アラバマ州での中絶規制法案可決の背景にある脅威とは


Chris Aluka Berry/Reuters

“Most of the US state laws banning or severely restricting access to abortions have been voted on by male politicians. Should men have the right to rule on an issue that impacts women so intimately?”

(アメリカでの人工妊娠中絶を厳しく取り締まる法律に賛成する政治家のほとんどが男性。女性の人権に関わる問題を男性がコントロールする権利があるのだろうか?)
― BBCより

人工妊娠中絶は殺人か、女性の権利か

 アメリカ南部のアラバマ州で人工妊娠中絶を厳しく制限し、違反した者には刑事責任を課す法律が可決されました。このニュースは日本ではさほど大きく取り上げられていませんが、アメリカのみならず、欧米社会に強い衝撃を与えているニュースといっても過言ではありません。
 
 アメリカでは、人工妊娠中絶は殺人と同じく罪深い行為であると主張する人々が多くいます。彼らはキリスト教的な意識が強く、その宗旨に照らし、胎児の命も人の命として、中絶に強く反対(pro-life)するのです。
 それに対して、当然のことながら、子供を産むか産まないかを選択する権利(pro-choice)は女性にあるとして、中絶は守られなければならない女性の人権であるという人々も多くいます。彼らは、性的な差別を撤廃する上からも、中絶を選択する権利の必要性を訴えます。
 今回のヘッドラインのように、女性の体や人権に関する問題に男性が介入するべきかという議論も世界中で巻き起こっています。
 そうした議論の中で、アラバマ州でほとんどのケースにおいて人工妊娠中絶を違法とする法律が可決されたのです。
 ほとんどのケースとはどのような場合でしょうか。例えば、経済的に子供を養育できないケース、レイプやそれに近い行為で女性が妊娠したケースなどが「ほとんどのケース」に含まれるのです。

 
 この意識の対立は、ある意味でトランプ政権の誕生などによって分断されるアメリカ人の状況を象徴したものであると言えましょう。
 さすがのトランプ大統領も、中絶そのものには批判的である立場を強調した上で、レイプや女性の体に健康上大きなリスクがある場合の中絶は例外だとしています。しかし、彼にとって、こうした法律を支持する有権者こそが大切な支持者であることには変わりありません。
 

アメリカの「政教分離」が抱える矛盾

 ここで前回に続いて、こうした法律が通るアメリカの社会と政治についてメスを入れてみます。すると、そこには世界に共通した近代国家の制度がもつ矛盾が見えてきます。
 それは、「政教分離」という民主主義国家の根本に潜むリスクです。
 
 人類は、歴史上長きにわたって神を権威として、そこに政治権力を結びつけてきました。これは、為政者にとっては人々を支配する上で極めて便利な制度でした。しかし、そのことによって、宗教が異なる者同士が覇権を争い、戦争や抑圧で多くの人の血が流されてきたことは周知の事実です。
 そこで、近代国家は政治権力と宗教的な権威とを分離し、国家の中で人々の信教の自由を保障することで、国民の人権を保護する仕組みを作ってきたのです。
 
 アメリカは、ヨーロッパでの宗教的な抑圧から逃れてきた人々によって建国されました。従って、本来政教分離の発想はアメリカ人にとって最も大切な価値観だったはずです。
 その価値観は、自らの信仰の自由を保障してもらうものに他なりません。前回、トランプ政権の支持母体となった福音派について解説した時にも触れましたが、信教の自由を求めてアメリカに移住してきた人々の宗教的価値観、そして道徳観が、現在のアメリカ人の意識の土台となっているわけです。
 しかし皮肉なことに、彼らが自らの道徳を多数派の道徳として主張し始めたときに、彼らとは異なった宗教観や道徳観を持った人々を排斥し始めたのです。そして、その排他的な意識が、アラバマ州での中絶禁止法の制定などへと繋がっていったのです。つまり、これはある種の新たな宗教戦争なのです。
 
 我々は、投票行動や立法への考え方などを左右する価値観のルーツが、実は宗教的価値観に起因しているという事実をしっかりと認識しなければなりません。つまり、宗教観の違いは、人々が政治的な判断をするときの価値観に直結しているのです。このことは、政教分離という近代民主主義の制度が抱える矛盾に他なりません。この矛盾を利用し人々を煽動する政治的発想こそが、ポピュリズムなのです。
 異なる価値観を尊重し、多様性を擁護することで民主主義を維持しようという建前の陰にある落とし穴が、現在新しい保守主義の動きと融合して、新たな政教一致への道標をつくっているというわけです。
 

問われる「政教分離」の本質と多様性の尊重

 アラバマ州で可決された中絶規制の法案は、この政教一致に繋がる新たな脅威とも言えそうです。この政教一致の脅威は、人々が自らの価値観と宗教観とを客観的に意識できず、それを他者に押し付けることから生まれる脅威です。しかも、多くの人がこのことが民主主義そのものへの脅威であることに気付いていないことが課題なのです。
 従って、これはアラバマ州だけの、さらにはアメリカだけの問題ではありません。これは、日本を含む世界中の人々が考えなければならないテーマに繋がっているのです。民主主義、そして近代国家の仕組みとは何か、というテーマを冷静に見つめ直さなければならないのです。
 
 なぜ、政教分離が行われてきたのか。さらに、政教分離と多様性の尊重という考え方の本質は何なのか。
 他者の価値観と自らの価値観の違いを受け入れるには、自らがどのような立ち位置で物事を判断しなければならないのか。
 こうした重要なテーマを突き付けられたのが、今回のアラバマでの中絶規制法案の可決だったのです。

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『アメリカ史 / A Short History of America』西海コエン (著)アメリカ史 / A Short History of America』西海コエン (著)
アメリカの歴史を読めば、アメリカのことがわかります。そして、アメリカの文化や価値観、そして彼らが大切にしている思いがわかります。英語を勉強して、アメリカ人と会話をするとき、彼らが何を考え、何をどのように判断して語りかけてくるのか、その背景がわかります。本書は、たんに歴史の事実を知るのではなく、今を生きるアメリカ人を知り、そして交流するためにぜひ目を通していただきたい一冊です。

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