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日本人の「グレンチャイ」を振り返れば

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“Almost 95 per cent of the population practices the southeast Asian form of Buddhism called Theravada. The Buddhist approach to life has strongly influenced Thai attitudes and behavior.”

(95%の人が東南アジアに伝搬された小乗仏教を信奉しており、仏教徒としてのライフスタイルが、タイの人々の行動や態度に大きな影響を与えている)

グレンチャイという言葉があります。タイに駐在するか、タイと深く関わったことのある人なら一度は聞いたことがある言葉ではないでしょうか。日本語に翻訳すると「遠慮」となります。では、遠慮という概念を英語で説明するとどうなるでしょう。これは結構至難の技です。特にアメリカのビジネス文化では、遠慮という概念は日本ほど重要ではありません。それどころか、遠慮せず自らのニーズを即座に表明することが、相手との信頼関係を築く上では欠かせません。ということは、日本人のコミュニケーション文化は、タイなど他のアジアの国々と共通することが多いのでしょうか。
 
タイは、東南アジアにあって唯一独立を保ってきた国です。その昔、ベトナムやカンボジアがフランスに、インドネシアがオランダに、そしてマレーシアやミャンマーがイギリスの植民地となり、フィリピンも19世紀まではスペイン、その後はアメリカ領となっていました。タイだけが、王国として自国の伝統を維持してきたのです。かつ、タイは仏教国です。アジアの伝統を維持してきた仏教国といえば、当然そこに日本にも通じるアジア古来のコミュニケーションスタイルが残っているといってもおかしくはないはずです。
 

アジア流グレンチャイ=「遠慮」の文化に翻弄されて

しかし、そんなタイに駐在した日本人はおしなべて、このグレンチャイというコミュニケーション文化に苛まれます。昔ながらの上下関係がしっかりと根付いているタイにおいて、人といかに和を保ってものごとを進めてゆくかということは、彼らが最も意識していることです。この意識がビジネスをシステムにのっとって進めてゆく上での障害となるのです。
 
例えば、タイにおいて日本人の上司から何か指示されたとき、タイの人は本音では「はい」ではないときでも「はい」と承諾することがままあるのです。「できません」とか「そうは思いません」といった本音はいわず、遠慮(グレンチャイ)しながら建前として「はい」というわけです。波風を立てないために。しかも笑みを浮かべて。ですから、その言葉を信じて仕事をしたものの、デッドラインが守られないということで駐在員は翻弄されるのです。
 
実は以前、これと同じような逸話が欧米人の間で話題になったことがありました。それは、彼らが、バブル経済にわいていた頃の日本人といかに仕事をするべきか、という課題に直面したときのことでした。日本へ投資し、ビジネスを拡張しようと世界中の人が考えていた時代、彼らは日本語を勉強し、日本の企業に勤め、慣れない箸を使いながら、いかに日本人とコミュニケーションをするか試行錯誤を繰り返していました。そんな彼らが、曖昧な笑みを浮かべ、意思をはっきり表明せず、本音と建前を使い分ける日本人の行動に翻弄されていたのです。いわば、日本流のグレンチャイに戸惑っていたのです。
 
バブルがはじけ、日本の硬直した構造疲労が話題となったとき、こうした日本の価値観にこだわる日本社会の体質そのものが、海外から批判されました。香港シンガポールといった、より欧米流のコミュニケーションが流通している地域にアジアの本部機能を移動する会社も現れました。しかし、今考えてみれば、日本はアジアの中ではじめて欧米のビジネス環境に、そしてその中で切磋琢磨する競争社会に飛び込んだ国だったのです。従って、多くの人が日本という経済大国が引き潮と共に遠ざかったときに、アジアの価値そのものを日本独自の価値と取り違え、それを時代遅れの骨董品のように批判したのです。
 

経済の波に歪められた「日本のコミュニケーション文化」

しかし、タイに行けば、そんな伝統的なアジア流コミュニケーションスタイルがしっかりと維持されています。仏教国であるタイでは、感情の起伏をそのまま仕事場で表せば、その人の「人徳」への懸念へとつながります。家族意識の強いタイでは、「内と外」という観念が根付いていて、「内」の人間にならない限り、なかなか本音はききだせません。
 
逆に、日本では、バブル崩壊の後の暗黒の10年と呼ばれる経済の低迷に苦しむ中、自己批判するかのように旧来の価値観が否定されたこともありました。伝統的な日本流コニュニケーションスタイルがいびつに変化し、欧米流でもなければ、旧来の日本人らしいものでもない、新しい世代文化が培われました。以前はあり得ないことだった、上司から飲みに誘われたときに「用事がありますから」と断る若者も増えてきました。「顧客が神様」という上下関係のマニュアルも通用しにくくなり、終身雇用からくる組織への忠誠の神話にも変化が現れました。
 
こうした変化について語ったとき、「それはより日本がグローバルになったということさ」という反応を示す外国の人も多くいます。しかし、本当にそうなのでしょうか。もし、日本人がバブルの崩壊と共にその背骨そのものをへし折られ、直立歩行できないままにグローバル経済の重力に押しつぶされながら変質を遂げていたとしたら、これからの未来はどうなるのでしょうか。グローバル化し競争力をつけるのではなく、本来日本人がもっていた品質へのこだわりや、相手に配慮して物事を進める柔軟な交渉力が、この変化と共に失われつつあるのではという危機感を抱いている人は多いはずです。
 

日本が迎えている「変質の危機」

文化には、強い部分と弱い部分がちょうどコインの表と裏のように存在し、他の文化と接したとき、それが交互に現れ相手と接触します。普通はその強弱によって相手と接しながら調整を行い、コミュニケーションのバランスを保ちながら、異文化環境で鍛えられてゆくのです。しかし、もし文化の弱い部分が強い部分を凌駕した場合、あるいは強い部分も弱い部分の一部と誤解してそれを崩壊させた時、その国や民族の文化そのものが変質してしまうこともよくあるのです。今日本が直面しているのは、そんな変質の危機なのではないかと思ってしまいます。
 
タイの「グレンチャイ」に接して、しょうがないなと呆れる日本人が、蟹の横ばいのように自らの背骨にも同じアジアの遺伝子を抱いているのだということを、もう一度考えてみるのもまた必要なのかもしれません。
 

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アジアの人々と働くこと

『なぜ銀座のデパートはアジア系スタッフだけで最高のおもてなしを実現できるのか!?』千葉祐大 (著者)なぜ銀座のデパートはアジア系スタッフだけで最高のおもてなしを実現できるのか!?』千葉祐大 (著者)価値観の違うメンバーを戦力化するための17のルール!訪日外国人の数が、毎年過去最高を記録している現在の日本。お客さまが外国人であれば、接客する側も言葉や文化を理解している同国人のほうがいいと考えるのは当然のこと。しかし、「はたして外国人に、日本人と同じレベルのおもてなしを実践することができるのか」「どうやって、外国人におもてなしの教育をすればいいのか」と、懸念や疑問を持つ現場関係者が多いのも事実です。本書は、外国人とりわけアジア系人材を、おもてなし提供者として育成する教育方法について、銀座のデパートで実際に行われている事例を取り上げながら、詳しく解説します。

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