【海外ニュース】
Post-Mortem for Russian Finds No Sign of a Struggle
(New York Times より)ロシア人への司法解剖の結果、争いのあとは見当たらず
【ニュース解説】
社会主義体制化下の旧ソ連、そこにはノーメンクラトゥーラと呼ばれたエリート集団がいました。
1946年にモスクワで生まれ、応用数学 applied mathematics で博士号 doctor’s degree を取得し、ソ連科学アカデミー会員になったボリス・アブラモヴィッチ・ベレゾフスキーも、そんなノーメンクラトゥーラの一人でした。
ベレゾフスキーはソ連崩壊前後に民営化 privatize した企業を経営し、ネットワークを広げて財を成し、政界にも大きな影響を与える存在となったのです。
そんなベレゾフスキーが、亡命先のロンドン郊外の自宅で自殺をしたというニュースが先週末に報道されました。そのとき誰もが思い出したのは、2006年11月におきたリトビネンコ暗殺事件だったのです。
ロンドンの中心地、ピカデリーサーカスにある寿司屋での会合のあと、体調をこわし入院したリトビネンコは、大量の放射能に被爆していました。そして彼はまもなく死亡。その殺害方法からみても、明らかな組織的暗殺事件だったとして英露間の外交問題にまで発展したのです。
彼はロシアの諜報活動のプロで、自らの組織での非合法な暗殺計画や財務活動などを内部告発 whistle-blowing したのです。リトビネンコは、その後ロンドンに亡命 exiled したものの、結局は暗殺されてしまったのです。実は、彼がロシアで諜報活動をしていた当時の上官が、今のロシア大統領プーチンでした。そのことから、リトビネンコ暗殺事件の黒幕にプーチン自身が関与 involvement していたのではという様々な憶測が囁かれました。
そんな、リトビネンコを亡命先のロンドンで保護し、プーチン政権への批判を続けていたのがベレゾフスキーだったのです。
エリツィン政権下、ベレゾフスキーは事業を拡大。自動車や航空業界から石油関連、さらにはマスコミにも触手を伸ばし、ベレゾフスキー帝国を築きあげます。旧ソ連末期に獲得した利権を利用し、社会主義政権の崩壊と共に大資本家として社会に君臨したオリガルヒと呼ばれる新興財閥の代表格となったのです。
ソ連崩壊時、腐敗した軍内部には武器を海外に密輸して私腹を肥やす者、混乱する社会にマフィアとして進出し、闇の世界で台頭した者などが多くいました。ベレゾフスキーはそうした社会の暗部とも利権を巡り対立し、実際に暗殺されかけたこともありました。
彼は新生ロシアで政界入り。その財力と人脈をもって政界のフィクサーとしても活躍します。もちろん政敵も多くいましたが、うまく体制側と連携し、泳いでいったのです。
そんな状況が変化したのが、プーチンが政権を掌握したときのことでした。
プーチンは、自らの権力基盤を脅かしかねないオリガルヒに対して、その影響力を露骨に削ぎ始めたのです。
代表例が、ミハイル・ボリソヴィッチ・ホドルコフスキーへの汚職追及でした。旧ソ連時代に、共産主義青年団コムソモールの書記として頭角をあらわしたホドルコフスキーは、その組織の利権を土台に、金融資本家として台頭。やがてロシアの石油産業の2割を牛耳った石油会社ユコスを設立したのです。
西側諸国ともパイプを持ち、シベリア開発にも強い意欲を見せていたホドルコフスキーは、プーチンの権力基盤を脅かす存在でした。プーチンは一気に先手を打ちます。強引ともいえる方法で、2003年にホドルコフスキーを脱税容疑で逮捕し、ユコスを倒産に追い込んだのです。今、彼はシベリアで長期の禁固刑に服しています。刑期はどんどん延長され、2017年までは釈放されない状況です。
オリガルヒと呼ばれる人々は、混乱期のロシアで政財界に暗躍した財閥で、そこには癒着や賄賂も介在します。そんな「叩けば出るほこり」を利用したプーチンの豪腕な政治力で、彼らはどんどん追いつめられていったのです。
中には、プーチンに恭順し、忠誠を誓ったオリガルヒもいました。
ベレゾフスキーのライバルであったロマン・アブラモヴィッチなどはその典型で、今でもロシアで大資産家として活躍しています。
ベレゾフスキーは、ホドルコフスキーと同じくプーチン批判を行い、独裁体制にくさびを打とうとしますが、一般大衆は利権を享受して肥大化したオリガルヒへは懐疑的です。むしろそうした利権を砕こうとするプーチンが「正義の味方」のようにみえていたのです。
最終的にはロシアの航空会社アエロフロートでの背任横領罪をもって当局が訴追しようとしていることを察知したベレゾフスキーは、2001年にロンドンに逃れ、そこから政権批判を続けていたのでした。
晩年のベレゾフスキーは家庭不和に加え、ライバルのアブラモヴィッチとの訴訟に破れ、経済的にも困窮していました。明らかに自殺で、他者が彼の死に関係した形跡はないとイギリス当局は発表しますが、本人が精神的にも経済的にもかなり追いつめられ、じわじわと死へと導かれていったことは事実です。
プーチン体制は今や独裁体制だという批判が、ロシア内部でも大きくなりつつあるなか、ベレゾフスキーの死は、大統領の陰の力を改めて衆目に晒したことになるわけです。
今、プーチン政権は中国や日本とのバランス外交をもって、極東での勢力拡大に意欲的です。この怪物ともいわれる政治家を相手に、日本はどのように外交を展開できるのか。手腕が問われていることはいうまでもありません。