タグ別アーカイブ: アジア

日本の未知の体験、「拡大から縮小」とは

19世紀末、アメリカに移動する移民たち

Rather than rely on battleships and the mettle of the Imperial Army for their expansion, they could build their commerce on mechanisms forged largely by the Anglo American –jets, modern telecommunications and open financial markets—to explore an ever-wider sphere of activities and countries.

軍艦や陸軍の強靭な意識に依存することなく、ほとんど欧米が開発した航空機や電信システム、自由経済市場によって彼らは自らの商圏を今までなく広範に地球上の様々な国々に拡大することができた。
(Joel Kotkin著 Tribesより)

Diasporaという言葉があります。
これは、世界に拡散移住したユダヤ系の人々を指し、民族の離散、移住を意味した宗教的な用語です。Diasporaはユダヤ系の人々のような経験のない日本人には最も縁のない用語といえます。
 
とはいえ、日本人が海外に移住拡散した経験がないわけではありません。
実際、戦前には多くの日本人がアジア各地に、アメリカなどに移住しました。
そして、第二次世界大戦の終了と共に、海外の植民地に在住していた500万人の人々が日本に戻ってきました。中には旧満州でロシア軍の侵攻にさらされ、家族や同胞を失いながら命がけの帰国を経験した人々も多くいました。
 
もちろん、すべての人が帰国したわけではありません。
例えば、アメリカに移住した日系人の人々は、戦争がはじまるとアメリカの収容所に収監されたものの、戦後はそのままアメリカに残り、アメリカ人として生活を続けました。彼らは、まさに日本人のDiasporaです。
戦後も一部の日本人は南米などに移住し、未来にチャレンジしたことはありました。しかし、500万人が日本に帰国したのを最後に、現在まで大規模な海外移住の波を日本人が経験したことはありません。
 

アメリカ人は皆、Diasporaの子孫たち

 
このヘッドラインの文章を書いた著者は、この著書で1925年の日本の状況に触れています。それによると、当時の日本の人口密度はドイツやイタリアのおよそ3倍以上だったようです。この過密な状況が生み出す経済的困難に押し出されるように、多くの日本人移民が海外に流出したのです。
当時、ニューギニアボルネオといった太平洋西岸の島の主権を日本に渡すことで、日本の軍事的な膨張の原因となっていた過密な人口問題を解決するべきだ、といったオックスフォード大学の学者がいたほどなのです。それは、増加する日本や中国からの移民に、アメリカなどで社会的反発や差別がおき、移民の流入への規制が進められていた最中の提案でした。ひどい話です。
そして、こうした状況に押されるように、日本は中国に進出し、権益を拡大しようとしたことが、第二次世界大戦の引き金となったのは周知のことです。
 
戦後、日本はアメリカを軸とした戦勝国の管理下におかれ、自由経済の枠組みの中で活動するように位置づけられました。戦前のような膨大な軍事的負担もなくなり、日本は自由経済のプールの中でうまく泳ぐことによって奇跡的な復興をなしとげたのです。
その段階で、戦前よりも多くの日本人が海外に渡航するようになりました。その傾向は現在も変わっていません。しかし、それは移住ではなく、あくまでも渡航だったのです。軍事的野心を放棄させられ、戦前とは真逆な方法で経済的に成功した日本は、国内にコアを維持し、海外に支店や工場を拡張することで、世界へと平和に進出できたのです。
興味深いことに、その結果日本企業は常に日本に本社をおき、本社の中枢は全て日本人が管理運営することで、そのネットワークを維持してきました。戦前は軍事的な拡張のニーズによって、日本人の海外移住が促進されました。しかし、戦後は経済的なニーズのみによって、日本人は本社と海外の支社とを振り子のように行き来するだけでよくなったというわけです。
 
ただ、このことで、島国に閉じ込められた日本人は、海外と日本とを区別し、日本と海外との溶解を拒絶して生きてゆくことに馴染んでしまいました。例えば、数百年にわたって海外に進出してきたイギリスの場合、自国の伝統を維持しながらも、海外からの移民も増加し、それにともない国民の意識も大きく変化しました。今回ヘンリー王子結婚相手は、アフリカ系の血を引くアメリカ人です。こうしたことが日本の皇室に起こり得るかを考えてみれば、日本がいかに日本人という血にこだわっているかが見えてきます。
実際、日本企業のトップに外国籍の企業家が就任することも、買収などによって資本関係に変化がない限り、稀にしかありえません。
このことが、戦後の拡大した日本経済が、IT革命による新たなグローバル化の波に対応できず、その後の失速の原因になったのだと、多くの人が指摘します。
 

今後、日本はDiasporaをどう捉えるか

 
そして今、日本は人口の老齢化と少子化に悩まされています。
日本の人口が減少し、それに伴い国力も衰えてゆくのではないかと多くの人が懸念しています。人口の減少によって、豊かになった経済インフラを支えるだけの人材を維持できなくなるのです。
アジアに進出した戦前と、過密な人口を経済的な膨張で支えてきた戦後。この二つの時代では経験できなかった現実に日本がさらされているというわけです。
 
人口の逆ピラミッド化と人口そのものの減少、という未来の試練を乗り越えるには、日本という島の中と、海外という島の外との壁を取り払っていかなければなりません。教育制度、社会保障制度、そして移民政策などの変革を通して、日本社会は変化を余儀なくされています。
そして、拡大から縮小に向かう日本人がDiasporaとなり、海外からのDiasporaとの溶解を進めてゆく現実が、近未来に迫っているのかもしれないのです。

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「海外で○○してみたい!」を実現するために

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アジアからみる「Cultural Synergy」とは

Cultural differences provide opportunities for both synergy and dissynergy. The more the cultural styles of the companies differ, the grater the potential of cultural synergy, and the grater the potential for cultural conflict.”

