タグ別アーカイブ: ルソン島

コロナウイルスが見せるもう一つの南北問題

“Utility companies have suspended meter readings and bill deliveries following the month-long coronavirus quarantine in Luzon.”

(長期に及ぶコロナウイルスによる隔離措置に対応し、ルソン島では水道や電気など公共料金の請求を留保)
― マニラタイムズ より

フィリピンへの出張中止と困惑

 新型コロナウイルスによって世界が閉ざされ、人々はますますネットでのコミュニケーションに頼って仕事をしようとしています。
 こうしたとき、異文化への理解がどれだけ大切かが痛感されます。
 
 3週間前のことでした。私は台湾への出張のついでにフィリピンまで足を伸ばし、現地オフィスのメンバーとの打ち合わせをしようと考えました。コロナウイルスが世界規模で甚大な脅威をもたらす直前のことで、日本と韓国が要注意国となっていたタイミングでの出張予定でした。
 
 私は従業員への配慮から、マニラから離れたフィリピンの現地オフィスを訪ねるのではなく、主要な社員にマニラに来てもらい、安全で清潔なホテルの会議室で打ち合わせをし、そのまま帰国することを考えていました。
 台湾では、関係者がこうしたときにわざわざ訪ねてきてくれたことを感謝され、有意義な打ち合わせができました。
 しかし、日本を発つ前日にフィリピンのマネージャーから連絡があり、社員の母親が心配しているので、マニラまで出張ができないかもしれないという連絡がありました。
 
 首都マニラのインターナショナルホテルでの打ち合わせにもかかわらず、何を心配しているのかと、多少心外にも思ったものでした。もちろん、マスクも消毒用アルコールも用意し、相手に不快感を与えないように配慮しての出張です。
 しかも、台湾では公共の場所では誰もがマスクを着用していたものの、取引先のオフィスでの打ち合わせは、いつもと変わらずマスクもなしで、活発に進み、その後夕食を一緒にするという状況でした。
 結局、マニラでの打ち合わせはキャンセルとなり、私は台北から直接帰国したのです。
 
 その数日後、台湾での外国人の入国禁止が発表され、それに追い打ちをかけるようにフィリピンのルソン島セブ島での同様の措置が発表されました。
 私はその直前に台湾で面談ができ、ほっとしたわけです。同時にこれからフィリピンのオフィスをどのように管理しようかと困惑しました。
 

現地の人々が感じている恐怖

 さて先日、そんなフィリピンのマネージャーとSkypeで連絡を取りました。
 彼女は早々に近況を報告します。まず、フィリピンでは私が出張を計画していた頃から、コロナの感染者数は少なかったものの、マニラなどで医師が肺炎で死亡するケースがいくつかあり、さらにコロナ感染が疑われても検査の準備ができないままに死亡するケースも増えていたということでした。
 今、ルソン島では午前5時から午後1時まで、一家族一人まで食料調達など生活のための外出しか許可されず、違反すると逮捕されるという厳しい規制がしかれています。
 
 マネージャーもオフィスへ出勤できず、社員によってはネット環境が十分でないところに居住している者もいます。さらに問題は、銀行のサービスも人手の関係で制限され、日本からの送金が無事に銀行に届き、給与を支払うことができるかどうかも懸念材料だと、彼女は言います。しかも、受け取った資金を社員にどのように給与として届けるかということも深刻な課題です。現金を手渡すことが当たり前のフィリピンでは、これは我々が思う以上に悩ましい課題です。
 しかも、社員によっては、そのわずかな給与で一家を支え、銀行口座も保有していない人がいます。給与が文字通り現金として手渡されないときは、そのまま生活の維持ができなくなるという深刻な事態につながるのです。
 
 コロナ感染の実態がつかめないまま、医師まで含む死者や病人が増えているために、フィリピンでは政府が非常事態を宣言しているのです。
 しかも、私のオフィスの社員が住む地方都市では、我々が考えるような隔離や医療従事者を保護する設備が充分ではありません。病院自体が危険な環境にさらされている中で、喘息やアレルギーをもつ一部の社員は、疾患があっても見えないウイルスが怖くて病院に行けません。彼らはこうした状況でマニラへ出張することに恐怖を感じていたわけです。
 
 私たちが恵まれた環境で考え、感じていることとはまったく異なる不便さ、さらには生命への脅威があることに私がいかに鈍感であったかを、彼らのその後の状況を知るにつけ反省させられたのでした。
 
 私がそんなやりとりを現地としていた頃、セブ島では私の知人の日本人が奮闘し、1000名の日本人語学留学生を帰国させるために日夜働いていました。フィリピン航空と交渉し、日本への帰国便を2便チャーターしたのです。本来なら日本政府の仕事ではないかとも思うことを、彼女ら現地を知り尽くしている人々が昼夜駆け回って手配したのです。
 

