ブログ

イスラム過激派をも支持したアメリカの支払った代償に揺れる世界

Let’s create the religious the belt to contain communism. That was the theory of the Carter administration.

(宗教の壁を造って共産主義を封じ込めようというのがカーター政権の政治方針でした)
― Gapy Azadのクロシュ・レザー・パフラヴィー氏へのインタビュー より

イラン革命で追われた国王の子息が語る真実とは

 「歴史は繰り返す」という言葉がありますが、今我々は新冷戦という時代にいるといわれています。
 冷戦時代はアメリカと旧ソ連との緊張の元で、世界中で代理戦争が起こりました。そして今、新冷戦という時代のなかで、アメリカと中国、そしてロシアとの対立の向こうに新たな世界の分断が起ころうとしているといわれています。
 
 しかし、冷戦時代に親米政権として経済的に繁栄したイランに革命が起こり、それが現在にまで影響を与えている中東の混乱と長い戦いの原因となったことを知っている人はそう多くはありません。
 当時、イランでのイスラム革命で亡命を余儀なくされたパフラヴィー国王の息子クロシュ・レザー・パフラヴィー氏が、つい最近になって亡命先のアメリカで、あるネット系のメディアに明かした真実が、あまりにも衝撃的だからです。
 
 イラン革命の後に当時のアメリカのカーター大統領と会談をした際の生々しい記録が、今パフラヴィー氏本人の口から語られようとしています。それは、当時のイランがいかに親米政権であろうと、その国が崩壊した後は、新たにできたイスラム政権を支持した方がアメリカの国益になるだろうと、当時のカーター政権が判断していた事実です。
 
 当時のカーター政権は、アフガニスタンに親ソ政権ができたことを強く警戒していました。当然中東やアジアにソ連の影響を受けた国家がさらに生まれることのないように、CIAなどの諜報機関も含め、アメリカは国をあげて情報の収集に努めていたのです。その最中にイランで革命が勃発し、ホメイニ師を迎えたイスラム政権が誕生しました。元々アメリカ寄りだったパフラヴィー国王は、アメリカからの援助を期待していましたが、カーター政権はその要請をのらりくらりとはぐらかしていました。
 クロシュ・レザー・パフラヴィー氏はカーター大統領と面会した折、カーター大統領は中東にイスラム教の強い政権が帯のようにできることをむしろ喜んでいたと証言したのです。アメリカはあきらかに、サダム・フセインもホメイニ師も、さらにはソ連との闘争を宣言していたオサマ・ビン・ラディンすらも過小評価し、むしろ彼らを反ソ連活動のために援助していました。
 
 イスラム教政権が宗教を嫌う共産主義をテーゼにするソ連と対立すれば、それはむしろアメリカにとって利益になると判断したのです。しかも、その後親ソ政権を保護する名目でソ連がアフガニスタンに侵攻を開始すると、カーター政権はますますイランやイラクでの人権を無視したイスラム国家の伸長を黙認するようになりました。その裏には、油田に対する権益維持への強い思惑もあったのでしょう。
 

(左から)当時のカーター米大統領、ホメイニ師、パフラヴィー国王

革命から現在の中東における反米志向につながる道のり

 しかし、このことがカーター政権の命取りになったのは皮肉なことです。パフラヴィー政権を非情にも見放したカーター政権に対し、新生イランの考え方はアメリカの予測とは真逆でした。彼らは元々アメリカがパフラヴィー政権と同盟していたことから反米のスローガンを掲げ、先導された民衆がテヘランのアメリカ大使館を占拠し、大使館員を人質にしてしまったのでした。これがアメリカと中東イスラム諸国との対立の原因となってしまいました。この人質事件を解決できなかったことで、カーター大統領は選挙で敗れ、共和党のレーガン政権が生まれたのです。その選挙戦の最中の大統領候補のディベートで、レーガン氏がカーター大統領の中東政策を痛烈に批判したのです。
 
