その一言が!乗り越えよう異文化摩擦

エグゼクティブ・コーチング (シリーズ半ばの一休み、そしてぼやき)


このところのニュースをみていると、日本人のコミュニケーションのやり方の中に、海外では絶対にうまくいかないだろうなという致命的なミスが見て隠れする。
「ああ、またやってるよ。やれやれ」と思うのだが、当の本人はちゃんと英語を使っていると思い込んでいるから始末に悪い。特に高学歴でプライド高き人々に、この問題を本気で理解してもらいたい。
英語がどんなに上手くても、実はコミュニケーションの方法を誤れば、相手はそのメッセージを英語が上手い分だけ誤解して受け取ってしまう。
逆に英語に多少課題はあっても、相手の思考方法や文化背景にマッチしたコミュニケーションを行えば、その方がはるかに相手との交渉も相手へのスピーチもうまくいく。

トヨタの社長、2年前にアメリカでリコール問題が起きたとき、名古屋で記者会見。海外のメディアに向かって開口一番We had a little bit of problem. (ちょっと問題がおきてしまいました) と、日本人は日本語で「ちょっと問題が」と言えば大問題とすぐに理解する。しかし、欧米の記者は、「a little bit??? 大問題なのに何故小さなというの。この人現状を把握しているのだろうか?」と詰め寄ってくる。日本語のセンスをそのまま直訳したために、それを受けた外国のメディア、さらにはその向こうにいある海外の視聴者に、とんでもない波紋が広がった。

更に数年前、ブリジストンのアメリカンの子会社、ファイアストンのタイヤに不具合があり、フォード車で事故が起きたとき、アメリカの議会の公聴会に呼ばれた日本人の社長は、開口一番「I am not used to be speaking in such place. So I am a little bit nervous. I am sorry」と。
日本流に言えば、「こうした会合には慣れておらず、多少緊張していることをお許しください」という最初によくある挨拶。
しかし、これを受けたアメリカの議員は、「じゃあこのオッサン何のためにここに来ているの。こんな指導力のない人物の言葉は信用できないね」
ということに。
よく英語が下手だとスピーチの最初に謝る人も、「お前さんの英語力のことを気にしているんじゃないよ。あんたがの話す内容が聞きたいの。なんか、頼りない人だね」と、相手に困惑を与えてしまう。
英語で謝るなということの本当の意味は、こうした誤解を相手に抱かせる原因になるからに他ならない。もちろん、明らかにこちらのミスで何かがあったときは、誤ったほうがいいのだが、そこの機微こそが異文化でもっともやっかいなところ。

民主党政権でのアメリカとのコミュニケーションで、一番やれやれと思ったのは、普天間基地の問題で鳩山元首相がオバマ大統領に、必ず問題は解決するのでという意味をこめ、「Trust me」と言ったこと。
アメリカの文化では、trust はとても大切な言葉。でも、それは相手に対し、「I trust you」と言えば相手への自らの信頼を伝えることになるものの、こちらから Trust me「信頼してよ」といえば、「何を担保に Trust できるの」ということになってしまう。
鳩山さんは、英語はできても、この異文化の罠を知らなかった。
これでは、「おいらは親分の部下としてこれからはちゃんと頑張りますぜ。だから信頼してくだせーな」とやくざの手下が親分に媚びているようなもの。
オバマ大統領とその側近は、「ああ、こんなリーダーのいる日本とうまくやれるのかな。確かに噂には聞いていたけど、日本人って変な人たち」と思ったはず。

あの大震災のとき、原発問題で海外メディアに対応した人も同様だった。
要は、英語は喋り、単語も間違いなく使っているにもかかわらず、言っていることがわからない。
日本人は「起承転結」に従って話をするせいか、そのロジックに従って英語を話せば、背景説明だけがいつまでも続いているように聞こえてしまう。それは海外からみれば、何か隠している、逃げようとしているという誤解を植え付ける。案の定、「こりゃ日本は壊滅だ。よほどやばいんだよ。あいつら何か隠している。中国政府と同じ、情報公開がむちゃくちゃだね」と海外のジャーナリストは思ってしまった。
だから、あの後日本にやってくる外国人が危険を感じ激減するという経済的なダメージにつながってしまった。

こんなことが、ことの大小はともかく、世界中で起きている。
大切なことは、こうした異文化での罠に陥るリスクのみならず、そこから発生する損害が思っている以上に甚大だということ。
英語がペラペラでプライドムンムンの優等生であれば、尚更自体は深刻。
オリンピック選手がコーチから指導を受けることを考えてみよう。実際の運動は選手の方がコーチよりもよくできる。だからといって、選手はうぬぼれて、コーチなんかいらないよというだろうか。コーチにはコーチのれっきとした役割がある。そのことを心得て、よいチームワークを造ることが、オリンピックでよい成績を残す秘訣のはず。
日本のいわゆる高学歴者には、企業には、そして行政にも、そこの発想が欠けている。だから同じ間違いを繰り返す。しかも繰り返していることにすら気付かない。

ある人はこうした方がよいと考え行動し、それを受けた人は何を考えているのかと不審に思うのが異文化の罠。例えば日本人は和を保とうと、大きな問題があっても抑制して表明すると、欧米の人にそれが伝わらず、大きな問題ならなぜそう言わないのかと、その人の誠意を疑う。察してくれよと思っても無駄。
そのことを前提に、どう相手と話し、相手を説得し、相手とのコミュニケーションを創造してゆくか。

日本の英語教育の最大の課題は、ここのところを見落として、子供は受験に、大人は TOEIC に血道をあげているのが現実だ。
ますます、「不可解な日本人」が増えてくる。
そして、日本の教育現場はそんな「不可解な日本人」の製造工場になろうとしているといっても過言ではないのだ。

山久瀬洋二の「その一言が!乗り越えよう異文化摩擦」・目次へ

山久瀬洋二の活動とサービス・お問い合わせ