「世界の心の交差点で」〜コミュニケーションと誤解の背景〜

二つの文化の狭間にはいってしまった人の叫びとは


「私の上司が、私のメールをチェックして直しをいれるんです」

ある英語が堪能な女性が私に悩みを打ち明けます。

「アメリカの取引先へのメールなんですが、こちらからある調査を依頼しなければならないんです。そこで、お願い、この件について急ぎ調べてほしいんだけどというメールを書いたら、部長さんが、こちらから相手にわざわざお願いをするんだから、まず I am sorry to bother you. と、迷惑をかけることをお詫びするべきだというんです。私、カジュアルにお願いをしているわけだし、こんなことでお詫びをする必要はないって思うんです。でも、部長はわざわざ訂正をいれてきて、それには逆らえないし。でも、そんなメールを送れば、相手は相手で変だなって思うでしょう?こんなことが結構多いんです」

確かに、このケースでお詫びをすることは、日本では常識かもしれませんが、アメリカへのメールでは全く必要ないことです。

「海外経験者や帰国子女といわれる人々のこうした日本とアメリカとの板挟みのケース、結構多いんです。そう思いませんか?」

私は即座にそうコメントしました。

「日本の中だけで英語を使っている人は、日本人の常識に従って英語で表現します。でも、それが常識の違う海外の人からみれば、不可思議にみえてしまいます。あなたの上司の場合、あなたがまだ若いこともあって、ビジネス上の常識を教えようと思っているのでしょう。ただ、残念ながら、それは欧米とのコミュニケーションの常識とはかけ離れているわけですね」

「そうなんです。彼は私が常識のない、どこか別世界の人だと思っているみたい。確かに帰国子女の私は、日本の社会に馴染めずにいじめにあったりした経験もありますが。そのとき最も辛かったのは、先生がいじめている子供ではなくて、私の態度に問題があるって判断していたこと。それ以来、私は立場の上の人とのトラブルがいやで、殻にこもって、自分の意見を控えるようになりました。今回就職して、こんな指導を受けていても、なかなかそれに反発する勇気はわかないですね」

帰国子女にしても、海外経験者にしても、海外の状況が理解できるだけに、それを日本の組織にどう伝達するかということに神経を使っています。例えば、日本国内の営業部隊は、日々日本のビジネス社会の中で揉まれています。そうした人々に、海外からの意見やフィードバックを伝えたり、逆に海外に彼らのニーズを正確に伝えたりするのは至難の業なのです。

「あなたが、直接上司に意見すれば、それは逆効果となるでしょうね。上司には面子もあるでしょうし」

「面子?」

「そう、英語でいえば face、あるいは pride かな。確かにあなたは日本に帰国して、日本の文化やビジネスでの常識を学ぶ機会が少なかった。それを心に抱きながら、日本の社会でうまく振る舞うのは大変ですね」

「確かに。だからアメリカの友人や、同じ経験をした人たちと出会えば、日本への悪口でいつももりあがるんです」

「いえね。使い分けができるといいんですが。欧米の人たちとコミュニケーションをするときは彼らのスタイルで。そして日本の社会では日本のスタイルでっていうふうに」

「はあ」

「あなたには、会社に信頼できる先輩はいないんですか?」

「アメリカに4年間赴任していた先輩がいますね。その人はとても話し易い」

「アメリカでは、上司に対しても部下に対しても、単刀直入に自分の意見をいえますね。でも日本では上下関係、年齢、さらには同僚同士でも気を使わなければならないことが沢山あって、直接発言をすることは多くのリスクを伴います。これは良いとか悪いという問題ではなく、文化の違い。だから、日本のスタイルでやるなら、あなたはこのメールの問題をまずその信頼できる先輩に相談するんです。その先輩は部長さんとは親しいのでしょ」

「ええ」

「それなら、その先輩に相談すれば、彼が折をみて、彼なりの表現であなたの悩みを部長さんに伝えてくれるはずです。面倒だけど、それしかうまく問題を解決する方法は見当たりませんよ」

「時間がかかりますね。なんかまどろっこしくていやですが」

「急がば回れという諺を知っていますか」

「いいえ」

「日本の諺で、急ぐことがあっても、ちゃんと手順を踏んでじっくりと取り組めば、その方が時間はかかるけど結局は問題を早く解決できるってことを意味しています。今回は正にそのケースですね」

二つの文化の間に挟まれて苦労することがプラスのエネルギーにつながることは、残念ながらそれほど多くはありません。
何人もの人が、この狭間で苦しむとき、自らを守るために日本に馴染めないことを日本のせいにし、そうした態度に接した一般の人はさらにその人に対してネガティブな印象を持ってしまうという悪循環が続いてしまいます。
また、どこの国にも、いわゆるドメスティックなオペレーションがあって、そこが国内のビジネスを担っています。そのグループと海外とコンタクトをしなければならない国際ばたけといわれる人々の間にも、似たような確執が産まれることがあります。

こうしたバイアスを克服するには、文化が個々人の常識や判断に与える影響をよく理解し、それぞれの異なった個性を集めてシナジー効果を生み出す組織造りが欠かせません。
今回相談に来た人も、彼女の力だけではどうにもならない、文化の壁で疲弊してきたわけです。
しかし、この問題の解決には特効薬はないのです。

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