“Once, “Yuzu” or flexibility was one of the key values among Japanese. Traditionally, to maintain Japan’s interdependent society, one had to take action based on how the person one is dealing with feels and what that person wishes to do.”
「融通」に見える、文化の「表」と「裏」
全ての文化には、コインの表と裏のように、強い部分と脆弱な部分とがあります。
例えば、日本に昔からあった価値観に「融通」というものがあります。まずは、この「融通」という考え方にスポットを当ててみましょう。
しかし、コインの裏側となる脆弱な部分をみれば、例えば人脈やコネ、さらには賄賂といったもので、特定の人や組織に便宜を図ることも「融通」は意味しています。
このコインの裏側が社会悪として指摘されたとき、コインの表側にあたる本来の強い部分までもが同時に否定され、その価値自体が絶滅してしまうリスクを我々は常に抱えているという問題を、まずここで指摘します。
「表」:西欧文化の受容と伝統的価値観の継承
キリスト教社会において、ヘレニズムとヘブライズムとが両輪となって、西欧文化という馬車を走らせてきたことを先週解説しました。
そんな西欧の文化を、明治以降日本人は必死で学び、社会を変革させてきたわけです。しかし、明治時代においては、その変革を行ったのは日本人自身でした。従って、当時の指導者の多くは、欧米の文化を取り入れながらも、日本の従来の価値観はしっかりと維持しつつ、社会を近代化させていこうとしたはずです。
突き詰めていうならば、「正」と「邪」を二元論で捉えるのではなく、状況に応じて相対的に捉えることに、日本人は心の拠り所をもっていたのです。従って、欧米流の一神教の原理にそぐわない行為をしたときに発生する「罪」の意識は、日本人には希薄でした。
これが、一刀両断に否定されたのが、第二次世界大戦に日本が敗れたときでした。
日本が占領されたときに、ヘブライズムとヘレニズムの二つの刃をもった欧米の価値観が、日本に容赦無く突きつけられ、浸透していったのです。
長い戦後の歴史の中で、先に触れた「融通」などの価値観が葬られだしたのです。戦後の歴史を通して、ヘブライズムに象徴される「正」と「邪」の二元論で、日本人の古き良き「曖昧さ」が裁かれてしまったのです。
「裏」:ヘブライズムの注入と価値観の否定・歪曲
しかし、この乖離のプロセスの中にありながらも、欧米の人々の心の中には厳然と、ヘブライズムに支えられた「罪」の意識は残り続けました。さらに、一神教によって培われた、思想や意識が異なる人に対して妥協せず、相手を「邪」としてしまう強い意識が社会の分断に拍車をかけていることも、解説した通りです。
この微妙な不快感。それが、そのまま日本人のアイデンティティの喪失に対する恐怖へと繋がったのです。その恐怖が偏狭なナショナリズムを育成したこともあれば、逆に潔癖すぎるまで透明な社会を目指そうとする社会の動きも醸成しました。
例えば、会社経営でコンプライアンスが必要であるという主張が是とされれば、過去になされていた「融通」の精神の全てが否定され、厳格なプロセスの履行のために、膨大な書類の作成や、人的資源が使われるようになりました。
文化の「表」と「裏」を見つめて
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『日本人のしぐさ』ハミル・アキ (著)
笑えて、ためになる、異文化交流本。日英対訳。
日本人には当たり前。でも外国人が戸惑ってしまう日本人のしぐさを、写真と日英対訳で楽しく紹介。お辞儀、いただきます、土下座などといった日本独特のジェスチャーを、外国人にわかりやすく、そして楽しく説明する方法が学べます。スラング、子供のジェスチャーに至るまで、幅広く70を厳選。日本文化の一面を、気軽に紹介できる一冊です。