異文化環境ではシナジー効果とその逆のリスクとが共存する。組織での文化が異なれば、その分相乗効果を生み出すケースも極めて大きくなるものの、一方で文化の違いによる衝突の危険も大きくなるというわけだ。
(Wendy Hall 著 Managing Culturesより)

20世紀終盤ごろから、IT革命の浸透によって世界はみるみる小さくなりました。それと同時にグローバライゼーション globalization という言葉が日常のように使われはじめたことは、記憶に新しいはずです。
では、そもそもグローバル化とはどのようなものなのでしょうか。
多くの人が勘違いしていることは、この globalization の波がIT革命の震源地だったアメリカからおこり、アメリカ型のビジネスの方法、コミュニケーションのノウハウが世界に浸透していったと思っていることです。
 
確かに、シリコンバレーなどではじまった新しい技術革新は世界を変えてゆきました。それが単に技術だけではなく、人々の常識や行動規範そのものにも影響を与えたことは事実でした。
そして、技術革新をより可能にするために、人材への投資や人材育成のノウハウがそうした企業の中で培われ、世界に輸出されたことも確かです。
 
しかし、アメリカ社会は、その当時アジアからの精神文化の影響を大きく受けていたことを忘れてはなりません。70年代後半以降、急激に増加したアジアからの移民が特に西海岸や東海岸の都市部のライフスタイルを大きく変えていったのです。当時のアメリカはベトナム戦争で躓き、その後の都市の荒廃といった社会問題の出口を見出せずにもがいていました。そのことで人々の中に、既存の欧米流価値観への信頼と自信への喪失感が蔓延していたのです。そこに浸透してきたアジアからの文化は彼らにとっては新鮮な驚きでした。特に仏教をはじめとする東洋哲学が一様に説くマテリアリズムへの鋭い批判に、彼らは大きな影響を受けたのです。
その結果、都市部で New Age と呼ばれる、既存の価値から離れ、瞑想や自然への回帰などを求めるライフスタイルが流行します。
これがアメリカにとってのグローバライゼーションのはじまりだったのです。
その世代の多くが高度成長を遂げた日本や、神秘的な宗教が混沌の中に共存するインドなどにわたり、アジアとの架け橋になってゆきました。
また、その世代がその後IT革命の第一世代へと進化していったことも忘れてはなりません。スティーブ・ジョブズなどはそれを代表する人物でした。
そして迎えたIT革命。それを担った人々の多くがアジアからの移民やその二世でした。彼らは、高度な教育を受けた技術者としてアメリカのIT産業を支えたのです。
このように、アメリカはアジアからの移民によって社会が変化しました。そして、アジアからの移民はアメリカの社会の仕組や価値観を吸収しながら、より高度なライフスタイルに挑戦します。それがIT革命の精神的なバックボーン backbone になったのです。アメリカのみでも、アジアのみでも起こりえないグローバライゼーションの発熱効果がこうして産み出され、世界に影響を与えたのです。
 
Synergy という言葉があります。これは、異なる薬を調合し、より効果のある薬品ができあがることを意味した言葉でした。この Synergy 効果を文化の融合の中に見出そうとしたのが、Cultural Synergy という発想です。
シリコンバレーでおきたように、世界中から人々が集まり、異なる発想法を融合させることでより高度な技術やノウハウを産み出そうという動きがその発想の原点だったのです。グローバライゼーションはこの Cultural Synergy への発想を抜きにしては語れないのです。
 
つまり、グローバル化はアメリカ化でも、欧米化でもないのです。70年代以降、それまで長年にわたって続いていた欧米からアジアへ向けた文化の流れが弱くなり、暗黒の植民地時代を克服したアジアからの新たな文化の輸出がはじまりました。その流れが欧米に影響を与え、Cultural Synergy という化学変化を起こしたことが、現在のグローバライゼーションのエネルギー源となったのです。
 
異文化環境で Synergy を生み出すには工夫が必要です。片方の価値観のみでは、それを押し付けられる側に抵抗を生み出します。それでも強引に変革を強要すれば、受け手の組織はいびつに変質します。
日本企業も含む、多くの世界企業が、それを克服できず、Synergy を生み出せずに苦しんでいます。
我々が今さらに考えたいのは、今後アジアの価値をIT社会、AIの社会の中でさらにどのように活用し、還元することで、次世代に向けた Synergy を創造できるのかということなのです。
 

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海外ニュースの英語と文化背景・時事解説

アジアは混沌の年からどう変化してゆくか

【海外ニュース】

Reform in Myanmar slow to trickle down.
ミャンマーでは貧困層の救済が思うように進まず
(インターナショナル・ヘラルド・トリビューンより)

ASEAN meets amid tensions.
ASEAN 諸国は緊張の中で会合
(コリアン・タイムズより)

【ニュース解説】

2つの見出しから、我々は日本を含めたアジアの様々な現状を読み取ることができます。
この2週間、アジアでは大きな出来事がいくつもありました。
中国では第18回中国共産党大会で、習近平氏による新体制が事実上発足しました。そして韓国でも、12月の大統領選挙に向けて政治的なうねりが起きています。また日本も総選挙です。

今週開催された ASEAN サミットに日本、中国、韓国を加えた総会は、こうした未来が見えない混沌たる過渡期に開催されました。しかし、それだけに、多くの課題に対して、何も踏み込めないアジアの現状が、さらに浮き彫りにされた会合だったようです。amid tension (緊張のまっただ中) という英語表現は、そうした有様を示しています。

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