 このことから、レーガン氏が大統領に就任するや否や、イラン政府は人質を解放し、カーター大統領は屈辱を味わったのでした。
 しかし、そんなレーガン政権も、その後の政権も、イラクがクウェートに侵攻した湾岸戦争までは中東政策に対しては常に優柔不断でした。同盟関係にあるサウジアラビアが睨みをきかせている限り、イスラエルとパレスチナの問題さえうまく解決できれば、中東問題はアメリカに対して有利に解決してゆくだろうと思っていたのです。
 
 イラクのサダム・フセインは、ライバルのイランに対するアメリカの態度を見て、さらに湾岸諸国が西側と強く結びついていることを甘く見て、クウェートに侵攻したのでした。これによって、アメリカはイラン、イラクの双方とも対立し、イスラム社会全体にアメリカへの憎悪を撒き散らすことになりました。
 
 その結果、一時はアメリカが支援すらしていたオサマ・ビン・ラディンは、アメリカを悪魔の帝国と称するようになりました。そして、ついにアフガニスタンがソ連から解放されて無政府状態になったことで、そこで私兵を養って2001年にアメリカで同時多発テロ事件を起こしたのです。
 その後、アメリカは中東政策に手こずり、国内ではイスラム諸国への偏見や憎悪が世論を沸騰させたのです。こうした動きにソ連が崩壊した後のロシアや経済力をつけた中国が中東での反米活動の後押しをしようと乗り出してきことが、新たな冷戦、つまり新冷戦の発端となったのです。
 
 歴史は繰り返すというよりも、歴史は常に原因と結果が重なり、次の事態へとつながっているという方が正しいかもしれません。
 

反米結束の対象として使われるイスラエルを支援するアメリカ

 反米を掲げるイスラム諸国やイスラム教徒の多くは、当然アメリカが支援するイスラエルを憎悪します。イスラエルがパレスチナの人々の土地と財産を奪った国というスローガンを掲げることで、反米活動の結束を促す道具として使おうと試みます。サダム・フセイン政権がイラクで崩壊した後のISISなどのイスラム原理主義者は、国境を超えた反米活動を唱え、テロ活動を後押ししました。
 
 ジミー・カーター、ビル・クリントン、さらにはオバマ政権という民主党政権の伝統を受け継いだバイデン大統領は、こうした過去の判断ミスから共和党政権以上に中東に翻弄される運命に晒されます。
 ハマスが、そして北からはイランに後押しされたヒズボラがイスラエルを挟み撃ちにするなかで、ガザ地区にイスラエルが侵攻を始めたとき、バイデン政権はイスラエルを支持する以外の政策は打ち出せませんでした。
 
 イスラム政権を利用してソ連と対峙しようとしたアメリカが支払った代償は大きかったのです。今ではイスラム圏の収集のつかない混乱が自らの政権のアキレス腱になろうとは、イランで革命が起こったときに誰が想像したでしょうか。クロシュ・レザー・パフラヴィー氏の証言は、そんなアメリカの小手先だけの外交政策が、どれだけ大きな「つけ」となっているのかを、まざまざと語ってくれているようです。
 

* * *

『日英対訳 英語で話す世界情勢』山久瀬 洋二 (著)日英対訳 英語で話す世界情勢』山久瀬 洋二 (著)
ますます混沌とする世界情勢を理解するために知っておきたい世界の課題を、日英対訳で解説! 今、世界でさまざまな影響を与えている事象について、単にニュース的な見解と報道を紹介するのではなく、日本人には理解し難い歴史的・文化的背景を踏まえ、問題の向こう側にある課題を解説。そして未来へのテーマについても考察します。また本書では、学校では習わないものの、世界の重要な課題に対して頻繁に使われる単語や表現もたくさん学べるので、国際舞台でより深みのある交流を目指す学習者にも有用な一冊です。

===== 読者の皆さまへのお知らせ =====
IBCパブリッシングから、ラダーシリーズを中心とした英文コンテンツ満載のWebアプリ
「IBC SQUARE」が登場しました!
リリースキャンペーンとして、読み放題プランが1か月無料でお試しできます。
下記リンク先よりぜひご覧ください。
https://ibcsquare.com/
===============================

山久瀬洋二の活動とサービス・お問い合わせ

PAGE TOP