの場合、自国の伝統を維持しながらも、海外からの移民も増加し、それにともない国民の意識も大きく変化しました。今回ヘンリー王子結婚相手は、アフリカ系の血を引くアメリカ人です。こうしたことが日本の皇室に起こり得るかを考えてみれば、日本がいかに日本人という血にこだわっているかが見えてきます。
実際、日本企業のトップに外国籍の企業家が就任することも、買収などによって資本関係に変化がない限り、稀にしかありえません。
このことが、戦後の拡大した日本経済が、IT革命による新たなグローバル化の波に対応できず、その後の失速の原因になったのだと、多くの人が指摘します。
 

今後、日本はDiasporaをどう捉えるか

 
そして今、日本は人口の老齢化と少子化に悩まされています。
日本の人口が減少し、それに伴い国力も衰えてゆくのではないかと多くの人が懸念しています。人口の減少によって、豊かになった経済インフラを支えるだけの人材を維持できなくなるのです。
アジアに進出した戦前と、過密な人口を経済的な膨張で支えてきた戦後。この二つの時代では経験できなかった現実に日本がさらされているというわけです。
 
人口の逆ピラミッド化と人口そのものの減少、という未来の試練を乗り越えるには、日本という島の中と、海外という島の外との壁を取り払っていかなければなりません。教育制度、社会保障制度、そして移民政策などの変革を通して、日本社会は変化を余儀なくされています。
そして、拡大から縮小に向かう日本人がDiasporaとなり、海外からのDiasporaとの溶解を進めてゆく現実が、近未来に迫っているのかもしれないのです。

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