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近未来は未だ来ず?「2001年宇宙の旅」から47年

【海外ニュース】

The plot of “2001” hinges on man’s eventual discovery of intelligent beings else-where in the Universe. Is this fantasy? But the premise isn’t just fantasy. Regular pulsar radio emissions have been picked up by scientists in England and Puerto Rico. Four separate Sources of transmission have been isolated so far, and the evidence points to highly advanced civilizations, perhaps hundreds of light years away from the Earth.
(ニューヨークタイムズより)

2001年宇宙の旅のプロットは、人類が宇宙のどこかに知的生命を発見することを促している。それはファンタジーの世界だろうか。いや、この前提はファンタジーとはいえない。イギリスやプエルトリコで、常に電磁波が宇宙から放出されていることが確認されている。その4件の事例はそれぞれ別個のものとはいえ、おそらく地球から何百光年も離れたところで、極めて進んだ文明が存在することを指摘しているはずだ

【ニュース解説】

1968年4月14日に、ニューヨークタイムズでは、その月に公開された映画「2001年宇宙の旅」2001: A Space Odyssey について大きな特集を組みました。これはその記事の一部です。
当時、UFO など、地球外生命の話題がよく取り沙汰されました。この特集でも、そうした世相を積極的に反映し、映画の評論を通して、地球外生命の存在の可能性を指摘しているわけです。
こうした宇宙への関心の高まりは、当時アメリカの宇宙開発が画期的に進歩し始めていたことと無縁ではありません。この特集が掲載された翌年の夏には、アポロ11号が人類史上初めて月に人間を送っています。
元々、宇宙開発競争は、米ソ冷戦構造の中で、お互いのプライドと軍事的な優劣をかけた熾烈な科学競争として、加熱していました。
映画では、当初有人宇宙船などの分野で優勢であったソ連を追い抜き、2001年にはアメリカが大きくイニシアチブをとっている様子が描かれます。

映画のシーンを細かく見れば、現在我々が日常として接しているものもいくつか発見できます。指紋認証システムの代わりに、音声認識システムが機能し、スカイプなどのインターネットでの通話の代わりにテレビ電話で人々がコミュニケーションしています。

未来を予測するとき、過去に SF映画などで描かれていた世界を参考にすることは興味深いものです。
人間は、空想の世界で未来を描くとき、我々はこのようにありたいという願望を描きます。ですから、未来へ向けた技術革新も、そうした人間の願望とは無縁ではなく、人類が想像し、期待する方向に未来が造られていったとしても、不思議なことではありません。
1968年当時、将来電話などでも通話相手の顔をみて話をしたいと思えばこそ、今我々は、そんな願望をインターネットで実現させたことになるのです。

さらに言えることは、人類の未来に向けての願望は性急です。
願望が強ければ強いほど、近未来にそれが実現できそうだという期待から、錯覚に陥ります。「2001年宇宙の旅」にみられる宇宙ステーションや木星探査の様子は、おそらく今から考えても、50年先のことかもしれません。

一方で、人類は科学技術などの物理的な願望以外では、意外と未来を見詰めていないことも、この映画から見えてきます。人類は、自らの生きる時代の意識や常識には極めて執拗に固執しているのです。
「2001年宇宙の旅」をみる限り、そこで活動している人々は全て Caucasian、つまり白人系。我々アジア系を含め、いわゆる「有色人種」は登場しません。
現在、似たような映画を作成するなら、必ず黒人やアジア系の優秀な人材が描かれているはずですし、女性ももっと積極的に登場しているはずです。
面白いことに、当時ソビエトは共産主義社会の建前で、女性が積極的に社会に進出していました。映画ではそうした状況を伺わせる女性の科学者も現れます。しかし、全体でみるならば、映画の中の女性は “キャビンアテンダント” としての役割を担っているに過ぎません。

つまり、我々は、物理的技術については想像力があるものの、社会の変革については、なかなか未来へ向けた想像力を発揮できないことになります。もちろん、映画を成功させるためには、当時のモラルや常識を逸脱するわけにはいかなかったのかもしれませんが。

一方で、面白い逸話が残っています。
この映画を監督したスタンリー・キューブリックは、当初映画の美術担当に手塚治虫を予定していたというのです。この話は手塚とのスケジュールの調整がつかずに流れてしまいますが、このことから監督自身は人種などへの偏見なく、有能な人物を登用しようとしていたことが伺えます。

公民権法が 1964年に制定され、人種差別が法律的に禁止されてから4年。1968年頃のアメリカは社会的にも過渡期にありました。それはベトナム戦争への反戦ムードから、既存の社会への批判が噴出した時代でした。

「2001年宇宙の旅」から 74年。今、我々は当時を振り返りながら、どのような近未来を描こうとしているのでしょうか。この映画で描かれた延長線上に我々はいるのでしょうか。興味の尽きない話題であるといえましょう。

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