【海外ニュース】
Evolution stops here: Future Man will look the same, says scientist.
(Mail On Online より)「進化は止まり、将来の人類は現代と同じ形態に」
科学者は語る
【ニュース解説】
このイギリスの記事が語っていることは、思いのほか深いものを我々に投げかけます。
ロンドンの著名な遺伝学者 geneticist スティーブ・ジョンズ Steve Jones 氏によれば、人類の進化は終わりつつあるというのです。
もし人類が100万年後に存在していたとしても、現代の人類とほぼ同じ形態なのではと同氏は語ります。
理由は3つあります。一つは、In a harsh environment where people are competing to survive, natural selection is a potent force. すなわち、過酷な環境の中での自然淘汰こそ、進化の重要な担い手となってきたことだと同氏は強調します。昔は化学が発達しておらず、子供の死亡率も高く、人々は常に自然の様々な脅威に晒されていました。この過酷な環境があってこそ、それに耐えるための進化が人類に起きたのだというのが同氏の主張です。
実際、誕生以来46億年の歴史の中で、地球が巨大隕石の衝突や、何千万年にもわたって全球凍結という厳しい環境におかれたりしたことが、何度かありました。そんな過酷な状況を抜け出したとき、生命体に進化がみられた事例は多々あります。
しかし、現在は食料事情から温度調節まで、人類は自らが快適に過ごせるように環境自体を適合させようとしています。これが進化をストップさせる原因となるわけです。
第二の理由は、In the old days, you would find one powerful man having hundreds of children. 昔は、精力的な男が何百人もの子供を作った事例があるという面白いもの。
ここでジョーンズ博士は、17世紀に実在したモロッコの王が 888人の子供をもうけたというギネスブックものの事例を取り上げています。
年をとっても、女性と性交渉を続けるタフな男性の精子は、年齢とともに劣化するものの、その分だけ突然変異の可能性が増えるというものです。つまり、これは突然変異が遺伝をして、それが進化へとつながるのだという生物学の原則からの推論となります。
セックスレスといわれている現代人、特に男性の精力の減退と中性化が進化の鈍化につながるわけです。
例えば、過酷な環境におかれている生物は、無数の卵を産み、子供がふ化します。それらの多くは死亡しますが、試練に耐えて生き抜いた者が、次の子孫を残せるようになるわけで、その原則は人間にも通用するのかもしれません。
そして三番目の理由はさらに興味深いものです。
それは、世界が狭くなり多数の人々が交流することで、遺伝子の突然変異が止まるというものです。ガラパゴス島の事例のように、閉ざされた空間に長く限られた生命が隔離された環境こそ、突然変異を誘発するというわけです。
人間は、近親者の性行為を拒絶する社会制度を整えています。そのことは、血のつながりの近い者同士の性交渉が奇形などの原因となるためだといわれています。しかし、皮肉なことに、奇形こそ突然変異の一つの形態というわけです。
人類は、自らを繁栄させるために、より快適で安全な環境を創造してきました。我々はそれを全面肯定しながら現代に至っています。
しかし、皮肉なことに、そうした行為が逆に人類の進化に歯止めをかけているというわけです。
この記事が語ることは、壮大な人類の進化の歴史と現代人との関係に関するものです。しかし、ここで語られていることを現代の日本に当てはめてみると、ちょっとぞっとしてしまうのは私だけでしょうか。
便利になり、過酷な環境や試練を知らない世代が増え、かつ日々管理される社会に生きることで、人間の生命力自体が発揮しにくくなっている現代の日本。また、リスクをとることを極力抑える安定志向の中、過剰なコンプライアンスや安全への異常な執着のみが強調される今の日本社会。その中で生命力につながる貪欲さや、逞しさを忘れつつある我々これこそが、国としての進化を疎外する要因になっていないかという素朴な疑問がここから見えてきます。
今までは、このまま進化が続けば、we are destined to evolve into super-beings「我々は超能力をもった生き物に進化する」と人々は期待していました。しかし、そうしたことは起こらないとジョーンズ氏は natural selection and mutation 自然淘汰と突然変異との関連を研究した結果そのように断言したのです。
我々が自らの社会を中世に戻すことはできません。ただ、失われた過去の逞しさを見直すことが今問い直されていることは事実です。
日本の学生と中国や東南アジアの学生とを比較すると、ハングリー精神や未来へのチャレンジ精神に際立った違いがあるとは、様々な教育現場から聞こえてくるコメントです。
タフな人間を育てる教育をもう一度考えることが、今の日本には特に問われているのかもしれません。