©岐阜新聞社

現状に目を向けた適切な行動を

 今、世界中がコロナ感染に翻弄されています。しかし、フィリピンなど途上国を見舞う恐怖とは対照的に、この3連休で穏やかな日が続いた日本では、なぜか観光地も賑わったと報道されています。アメリカでは、政府の警告を無視してビーチなどで騒ぐ若者の姿がテレビに映ります。
 
 コロナの感染では、若者の不用意な行動が、体力のない老人や病人に深刻な影響を与えることが繰り返し報道されています。そして国際的には、ここに紹介した典型的な「南北問題」にも影響を与えているのだということを、我々は理解しなければならないようです。
 

* * *

誰も守ってくれない、世界で最も貧しい人たち

『Unseen Faces, Unheard Voices』リビングストン&都・アーミテッジ (著)Unseen Faces, Unheard Voices』リビングストン&都・アーミテッジ (著)

この本の登場人物は,主にアフガニスタン、カンボジア、ネパール、パキスタンに住んでいる。彼らは国家という枠組みの外に生きており、栄養も教育も医療も、雇用の安定も、身の安全すらなく生活している。社会的に排除された人々が見せる人間としての尊厳―その目を見張る美しさを通して、彼らの苦しみに光を当てる写真集。日英対訳。

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東南アジアの現実を象徴するフィリピンの対中政策とは

©Nilkkei Inc.

“President Rodrigo Duterte of the Philippines speaking in the House of Representatives in Manila on Monday. He told lawmakers it was impractical to stand up to China’s military might.”

(フィリピンのドゥテルテ大統領は、マニラの議会において、中国の軍事力に対抗することは得策ではないという見解を述べる)
― New York Times より

米軍が放棄した空白地帯を虎視眈々と狙う中国

 フィリピンの首都マニラから北に2時間少々車で移動したところに、クラークという飛行場があります。現在ニノイ・アキノ国際空港(改称前はマニラ国際空港)に次ぐ、第二の民間航空のハブとして整備が進められています。しかし、28年前までは、そこには南シナ海に睨みを利かせるアメリカの空軍基地があったのです。今、クラークに行けば当時の施設が打ち捨てられたままあちこちに残っていて、あたかも現代史の遺跡に迷い込んだかのような錯覚に襲われます。
 
 しかし、その当時、アメリカの目は東西冷戦の終結と、その後の秩序の維持に向けられていました。アメリカ軍がフィリピンから撤収した南シナ海に大きな空白地帯が生まれ、そこに急成長した中国が積極的に進出してくることを明快に予測した人は誰もいなかったのです。当時、日本はバブル経済による繁栄が終わる直前でした。同じ頃、中国はまだ天安門事件などの横揺れを経て、徐々に体制を整えていました。そんな彼らに、日本やアメリカの様子はどのように映っていたのでしょうか。
 

Clark International Airport

沖縄を「最後の砦」としたいアメリカの思惑

 今年8月末にフィリピンのドゥテルテ大統領が中国を訪問し、習近平国家主席との首脳会談に臨みました。そこで彼は、フィリピンの領土が中国に侵害されていることを訴えますが、中国はその批判を一蹴します。中国は南シナ海を自国の主権の及ぶところであるという主張を崩さないのです。これはフィリピンのみならず、隣国のベトナムやマレーシア、さらにインドネシアに至る広大な地域にとって見逃せない脅威になっています。クラークとその西にあったスービックというフィリピンでの軍事拠点を放棄したつけに、今アメリカのみならず、東南アジア全体が苦しんでいるように思えます。
 
 一方でドゥテルテ大統領にとって、中国の経済力を無視するわけにもいきません。8000以上の島々を抱え、そこに1億人以上の人が住んでいるフィリピンは、インフラが整備されないままグローバル経済に飲み込まれようとしています。マニラの渋滞もさることながら、どこに行くにも鉄道がなく、ルソン島には民間機が発着できる飛行場も、マニラを除けばほとんどありません。中国の経済援助を期待しながらも、領土問題の脅威には抵抗したいという矛盾を抱えているのです。
 
 そもそも、アメリカはベトナム戦争で多大な犠牲を払ったことから、1973年以降、東南アジアへの軍事的な投資には消極的でした。もっと言えば、沖縄さえ押さえておけば、朝鮮半島から東南アジアまで睨みを利かせることができると思っていました。ということは、フィリピンの抱える問題は、日本と無縁ではないのです。
 日本から見れば、そんなアメリカの意図を踏まえて、自らの立ち位置を振り返る必要があります。日本が米軍基地の維持に国民の税金を投入している現実を見るとき、我々はともすれば、それは日本を北朝鮮や中国などの脅威から守るためだと考えがちです。しかし、沖縄がアメリカにとって捨てることのできない、南シナ海への「最後の砦」であるということを指摘するマスコミや政治家がほとんどいないことには驚かされます。日本に基地を維持したいのはアメリカであって、そのニーズは日本のニーズ以上に喫緊の課題なのだということを、知っておく必要があるのです。
 

