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ブルース・ウィリスの認知症の会見から見えること

In 2022, the 67-year-old action movie star was diagnosed with aphasia – difficulty with language and speech. Aphasia can occur for a variety of reasons (most commonly stroke) but for Willis, it is now clear that these speech problems were the early signs of this particularly devastating form of dementia.

(2022年に67歳の映画俳優は言語と発話が困難な失語症と診断された。失語症の原因には脳内出血などいくつかの原因があるが、ブルース・ウィリスの場合は、深刻な認知症の典型的な初期症状であることが判明した)
― Conversation より

離別しても新しい関係を築いてゆくこと

 ブルース・ウィリスが最近失語症を患い、芸能界から引退したことが報じられていましたが、つい先日家族と共に記者会見をして、前頭部から側頭部にかけての認知症であることを発表しました。
 『ダイ・ハード』などの激しいアクションで一躍有名になったブルース・ウィリスですが、引退前の数年はセリフを覚えられないなど、いくつもの苦労を乗り越えていたそうです。
 
 記者会見の会場には、彼の子供たちと共に、今の配偶者であるエマ・ヘミングに加え、前妻のデミ・ムーアの姿もあり、彼女がエマのいるそばでブルース・ウィリスのすぐ横で本人をいたわるように寄り添っていたことを、日本のマスコミが驚きを持って伝えていました。
 
 数年前にアメリカに行ったとき、知人の出版社の社長が彼の奥さんがボーカルをつとめるジャズセッションに誘ってくれたことがありました。同じ席に一人の中年夫婦が座っていて、その社長と談笑しています。実は、そのカップルの男性の方は、ステージに立っている友人の奥さんの前の夫というわけです。
 
 こうしたことはよくあることです。もっと面白いのが、ロサンゼルス郊外のある企業経営者の自宅を尋ねたとき、そこに彼の孫が息子と遊びにきていました。その孫は息子の前妻の子供で、その前妻とその企業家は今でも楽しそうに交流しているのです。その場には息子もいて、近々新しい女性と結婚するということなのです。その息子と私とは友人でもあり、その後ハワイで行われた彼の結婚式に招かれ、楽しいひとときを過ごしたのは去年のことでした。
 しかも、その前年のクリスマスに、前妻の家のパーティーに、私とその友人とフィアンセが招かれたこともありました。
 
 例えば、暴力やハラスメントなど、本人が許すことのできないケースでの離婚であれば、その後二人が会うことはあり得ないでしょう。しかし、ライフスタイルの違いや、生きる目標を共有できないなどといった理由での離婚の場合は異なります。彼らが、別れた後も二人の新しい関係を築きながら、周囲とも良き友人として我々が思うよりもあっさりと付き合ってゆくことは、アメリカなどではごく普通にあることなのです。ブルース・ウィリスのそばに優しくデミ・ムーアが寄り添っていることに日本のマスコミが驚くことの方が、むしろ向こうの人から見れば不可解なことかもしれません。
 

人間関係や病気の公表に見える日本の意識

 過去の行き違いは行き違いとして清算したあとは、未来に向けてお互いに良い関係を作っていこうという姿勢は、単に離婚した本人だけではなく、新しい夫婦を含めた家族やその関係者全体に見えることで、そこには日本での人間関係に対する意識との大きな開きを感じます。
 
 例えば、ある会社を辞めた人が、ドライに元の上司や同僚、あるいは経営者とのネットワークを深めることができるかどうか。また、過去の特定の人間関係が故に起きたトラブルを、新しい関係を作ることで乗り越えて、より建設的な人と人とのつながりを作ることが可能なのか。
 日本では、まだまだこのあたりに人のネガティブな情が絡み、思うようにいかないことが多いようです。
 
 次に、認知症やがんといった病についても、似た文化の違いがあります。
 最近でこそ病気であることを公表し、記者会見に臨む知名人も見かけますが、多くの場合、病気は極めてプライベートなこととして、人はあまりそこに触れません。欧米では、逆に病気は誰にでも起こりうる人間の運命として、率直にそれを受け入れ、家族と共にそれを公表するケースが目立ちます。もちろん、これは個人の考え方によって違いはあるものの、社会が病気にどう向き合うかというときに、社会全体がそれを人間共通のこととして共有して自然に捉える風習は、闘病する本人にとっての心のケアにもなるのかもしれません。
 
 私の母親は数年前に他界しましたが、長年認知症を患っていました。まず、本人がそれを認めることを拒むために、初期の段階で必要な介護を受けてもらうために、ときには本人に嘘を言って、病院に連れてゆくこともありました。
 本人と病を共有し、それをさらに社会と共有する意識が希薄であれば、多くのお年寄りは迷惑をかけるとか、プライドが許さないという気持ちが先にたち、現実を受け入れにくくなります。そして社会や家族と一緒にケアを共有し、人生を豊かに過ごそうという気持ちに切り替えることが困難になります。
 

声を上げられず孤独に苛まれるねじれた日本社会

 ある意味で、日本の社会はこの数十年で核家族化が進み、特に地方都市も含む都会では、プライバシーへの意識が強くなりました。ですから、何か通常と異なったことが起きたとき、そうした問題を扱う慈善団体などに相談しない限り、本人も課題を解決できず、孤独に苛まれてしまうケースも多いはずです。
 施設や病院という機能としての設備は整っているかもしれません。しかしその分、社会全体で課題を共有し、明るく扶助しあう意識の希薄化が見えてきます。これが制度だけ欧米化した日本社会のねじれなのかもしれません。
 
 ブルース・ウィリスとその家族、関係者のインタビューについての報道を見て、その自然な振る舞いにどうなってるんだろうと驚くコメンテーターも、ある意味で日本文化のねじれの中で意識の麻痺にさらされているのでしょう。
 

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『Postcards from a Bilingual Family 日×米家族の11年』田村 記久恵 (著)、Steve Ballati (訳)Postcards from a Bilingual Family 日×米家族の11年
田村 記久恵 (著)、Steve Ballati (訳)
『朝日ウイークリー』(朝日新聞社)にて11年間連載された英文イラストエッセイが一冊の本になりました。
日本人の妻とアメリカ人の夫、そして2人の子どもたちのバイリンガル・ファミリーの暮らしは毎日が“異文化コミュニケーション”! その日常を、オールカラーのイラストとわかりやすい英語に時々日本語で、楽しくご紹介。英語を学びながら、異文化や多様性、国際結婚やバイリンガル育児についての理解も深まる一冊です。

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