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パレスチナの人々と黒人、そして一人の日本人

“Israel and Evangelicals, New U.S. Embassy Signals a Growing Alliance”

(イスラエルと福音主義者、新しい大使館の設立はその緊密な同盟を示唆している)
New York Timesより

久しぶりに、大分県の杵築(きつき)に里帰りをしました。
そこは、松平家が治めていた3万2千石ほどの静かな城下町です。
ここの家老職を勤めた中根家に、明治になって中根中(なかねなか)という人が生まれました。彼は明治時代のキリスト者として、この地に今も続く杵築教会の創立にも深く関わっていました。
 
そんな彼がアメリカに渡り、黒人運動の指導者へと変身します。
1930年代、FBIは彼がデトロイトなどで黒人運動を組織し、暴動を煽動したとして、彼のことを厳しくマークしていました。一度は国外退去処分になり、日本に帰国しますが、すぐにカナダに渡り、そこからアメリカの同志と連絡をとり、運動を継続したのです。その後偽名を使ってアメリカに潜伏し、FBIに逮捕され、第二次世界大戦が始まる頃は獄中の人だったのです。
彼は釈放後デトロイトで余生をおくり、1945年に他界したといわれています。面白い人物です。
 
中根はその奔放な性格から、厳格な生活を要求するメソジスト派の教会から破門されたといわれています。
渡米した中根は、西海岸やハワイを中心に戦前日本から移住してきた貧しい日系移民に接します。彼らは、アメリカで厳しい偏見と差別に晒されていたのです。中根はそんな日系人と共に、アメリカで同様の状態にあった黒人系の人々の生活に興味をもったのでしょう。やがて彼は社会運動へ身を投じるようになったのです。
戦前日本でキリスト教を伝道した人々の多くはアメリカのプロテスタント系の牧師でした。そんなキリスト教を信ずる人々が、アメリカでは日本人や黒人を差別しているという矛盾を突きつけられたわけです。
 
戦争中、中根はアメリカで暴動を組織するように、日本軍から密命を受けていたのではという嫌疑を受けます。
実際、彼は日本の国粋主義団体と関係があったといわれていますが、軍部とどのようなつながりがあったかは定かではありません。
しかし、彼が黒人暴動を何度も組織し、それがアメリカ中西部の都市部の不安定要因となったのは事実です。
 
そして、彼と接触した多くの黒人の活動家が、その後の黒人運動を担ってゆきました。その一人が、Nation of Islamという組織を育てたエライア・モハメド Elijah Muhammadです。Nation of Islamは、アメリカの黒人はイスラム教徒の子孫だという信条をもち、白人への激しい憎悪を表明した団体でした。
Nation of Islamの影響を受け、戦後に黒人の地位向上のために活動した人物にはマルコムXモハメド・アリなどがいるのです。
 
アメリカでは、移民同士の確執と摩擦がその歴史を作ってきました。
差別や偏見を克服するために社会運動がおこり、法制度が整備され、教育活動が進化します。その進化のサイクルがアメリカ社会を形成しました。その過程で、差別する人と差別を受けた人々の憎悪が人種対立の原因ともなりました。
Nation of Islamの活動は、そうした憎悪を助長し、白人系の人々への逆差別や偏見を助長したという批判も多くあります。人によっては彼らのことをテロリストだと糾弾します。中根中の行動もそうした批判の対象となりました。
 
面白いことに、大正時代の作家有島武郎など、日本の文化人で元々はキリスト教の影響を受けながら、渡米後アメリカ社会の矛盾を見つめるうちに社会主義国家主義へと転身した人は少なくないのです。
 
