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本田圭佑のミラノでのインタビューが語るもの

「本田圭佑のミラノでのインタビュー、どう思った?」

今日、私のオフィスにやってきたあるアメリカ人に質問しました。
私は、本田が英語には多少間違いはあったものの、堂々と対応したこと、AC Milan へ の敬意を地元の人々の前で語ったことなど、よかった点をまずコメントし、彼の意見を求めました。

すると、彼はいきなりこういいました。

「ねえ。本田がインタビューを受けたぐらいで、日本人はどうしてそんなに騒ぐんだろう。しかも、彼が英語で応対したということで誰もがすごいなっていっている。日本人にとって、海外で英語で喋ることがそんなにすごいことなんて、ちょっとびっくり。これってごく当たり前のことなのに」

思わぬフェイントにちょっと驚いたものの、確かに彼のいいたいことは理解できます。

「英語ができる人でも、海外で現地の人が感心するように堂々と対応できる日本人は確かに少ないね。だから、本田みたいにちゃんと英語で対応しただけで、皆びっくりするんだろうね」

「これって問題だよ。日本の課題といってもいいかも。だって、一歩海外にでれば、インタビューなどは英語で対応できなければどうにもならない。いろんな国の人が、ちゃんと英語で対応している。だから本田のやったことはごく当たり前のことで、特筆することでも何でもないんだよ。日本ってとんでもない人材不足に見舞われているんだね」

「そうかもしれない。でも私の仕事は、そうした日本人に敢えてハードルを下げて、英語でのコミュニケーションについて語らなければならない。日本人の場合、英語ができる人でも、海外で相手とうまくコミュニケーションできるかということとなると、人材が極めて限られてくる。英語ができても日本人の発想で英語を喋るものだから、その分だけ相手に誤解を与えてしまうことがよくあるんだよ」

「そうそう、そうした意味では本田も危険な発言をしていたね」

「サムライについてかい」

「そうそう。イタリア人の記者が、サムライ精神をもってくるのかと聞いたときさ。最初の応対はとてもよかった。僕はサムライに会ったことがないと本田が言って、皆を笑わせ、場を和ませたから。あれはとてもよかった。でもそのあとのコメントがいただけない」

そのことは、私もよく理解できます。
本田は日本人は決してあきらめない粘り強さをもっていると Japanese is — という言葉を使ってコメントしました。
こういう風に言うと、日本人の優越感を相手に語っているような誤解を与えかねません。恐らく、これは英語の表現力の不足からきたあやまちだと思いますが、確かにこれは危険な発言でした。

「多分、彼はどう答えていいか解らず、文章も組み立てにくかったので、敢えてああいう言い方になってしまったのじゃないかな」

私がそうコメントとすると、彼は次のように言いました。

「いえね。本田は全体的に笑みが少なかった。真面目な顔をして Japanese is とスタートすれば、誰もがそれは真剣なことだと思う。あの場合、もっと客観的に、Samurai spirit is — というような表現で彼の思いを表現し、私の中にもそうしたガッツがあると思うとでも言えばよかったんだけどね」

確かに、これはなかなか難しい課題です。
でも、海外の人が、我々のどのようなコメントにどのようなリアクションをするかといったことを知るには、このアメリカ人の発言は参考になります。

本田は、多くの政治家や企業家が見習って欲しいほど、しっかりとインタビューをマネージしました。サムライについてのコメントには、英語にハンディキャップのある日本人が陥り易い課題が残ります。しかし、こうした失敗を繰り返しながら、人は異文化で鍛えられてゆきます。

「なるほど。一つコメントすれば、君のいう通り、本田はもう少し笑顔が欲しかったかも。でも、彼は日本でもああいう表情を通している。だからそれも個性かな。あと言えることは、もっとインタビューをしている人の目を見て、強いアイコンタクトで答えれば、そのキャラクターがさらに活きてきたとは思うけど」

私は、最後にそう言って、彼と本来しなければならない仕事の話題に移っていきました。
異文化での体験は成功と失敗のくり返し。そこから学び、コツを覚えてゆく以外にコミュニケーション力を上達させてゆく妙薬はありません。
本田が強豪チームでのサッカーを通して揉まれ強い選手となってゆくように、様々な試練を乗り越えて、我々は世界を渡り歩けるコミュニケータになってゆくわけです。

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