「世界の心の交差点で」〜コミュニケーションと誤解の背景〜

「アイデンティティ」は時には膨張する?


面白いもので、人は自分の属する集団への意識、つまりアイデンティティを常に変化させるものです。
先日、あるアメリカ人とこんな会話がありました。
その人は、日本へやってくる前に、北京に出張していたのです。

「どう、北京では。中国を楽しんだ?」

「いや、今の中国は昔とは違う。大気汚染がひどく、のどをやられたよ。それだけじゃない。食べ物も不味くて、食材が安全かどうかも不安だったよ。彼らはお金持ちになったものの、現実とのアンバランスがひどく、残念なことだよ」

私も、北京の大気汚染や、調理のときに使われる油の質など、食の安全の問題は身をもって体験していました。また、裕福になった中国の旅行者の時には横柄にも思える海外での振る舞いには、ちょっとうんざりしたこともありました。

「確かにね。あれはいただけない。特に、環境問題は政府がそれを先送りしたつけなんだろうね」

「いや、中華料理があんなに不味いとは思わなかったよ」

そこで私はいいました。

「台湾に行ってごらん。香港でもいいよ。中華料理は美味しいなと本当に思えるから」

ここまでの会話は、私にとっても何も問題はありませんでした。
実際、今中国が直面している様々な課題について、私も彼も同じ感想を持っているんだと確認したに過ぎなかったからです。
問題は、この次の彼のコメントです。

「いやね。50年前まで、中国、そして日本、韓国なんて、Nothing だったよね。でも最初に日本が台頭し、韓国、そして中国だろ。長い歴史の中で初めて中国が世界に躍り出たわけだしね。その急な変化に社会がついていかないのは当然かもね」

私はこのコメントを聞いた途端に、彼が欧米人特有の優越感を持っているような気がしてカチンときたのです。そこで、こう切り返しました。

「中国が長い歴史の中で初めて世界に踊り出ただって?それはおかしいよ。確かに19世紀半ば以降、中国は衰退し、欧米や日本から侵略されたけど、それ以前は、中国はヨーロッパへも影響を与えた世界の一つの中心だった。そう、中国は大国としてカムバックしたわけだよ」

「そうなの?でも中国はずっと貧しかったんだろ?」

「いやね、昔は世界中貧しかった。アメリカだってそうだろ?貧富の差はどこにでもあった。でも、文化や国のパワーをみたとき、中国が大きな国だったのは事実だよ」

彼が子供の頃のアメリカには、子供が食べ物を残すと、「ものを食べられない中国人のことを考えなさい」といって親が教育をしていました。ちょうど、我々が子供のころ、「お百姓さんの苦労を考えなさい」といってご飯を残すと叱られていたように。
欧米の人のアジアへの偏見がこうして育まれていたことを知っていた私は、彼との会話の中で次第にアジアを擁護しはじめている自分に気付いたのです。
最初の部分の会話では、私は日本人として、ごく普通の目でお隣の中国をみていました。そして、中国が急激に成長した結果、矛盾を抱えていることを、日本という集団に属する一人として、ごく当たり前のようにアメリカ人の友人と話していたのです。
でも、彼が中国への歴史的な事実を無視しながら、日本や韓国も含めて欧米人特有のコメントをした瞬間に、彼らの無意識の中に眠る優越感を察知し、とっさに自らの属する集団を日本からアジアへとアップグレードさせたのです。

この意識の変化は私自身にとっても滑稽でした。
そういえば、例えば高校野球では自分の高校、そして県と、大会が大きくなるごとに応援するために属する集団が変化し、さらにオリンピックになれば、それが日本というさらに大きな集団にアップグレードします。文化ということになれば、その集団はアジアにまで拡大するというわけです。

偏見を持つ側と持たれた側とでも、所属すると意識する集団の拡大する様子は異なってきます。田舎と都会、アジアと欧米、有色人種と白人系といったように、自らが属する集団へのアイデンティティは、様々なディメンジョンへの光の当て方で変化するのです。
このアメリカ人の友人は、会話の中での私のこうした意識の変化には、恐らく気付かなかったことでしょう。
そして我々自身も、異なる文化背景を持つ人が、所属意識を変化させてゆくきっかけを、会話の中で無意識につくっているかもしれません。歴史的背景が複雑な韓国や中国、さらにはアフリカや中東といった日本とは異なる生活環境から来た人々へ、我々も無意識に思わぬ不快感を与えるコメントをしているかもしれないのです。

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