ところで、60年代から70年代にかけて、黒人の活動家がキリスト教を棄て、イスラム教に転身していることは、中東の人々の間にも少なからぬ影響を与えました。
戦後アメリカは、中東問題でイスラエル側に立ち、混迷するイスラム社会の憎悪の標的となりました。そして今ではアメリカは、イスラム教過激派のテロの対象となっています。Nation of Islamとこのテロ活動とは全く無縁です。しかし、奴隷としてアフリカから強制移住させられた人々の子孫である黒人が自立するとき、白人系の人々から伝道されたキリスト教を否定した経緯と、イスラエル建国後に土地や財産を失ったパレスチナ難民が、イスラエルに対して憎悪を抱き、イスラム教徒としてのアイデンティティにこだわるようになった経緯を比較すれば、そこにアメリカに対する人々の共通した意識がみえてきます。
 
今、トランプ大統領は、アメリカ国内の福音主義者 Evangelicalと呼ばれるプロテスタント系保守派の意向に支えられながら、エルサレムにアメリカ大使館を移動させ、イスラエルのパレスチナへの支配を事実上公認する政策を打ち出しています。それが今回紹介したヘッドラインです。
そうした状況下で、ガザ地区に押し込められ、経済的にも苦しむ人々が、イスラエルに向け抗議行動を起こし、イスラエル軍の発砲に遭い犠牲者がでたことが大きく報道されました。中根中が現在のアメリカのこうした政策をみたとき、同じように暴動やテロを煽動したでしょうか。
 
この問いこそが、今の国際政治の狭間に置かれた犠牲者や、アメリカ社会の格差に苦しむ人々のことを考えるとき、常に考えさせられる課題です。
暴力やテロを憎むのみではなく、その原因となった歴史と社会の矛盾に光をあてることが必要なのです。
 
九州の静かな城下町に生まれ、明治から昭和へと生きた一人の破天荒ともいえる活動家が、アメリカでのアジア系や黒人系の人々の置かれていた状況を目にしたときに感じたこと。それは戦前のみならず、今のアメリカの動向を見つめるヒントをも与えてくれるのです。

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あの名演説からアメリカを学ぼう!

『I Have a Dream!』マーティン・ルーサー・キング・ジュニア (著者)、山久瀬洋二 (翻訳・解説)I Have a Dream!』マーティン・ルーサー・キング・ジュニア (著者)、山久瀬洋二 (翻訳・解説)
1955年、バスの白人優先席を譲らなかったという理由で逮捕された男性がいた。この人種差別への抗議運動として知られるモンゴメリー・バス・ボイコット事件を契機に、自由平等を求める公民権運動がにわかに盛り上がりを見せた。マーティン・ルーサー・キング・ジュニアはこの運動を舵取りし、そのカリスマ的指導力で、アメリカ合衆国における人種的偏見をなくすための運動を導いた人物である。「I have a dream.」のフレーズで有名な彼の演説は、20世紀最高のものであるとの呼び声高い。この演説を彼の肉声で聞き、公民権運動のみならず、現在のアメリカに脈々と受け継がれている彼のスピリット、そして現在のアメリカのビジネスマネジメントの原点を学ぼう。山久瀬洋二による詳細な解説つきで、当時の時代背景、そして現代への歴史の流れ、アメリカ人の歴史観や考え方がよく分かる1冊。
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アメリカの移民社会を象徴する「テヘランジェルス」

“Iranian Americans or Persian American are among the highest educated people in the United States.”

(イラン系、あるいはペルシャ系アメリカ人はアメリカ合衆国の中でも最も教育レベルの高い人々である)
(Wikipediaより)

 
ロサンゼルスにシャリフとキャシーというカップルがいます。
シャリフは中東のレバノンにルーツを持つ名家の末裔で、彼の父親はイラクで生活していました。一方、キャシーはイランにルーツがあり、父親は以前イランを支配していたパーレビ国王の支持者でした。
 
二人の両親は共に祖国の政変によって投獄され、過酷な人生をおくりました。
「私はイラン人というよりペルシャ人なの。何世紀にもわたってイランで生活してきたペルシャの人々。そう我々は意識して、今のイランと自分とを分けているわけ。カリフォルニアには、そういったアイデンティティ(identity)を持つ人が多くいるのよ」キャシーはよくこのようにいいます。
 