普天間飛行場 ©The Okinawa Times

フィリピンの対中政策が抱える矛盾

 実は、ドゥテルテ大統領が今回、あえて領土問題を中国側に主張したことには理由がありました。今年の6月9日のこと、フィリピンが排他的経済水域であると主張する南シナ海で、中国のトロール船がフィリピンの漁船に衝突し、そのまま立ち去るという事件が起きたのです。幸い、被害を受けたフィリピンの漁民は、近くを航行していたベトナムの船舶に救助されました。しかし、この事件を契機に、フィリピン国内で中国を批判する声が高まったのです。しかも、この事件の後に、中国政府は事件の真相をしっかりと検証する前に、中国側を一方的に批判したフィリピンの世論に強く反発し、ドゥテルテ大統領も中国への厳重な対応をしないままに事態の沈静化を測ったのです。
 これが、中国の大国としてのエゴに翻弄される東南アジアという図式の象徴として捉えられ、フィリピン国民のみならず、ASEAN諸国でもドゥテルテ大統領の対応への批判が集中したのです。
 
 南シナ海の領有権を巡って軍事的には対立しながらも、中国を本気で怒らせ、経済制裁などへと繋がっては困るというのが、脆弱な経済基盤に悩むフィリピンの指導者、ドゥテルテ大統領の本音だったのかもしれません。だからこそ、今回の大統領の訪中は、彼の外交手腕を評価する上でも重要なイベントだったのです。
 しかし、中国との経済協力の重要性を表明しながらも、領土問題では要求を一蹴されたことに、フィリピンの世論は失望しているというのが現実です。
 

©The Asahi Shimbun

東南アジアの現実に対応すべき日本の愚かさ

 東南アジアの現代史を見ると、70年代を契機に地域の様子が大きく変化したことに気付きます。ベトナム戦争の敗北でアメリカ軍が撤退した頃と重なって、ベトナム、マレーシア、さらにインドネシアなど多くの国が、それぞれの政策は異なりながらも経済的に自立を始め、国力も安定してきます。
 アメリカとは経済的に連携していればそれで充分、というムードが東南アジア各国に広がったのです。さらに、フィリピンやカンボジアでは、政変を経て民主化も進みました。皮肉なことに、50年代から60年代まで、東南アジアの多くの国には独裁者が君臨し、東西の冷戦での駆け引きのため、彼らはアメリカの支援を受けていたのです。
 民主主義と自由主義の砦であると自負するアメリカが、韓国からフィリピン、さらにはベトナムやカンボジアといった、広大な地域で独裁者を支えていたという皮肉な実態があったのです。
 ですから、東南アジアが民主化され、フィリピンからもマルコス大統領が国を追われ、ベトナムは南ベトナムに君臨していた政権が崩壊し、社会主義国として統一されると、アメリカはあえてこれらの地域に、以前のように深く介入することができずにいたのです。
 
 アメリカの軍事的なプレゼンスを受け入れることの是非はさておき、相変わらず弱肉強食の論理で動く国際社会の現実にどう対応したらよいのかというテーマは、日本人にとって人ごとではないということだけは知っておくべきことと言えましょう。
 こうした現実を鳥瞰すればするほど、本来、協力関係にあれば国際社会に様々なカードを提示できるはずの、日本と韓国との「冷戦」ほど、愚かなことはないのではと考えるのは、私一人ではないはずです。
 

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アジアの人々と働くこと

『なぜ銀座のデパートはアジア系スタッフだけで最高のおもてなしを実現できるのか!?』千葉祐大 (著者)なぜ銀座のデパートはアジア系スタッフだけで最高のおもてなしを実現できるのか!?』千葉祐大 (著者)
価値観の違うメンバーを戦力化するための17のルール!
訪日外国人の数が、毎年過去最高を記録している現在の日本。お客さまが外国人であれば、接客する側も言葉や文化を理解している同国人のほうがいいと考えるのは当然のこと。
しかし、「はたして外国人に、日本人と同じレベルのおもてなしを実践することができるのか」「どうやって、外国人におもてなしの教育をすればいいのか」と、懸念や疑問を持つ現場関係者が多いのも事実です。
本書は、外国人とりわけアジア系人材を、おもてなし提供者として育成する教育方法について、銀座のデパートで実際に行われている事例を取り上げながら、詳しく解説します。

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