ある子供のはなしです。
その子は、三重県のある街に住む小学校6年生。今、ブラジルの古武道カポエイラに熱中しています。
カポイエラの起源には諸説あって、アフリカから連れてこられた奴隷にその源流をみる人もいれば、南米のインディオの間にあった武術にその起源をみる人もいます。
おそらくこれらの要素が融合し、今のカポエイラがあるのかもしれません。
しかし、共通していることは、その基本のステップであるジンガが、ブラジル音楽のサンバの動きに通じるなど、カポイエラをみると、そこから南米の様々な音楽、ダンス、そしてパフォーミングアードへと変化した体の動きをみることができることです。
それは、差別や迫害で手を縛られていたインディオやアフリカ系の奴隷達が、その制約の中で体を動かし、護身術を体得していったことから育った武道なのです。
話は飛びますが、中国に太極拳があることは、ご存知の通りです。
太極拳の型は、元々少林寺で産まれた少林拳に由来するときいていますが、私も詳しいことはわかりません。
ただ、徒手で戦うという制約の中から発展した武術が、今では太極拳を通して呼吸法や健康法、ひいては中国文化にある気の考え方に基づいたリズムや流れへと受け継がれていることは周知の事実です。
カポイエラも中国や東アジアの拳法も、制約や束縛から発展した武術なのです。
中国の武道が徒手という制約から発展したとするならば、カポエイラは手の拘束から足の動きを重点に発展した武道なのです。
制約や束縛が、文化活動へと発展した事例は他にも多くあります。
例えば、アメリカでは、黒人奴隷が文字を読めないという制約の中から、聖書をリズムやメロディにのせて学んだことがブルースを生み、ジャズへと発展しました。制約や束縛が人の動きを純化し、そこで培われた型が、今度は自由に音楽や舞踏などに、更に芸術全般にまで影響を与えていったことを考えると、そこに人間の歴史の悲しくも複雑で、したたかなエネルギーを感じ取れます。
私がなぜこのようなことを書いているかというと、それにはわけがあります。
知人の子供が今カポエイラを学んでいるとき、その子はおそらくその動きや格闘術のかっこよさに魅了されているのかもしれません。
また、その地域で生活するブラジル系の友人との交流の楽しさがその背景にあるのかもしれません。
そして、その子が学んでいるカポエイラから広がる世界の広さは、ここに解説した通り、南米全般の文化へと拡大し、さらにグローバルな文化史への共通項へとつながるのです。
そうした領域までその子が可能性を広げ、好奇心を持ち続けられるかは、本人の今後の課題でしょう。しかし、我々はともすれば、一つのことを見詰めたとき、その背景に思わぬ世界が広がり、そこにその時は見えてこない可能性が拓けていることに気付かないものです。
その子は今親と共にカポエイラに没頭しています。
親はこの活動を通して、子供にここで解説したような可能性を与え、同時にそこに住むブラジル系の人々との交流を通して、地域活動とグローバルな世界とをリンクさせることができます。
そして、子供はそれを体験することで、将来の人格形成に広がりを持たせることができます。
日本のいわゆる詰め込み教育が、こうした可能性を潰さないことを祈るばかりです。むしろ、その子がこれから学ぶ社会科や歴史、英語や音楽の授業の中で、ただ、年代や都市名、英単語を暗記する無駄な作業に注力するではなく、カポエイラから広がる世界をそこでの知識とリンクできるようになればしめたものです。
今年の5月に仕事で南米のペルーを旅しました。
ペルーはインディオの文化が色濃く残る国として知られています。
いうまでもなく、インディオの文化の中には、被征服民族として混血が進み、従来の宗教や文化と、後年半ば強制されたキリスト教文化が混ざり合って共存しています。このブラジルの隣国ペルーの文化も、カポエイラの発展とは無縁でないという人もいるのです。
カポエイラも制約と束縛の上に、ペルーにみられたような混合という要素が絡まった、ユニークな武道として今に至っているのです。
三重県でカポエイラに没頭する小学校6年生の子が、この古武道を通して、世界の有様を知ってゆくためのフックができることを祈りたいと思います。