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今後問われる法や規定の運用の問題とは

Shoko Miyata, the 19-year-old captain of the Japan women’s artistic gymnastics team, has withdrawn from the squad for the Paris Games after violating the team’s code of conduct by smoking, the Japanese Gymnastics Association said on Friday.

(日本の体操女子のキャプテン宮田笙子は19歳で喫煙したことがチームの規定に反することから、チームから離脱することになったと日本体操協会が発表)
― ロイター通信 より

世界の人権蹂躙と体操女子パリ五輪出場辞退

 21世紀が4分の1を経過しようとしている今、我々は改めて今世紀の残りをどのようにつくってゆくか考えなければなりません。
 
 今回は、人権について解説します。
 なんといっても、相手への報復や懲罰を理由にウクライナやガザでおきている戦争に市民までが巻き込まれ、深刻な人権蹂躙がおきていることは、周知の事実です。7月19日にオランダのハーグにある国際司法裁判所が、イスラエルがガザやヨルダン川西岸、東エルサレムなどに軍を駐留させていることは重大な国際法違反であるという勧告を出しました
 しかし、実際に国際法違反という勧告で殺戮や抑圧を抑えることができるのかは、極めて疑問です。大国の政治論理や利害のはざまで、実際にどこも、そして誰も強権を発動できません。
 
 そんなとき、北朝鮮では、韓国ドラマを楽しんだというだけで30名の中学生が公開処刑されたというニュースが伝えられてきました。ハーグの勧告の5日前のことです。この痛ましくも残酷な事件の向こうにあることも同様です。
 こうした人権蹂躙がありながら、核の抑止力と、ロシアなどとの強い外交関係のために、国際社会がそれに対するアクションをおこせないのです。さらに、主権国家の中の問題に立ち入ること自体が、過去の戦争などの体験からタブーになっている以上、一つの国家の中で踏み躙られている人権問題へのアプローチはますます困難になっているのです。
 
 アメリカはこうした課題に対処するために、強大な経済力を使った制裁という手法で圧力をかけています。しかし、この行為も超大国同士の利害の対立が絡んで迅速な効果にはなりません。
 これは昨年イランで宗教的抑圧への抗議運動がおきたときも同様でした。国際社会は結局、抗議した人々が拷問を受け絞首刑に処せられる様子を黙って見ていることしかできませんでした。
 
 そして、つい先日、日本でも悲しい事件がおこりました。それは、体操女子の宮田選手が未成年で喫煙・飲酒をしたことで、パリオリンピックの出場辞退に追い込まれたことです。
 ここで、一部の識者による、もうすぐ二十歳になる選手がおかした、傷害や窃盗事件などとは異なる軽犯罪によって、ここまで個人を追い込んでいいのだろうかという発言がありました。確かに、この事件を公にし、名前を公表しながら出場を辞退させた行為には疑問が残ります。もうすぐ二十歳になる少女のちょっとした過ちを、大人が堂々とかばうことのできない日本の風土がそこにあります。彼女の心の傷を思えば、それは大きな人権侵害といえるでしょう。
 
 では、彼女の五輪出場を認めれば、公平性や「規律は規律」という観点で、そこにまた非難が集中します。また、それをおそれて、「いいか、二度とするなよ。今回は私が責任をとるから」といって五輪に出せば、あとで隠蔽したとか、不正があったということで、善意がゆえに温情をかけた関係者がマスコミに吊し上げられるのも事実でしょう。ですから、大人が誰も本音でしっかりと発言できないことで、一人の少女の人権、そしてその将来が蹂躙されていることに、社会はただ沈黙しているのです。
 極端にいえば、北朝鮮でおきたことも「規律は規律」という国内法違反であり、日本でおきたことも似たようなケースであるという事実を誰が指摘しているのかと思ってしまいます。
 

国内外で問われる規定の束縛と制度の硬直化

 日本社会で誰もが規定に縛られ、動きがとれなくなっていることは、そのまま国際社会の硬直化へとリンクした現象です。ただ、確かに日本には原則主義にとらわれすぎる文化的特徴があることは否めません。
 この100年間を通して、多くの国家で法の支配や国家主権の尊重などという国内外の制度が整いました。しかしその後、そうした制度が厳格に運用されるなかで、逆に一人ひとり、あるいは事件ごとの事情を斟酌しがたくなったことで、制度の硬直化が進みました。また、日本には、そうした硬直化した制度に対してものを言えない組織や大人を育ててきたという教育の問題もあるでしょう。
 
 ここで問われている課題は、国際社会にしろ、国内問題にしろ、ことの大小を問わずに共通している問題なのです。
 つまり成熟した制度と、その運用についての課題なのです。
 
 20世紀になって、多くの国では法治国家としての制度が整い、そのことで、人々の生活の詳細までもが法によって拘束されるようになりました。それはそれで、法の下の平等という民主主義社会を維持する上では必要なことでした。また、過去の植民地主義から脱却し、世界の人が自らの国を運営できるようになったことで、国家主権の概念が徹底したこともよいことでしょう。
 しかし、制度が整えば整うほど、その運用のありかたが問題になりました。つまり、人間の判断領域が劣化してきたのです。これはそのまま人間の思考能力の退化につながります。今後、法の運用にAIなどが導入されれば、なおさら運用方法の基本となる「情状酌量」のあり方が問われてきます。
 
 その昔、江戸時代には名奉行の情状を配慮したイキな裁きに、庶民の喝采が集まったエピソードが残っています。当時は三権分立という民主主義社会を維持するための基本的な概念がなかったため、一人の有能な官吏が事件などをどう解釈するかに判決の軽重がかかっていたのです。これでは逆に冤罪や情状への感情導入のあり方、さらには、司法に対する他の権限からのチェックもないままに決裁に至るリスクもありました。
 しかし、現在はその名裁きが懐かしく思えるほどに、人々が萎縮して、思い切った活動や発言がしにくくなっています。これも現在の社会における大きな矛盾です。
 この矛盾に煽られるように、SNSでの心無いバッシングや、マスコミの偽善的といっていいような、最初から善悪を規定した上での報道も目立つようになりました。SNSやマスコミによって、常識や良識が法の規定に沿って拡散するとき、制度の運用はますます硬直化し劣化する可能性があります。これは個々の人間力や社会の劣化と同義です。
 
 以前、ソ連の指導者が、「日本は世界で最も成功した社会主義国」という皮肉を言ったことがありました。日本は民主主義国でありながら、国が規定した“常識”に人々が見事なまでに黙って従っている様子を評して、彼はそのように言ったのです。しかし、そんなソ連も崩壊し、新生ロシアもプーチン大統領によって社会の厳しいたがが嵌められた今、世界には日本以上に窒息状態にある地域も増え始めています。
 

法や制度の運用に求められる「融通」の概念

 法や制度の整備とそれに対する運用の問題は、究極のところ社会にどれだけ柔軟で人間社会に必要な「融通」という概念が存続できるかという、個々人とマスコミなどの報道機関、さらにはそれをバックアップする教育や法曹界など、社会全体にかかわる課題です。
 それは今後AIなどが法の判断に導入されかねない将来を見据えたとき、より一層考えなければならない複雑な課題なのです。
 

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Miki Terasawa (著)、井上久美 (訳)
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