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「遠慮」が狭める国際交流

「日本人とつきあって一番戸惑うことは、仲良くなろうとしている日本人が突然私と距離を持とうとすることがよくあることです。この人本当に私を受け入れてくれているかと思うんです」

フランス人の友人、そして韓国人の友人がそろって私にこう言いました。

「それってどういうこと?」

「いえね。例えばその人と友達になったとしても、あるところまでいくと、逆にその人との距離が拡大するんです。だから、本当に心から受け入れられていないのではと思ってしまうんです」

「どんなときにそう思うのですか?」

「例えば、いつか家に遊びにきてくださいといわれても、本当に招待されることはないし、どこか温泉にでも行きたいですねといわれても、一緒に旅行することなんてほとんどなし。単なる社交辞令なんですよ。社交辞令ならそれは友人同士の関係とはいえないでしょ。彼らは外国の人とは距離をおいておきたいのでしょうか。」

「確かに、日本人は建前でそうしたことを口にすることがありますね。実は、それは日本人同士でもやるんです。ごく普通の会話で。でも、同じ文化背景とコミュニケーションスタイルを共有する日本人同士なら、ああこれは建前だねと即座に思うんですが、外国の人の場合、それを真に受けて、あとで失望することもあるんでしょうね。」

「それって友人同士でもあるんですか?」

「日本人は、人と知り合いになり、ある程度関係が深まりつつある段階で、相手に対してこれ以上立ち入っていいのだろうか、迷惑じゃないかなと他の国の人以上に思ってしまうようです。この背景にあるのは遠慮という概念です。余リプライベートなとこまで立ち入るのは、かえって相手に迷惑をかけるし、お互いに気をつかってうまくいかなくなるのではと思うんです。その瞬間、相手との関係が、ちょっと引いてしまうように見えるのでしょうね。。そこそこ相手と付き合い、いよいよになると遠慮という考え方によってちょっと引いてしまう。これが日本人が海外の人に誤解を与えてしまう原因となるのです」

日本人は、相手が何かしてくれた場合、遠慮するためそのオファーを断ることもなかなかできません。フランクにできることとできないことを言えばいいのに、ついつい無理してしまいます。
そんな無理をなくすためには、相当深い友人関係が必要です。その段階に至る前に、日本人は相手に対してついつい気を使ってしまい、自分も深く入って無理をしないようにという、回避への動機が働くのです。
このことは、例えば日本より個人と個人のつながりがビジネスにも影響を与える韓国の人などにとっては意外な対応ととられ、日本人は我々を避けているのではという誤解へとつながるリスクがあるわけです。

「そうなんです。日本人とつきあって、そこがびっくりする瞬間なんです。そんなとき、何か突き放されたようないやな思いになりますね」

ある韓国の友人が、いつかそう話してくれたことがありました。

日本人なら、こうしたとき本音と建前をうまく見極め、さらに人間関係が深まった段階で、本音の部分をより多くだして交流できるように、時間をかけて人間関係を深めてゆきます。
しかし、日本流の本音と建前が理解できない海外の人は、このプロトコールが読めずに、思わぬ失望へとつながるのです。

海外の人とつきあって、相手の申し出への返答や、自分からの気持ちを表明するとき、日本人の尺度での建前によって相手に意思を伝達しようとしても、うまくいかないことがあることを、知っておきましょう。相手の気持ちを考えすぎたり、遠慮しすぎたりして、ついつい本音を言わないコミュニケーションスタイルを見直してゆくことが大切なのです。
「明日、一緒に映画に行かない?」
と聞かれたら、断れずにしぶしぶ行くのもまずければ、曖昧にしておくこともさらに問題です。無理なら無理と率直に表明し、本音の自分の意思を伝えながら人間関係を深めることが大切です。
これは、個人の人間関係とビジネスでの交流とを分けがちなアメリカ的なビジネス文化の場合でも同様です。イエスとノーをはっきりいうことが、相手との信頼関係の創造の第一歩というわけです。そうです、ノーと言って断っても構わないのです。なぜノーなのか、その理由をしっかりと表明さえすれば、例え相手の誘いを断っても、相手との人間関係にヒビがはいることはないのです。

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