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「仁」と異文化、ボーダーレスな時代の課題とは

Ren(仁) characterizes the bearing and behaviour that a paradigmatic human being exhibits in order to promote a flourishing human community.

(「仁」とは、人間社会を豊かに育てるための基本的な人間の態度や行動が何かを示す言葉である。)
― ブリタニカより

「仁」=本能を持つ人間が社会を構成するための要素

 人間はやはり、動物の本能を遺伝子の中にしっかりと組み込んでいるようです。
 例えば、見知らぬ人とエレベーターの中などにいると、まずお互いを意識しながらも、できるだけかかわらないように、それぞれのスペースを確保しようとします。あたかも、お互いの縄張りを意識しているかのように。
 二人は本能的に、磁石のように、警戒してはじき合うのです。
 
 こんなことを考えているとき、ふと「」という言葉を思い出しました。
 「仁」は「人が二人」と書きます。つまり、二人以上の人が同じ場所にいることが、社会を構成する基本となるのです。そこで、二人がはじき合う状況の中で、うまくやってゆくために何らかの約束ごとをしなければなりません。欧米ではそのためにお互いに契約を結びます。
 しかし、それではあまりにも人間味がなさすぎるということで、できるだけお互いを理解し、愛情を持つように心がけようともします。
 この行為が、社会の「絆」という言葉につながってゆくわけです。
 
 最近、面白いことがありました。
 それは、アメリカに住む中国人と、日本の大手商社との間で起こったトラブルです。
 その商社はカンボジアにオフィスを持ち、現地のインフラ整備に取り組んでいます。そのインフラに、アメリカの会社が開発したセキュリティ・システムを売り込もうとしたのです。そこで、そのアメリカの会社で働くアジア担当の中国系の副社長が、日本の商社と深いコネクションを持つある日本の知人に話をもちかけ、商社のカンボジア支社への取次を頼みます。
 その日本人は、さっそく商社の知り合いを通してカンボジアのオフィスの責任者を紹介してもらい、その責任者と中国系のアメリカ人とがメールで連絡を取り合うようにセットしたのです。
 
 ところが、その後が大変でした。
 アメリカ側が提案をして、次のミーティングの日時を決めようと働きかけても、カンボジアの日本人から返事がなかなか来ないのです。
 そこで、そのアメリカの副社長は「自分はもともとそちらの社長や役員も知っているから、早く連絡をもらえないか」と催促を送ったのです。
 この催促を受け、現地の日本人責任者はカンカンに怒りました。
 本社のトップの名前を使って圧力をかけるなんて脅されているようなもので、マナー違反も甚だしいというわけです。カンボジアに駐在する日本人の責任者は、即座に話をつないだ日本人に連絡をしてきます。
 「よりにもよって、こんな失礼な人を紹介しなくてもいいじゃないか。アメリカ人は、いつもこんな風に高圧的で困ったものだ」というわけです。
 

「異文化」という箱の中で人と人とがはじき合うカラクリ

 実は、その仲立ちをした日本人は、私の友人でした。困り果てた彼は私に相談をしてきたのです。
 私はその中国系のアメリカ人は、実際は中国系ではなく、今でも「国籍は中国人のアメリカ在住者」ではないかと質問しました。そして次に、実際に彼は商社の経営陣を知っているのか、とも聞いてみました。
 すると確かに、彼は20年前に中国からアメリカに留学し、その後アメリカで就職した人物であること、そして商社主催のパーティーで一度経営陣に紹介をしたことがあるということがわかったのです。
 
 カラクリはこうなのです。
 中国では、一度紹介を受けた人物をあたかもよく知っているというような表現で話し、相手を信頼させようとするのはよくあることです。その中国人は、そんな中国の商習慣を持ったままアメリカで活動しているわけです。今回もカンボジア側の相手に、自分はあなたの会社の人たちとも知り合いなので安心して連絡をくださいという程度の気持ちで、商社の幹部の名前を使ったのです。しかも、彼はアメリカでのビジネス経験から、アメリカ流のフランクでインフォーマルなビジネス文化も学んでいたために、さらに軽い気持ちで自らのPRをしたに過ぎなかったのです。
 
 しかし、日本のビジネス文化で育った人は、大きなピラミッド型組織の幹部の名前を簡単に持ち出す人を、失礼で信頼できないと判断します。
 もし、彼が本当に幹部との関係をもってアプローチしてくるなら、紹介状などを携えるといった基本的なプロセスを踏むべきだと思ったのです。
 日本人はプロセスを重んじ、その梯子を無視して語る人を嫌います。ですから、カンボジアに駐在する日本人から見ると、この中国人の対応は失礼極まりない横柄な態度と映ったのです。
 
 これは、日本と中国、さらにはアメリカの商習慣の違いが複雑に絡んだ誤解によって生じたもつれです。アメリカに住む中国人で、しかもグローバルな巨大企業でフランクにものごとを進めてきた人物と、日本の大手企業の組織の中で教育を受け、そのままカンボジアの支社に転勤した人物とが、異文化という見えないエレベーターの中で二人きりとなり、はじき合った瞬間だったのです。
 

ボーダーレスな世界を覆う「分断」を打開する「仁」

 「仁」は、儒教の教えの基本的な概念だといわれています。人が二人いると、そこに社会や組織が生まれ、ルールが必要になる。そして、それにもまして相手への思いやりや愛しみも欠かせなくなる、というのが「仁」が語る概念です。
 
 その中国人は、日本人の批判を受けてきょとんとして、何が悪かったのかさっぱり理解できないと主張します。一方の日本人の拒絶反応も深刻です。私の友人は不幸にも、その間に立って苦悶してしまったのです。
 
 グローバルでボーダーレスになったといわれる現在、我々はこの異文化の溝があちこちに隠れていることを忘れがちです。
 そして、その溝に陥ったとき、それが異文化の罠とは気づかずに、相手の人格まで否定しがちです。
 今世界を覆う「分断」という課題も、こうした異文化や背景の異なる人同士がはじきあい、拒絶しあっているのです。
 「仁」はそんな人と人との間に、一歩下がって相手を見つめ、複雑にもつれた糸を解く、忍耐と愛情を求める言葉でもあるといえましょう。
 

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