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マララの語る「教育」を日本が見詰めるとき

【海外ニュース】

The Nobel Peace Prize was awarded Friday to India’s Kailash Satyarthi and Pakistan’s Malala Yousafzai for their struggles against the suppression of children and for young people’s rights, including the right to education.
(CNNより)

金曜日に、子供や若者が教育を受ける権利、そして人権への抑圧と闘ってきた、インドのカイラシュ・サティヤルティと、パキスタンのマララ・ユサフザイにノーベル平和賞が授与された

【ニュース解説】

先週末、このニュースの直後、マララ・ユサフザイさんが受賞にあたって行ったスピーチをききました。
彼女が子供、特にイスラム圏の女性が教育を受ける権利の獲得を目指す活動の中で、一度は凶弾に倒れたことは周知の事実です。
マララのすごさは、その発信力ではないかと思います。彼女は、国連や CNN でのインタビューなど、あらゆる場で高校生とは思えない堂々としたスピーチを行い、多くの人を感動させてきました。

今回のスピーチをきいた時、私はそんなマララの持つ「教養」とは何か考えさせられたのです。
彼女は、そのスピーチで、彼女と共にノーベル平和賞を受賞したインドのサティヤルティ氏のことを取り上げます。
サティヤルティ氏は、児童労働の撲滅を訴え続けてきた活動家です。
彼女は、パキスタンとインドとがともすれば政治的に対立し、時には紛争にまで発展している事実を踏まえ、パキスタン人の自分と、インド人のサティヤルティ氏とが共に受賞したことの意義を語り、両国の指導者に、これをよい機会として、平和に向けた交流をしてほしいと語ります。

彼女の母国語はパキスタンやアフガニスタンで使用されるパストゥーン語で、英語はいわば第二外国語です。
その英語を駆使し、メディアの前で堂々と自らの考えを語る高校生のマララ。しかも、ノーベル賞の受賞にあたって、同じく受賞した人とのことを語りながら、両国の政治問題を少女の目で一刀両断し、宗教や民族の違いを乗り越えて平和を求めるメッセージの力強さはどこからきているのでしょうか。
教育とはこうした洞察力、信じることを語る勇気、そして信念を他の人に伝える発信力を養うことだと改めて痛感させられます。欧米流の教育の強さは正にそこにあります。逆に、残念なことに、物事を覚え、それをテストすることに重点をおく日本の教育の弱点があぶり出されます。
教育とは、人間としての教養を養うための行為に他なりません。教養とは、得た知識を通して世の中の様々な事象をみて、それをリンクさせ自らの信念を培うことで、知識そのものではないということを我々は忘れつつあります。
マララがパキスタン人とインド人がノーベル賞を分かち合ったことを語るとき、One believes in Hinduism and one strongly believe in Islam. And it gives a message people of love between Pakistan and India and between different religions. And we both support each other. It does not matter what the color of your skin is, what language you speak, what religion you believe in. It is that we should all consider each other as human beings and we should respect each other.(一人はヒンズー教を、もう一人は熱心なイスラム教信者です。このことは、パキスタンとインド、そして宗教の違いをこえた人類愛がそこにあることを語りかけてくれます。我々は共に支援し合っているのです。それは肌の色や言語の違い、さらに宗教の違いなどはどうでもよく、人間としてお互いに理解し合い、尊重し合うべきだと我々に伝えているのです)と強調します。
こうした信念を持ち、それを人々に語ることこそ教養であり、マララの受けている教育の素晴らしさを改めて実感します。
実は、マララのスピーチの内容そのものは、今では欧米をはじめ、世界の多くの国で共有されている価値観を改めて語ったものにすぎません。しかし、彼女が、まだ 10代の少女でありながら、命をかけてそれを守ったことに、多くの人が共感しているのです。 つまり、彼女の信念の背景となっている、このスピーチの内容こそが、欧米で子供達に常に教え、指導されているコンテンツなのだということを、我々はここで冷静にみる必要があります。
日本人が、もっと海外に留学し、世界にでて活動する必要性とは、正にそうした環境に身を投じ、世界の常識の中で語れる教養を持った人材になるためなのです。

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