ブログ

南北問題の悲しい対立を象徴するノーベル平和賞

Philippine court allows Maria Ressa to attend Nobel Peace Prize ceremony after days of growing international pressure on the government.

(このところ国際的に広がりを見せた政府への圧力に、フィリピンの裁判所は、マリア・レッサ氏がノーベル平和賞の授賞式に参加することを許可)
― New York Times より(一部編集)

フィリピンの「報道 vs. 政権」という図式への疑問

 今年のノーベル平和賞は、フィリピンのジャーナリストのマリア・レッサ氏と、同じくロシアのジャーナリスト、ドミトリー・ムラトフ氏の2人に贈られました。2人に共通しているのは、報道の自由を求めて様々な活動を行い、フィリピンやロシアでの報道に対する抑圧と闘ってきた経歴を持つことです。
 今回はその2人の中で、マリア・レッサ氏の受賞について解説してみたいと思います。
 
 まず、彼女の経歴を紹介します。彼女はフィリピンで生まれ、母親の再婚相手がアメリカ人であったことから、アメリカで教育を受けました。プリンストン大学で分子生物学と共に演劇を学び、その後フィリピンに戻り、フィリピン大学(University of the Philippine Diliman)でジャーナリズムを専攻しています。
 そんなアカデミックなキャリアを背景に、ジャーナリストとしてCNNのマニラ支局長などを歴任し、その後もテロやアジアの政治問題などをテーマに、多くの報道や記事を世に送り出してきました。そして、2012年にはフィリピンで初めてのオンライン・ニュースサイト「ラップラー」の創設に携わり、同社のCEOを務めました。
 ここまで解説すると、彼女の素晴らしい経歴が見えてきます。しかし、それだけではノーベル平和賞の受賞理由として充分ではないはずです。世界中で同様の活動をしているジャーナリストは数多くいるはずだからです。
 
 彼女が注目されたのは、ラップラーがフィリピン当局と対立したときでした。マリア・レッサ氏は、麻薬や賄賂を撲滅するために強権を発動しているドゥテルテ大統領を批判していました。大統領が、警察官が被疑者を射殺することを容認したり、容赦なく不衛生な拘置所に収監したりしたこと、さらに対立する政治家を賄賂撲滅のために威嚇する政策に対して、人権の蹂躙であるとして批判活動を展開したのです。
 そんなとき、ラップラーが米国資本に操られているとして、政府によって活動停止を命じられ、マリア・レッサ氏自身もメディアによる名誉毀損容疑で逮捕されたのです。こうした報道への抑圧に対して、彼女が屈することなく抗議を続けたことが、ノーベル平和賞の受賞につながったのです。
 
 この事実だけを見ると、彼女の勇気ある行動に拍手を送る人も多くいるかもしれません。しかし、ドゥテルテ政権を悪役とし、マリア・レッサ氏を「正義の味方」にする、という図式のステレオタイプ化には疑問が残ります。むしろ、この受賞の背景には、ノーベル平和賞のあり方への疑問、さらには先進国の尺度では測れない南北問題が抱える複雑な現実が、かき消されているようにも思えてならないのです。
 
 誤解を避けるために強調したいのは、報道の自由は極めて大切な権利であり、権力がそれを左右することは危険な暴挙であるということです。ジャーナリズムは、政治や権力に必要不可欠なチェック機能を果たしています。それを否定はできません。
 しかし、例えば、フィリピンでの社会問題の根深さにふたをして、ただドゥテルテ大統領の強権政治を批判することは、思わぬ誤解を世界に与えるリスクがあることも事実なのです。
 

ノーベル平和賞の授賞式が行われるオスロ(ノルウェー)

治安の悪さや政治の腐敗、フィリピンが抱える社会不安

 フィリピンのドラッグ問題は、地元で反社会グループが執拗にはびこることで、一般社会にも深刻な影響を与えていました。一種のテロ活動と同様で、縄張りをめぐる抗争などで命を落とす人も多く、撲滅活動をすれば暗殺や誘拐の標的にされる脅威もありました。しかも、地方に行けば行くほど賄賂が横行し、公正な行政活動が阻害されてきました。そうした社会に公然と挑み、強権を振るったドゥテルテ大統領は、一時支持率が90%を超える勢いでした。
 確かに、社会不安の除去に警察権力を容赦ないかたちで導入した彼の政策を、人権を無視したポピュリズムだと批判することはできるかもしれません。しかし、フィリピンの市民が、混沌とした社会の中で常に危険に怯えていた様子を、メディアが同じ規模で海外に報道していたかというと、そこには疑問が残ります。
 
