Don’t discount the concept of intercultural communication. Additionally don’t overestimate the power of English skills. It may cause serious misunderstandings between Japanese and its counterparts.
(Yamakuse Yoji Twitter より)異文化コミュニケーションを過小評価し、英語のスキルのみに頼るなかれ。ともすればそれが日本と海外との大きな誤解の原因になることも
よく、日本人が失言をして、海外から批判されたり、意図を伝えたつもりが思わぬリアクションを受けて戸惑ったりという話しを耳にします。
もちろん、メディアが取り上げるのはごく一部のケースのみ。その背景には無数の事例が隠れています。
なぜこうした問題が発生するのでしょうか。ここで日本語と英語との発想法の違いに注目しながら、誤解のメカニズムと、その解決方法について考えます。
まずは、日本人のロジックの作り方を指摘します。日本人は英語で話していても、どうしても起承転結法に従い、ものごとの背景から話をはじめがちです。
つまり、日本人は、具体的な事例など、本題につながる素材を紹介することから話をはじめがちなのです。
しかし、この起承転結法というロジックビルディングの法則を知らない海外の人は、一体その人が何を言っているのか理解できません。そこで、彼らは日本人のはなしの中から、特に自分たちが気にかけているコメントを聞いたとき、それが日本側の真意だと誤解してしまうのです。
この誤解のメカニズムは、政府高官の発言でも多く見受けられます。
英語が堪能であることで知られていた宮沢元首相のアメリカのテレビでのインタビューのケースをはじめ、日本の国益にも関わる深刻な誤解がこの単純な異文化の軋轢からおきた事例を挙げればきりがありません。
宮沢首相のケースは、アメリカのニュースキャスターから、貿易の不均衡への対応を指摘されたときのことでした。首相は、いきなり「日米関係は重要な関係で…」という背景説明から話をはじめたため、アメリカ側に首相の意図が伝わらないまま、インタビューが終わってしまったというお粗末なものでした。
そもそも、より多くの人に向けてメッセージを発信すればするほど、複雑な内容が薄れ、単純なメッセージのみが相手に伝わるという事実を知っておきましょう。特に、英語ではシャープな一言が重視されるにもかかわらず、日本人は、あまりにも多くの事柄を混ぜこぜにして海外に向け発信しがちです。
加えて、マスコミは海外でも日本でも、複雑な背景を削ぎ落し、ポイントだけを報道する傾向があるために、そこで深刻な誤解が産み出されてしまうのです。
「真意が伝わらなかった」という風に失言問題のあとにコメントする日本のリーダー。彼らの多くが、この起承転結法に加え、日本流の曖昧な表現で複雑な背景を一緒に伝えようとしていたのです。
しかも、日本側は、自らの発想法に従って喋っているだけなので、当然、自分はしっかりと意図を伝えたつもりでいるから大変です。
加えて、Universal な文化と Situational な文化という文化背景の違いも、このケースを複雑にしています。
グローバルなコミュニケーションは、Universal な発想の上に成り立ちがちです。
この文化背景を持つ人は、人種差別やファシズムの拒否、一部の国を除いて男女の平等への支持、人身売買や人権蹂躙の拒否などといった世界共有のルールを判断の尺度として、人の発言を評価します。
それに対して、Situational とは、ケース・バイ・ケースで状況に応じて判断しようというものの考え方です。例えば、お年寄りを大切にしようという考え方に立てば、全ての人を平等には扱えなくなります。こうしたときケースに従って柔軟に対応しようと、Situational な人は考えます。
実際、日本やアジアの多くの文化は極めて Situational な背景を大切にします。
逆に複雑な移民社会の土台があり、万人に共通するルールが求められるアメリカなどの多くの国は、Universal なアプローチを極度に大切にするのです。アメリカではお年寄りにも平等の原則が適応され、若者と同じように自立して生きていくことが求められます。ですから、日本流のお年寄りへの配慮が、逆に年齢への差別として係争化することも充分に考えられるのです。このテーマについては私のブログにも特集しています。
こちらで解説しておりますので、ご参照ください。
そして、Universal な文化背景の人は、ここで課題にしている単純明快なメッセージを特に求めているのです。ですから、日本人が何かを公で発言するときは、Universal な価値に触れるタブーへの配慮が特に大切だということを知っておけば、失言や誤解をぐっと減らすことができるようになるはずです。
最後に、過去を重視する文化と、未来をより大切にする文化の違いについても、知っておく必要があります。
アジアの多くの国は過去というしっかりとした土台の上に未来を造ろうという発想を持ちます。これもある種のコミュニケーション文化です。
それに対して、アメリカをはじめとした多くの国では、未来へ進みながら、必要に応じて過去の問題を修正していこうという発想を持ちます。
ビジネスの世界でも、日本の企業が過去におきた不具合やミスに固執するあまり、欧米のカウンターパートとの業務が停滞してしまう事例が多々あります。
過去を修正することを重視する発想で話をすればするほど、未来志向の文化背景を持つ人は当惑し、理解しようとする意欲を失います。逆に、未来志向の人々が過去について触れることが少なければ少ないほど、過去を重視する人々は、そうしたアプローチを無責任な対応として、不信感を抱くのです。
海外の人とのやりとりは、多くの場合英語で行われます。
本人であろうが、通訳であろうが、英語が流暢であればあるほど、ここに指摘したコミュニケーション文化の違いによる誤解がうまれれば、「英語でちゃんと話している以上、本当にそう思っているんだ」というリアクションを相手が持ち、文化背景の違いによる誤解とはとられずに、相手の評価が更にぬきさしならないものになってしまいます。
ですから、私が常に強調するように、海外とのやり取りでは、英語力ではなく、コミュニケーション力と異文化への理解力の方がはるかに大切なのだということを、ここで改めて知っておいてもらいたいのです。
このテーマはさらに折に触れて語ってゆきます。
なお、5月31日のブログ記事で「多彩な文化が交差するグローバルなビジネス環境」について解説しておりますのでご参考ください。