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先進国の鈍感さ、自国が危機にさらされ、初めて実感

【海外ニュース】

In Dallas schools, Fear of possible Ebola Exposure.
(New York Times より)

ダラスの学校は、エボラ出血熱の感染を危惧

【ニュース解説】

エボラ出血熱が西アフリカで流行というニュースは、ここしばらく世界中のメディアで報道されています。
このニュースを、日本を含む世界の先進国といわれる国々は、西アフリカの貧しい人々の苦しみと捉え、ニュースとしてそれを聞きながらも、所詮遠い地域のことだと思っていたはずです。

こうした希薄な意識が、現地への救援活動にも影響を与えてきました。
衛生管理、効果的な薬剤の供給、民衆への教育活動など、あらゆる分野で現地での対応に対する課題が指摘されています。後手にまわった疾病対応もあって、エボラ出血熱の致死率が 70% をこえているのです。
実際、これだけ多くの人が苦しみながら、薬の開発と大量生産が遅れていた理由は、貧しい地域での感染症のために薬を開発する経済効果を懸念した製薬会社の逡巡にその原因があるのも事実で、先進国では国家としてもそうした問題解決に積極的な対応を怠ってきたのではと、多くの専門家は批判します。

そうした中、西アフリカでエボラ出血熱に感染していたトーマス・ダンカン氏が、アメリカに帰国後発症したことが、大きく報道されたのです。
しかも、ダンカン氏は、テキサス州ダラスで、発症の前に学校の子供達と接触していたことが判明。たちまち近隣の人々をパニックに陥れたのです。
“I haven’t been shaking hands, just bumping elbows.” (私は握手はしていない。ただ肘があたっただけ) とある若者は取材に応じ、冷静だけど感染はいやだと感想を述べています。

ダンカン氏は、リベリアからベルギーのブリュッセルを経由して、ダラスに到着しています。主に使った航空会社はユナイテッド航空。
エボラ出血熱は飛沫感染などもありうるために、感染地域から人々が世界に拡散すれば、ちょうどバトンリレーのように病原菌が伝染する可能性があるわけです。

ダンカン氏は、リベリアでエボラ熱の患者の搬送を手伝ったということです。リベリアでは医療施設が対応できず、受け入れられなかった疾病者によってさらに感染が拡大していることから、ダンカン氏もそうした患者と長時間接触していたのです。

帰国者の発症によって、「他人事のニュース」がアメリカで一気に現実味を帯びた脅威となり、風評が飛び交うことで、パニックがおきているのです。
しかも、皮肉なことに、このパニックが手伝ってか、エボラ出血熱に効果のあるという薬の量産も始動したというニュースも聞こえています。
ダンカン氏は critical condition (重篤) で、家族によれば kidney failure (腎臓疾患) を併発し、呼吸障害に陥っていると、アメリカの ABCニュースでは、病状の刻々とした変化を報道する熱心さです。

このニュースが、我々に語るものは何でしょうか。
それは、世界が一つの共同体になっている今日にありながら、我々が遠い地域でおきている事象に対して余りにも無関心で「他人事」としてあつかっている現実です。
ダンカン氏がブリュッセルの空港にいたときいて、同じときに同空港にいた日本人が不安になる程度といっても過言ではない状況が、日本にもあり、世界中にもみられるのです。
それでいながら、今回のダラスでのケースのように、一度自国内に影響が広がれば、今度は以前の無関心による情報不足も手伝って、パニックがおこり、風評被害すらおきてしまうのです。

このプロセスは、震災のとき、被害に同情していた世界中の多くの人々が、原発の放射能汚染が懸念された瞬間にパニックをおこし、日本への旅行を禁止し、日本に駐在する社員を帰国させ、民間航空の日本への直接の乗り入れも一時中止した事実にも共通したものがあります。

常に正しい情報を冷静に入手する姿勢と、そうした情報を提供する政府など公共機関の透明性が常に求められます。
「過剰な懸念」か「過小な関心」の二つの極端しかない、「他人事」への関わり方。そしてそうした関わり方をしてしまう人々の意識に、我々はもっとメスをいれてゆくべきなのではないでしょうか。

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