 私はフィリピンのルソン島にある、ダグパンという町にオフィスを持っています。そこで働く社員は常に病気にかかることを恐れています。それは、ささいな病気が命の問題につながる、フィリピンの地方都市における医療の実態からくる恐怖です。
 コロナが蔓延し始めたときの彼らの恐怖は、日本でのそれとは比べものになりませんでした。では、なぜ医療施設が充実していないかといえば、病院を建てるという公共事業に賄賂がからみ、政治の腐敗が影響を与えてきたからです。
 ダグパンの場合、港に流れ込む川の護岸工事も手順が悪く、いまだに雨季には洪水が街を飲み込みます。台風のたびに市民は2階に避難し、床上浸水は日常のできごとです。当然、衛生面にも影響が出てくるはずです。
 また、コロナでの行動制限の命令を盾に取って、警察官が少しでも建物の外に出た市民をつかまえ、拘束から逃れたい市民に賄賂を要求している事実もあるようです。指を3本上に向ければ3000ペソ、下に向ければ300ペソという暗号で、市民から現金を奪っているのです。
 
 こうした事情が、人口や国土の大きさ、そして国民の多くが英語を話すことができるという将来性がありながら、経済発展が遅れがちになっている原因なのです。
 この原因は、フィリピンが長い間スペイン、そしてアメリカの植民地であったことや、戦争中に日本の侵略に見舞われたことと無関係ではありません。特にアメリカは、そうした賄賂にまみれた政権を、冷戦下での軍事的な目的もあり、長い間支持してきました。アメリシャンやジャピーノと呼ばれる、アメリカ人や日本人との間に生まれた孤児も多くいました。こうした負の遺産を克服し、民意を育て、国を発展させることの困難さは容易に想像できるはずです。
 

ノーベル平和賞、そして「民主主義」が掲げる理想とは

 マリア・レッサ氏は、確かに優秀で勇気あるジャーナリストだと思います。しかし、彼女はフィリピンとは比べものにならない豊かな国アメリカで教育を受け、そこでの民主主義の理想をもって、ドゥテルテ大統領と対峙しました。そんな彼女にアメリカの民意が声援を送り、その声援がノーベル賞へのマイルストーンとなりました。
 もちろん、マリア・レッサ氏へのフィリピン政府の対応には疑問があり、怒りも感じます。しかし一方で、彼女とフィリピンの一般民衆との意識のギャップこそが、南北問題や世界の格差問題を象徴していることを、ここで押さえておきたいのです。
 ノーベル平和賞がともすれば政治的な賞で、それ自体が一つのポピュリズムではないかと批判されている事実が、今回の受賞からも見えてきます。
 
 全ての国にはそれぞれの長い歴史による足かせや手かせがあります。それを無視して、単に欧米流の民主主義の理想をもって相手を批判しすぎると、それはかえって欧米からの偏見と誤解され、人々の反感へとつながります。その典型的な例が、今年世界に衝撃を与えたアフガニスタンでのタリバンの台頭だったはずです。
 人類はともすれば、自らのもつれた紐を無理やり焼き切ろうとしがちです。しかし、価値観の押しつけは逆に民主化への道筋を妨げ、その結果、期待とはまったく逆の結果へと人々を導いてしまうこともあるのです。
 バイデン政権が主導した民主主義サミットで本当に議論しなければならなかったことは、そうした人類の課題なのではないでしょうか。
 

* * *

『日本語ナビで読む洋書 What is Global Leadership?』山久瀬 洋二(ナビゲーター)/アーネスト・ガンドリング、テリー・ホーガン、カレン・チヴィトヴィッチ(原著者)日本語ナビで読む洋書 What is Global Leadership?
山久瀬 洋二(ナビゲーター)/アーネスト・ガンドリング、テリー・ホーガン、カレン・チヴィトヴィッチ(原著者)
世界を舞台に活躍することを目指すビジネスパーソン必読の書!
本書は、「グローバルリーダーシップ」という概念をアメリカ人に浸透させたロングセラービジネス書を日本人向けのやさしい英語にリライトし、日英対訳にしたものです。
日本企業が世界進出で成功するために必要な組織論と、リーダーシップの概念を学べます。文化の違いを理解し、さらに会社としてのビジョンやモラルを現地に導入し、かつ現地が独立して新たなリーダーを育て、自立して世界レベルの作業に貢献できるリーダーシップを育てるにはどうしたらよいか、また新たな時代が求めるグローバルリーダーシップとは何か、がわかります。

山久瀬洋二の活動とサービス・お問い合わせ

PAGE TOP