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名画が語る欧米の個人主義の原点とは

If you want something done right, do it yourself!

「もし何かやりたいことがあるなら、(人に構わず)自分でリスクをとってやるべきだ」
― アメリカの格言 より

名画に描かれた古代ギリシアの学問から続く欧米の文化

La Scuola di Atene. D.R.

 
 この絵はバチカンにある『アテナイの学堂』というラファエロの名画です。
 その昔、この絵のようにアテナイ(アテネ)には多くの哲学者が集っていました。中央の二人はそうしたギリシア哲学を代表するプラトンアリストテレスではないかといわれています。
 ここで、この絵の中のほとんどの人が、語り合っているという事実に注目しましょう。彼らは議論の中から知恵を育んでいます。文字を見ている人はわずかしかいませんが、たとえば絵の左下隅で唯一、書籍に目を通している人がいます。これはピタゴラスだと言われています。ピタゴラスの定理で知られる数学者です。彼はきっと先人の数学について学び検証している最中なのでしょう。
 
 我々は学問というと論文と書籍をすぐにイメージします。しかし、実のところ、論文と書籍は考察の結果をまとめたものだというのが、欧米の文化の原点ともいえるギリシアの常識だったのです。論じることで、お互いに刺激し合うだけではなく、論じている間に、自らの言葉から次の知恵に気づくこともあるわけです。日本に古来伝わる「沈思黙考」という概念とは真逆の文化背景がそこにあることに気づくはずです。この絵が描かれたラファエロの生きた時代は15世紀から16世紀にかけてです。いわゆるルネサンスの真っただ中のことでした。
 
 そして、『アテナイの学堂』が完成したほんの6年後に勃発したのが、ルターによる宗教改革でした。ところで、宗教改革の70年ほど前にグーテンベルクが活版印刷のシステムを開発し、印刷技術の進歩が始まりました。ルターの宗教改革の狼煙とその論旨は、この活版印刷のおかげで瞬く間にヨーロッパ中に広がり、大きな歴史のうねりを作りました。そして、出版物の数も今までとは比較にならないほど多くなります。
 しかし、それでも欧米で大切なことは、言葉を交わし合い論争をしながら答えを導きだす議論の姿だったのです。
 

議論をして個人の権利を尊ぶ欧米 vs. 文字にして情報を統制するアジア

 我々は、議論という手法があまり得意ではありません。漢字文化はアルファベットとは比べ物にならないほど複雑な漢字を扱い、それによる文章の装飾や修辞法に気を使わされます。語る前にしっかりと文字にすることが漢字文化圏では強く求められました。
 一方、ルターの宗教改革以来、欧米では度重なる社会変動が続き、それが市民革命の引き金になります。欧米社会では、抗議すること、議論することがそのまま人々の権利へとリンクしていったのです。
 逆に日本を含むアジアのほとんどの国では、人々は長い間強い中央集権国家のもとで情報を制限され、言論の自由への規制も続きました。「口は災いのもと」という格言からも見られるように、言葉は身の安全と社会からの疎外を回避するために練りに練られ、より婉曲な表現が好まれるようになりました。
 
 この文化の違いが今に至っても、アジアと欧米とのビジネス文化の確執の原因にもなっています。また、中国のような権威主義国家の発想の原点をも形成したのです。どんどん自らの要求を言葉にして迫ってくる欧米の人々と、それが苦手なアジア、特に東アジアの人々との間では、今でも数多くの誤解が生まれ、仕事のみならず、政治や経済といった幅広い分野での確執を乗り越えられずにいることは周知の事実です。
 
 ここでもう一度、宗教改革に触れましょう。宗教改革は、ラテン語で書かれた聖書を読める一部の集団、つまり教皇を中心としたローマ教皇庁の絶大なる権力への挑戦でした。
 まず、印刷技術の進化によって自国語で聖書に触れた多くの人は、教皇の語るキリスト教が必ずしも聖書の精神と一緒ではないことを知らされます。その結果、それぞれ個人が教会という権威を放棄して、直接神と繋がってゆくべきだと考えたのです。これがプロテスタントと呼ばれる人々となります。彼らは直接神と繋がったとき、個人と神との間のはてしない距離に気付き、同時に神という完璧な存在と罪深い自分との差異を実感したのです。その結果、プロテスタントの人々は神と繋がりながらも、神の存在から遠く離れた個人をより尊重し、個人が教会の権威を畏れることなく生活を工夫し、幸福を求め、さらに蓄財することへの抵抗から解放されるのです。教会に寄進する代わりに勤勉に働き、科学を追い求めて合理的な世界の中に生きることを選んだことになります。
 
 この個人主義の考え方が、個人の権利への意識に繋がったとき、人々は従来の権威に抵抗し、市民社会を求めて革命へと走ったのです。そしてその経験から、個々人がそれぞれ異なる価値観をもって思いのままにリスクを取ることへの寛容性が社会の中に育まれたのです。この行動原則がアジアの人から見ると身勝手とか、自己中心的な発想というふうに取られてしまうのです。
 

印刷されたマルティン・ルターの『95ヶ条の論題』

名画から読み解ける欧米のコミュニケーションスタイル

 近年アジアの人々はこうした経験を経ることなく西欧文明の表層を学ぶことで、なんとか強靭な市民国家に成長した欧米と対抗しなければならなくなりました。その代表的な存在が近代の日本だったのです。
 ですから、今でも日本の企業と欧米の企業とを比較したとき、人々は会社という組織に欧米人よりも縛られがちです。上下関係も決裁方法も議論して結果を生む欧米の物事の運び方とは対照的で、時間もかかれば根回しも必要です。
 
 実は、『アテナイの学堂』の風景は、現在の欧米で見られる組織の内部を見事に描いているともいえるのです。それぞれが好き好きな姿勢で、別の方向を向き、そしてお互いが思いついたことを遠慮なく議論し、それを戦わせながら、学堂が運営されているのです。その学堂を会社などの組織に置き換えれば、欧米の人々のコミュニケーションスタイルが明快に読み解けます。
 
 数百年前の名画が今にこうした影響を与えていることを知ることは、ある意味での美術や音楽への鑑賞の視点として、知っておきたいことなのです。
 

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『友だちの夢に耳を澄ます教室』池田 靖章 (著)友だちの夢に耳を澄ます教室』池田 靖章 (著)
34歳の若さで【香里ヌヴェール学院中学校・高等学校】に着任した池田校長は、廃校寸前だった学校をわずか3年で黒字化。また、着任以前はいなかった海外大進学者も21名を輩出。学校活性化のための取り組みにも次々に着手し、2023年度は創立100年史上、最多入学者数を記録するなど、その手腕に今、教育界が注目しています。人口減少により、この先10年で大激動時代を迎える教育界において、「子どもの未来を開く」新たな学校・教育のあり方はどうあるべきか、着任5年目を迎えた30代校長の視点で伝えます。未来の教育や学校がどうなるのか不安をお持ちの保護者や先生にご一読いただきたい一冊です。

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