イランは中東の大国です。そして、もともと王国でした。
国王であったパーレビは、アメリカとも良好な関係を維持しながら、西欧化を進めていました。
当時は冷戦の最中。ベトナム戦争につまずいたアメリカが、その間隙を縫うように中東に爪を伸ばしてきたソ連の動きを警戒していた頃のことでした。
伝統的にインドと友好関係を維持してきたソ連は、まず政治的な混乱に乗じてアフガニスタンに侵攻し、インドの西側、つまり中東の東端を抑えます。
 
そしてイランはアフガニスタンと国境を接しています。
当時イランには西欧化に反発する保守的なイスラム教徒が多くいました。彼らには急激な西欧化による貧富の差などの怨嗟もありました。そうした人々が立ち上がり、1979年に革命を起こし、親米政権であったパーレビ国王を国外に追放したのです。革命の暴徒はアメリカ大使館を占拠し、アメリカに対する強い憎悪を剥き出しにします。イランは西欧化途上の国家から、保守的なシーア派のイスラム教国へと変身したのです。
これはアメリカにとっては不幸なことでした。当時、アメリカはベトナム戦争の後の世論の揺れ戻しの中で、リベラルなカーター大統領が政権を担っていたのです。イラン革命はそんなカーター大統領の穏健な外交政策に大きな打撃を与えたのです。
 
硬化したアメリカの世論によって、アメリカに再びレーガン大統領による保守政権が誕生します。
レーガン政権は、イランに対抗するためにイランの西にあり、スンナ派サダム・フセイン政権に接近します。フセイン政権はシーア派のイスラム教徒への弾圧も進め、イランと緊張関係にあったのです。アメリカはさっそくイラクに援助を行います。その結果1980年にイラクとイランは戦闘状態になり、多くの血が流されたのです。ところが、その後サダム・フセインが増長し、アメリカが支援していたクエートを自国の一部と主張して侵攻したことが、その後のイラクとアメリカとの確執の原因になったのです。
 
一方、アフガニスタンを占領したソ連は、現地のイスラム教徒の抵抗にあい、泥沼の内戦になやまされます。最終的にソ連はアフガニスタンから撤退し、アフガニスタンにはソ連とアメリカ双方に強く反発するイスラム教過激派が支持するタリバン政権が生まれたのです。
アメリカは、イラクとイランの双方との関係を失い、アフガニスタンにまで影響力を喪失したことになります。
ところが、アフガン侵攻などの失敗もあってソ連も経済的に瓦解し、国家自体が崩壊したのです。その結果冷戦体制が終焉します。これはアメリカにとってはありがたいことでした。
冷戦崩壊後10年少々でアメリカは、タリバン政権が温存していたアルカイダが起こした同時多発テロ事件を契機に反タリバン勢力支援し、アフガニスタンを抑え、イラクにも侵攻し、サダム・フセイン政権を崩壊させたのです。
 
ロサンゼルスの西、太平洋に面したサンタモニカに向かうと、途中にウエストウッド Westwood という街があります。すぐ横は有名なビバリーヒルズです。
この一帯はペルシャ人街で、通称:テヘランジェルス Tehrangeles と呼ばれています。ここにはイラン系のみならず、中東系のレストランなどが並ぶ地域です。彼らの多くが、今回解説した70年代以降中東を見舞った混乱によってアメリカに移住してきた移民たちなのです。
 
「私たちはパーレビ氏(革命で亡命したパーレビ国王の息子)がイランに戻り、宗教と政治とを分離した民主的な国家を作ってくれることを祈っているの。まだ時間はかかるかもしれないけど」
キャシーの娘は今ドイツでAIの技術者として活躍しています。そして、彼女のボーイフレンドであるシャリフは、アメリカに移住してきたあと、アメリカへの留学生のための保険を扱う仕事で成功し、ロサンゼルスで裕福な生活をしています。彼は、イラクで民主化運動をしていたということでサダム・フセイン政権によって8年間も投獄されていた父親をアメリカに引き取り、その最期をみとりました。
 
