「世界の心の交差点で」〜コミュニケーションと誤解の背景〜

リオの五輪にみえた日本のお詫び文化を考える


「リオの五輪で期待に応えられずメダルを逃したり、金がとれずに2位や3位に甘んじたりした日本の選手が、インタビューで申し訳ありませんと謝っていますね。あれは不思議なメンタリティですよね」

外国人記者クラブでのランチのときに、そんな質問を受けたことがありました。

「あなたは日本に長いから、日本人が何か不本意なことがおきたらまず謝る癖があることを知っているでしょ。それなのになぜ今さらそんなことを質問するんですか」

「いえね。結局彼らは聴衆やファンの期待に応えられなかったことがあってお詫びしているんでしょ。それって、古典的な日本人の発想ですよね。最近日本人は昔ほど日常生活ではお詫びをしなくなったなと思っていただけに、久しぶりに印象に残ったんですよ」

「そうそう。日本の社会にも TPO を心得ない人が増えたような気がします。でも、選手がお詫びをすると、日本人はなぜかそれを真摯な態度だとすんなりと受け入れられるんですよね」

「というと?」

「いえね。単に多くの人の期待通りにいかなかったというだけではなく、選手がオリンピックにでるためには、様々なサポートを受けているでしょ。そうした他者の尽力や、優遇された状況があって、それで期待に応えられなかったことがお詫びの背景にあるんじゃないかと思うんですよ」

「やはり日本ならではの発想ですね。だって、それは契約じゃないですか。あなたには才能があるからオリンピックにでてもらいます。だからこの施設で、特別な環境においてコーチをつけて訓練しますよという契約ですよね。その結果仮に成績が悪かったら、次の契約がない。ただそれだけのことでしょ。お詫びする必要があるんでしょうか」

「ではどうすればいいんですか?」

「いえね。残念だったぐらいでいいんだと思いますよ。じぶんなりに精一杯やったし、悔いはない。自分を誇りに思っているよというぐらいの気持ちがあっていいんじゃないですか」

「じゃあ、サポートしてくれた人たちへは?」

「お礼をいえばいいんですよ。心からね」

「なるほどね。確かに僕にも一つ腑に落ちないことがあるんですよ」

「なんでしょう?」

「日本人としてとか、国の期待にとか、スポーツの場で国威発揚を考えることは嫌ですね。僕も戦後世代で、年配の人から国威発揚という意識が国家主義となって、戦争へとつながり、悲惨な結末を導いた事例を聞いてきましたから」

「わかるよ。余裕がない人ほど国などの大きな権威に頼りたがる。オリンピックなどはそんな人の鬱憤が晴れる機会に利用されているのかもしれませんね」

「だから、国の期待に応えられず申し訳ないというコメントは受け入れがたいんです。日本のために頑張れてよかったですと、金メダルをとったある選手が言っていましたが、ああしたコメントは気になりますね」

「国を代表してとか、国を背負ってということを、普通にいう世の中は怖いですね。こうした傾向は日本だけではありませんが」

スポーツの理想を代表している人物はウサイン・ボルトかもしれません。
彼の卓説した能力に国境を越えて世界の人が羨望の眼差しを向け、彼が走るたびに人々がそのスピードに喝采し、記録に期待します。オリンピックは、本来はそうした卓越した能力を賛美する場であったはずです。

話は戻りますが。日本人が謝ることはそんなに変なことでしょうか。
要は異文化でのTPOの問題です。ますは何でもいいから姿勢を低くして謝ってという対応は、海外では思わぬ誤解の原因となることは事実です。
しかし、だからといって状況によっては相手への真摯な対応ももちろん必要です。この状況を判断するセンスを持つことが大切なのです。
例えば、人前でスピーチをするときに、自分の英語が下手なことを謝る必要はまったくありません。むしろ堂々と対応するべきで、謝ることは自信のなさの象徴となってしまいます。しかし、自分のミスがあって何かがおきたときは時には、ちゃんとしたお詫びが必要です。
では誤解のときはどうでしょうか。
答えは「50%」謝るのです。誤解がおきた原因として自分の表現が曖昧だったなら、その曖昧であったことだけを具体的にお詫びして、相手とは今後誤解がおきないためにお互いに何に気をつければよいか、対等に話し合って合意することが大切なのです。

「アメリカではやはり人は謝らないんですか?」

「日本のようにはね。でも、最近面白いことを聞きましたよ」

「教えてください」

「いえね。相手がとても怒っていたり、非常識なドライバーがいて、あなたが追い越したあとを追いかけてきて言いがかりをつけてきたとしますよね。こうしたときは、ごめんよ悪気はなかったんだとお詫びをした方が、相手が激昂して犯罪の被害者になる確率が少なくなるって、犯罪心理学の専門家がアメリカのテレビで言っていたんです。銃犯罪に悩むアメリカでは、お詫びは新鮮な解決方法かもしれませんね」

「お詫びをするってことは勝ち負けではなく、人との和を保つための知恵かもしれません。そんな日本人の価値観も時には役にたつのかもしれませんよ」

外国人記者クラブでのランチでの楽しいやりとりでした。

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