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新たな英語教育に向けて

これから英語教育が変わるといわれています。
今、中学1年生の子供が大学受験に臨む頃、英語の受験は外部のテストを導入して、よりコミュニケーション力を重視した選抜方法に移行するといわれています。

では、コミュニケーション力とはそもそも何でしょうか。
例えば、「駅で会いましょう」という文章に対して See you at the station. という英文がその英訳としてあり、この文章の中の at の部分がブランクの括弧になっています。そして正解として at をいれることが従来の受験のあり方でした。

でも、考えてみてください。
例えば、東京駅で待ち合わせているとき、ただ、See you at Tokyo station. などと言って、本当に二人は出会うことができるのでしょうか。
不可能ですね。しかも、実際は東京駅の中で会うわけですから、See you inside Tokyo station. という方が現実的じゃないでしょうか。
つまり、inside であろうと at であろうと、よしんば by であろうと、状況によってどのような正解でもいいわけです。
今までの英語教育はそこに無理矢理 at という一つの正解を押し付けていたわけです。

しかもコミュニケーションということを考えた場合、例えば、

Let’s get together at Tokyo station.
Great. You mean in the terminal. Where?
Well, do you know Kitaguchi or north entrance?
Yes.
OK. I will wait for you at the ticket office located in the Kitaguchi area.
When?
How about 4:00 p.m.?
Good see you then.

といったような会話があるはずです。しかも、こうした会話がなければ二人は合意した時間に出会うことはできません。
さらに、この会話の中には必ずしも文法的に完璧ではない文章も含まれてます。
しかし、二人はここでちゃんと理解し合えているわけです。
これがコミュニケーションなのです。
at という正解を選ぶのではなく、こうした会話全体をマネージできる能力が問われているのです。

そもそも、コミュニケーションをする上で、前置詞にせよ、疑問形にせよ「正解」は存在しないかもしれません。
しかも、お互いにわからないことは質問しあい、確認しながら、さらに時には自分のニーズを相手にわかってもらいながら最終的な合意に至るわけですから、一つのセンテンスを完璧に造ったところで意味がないのです。
つまり我々は、従来の受験勉強を根本的に変革しない限りコミュニケーションに主眼をおいた英語教育はできないのです。

例えば、

I think we need to visit their sales office.(彼らの営業所を尋ねるべきだと思うけど)
Why?(どうして)
Because it is important for them to understand the spec of our product.(だって我々の商品の仕様を理解してもらいたいから)

というやりとりがあったとします。従来の英語教育では、because は接続詞なので、because に続く文章だけでは接続詞は機能せず、文法的に文章は成立しないことになります。
しかし、実際の会話では Why といわれたあとにこうしたやりとりがごく自然にあり、このように言わない限り会話は成立しないはずです。
これがコミュニケーションを考えた実用英語というわけです。

もちろん、文法や発音を完全に無視していいかというとそれは違います。しかし、より相手と理解し合い、物事を前に進めるコミュニケーションを考えた場合、文法や発音、さらには正しいとされる英語とはまったく別の臨機応変な対応があるわけです。そして、それこそが、日本人が最も苦手とする英語でのコミュニケーションなのです。

発信型でコミュニケーションを重視した英語教育を考えるとき、それに向けた新たな method で子供達を新しい「型」にはめたり、コミュニケーションの名ものもとに、新しい受験英語を造り上げたりすると、本来のコミュニケーション力は育ちません。
そこのところをどう意識して、英語教育の指針を固めてゆくか。今正に正念場なのです。

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