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異文化のプリズムが日本人の世論に与える影響とは

“Culture determines what is acceptable or unacceptable, important or unimportant, right or wrong, workable or unworkable.”

(文化は人々が受け入れられる事柄とそうでない事柄、重要と思うこととそうとは思わないこと、正しいかどうか、機能するかどうかといった事柄への枠組みを規定する)
― Web Finance on-line business dictionary より

報道に反射する異文化のプリズム

 よく異文化のプリズムについて考えます。
 世界には様々な文化がありますが、例えばアメリカに一歩入れば、好むと好まざるとにかかわらず、アメリカの文化に適応しなければビジネスでも生活でもうまくいきません。それはアメリカに限らず、世界中どこに行っても同様です。
 よく日本に来た海外の人が日本のことを異常に賞賛したり、逆に不適応をおこして批判的になったりすることがあります。これも多くはそうした文化の違いに起因した錯誤によるものです。
 マスコミの報道でも同様です。特に、多くのマスコミの経営は視聴率や広告収入に左右されます。マスコミがその国の中で営業を続けるために、その国の文化に即した価値観や発想法の影響を受けるのは当然です。
 したがって、日本のマスコミは、日本人の常識と、日本人に心地よい報道に傾斜する傾向があるのです。当然それは世界のどの地域でも起こり得ることなのですが。
 

監視カメラの設置に割れる意見

 先日、ある会合で面白い実験をしてみました。
 それは、海外経験の豊富な人と、そうでない人が集まった会合でした。また、そこには日本在住の欧米の人も加わっていました。日本に住む欧米の人にとって日本は海外ですので、彼らも海外経験が豊富なカテゴリーに含まれるといっても差し支えありません。
 実験は参加者に共通のテーマを渡し、それに賛成か反対かを問いかけました。
 テーマは、「凶悪犯罪を抑制するために街のあちこちに監視カメラを置くことについてどう思うか」というものです。すると、実に興味深い反応がありました。
 海外経験の少ない日本人10名は、全員が監視カメラの設置を支持し、そのことによって犯罪が抑制されるのは良いことだと答えたのです。
 それに対して、海外経験のある人の9割は、欧米の人も含めて、カメラの設置に対して慎重であるべきだという答えが戻ってきたのです。理由は、個人が常に監視されていることへの恐怖と、そうした監視体制を権力者側が独占することへの懸念でした。
 
 ここ数年、凶悪犯罪で被疑者が検挙されて報道されるとき、監視カメラの映像が頻繁に公開されていることに気づいた人は多いはずです。日本人の支持者に問いかけると、そうした報道の影響が監視カメラ設置支持の判断に繋がっていることもわかってきました。
 ここで、カルロス・ゴーン氏が逮捕されて以来、被疑者が長時間拘束される日本の司法制度のあり方についても、海外から多くの疑問が投げかけられたことを思い出したいのです。監視カメラを証拠に逮捕された被疑者が拘束され、一方的に証拠を突きつけられ、長時間にわたって尋問される状況は、多くの民主主義国から見れば異常なのです。
 
 会合には、ドイツから日本にやってきて8年になる人がいました。彼はドイツで司法関係の仕事に従事していたため、私は敢えて監視カメラを設置することへの懸念をどうして抱いているのか問いかけました。彼はドイツにも監視カメラは様々な場所に設置されている事実を伝えた上で、それでも個人をそのように監視することが人権の侵害にならないかどうか世論が割れているとコメントします。そして、海外経験の少ない日本人の全てが同じ反応をしたことに驚きながらも、日本でのそうした反応も予想できたというのです。
 そのコメントを受けて、日本在住のアメリカ人は、日本の教育とマスコミのあり方について指摘します。日本人が文化的に多様な人々を受け入れることに慣れていないことから、人権への意識が希薄なだけでなく、人と異なる意見を持つことへの躊躇が社会全体にあることを彼は強調したのです。
 

「正解」を求めて錯誤する日本社会と教育

 日本では、常に何が正解かを求めることが教育だという意識が濃厚です。そして正解は権威者が決定します。ですから、何かのテーマについて自分はこう思うと考えたとき、日本では自分の回答が正解かどうか常に心配し、他の人の意見と同じであれば、あるいは権威ある人が何かを言えば、それが正解であるかのように錯覚する傾向がないでしょうか。
 さらに、自分とは異なる意見を持つ人がいた場合、その人はどう反論するだろうという想定を持って物事を考える習慣も希薄です。ですから、マスコミでの報道でも賛否両論を視聴者の前で激しく戦わせるニュース報道は稀にしかなく、ほとんどがキャスターのコメントか識者の解説に終始しています。つまり物事には多面的な判断基準があるということを意識し、思考する習慣がないのです。
 
