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ビジネスの未来のためにも求められるco-existenceという概念

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“Nobody in Europe will be abandoned. Nobody in Europe will be excluded. Europe only succeeds if we work together… Germany wants peaceful co-existence of Muslims and members of other religions.”

(ヨーロッパの誰も見捨てられず、排除されない。ヨーロッパの試みは多くの人が一つになるときに、成功するのだ。そしてドイツはイスラム教徒と他の宗教のメンバーとの共存を望んでいる)
Angela Merkelのスピーチより

“interactive”な市場から取り残される日本

今、ビジネスはグローバル化されていると誰もがいいます。実は、ビジネスもグローバルとローカルとに二分され、そこに明らかにギャップや格差が生まれています。ただ、これからのビジネスでは、何を行うにしろ、AIやInternet、MaaS (Mobility as a Service)といった未来型のネットワークがなければ、市場から取り残されてゆくことだけは確実でしょう。例えば細かいことですが、いまだに日本の鉄道の中ではクレジットカードが使えない駅が多く、実は新幹線でも車内で切符を変更してもらうときなどは、キャッシュだけの応対です。オンラインどころではありません。これを海外の状況と比較すると、将来の日本に強烈な不安を覚えます。
 
海外でのサービスはますますinteractive、すなわち双方向になろうとしています。ユーザーとサプライヤーが双方のニーズを交換し、サービスのネットワークを広げるのです。例えば、ネットで航空機を予約すれば、それに連結した鉄道やホテル、さらには現地のレストランでの夕食の予約や機内食の好みまで、様々なサービスが受けられるように、国際間でネットワークすることがMaaSの目指すところです。そこには、Uberやそれに類するタクシーやバスなどのサービスも含まれます。もしかすると、長距離を移動してきたビジネストラベラーが、空港に到着すれば、そこに自動運転のタクシーやカーシェアリングサービスが待機していて、それを利用すれば、そこに注文していたサンドイッチとコーヒーがあり、それを楽しみながらホテルへ、ということも近未来にはあり得るのです。
 
日本の弱点は、実は中国と似ています。それは、日本は島国で物理的に他国と閉ざされ、さらに隣国とも良好な関係が築けないのです。ですから、ヨーロッパなどのインタラクティブなサービスへの発想に限界が生まれ、しかもその限界をよしとする行政の規制が根強いのです。中国は、大陸国家ですが、民主化を恐れ、国が海外からの情報とそのインタラクティブな流通を極度に規制しているという課題があります。ですから、現在中国国内がいかに電子化され便利になっていても、海外からの知恵を自由な発言と共に取り入れない限り、いずれ技術力にも中国ならではのガラパゴス現象がおきるはずです。日本も中国も、双方にこうしたジレンマを抱えながら未来を見据えているのです。

“co-existence”を揺るがす”identity crisis”

現在の市場社会で、世界の動きに対応するためには、人々の知恵の共有とネットワーク、そして知識そのものの流通に注目しなければなりません。サービスの必要なところに、世界中から知恵や人材が集まり、ニーズのあるところに、世界中からビジネスのオファーがあるような社会造りが必要なのです。それには、日本でもある程度の移民の受け入れと、出入国、さらには就労に関する自由化が不可欠です。
 
この課題に古くから取り組んできたのがヨーロッパです。ここに紹介したドイツの指導者メルケルの言葉はその背景を象徴しています。ヨーロッパやアメリカでよく話題になる概念に、ここで彼女が語ったco-existenceという言葉があります。それを直訳すれば「共存」となります。今、世界ではこのco-existenceが大きなテーマになっています。つまり、移民や異なるジェネレーション、さらには同じ民族であっても異なる価値観を持った人と、いかに共同して社会を形成してゆくか、ということがそのテーマになります。
 
ヨーロッパやアメリカの場合、この課題が社会を揺るがしています。例えば、ロンドンの例をみるならば、そこには多くのイスラム教徒の移民がいます。彼らは伝統的なイギリスの生活習慣とは全く異なった毎日を送っています。日本では「郷にいれば郷に従え」という言葉がありますが、そこに宗教が絡むとそう簡単にはいきません。例えば、学校での給食を考えても、食べられるものに大きな違いがあります。祈りの時間も考えなければなりません。さらに、断食月といわれるラマダンの期間は、日の出から日没まで食事ができません。女性の地位に関する常識も、時には大きく異なります。こうしたことは、別にイスラム教徒に限ったことではありません。ベジタリアンとして生きている人は、レストランでの食事のメニューのみならず、そこで使用されている目に見えない材料にも気を配ります。レストラン側でも、こうしたベジタリアンや様々な宗教のニーズにあったサービスが求められます。それは、ちょうどアレルギーのある人が、その素材に対して気をつかうことと同じです。
 
こうした、風俗習慣の異なる人が共存するときに起こりがちなことが、そこに元々住んでいた人々を見舞うidentity crisisアイデンティテイ・クライシスです。自らの伝統的生活文化が蝕まれてゆくような危機感に苛まれるのです。それは、そこに新たに移住して来た人々にとっても同様です。その典型的な事例がアメリカにあります。アメリカは、最初に大量に移住してきたプロテスタント系の白人が社会規範を作りました。後発の移民達は、宗教的な儀式や風習は維持できても、ビジネス文化や社会常識においてプロテスタント系のアメリカ人の作り上げた常識に従って生活をしてゆかざるを得なかったのです。しかし、移民がより多様になった現在、従来の風習や常識そのものが変化を強いられています。こうしたことへの不安や苛立ちが、社会に新旧双方のグループに排他的な意識を育むのです。ヨーロッパやアメリカでおきるテロ事件の多くが、海外から送られてきた犯人によるものではなく、自国に育ち教育を受けた移民グループや伝統的な価値に固執する人々によって起こされていることに注目するべきなのです。

日本に求められる”cultural awareness”

こうしたidentity crisisの軋轢を乗り越えて「共存」を模索するときに使われるのがco-existenceという言葉なのです。co-existenceの基本はdifference、つまり人との相違を肯定すること。そしてcultural awarenessという概念を常に意識することになります。cultural awarenessとは、他の文化への受容性と寛容性を抱くことを意味します。
 
日本の場合、社会においてまずグループでの発想が優先される傾向にあるために、difference という言葉はともすればネガティブな意味で捉えられます。「彼は変わっている」といえば、それはその人に対する批判と捉えられます。しかし、co-existenceという課題と取り組んできた欧米ではdifference は良いことだという意識が主流です。その土台の上に、cultural awarenessというアプローチが存在するのです。
 
こうした事例をみるにつけ、移民や異文化摩擦へ柔軟に対応する方途の模索が、今後の日本の競争力を担う上でも求められていることがわかります。ここに記したco-existence, difference, cultural awareness, そしてdiversityについて考えることが、世界の知恵を流通させ、日本の中にもそれを導入し、応用し、創造的な技術を芽生えさせる社会的な知恵を育む原点になるのです。島国国家日本が、精神的な島国から脱出せざるを得ない現在、こうした海外の動きや現実を直視することが強く求められているのです。
 

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