アメリカには、複雑な国際関係によって祖国を失った人々が多く生活しています。アメリカは国際政治の舞台では超大国として利権を維持しようとしながら、一方でその結果流入してきた移民の才能を活かし、活躍の場を与えてきました。その結果成長したのが、シリコンバレーなどのハイテク産業でもあることを忘れてはなりません。
 

今、トランプ政権はこうした移民を制限しようとしています。しかし、海外からの移民をステレオタイプ(stereotype)によって一つの色に塗り替えてゆくことは、単純に誤った知識によって社会を硬直化させる結果しか生み出さないことが、このエピソードからもわかってくるのです。

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アメリカ人と文化の壁を超えてビジネスをするために!

『トランスナショナル・マネジメント:アメリカ人に「NO」と言い、「YES」と言わせるビジネス奥義』山久瀬洋二 (著)トランスナショナル・マネジメント:アメリカ人に「NO」と言い、「YES」と言わせるビジネス奥義
山久瀬洋二 (著)
国家・民族・言語・宗教の境界を超えてアメリカ人と対等にわたりあう、80の絶対法則!
欧米をはじめ、日本・中国・インドの大手グローバル会社で100社4500人の異文化摩擦を解決してきたカリスマコンサルタントである山久瀬 洋二氏が、トランスナショナルなアメリカ人を正しく理解し、対等にビジネスするための奥義を、豊富な事例と図解でわかりやすく説明します。英語よりも、MBAよりも、もっとずっと大切なものがここにあります。

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2000年の歴史の鏡に映る中東の要、サウジアラビアの異変とは

ムハンマド・ビン・サルマン

“Crown Prince gains power after sweeping purge of Saudi officials”

(皇太子はサウジの高官を一掃して権力を集中)
ワシントンポストより


【ニュース解説】

サウジアラビアの異変

サウジアラビアに異変がおきています。日本からは遠い話かもしれません。
しかし、石油を通して中東問題は日本経済に直結しています。サウジアラビアは、「斬首による処刑」や「女性の社会参加への厳しい規制」など、イスラム教の最も保守的な価値を政策にも導入している王国として知られています。この国は日本とは石油で結ばれながらも、イスラム教の保守的なイメージを象徴する国家として、中世さながらのミステリアスな王国として多くの人の目に映ります。一方、同国は長年動乱の続く中東の中にあって親米国家としても知られています。

しかし、新たに王権を継いだサルマン国王の皇太子ムハンマド・ビン・サルマンへの権力集中が進む中で、そうしたサウジアラビアがより開かれた国家に変貌しようともがいているのです。
そして今、長年石油の利益を独占し、富豪として君臨していた王家のありかたにもメスがはいります。皇太子は昨日、世界のメディアやTwitterなどの株主としても知られるアルワリード王子などの王族とその取り巻きを逮捕、追放という大鉈をふるったのです。世界経済にも大きな影響が考えられます。

今回の改革の背景を知るには、サウジアラビアに異変がおきています「そもそもイスラム社会にとってのサウジアラビアとはいったいどのような国家なのか」を知っておく必要があります。

古代ローマ帝国にとっての脅威

ここであえて古代史に目を向けます。
古代ローマ帝国以来、西欧社会の脅威は常に中東にありました。
ローマ帝国は古代ヨーロッパの超大国でした。そんなローマが拡大したとき、どこを占領して膨張したでしょうか。今のフランスやイギリス、ドイツ、そしてスペインといった西ヨーロッパがローマの版図拡大のターゲットでした。

一方、ローマは中東からアジア方面には拡大できませんでした。どうしてでしょう。そこには、ペルシャに代表されるメソポタミア文明の恩恵を受けた強力な帝国が存在していたからです。逆に、現在の西ヨーロッパはローマから見れば蛮族の住む未開地でした。ですから、ローマは未開の地を版図にいれ、そこから人員を補給しながら東の脅威に備えたのです。

従って、ローマ帝国が強靭な国家になった後、ローマの戦略的な拠点はローマではなく、東方に睨みをきかせ、迅速な対応ができるコンスタンチノープル(今のイスタンブール)とその周辺へと移行していったのです。
東の文明、つまりローマから見たオリエントこそが、彼らが常に意識しなければならなかった脅威でした。

