【海外ニュース】
2020年のオリンピックにイスタンブールではなく東京が選ばれたことは公正ではなく、IOC はイスラム世界を袖にしたと、トルコのタイップ・エルドガン首相が月曜日に表明
【ニュース解説】
東京にオリンピックが来ることで、おそらく最も失望したのはトルコのイスタンブールでしょう。2000年から2012年まで既に4回もオリンピックを目指して招致を続けていたイスタンブールがまたも夢を断たれたのです。
招致に失敗した原因には、政情不安、トルコで多発するドーピング問題、そして混迷する隣国シリア情勢など、様々な要因が考えられます。
しかし、トルコとは異なり、スペインも日本も過去にオリンピックを開催した事実があり、これら2都市も財政難や原発問題などの課題を抱えています。かつイスタンブールの方がこれら2都市よりも大きな予算を計上していながら落選したことは、彼らにとってやりきれない思いを残したに違いありません。
皮肉なことに、同じ紙面では、トルコで先の反政府デモで意識不明になっている少年のための抗議集会を警察が厳しく排除したという報道がありました。その少年は 14-year-old Berkin Elvan, who has been in a coma since mid-June when he was struck by a police gas capsule fired during the Gezi protests.(Berkin Elvan 14歳で、6月中旬の Gezi での抗議行動の際に警察が使用したガス弾のために昏睡状態が続いて)いるのです。
エジプト、トルコ共に、近年のイスラム文化への回帰現象の中、それに不安を持つ人々との対立が争乱を産んできたことは記憶に新しく、IOC もそうした抗議活動での警察の人権を無視した排除行為への懸念を意識し、イスタンブールへの投票を控えたのではといわれています。
ところで、トルコの希望が砕かれたのは、オリンピックだけはありません。トルコは長年、EU のメンバーになろうとして未だ実現していないのです。
しかも、最近の EU の財政危機で、話そのものが流れ去ろうとしています。
ヨーロッパには、数百年に渡るキリスト社会にとっては受け入れられないオスマントルコへの脅威が過去にあり、その後中東が混迷する中で、トルコへの偏見が蓄積されていなかったかといえば嘘になります。これは悲しい現実です。
そして、トルコもそのことへの意識が常に国民の中にあり、時には不満となり、時にはより一層の西欧化への後押しとなってきたのです。
そして、その複雑な意識の振り子がイスラム回帰への原動力となったとき、その支持によってエルドアン政権がうまれたのです。
このトルコ国民の心の揺れは、アジアと欧米との間にあり、状況によって左側や右側に揺れる国民意識を持つ日本人とも共通したものといえましょう。
同首相のイスラム回帰への試みは、内政外交共に中東の周辺国から強く支持される反面、欧米諸国や、国内で西欧化を支持する人々との緊張を招いてきました。首相はアメリカなどとも一定の関係を保ちながらも、イランをはじめとする中東諸国とより緊密な連携を模索し、パレスチナ問題ではイスラエル非難の姿勢を明解に打ち出しました。
しかし、イスラム化と民主化とがなかなか両立できないなか、その確執によって社会が分断され、彼らの心の奥にある西欧諸国への愛憎もまた、複雑に揺れたのです。トルコの悩みは深刻です。
On Aug. 21, Amnesty International issued a call to Turkish authorities to launch a fair investigation to determine the police officer responsible for firing the tear gas capsule that struck Elvan.(8月21日に人権擁護団体アムネスティは、トルコ当局にElvan少年を襲った警察の催涙ガスの発射について、公平な調査をするべきだと勧告した)と同紙は報道します。
オリンピック招致の失敗が、こうした事件が頻発する中で、鬱積した意識の過激な爆発へとつながらないことを、多くの人は願っています。
このトルコの現状を考えるとき、日本人が忘れてはならないことがあります。
それは、日韓共同主催によるワールドカップで日本代表がトルコに敗れたとき、トルコの選手がうなだれる日本の選手を暖かく祝福した一コマです。こうした行為に代表されるように、トルコは常に「良きムスリム (イスラム教徒)」であり、その各論の中で「日本の良き友人」として接してきたという事実があることを忘れてはなりません。
社会の中に様々な矛盾はあるにせよ、中東の中でトルコは日本と常に友好関係を保ってきた「精神的な隣国」なのです。
日本は、オリンピック招致に成功しました。また、最近スポーツ界でも日本選手の活躍が目立ちます。
それは、「はっきりとものを言えない日本」という国際的な評価とそれを薄々と意識する日本人にとって、鬱積を吹き飛ばす一服の清涼剤の役割を果たしています。
しかし、こうした時であればこそ、我々は日本人の美徳ということを、あのワールドカップでのトルコの選手の行動を見詰め、今考えてみたいものです。
それは、自らの勝利にただうかれる狭量な感情に左右されず、ライバルへの祝福や感謝、激励といった意識を行動にして海外に示す謙虚さです。それが、イスラム圏と西欧とのブリッジとなるトルコとの関係を深化させ、世界の国々の選手をホストとして迎える日本にとって、今必要とされるリーダーシップの一つの表しかたなのではないでしょうか。