 歴史や環境など、様々な背景が人の判断基準や価値観、さらにはコミュニケーションスタイルを作ってゆきます。そうした事柄の集大成がその国や地域の文化となるのです。そして、そうした文化が作り出すものの中には、教育制度や教育の方法、報道姿勢、政治への関わり方など様々なものが含まれます。外からの情報は、これらのフィルターを通ってあたかもプリズムを通したように変化しながらそれぞれの文化の中に吸収され、人々に伝えられるのです。この文化のプリズムを通した情報によって、多くの人は物事を判断し、世論が構成されることになります。このプロセスを客観的に外から見ることができない限り、自らの国の文化の脆弱な側面を認知し、自らの文化の枠の外に自分を置いて思考することができないのです。
 
 本来インターネットなどが発達すると、こうした文化のプリズムを超えた様々な発想が流通し、人々がより世界的な視野を持つようになるはずでした。しかし実際には、ネットは自らの価値観や趣向に合う情報を収集するためだけに使用される傾向が強く、それによって、より文化のプリズムの洗礼を受け、そのこと自体を疑問視できない人々が増えているようです。これは皮肉なことです。
 

 何かを考えたとき、自らの考えと異なる考えを持った人はどう反論してくるだろうかと想定する教育を促進するため、アメリカなどではディベートが教育現場に頻繁に導入されます。賛成側と反対側に分かれて、生徒が意見を戦わせることで、異なる価値観への理解を促進するのがディベートの目的の一つなのです。
 日本の教育が、教師や教育機関を「上」と想定し、生徒や学生への一方通行の授業方式に終始せず、双方向の議論を可能にする教育へと進化する必要性が求められているのです。
 

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名言・格言から学ぶ、「ひらめき」を成功に導くグローバルビジネスの「発想法」
欧米の人がビジネスをする上で好む名言や格言。これを理解すれば、彼らのビジネスシーンでの物事の考え方、仕事のプロセスの背景が見えてきます。
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ゴーン逮捕でみえてきたモラルと法律、そして国家戦略の矛盾

“Nissan ousts Carlos Ghosn as chairman following his arrest.”

日産は、カルロス・ゴーンの逮捕を受けて彼を会長職から追放する
(CNNより)

カルロス・ゴーン逮捕のニュースは、日本だけではなく世界中を駆け巡りました。
彼と彼の側近にかけられた容疑とその背景については、すでに多くのメディアが解説しています。そこで、彼の逮捕から1週間以上が経過した今、我々は少し冷静に、今までの報道も含め、今回の事件のあらましを考えてみる必要があるのではないでしょうか。
 

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タイでのよろこびと、日本の暑い夏、そしてフィリピン

“Hello Yoji. Yes, it’s flooded all over Dagupan and nearby. Cities, towns. My village including our house, is also flooded now. I feel sorry for those who live near riverside.”

ヨウジ、そうなんだ。ダグパンやその近郊はどこもここも洪水だ。大きな街も小さな街も、僕の村も。もちろん僕の家も水が溢れている。川のそばの人たちはとても大変だよ。
(フィリピンの友人のラインから)

タイで少年たちが洞窟から無事に救出されたとき、私も思わず歓声をあげました。本当によかったです。でも、この喜びを翳らせる事実があることに、どれだけの人が気付いているでしょうか。
 
それは現在のメディアとマスコミのあり方に深く関わります。
世界では常に惨事がおきています。いうまでもなく、日本でもその頃台風の影響を受けた集中豪雨で西日本を中心に多数の命が奪われました。それだけでなく、家屋などの財産を失った人が避難所生活を送っています。
 
先日、福島県白河市の城趾公園の近所を散歩していたとき、東日本大震災で被災した人々の仮設住宅の跡がそこにありました。すでに入居者は退去し、夕暮れ時の道の横に薄暗く無人の住宅が並んでいることに気付いたとき、ふと足をとめてしばらくその閑散とした風景を見詰めてしまいました。当時と今と、災害がおきたときの様子には何の変化も進歩もありません。
 
そして今、フィリピン北西部では、台風の通過を受けて洪水がおきています。
子供の頃、河川が整備されていなかった日本でもしょっちゅう台風による浸水があり、床下床上浸水がいかに生活に影響を与えたかよく覚えています。洪水のときは、たとえ家屋が流される危機に見舞われなくても、下水から河川の汚水まで、全てが家に流れ込みます。衛生面でも、そのあとの除湿を考えた上でも、それが例え床下浸水であっても大変です。
 