ローマ帝国とキリスト教

ところが、時とともに蛮族の土地とされ、傭兵などの供給源となっていたアルプス以北のヨーロッパが変化します。それらの地域が次第に開拓され、ローマ化が進み、力を蓄えながら、独自に版図を広げ始めたのです。ローマが、自らが支配した辺境の人々に飲み込まれていったとき、社会は大きく変化します。

特に、ローマで禁止されていたキリスト教は、ローマを逃れ、そうした地域に広がっていました。彼らが、ローマとの交流を通し次第に経済力や軍事力を蓄えたとき、ローマ帝国としては東方の脅威に向けて国家を統一させるためにも、彼らと妥協しなければなりませんでした。こうして4世紀末にキリスト教はローマ帝国の国教になったのです。

イスラム国家の誕生

やがて、中世になると、東方では新たな宗教の元に、強大な国家が生まれました。イスラム教を信奉する数々の王朝です。当時ローマ社会はすでにキリスト教を軸にしたヨーロッパ諸民族の連合体へと変化し、それぞれの地域が自立、独立していました。現在のヨーロッパ社会の始まりです。後年、ヨーロッパ社会は新大陸にも膨張し、今のアメリカを建設します。

このことによって、長い世界史の流れの中で、ローマをご先祖様とするキリスト教社会と、東方のイスラム社会とがユーラシア大陸の西半分の文明を二分するのです。この東西の対立が、現在も尾を引いているというわけです。

ですから、ヨーロッパ社会とその延長となるアメリカは、常に中東の問題に目を光らせ、必要に応じて鋭く介入します。これは2000年にわたる東西の対立の中で培われた遺伝子のようなものです。この介入に対抗していたイスラム社会は、15世紀以降オスマントルコがその盟主となりました。彼らは、1453年にはローマ帝国を継承していた東ローマ帝国を滅亡させ、17世紀には当時の西ヨーロッパの中心であったウィーンなどへも遠征しました。
しかし19世紀になってその大帝国が衰微したころに、逆にヨーロッパ諸国は産業革命を経て力を蓄えたのです。

欧米の脅威と、衰退するオスマントルコへの民族運動が融合する中、ちょうどキリスト教にとってのローマのように、イスラム教の聖地メッカのあるサウジアラビアが、20世紀にイスラム社会の精神的支柱となる国家として建国したのです。建国前夜にはオスマントルコの衰亡を企むイギリスなども大きく関与します。ですから、サウジアラビアは伝統的にイスラム右派を標榜する国家でありながら、親米、新ヨーロッパ政策を継承してきたのです。

イスラム教の分離

もちろん、キリスト教がカトリックやプロテスタント諸派に分離したように、イスラム教もスンナ派やシーア派など諸派に分離し対立します。スンナ派の拠点がサウジアラビアであれば、シーアの拠点はイランです。
こうした内部対立はあるものの、世界がキリスト教とイスラム教との対立を軸に激しく争い、混乱を生み出しているのはこうした背景によるのです。

今回のヘッドラインは、そんなサウジアラビアにおきた政変です。スンナ派の盟主とされるサウジアラビアの今後は、今、中東で起きている様々な政治問題にも微妙な影響を与えるはずです。だからこそ、あえて2000年にわたる東西交流と対立の歴史を紐解きながら、今回のサウジアラビアの情勢を注視してゆきたいのです。

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『海外メディアから読み解く世界情勢』山久瀬洋二日英対訳
海外メディアから読み解く世界情勢
山久瀬洋二 (著)
IBCパブリッシング刊

海外ではトップニュースでありながら、日本国内ではあまり大きく報じられなかった時事問題の数々を日英対訳で。最近の時事英語で必須のキーワード、海外情勢の読み解き方もしっかり学べます。

山久瀬洋二の「海外ニュースの英語と文化背景・時事解説」・目次へ

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