【海外ニュース】
The trial of a neo-Nazi suspected of involvement in the killings of 10 people between 2000 and 2007, most of them Turks, opened today in Munich.
(hurriyet daily news より)2000年から 2007年にかけて10件の殺人事件にかかわった疑いでネオナチ関係者を裁く裁判がミュンヘンで開廷
【ニュース解説】
今回はトルコの新聞記事の紹介です。
猪瀬東京都知事のトルコやイスラム圏に対する発言問題が一段落した今、トルコの世論はドイツで起きている裁判に注目しています。
それは、ドイツの極右団体ネオナチの活動家が、2000年から7年間、10件もの殺人事件をおこしたとされる裁判です。そして、10人の被害者のうち、8人がトルコ人だったのです。
この事件は発覚し、容疑者が逮捕されるまでに紆余曲折がありました。捜査も後手にまわり、犯罪を未然に防ぐことができなかったことが、ドイツ社会に衝撃を与えたのです。
Chancellor Angela Merkel has called the killings a “disgrace” for her country and apologized for the fact that suspicion had fallen on some victims’ relatives, which she called “particularly tormenting.”
(アンジェラ・メルケル首相は、この殺人事件をドイツにとって恥ずべきことと非難し、捜査の途中で被害者の親族が疑われたことについて、それは特に痛ましいことだったと陳謝した)と新聞は報道します。
私は以前ライプチッヒでたまたまレンタカーに置き忘れた鞄を盗まれたことがありました。そのとき警察署でいきなり、これは多分トルコ人の犯罪だよと告げられたことを今でも忘れません。
ドイツで労働者として働くトルコ人に対する差別や偏見が、国の社会問題となって既に20年以上。この事件はそんなドイツ社会の暗部を象徴するものとなりました。
ネオナチスは、いうまでもなくナチズムを指示する右翼団体。それは、ドイツ社会での教育や貧富の格差やが生み出した非合法な活動です。もともとナチズムはユダヤ系やジプシーと呼ばれてきたロマの人々などへの露骨な迫害で知られています。そんなナチズムの考えを継承するネオナチの敵愾心が、現在トルコ系の人々に向けられているのです。
ここで歴史を振り返りましょう。
19世紀、弱体化したトルコの王朝オスマントルコは、占領地での分離独立運動に苦しみつつ、北部から南下してくるロシアの脅威にも直面していました。
同じ頃、日本は幕末の動乱を乗り越えた後に直面した、ロシアの極東での南下政策に悩まされます。そして日露戦争をおこし、かろうじて勝利しています。
すなわち、トルコも日本も同じ運命に翻弄された国として、利害も一致し、皇室の交流も盛んでした。
こうしたトルコとの友好関係のシンボルとしてあげられるのが、1890年におきた軍艦エルトゥールル号が紀伊半島の南部で遭難した事件でした。遭難船の乗組員を、おりからの台風で食料不足に苦しむ地元の住民が必死で救済した美談がトルコでも報じられ、日本の軍艦によって遭難者がトルコに送り届けられたときは、熱烈な歓迎を受けたといわれています。
当時、ドイツとトルコも、ロシアやフランス、さらにイギリスなどといった列強に挟まれる新興国として共通の利害を持っていました。
結局第一次世界大戦では、ドイツはトルコと同盟し、結果としては敗戦という憂き目にあっています。
第二次世界大戦が終わって、ドイツの復興が本格的になったとき、トルコ人からみて親しみやすいドイツは格好の出稼ぎ先になったのです。
しかし、移民が増えれば、風俗習慣が異なり言語も異なる人々への差別も起こります。今回の事件はそんな歴史的な延長線上に起きた悲劇だったのです。
日本とドイツ。この二つの国はくしくも19世紀から20世紀にかけて世界の動乱の震源地となりました。そして、この二つの国と共通の利害を認識しながら友好関係を保ってきたのがトルコだったのです。
この猪瀬知事の失言と、ドイツでの裁判との微妙なリンクに気付いている人はそう多くないかもしれません。
it is expected to be intensely scrutinized beyond Germany’s borders. But the court initially failed to guarantee Turkish media seats.
(この裁判はドイツの国境を越えて極めて注目を集めるものと思われた。しかし、裁判所はトルコのメディアの入廷枠を保証しなかった)
同紙はこのように、ドイツの裁判所の対応を批判します。入廷の問題は結局解決したものの、これは被害者としての意識を持つトルコと、国内での殺人事件としてこの問題を意識するドイツとの微妙な温度差を伝えます。
このドイツの裁判が日本であまり報道されない背景は、日本とは関係のない遠い国の出来事だからかもしれません。
しかし、日本でも今、中国や韓国、さらに様々な国から人が流れ込んでいます。そして、そうした人々への排斥運動も社会問題になっています。
ミュンヘンで起きたこの事件は、歴史的背景、そして現代社会の縺れを考える上でも、日本人にとっても共通した課題であるといえるのではないでしょうか。