私が、フィリピンに連絡をとったとき、友人は一家をあげて1階から2階に家財道具を避難させているところでした。都市部から離れたところに住んでいる一人の友人は、川のすぐそばの家が流されそうになっているとラインで知らせてきました。それが今日のヘッドラインです。私は、日本でほんの少し前におきた惨事を思い出し、どうか皆が無事でいてくれるよう祈っています。フィリピンのこの地域は平地で、日本のような土石流の心配はないものの、護岸工事が充分でない河川が氾濫したときは、その猛威は想像をはるかに超えます。
 
そんな私は今カリフォルニアに来ています。
青空の下、パームツリーが微風にそよいでキラキラと輝いています。空港の近くにいるため、時折飛行機のエンジンの音がホテルにも聞こえてきます。フェイスブックにその光景をアップしているので是非みてください。ここにいると、日本の土石流もフィリピンの洪水もまったくの他人事です。誰もそのニュースすら知らない状況です。
しかし、タイの洞窟の少年の話は誰でも知っています。救出のために落命した隊員への同情も集まっています。そう、この話は劇的なのです。もちろん、子供の命が助かったことは素晴らしいことです。救助隊の人々にも敬意を表します。しかし、劇的ではない、日々の中で世界各地でおきている同様の惨事にはマスコミは無関心です。
 
実は、アメリカのメディアは、救出された子供の自宅にまでインタビューに行き、そのことが、PTSD(Post traumatic stress disorder)に苛まれている可能性のある児童への対応に問題があると地元の政府から非難を受けています。映画化の話もあるとのことですが、今大切なことは、救出された子供たちの精神状態や、親や関係者との再会のために静かな時間を与えてあげるべきではと思うのです。
 
そして、メディアはその数倍も犠牲者のでている日本の状況や、フィリピンなど途上国での災害の様子やその背景に目を向けるべきです。災害は、天災であると共に人災です。その国々の政治の状況や、税金の使われ方、さらには教育によって培われた災害への意識や、隣人への思いが大きく影響します。日本の場合、被災者を学校などの施設に収容し、硬いフロアの上で暑い夏を過ごすことを余儀なくされた人々がたくさんいます。先進国とは思えない情けない有様です。近郊のホテルに空室があっても、シャッターストリートに空き家が並んでいても、誰も気付かず、アレンジをする政治的システムもありません。
 
フィリピンの場合は、灌漑施設への対応の遅れが事態を深刻にしています。その背景には賄賂などで腐敗した政治があるといわれています。そこに鋭いメスをいれようとしているドゥテルテ大統領は、フィリピンの内政の深刻な実情をアメリカの尺度からみた世論に批判され、一時国際社会で孤立しました。
 
カリフォルニアは、そんな「リベラル」なアメリカを代表する地域です。
アメリカの「リベラル」は、アメリカの中で徹底して追求されるべきであることは、私も同意します。この国の格差や差別、新しい移民と数世代に渡って社会を築いてきた人々との意識の対立は確かに深刻です。その対立を乗り越え、安易なポピュリズムにメスをいれながら社会を再生しようとするリベラルな人々の強い意志には、日本人も見習うところがあるはずです。そして先進国と呼ばれる多くの国が、アメリカと同じ矛盾へのチャレンジを強いられていることも間違いないはずです。
 
しかし、アジアやアフリカといった、現代と過去との間でもがく国々には、それぞれに適した発展の仕方があるはずです。アメリカのリベラル層はそこの繊細なカラクリに意識を向けず、大上段でアメリカの自由と民主主義を世界に持ち込もうとします。そうした人々が見落としている現実が、タイの少年への同情と、他の惨事との報道姿勢のギャップなのです。
 
子供の権利は世界で守られるべきです。しかし、日本で体育館に押し込められている老人を報道して、その課題を追求するマスコミは世界に皆無です。まして、フィリピンの地方都市の災害と、途上国が取り組んでいる文字通りの「泥にまみれながらの近代化」に、観客席からあるときは声援をおくり、あるときは批判をするのが、今の「リベラル」な世論に押された世界のマスコミの課題なのです。「子供」、「勇敢な救出劇」の二つがセンセーショナルなニュースとなったわけです。
 
そして、マスコミの報道を常に監視し、しっかりとした立ち位置でその課題を指摘するのは、我々視聴者の役割なのかもしれません。
 

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『日英対訳 アメリカQ&A』山久瀬洋二日英対訳 アメリカQ&A
山久瀬洋二 (著)
IBCパブリッシング刊

地域ごとに文化的背景も人種分布も政治的思想も宗教感も違う、複雑な国アメリカ。アメリカ人の精神と社会システムが見えてくる!

 
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