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日本のある町で起きた、日本全国が直面する共生の課題

Outlawed discrimination based on race, color, religion or national origin in hotels, motels, restaurants, theaters, and all other public accommodations engaged in interstate commerce――

(すべての州において人種や肌の色、宗教や国籍をもってホテルやレストラン、劇場などを含むあらゆる公の施設での差別は違法であり――)
― 1964年制定のアメリカ合衆国の公民権法(一部抜粋)
注)その後各州でさらに性差別などを禁止した細かい規定が制定されています。

日本在住のムスリムに立ちはだかる「お墓不足」の壁

 大分県に日出町(ひじまち)というところがあります。別府湾に面し、城下鰈(しろしたかれい)でも有名なところです。
 日出町はその昔、豊臣秀吉の正室ねねの兄が木下氏として、徳川時代になっても滅ぼされることなく、この地に日出藩を開いたところとしても知られています。当時、木下氏を庇護していたのは、小倉にあった細川藩でした。細川氏は日出藩の築城に当たり、別府湾に面した場所での風光明媚な城造りを手伝い、その城跡は今でも綺麗に残っています。
 
 そんな日出町でこの数年間、世論を二つに分けた問題が起こりました。それは九州に居住するイスラム教徒の墓地の建設計画が持ち上がったときのことでした。日本では現在23万人のイスラム教徒の人々が生活しています。アジア各地との交流が広がるにつれ、中東だけではなく、東南アジアの国々からも多くのイスラム教を信奉する人々が日本に移住し、生活をしているのです。
 ところがイスラム教徒にとって、遺体を埋葬するとき、日本の習慣に従って火葬にすることは、死者の魂に苦痛を与えるものとして受け入れられないのです。日本には土葬を受け入れる墓地はわずかしかありません。イスラム教徒の人々にとっては、日本で長年生活をした後、家族や自らの死とどのように向き合うかは、我々が考える以上に深刻な課題だったのです。
 
 しかし、日出町の住民の多くがその計画に反対をしました。反対する住民の陳情書も市役所に寄せられました。理由は土葬を受け入れると、近くの農業用水や飲料水にも使っている湧き水が汚染されるというものでした。日本で生活をしているのだから日本の風習を受け入れるべきだという反対意見もありました。そうした意見に対して、それはヘイトであり差別だという人たちとの対立も深まったのです。結局、日出町は3年前に計画を白紙に戻します。当然落胆したのは、イスラム教徒の人々です。死者を埋葬する場所がなく、追い詰められていただけに、住民の思わぬ反対で結論が出ないまま長い間待たされ、結局計画が白紙になったことは、彼らにとっては受け入れがたいほど辛いことだったのです。
 そして、日出町での騒動は地元のマスコミなどにも取り上げられ、再び墓地を建設するかどうかの議論が始まります。そして今年の5月になって、ようやく隣の杵築市に近い場所に墓地を建設することで、妥協が成立したのです。
 
 大分県には立命館アジア太平洋大学が開設して以来、アジアからの留学生が増え続け、それに伴い卒業しても地元のためにと別府などに残る人も増加しました。温泉町である別府が海外から居住する人々に対して優しい町であることを象徴するかのように、地元のホテルなどにも英語が堪能な海外からの人々の姿が目立つようになり、世界各国の料理をふるまうレストランも増えました。その結果、別府を訪れる外国人観光客も増加したのです。
 別府市のすぐ隣の日出町で起きたこの事件は、そんな大分県に大きな課題を突き付けました。今年になってこの問題がやっと決着したかに見えました。ところが、今度は日出町のお隣の杵築市の住民が風評被害をおそれ、反対運動を起こしたのです。
 

制度上だけではない生活レベルの「多様性」の受け入れを

 森羅万象の営みの中で、人の遺体の埋葬と水質汚染との因果関係が果たしてあるのかどうかという科学的な分析には、あえてここでは触れません。ただ、これら一連の騒動の背景に見えてくるのは、世界との交流なしには存続できない日本の未来をどう捉えればよいのかという課題です。まして、日本は資源の国内調達に限界があり、食料ひとつをとっても自給できないのが現実です。さらに老齢化が進む中での労働力の課題も幾度となく指摘されています。そうした中で海外の人々を受け入れ、多文化が共生できる社会づくりが求められるようになったのはいうまでもないことです。
 
「日本は制度の上では、世界でも稀に見る多様性を許容した国なのです。外国人を一般の学校に受け入れてくれたり、健康保険を適用してくれたりと、制度の上では卓越したものをもっています。でも、受け入れた後の日々の生活と人々との共存ということを考えたときには、日本は世界でも最も高い壁と疎外を経験する国なのです」
 
 これは、日本で仕事をしているスリランカの人が最近私に語ったコメントです。制度としては受け入れても、生活や文化を共有してくれない日本人の姿に対する怒りがそこにはありました。
 
 イスラム教徒が多く住む国々からの居住者は年々増えています。インドネシアやマレーシアの人々もその一例です。彼らが日本で学び、日本の社会に貢献してくれるだけでなく、祖国との交流のためにも奔走してくれるとしたら、それは国益の上からも貴重なことに他なりません。もちろん、イスラム教だけではありません。世界には星の数ほどの異文化があり、風俗習慣の違いがあります。それらに寛容になり、異なる価値観を共有できないと、海外からの知恵やノウハウの流入をせき止めてしまいます。それは将来日本の衰退にもつながるはずです。
 

日本の行く末を占う「多文化共生」は喫緊の課題

 海外経験のある人ならすぐにおわかりでしょうが、文化の異なる国にやってきて、そこの国の風俗習慣に完全に順応することは並大抵の努力ではできないのです。その経験のない人が、海外から来た人に日本に馴染めないからといって門戸を閉ざしてしまえば、海外の人は孤立し、ただ失望して日本を離れるだけなのです。多文化共生という概念は、単に学問上のことではなく、日本の将来を見据えてゆかなければならない日常の課題だということを、日出町での騒動は物語ってくれているようです。
 
 そうした意味から冒頭で紹介したのが、移民を受け入れる上では先進国のアメリカ社会の骨格でもある公民権法です。この精神を参考にしつつ、日本独自の共生の方法を模索する必要に今、迫られているのではないでしょうか。
 

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『フィリピン語 日本紹介事典 JAPAPEDIA』IBCパブリッシング (編)、クリスティニー・バウティスタ (訳)フィリピン語 日本紹介事典 JAPAPEDIA
IBCパブリッシング (編)、クリスティニー・バウティスタ (訳)
日本の四季と暮らし・伝統文化と芸術・マナーや日本食から、都道府県の紹介まで、いまの日本を正しくフィリピン語で紹介するためのフレーズ集。人口は1億人を突破、アジアで上位の経済成長率、平均年齢20代という未知の力を秘めた国、フィリピン。日本における外国人労働者数も国籍別で3位と日本との繋がりも深く、親日家の多い国としても知られています。本書は、ビジネスでもプライベートでも、日本について聞かれたとき、知識として知っていることをフィリピン語で正確に伝えることができるようになるフレーズ集です。

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