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シラーズワインが語る歴史と人類の記憶

Does Shiraz wine come from Iran?

(シラーズワインはイランからやってきたのか?)
― BBC より

有名な葡萄の産地に受け継がれるワインと歴史

 フランスのローヌ地方で栽培されたシラーという葡萄。シラーズと呼ばれることもあり、コクのある風味で知られるワインの名前としても有名です。
 現在ではオーストラリアなどでも栽培され、日本でもワイン愛好家の間で人気のワインです。フランス産のワインがシラーと呼ばれるのに対して、オーストラリア産のワインがシラーズと呼ばれます。もちろんどちらも同じ種類の葡萄から生産されています。
 
 このシラーズと同じ名前の都市がイランにあります。シラーズ(シーラーズとも呼びます)は古都で、紀元前3000年以上前から、この地では葡萄が栽培され、人々はワインを楽しんでいたと言われています。その後、イランがペルシャと呼ばれていた頃、シラーズはこの地域の文化の中心で、日本でいえば京都のような都市となります。イランの国民的な詩人で、14世紀にシラーズで活動したハーフェズも彼の作品の中で葡萄酒を称え、その作品は19世紀のドイツの詩人ゲーテにも大きな影響を与えたと言われています。
 
 20世紀終盤にある実験が行われました。
 1998年に行われたDNAの検査で、イランのシラーズの葡萄と、フランスのローヌ地方で生産されるシラーという葡萄との間には遺伝子上のつながりが見出せない、という結論が出たのです。
 この結果に多くのイラン系の人々はがっかりします。しかし、例えばカリフォルニアのナパなどでは、イラン革命の後にシラーズから移住してきた実業家が、ペルシャの伝統的なワインを生産して提供しているケースもあるのです。イギリスの放送局BBCは、その人が子どもの頃にシラーズでの思い出として、皆でワインを楽しんでいた光景を覚えていると報道しています。ワインはワイングラスではなく、粘土を焼いて作られたカップに注がれ、家族や親戚、そして隣人が集まっては豊潤な香りを楽しんでいたのです。
 
 しかし、1978年にイランでイスラム革命が起き、パーレビ王朝が打倒されると、イスラム教の教えに従い、ワインの生産と飲酒が禁止されます。
 数千年にわたる生活と伝統が断絶されたのです。特にシラーズは、パーレビ王朝時代に政府が投資を行い、ワインの生産をはじめ様々な産業に資本投下を行ったことから、逆に厳しい規制の下におかれ、ワイン工場は破壊されてしまったということです。
 

科学的な鑑定は文明の交流を否定できるのか

 イスラム革命によって祖国を追われた人々は相当な数にのぼり、彼らの多くは昔のシラーズワインへの郷愁を捨てられません。以前にも特集しましたが、彼らは自らのことをイラン人とは呼ばず、ペルシャ人として世界に拡散したのです。イランとアメリカとが政治的に対立し、経済制裁を課したとき、多くのペルシャ系移民はそれを支持しました。
 実際に現在のイランといえば、イスラム教シーア派の国家であると誰もが思います。しかし、歴史を遡れば、イランはローマ時代に迫害され異端とされたキリスト教の一派や、拝火教として知られるゾロアスター教、さらにはユダヤ教など、多様な宗教が混在した地域でした。その名残は、今でも地域の共同体の中で密かに受け継がれていると言われています。ワイン文化も例外ではないようです。
 
 さて、ではDNA鑑定だけで、シラーズワインはペルシャの血を引いていないと断言できるのでしょうか。
 このテーマは我々に一つの問いかけをします。科学的な結果によって、全てを断じてしまうことが人間にとってよいことか、という疑問です。実は、イランはその位置を見れば、アジアと西欧との中間にあることがわかります。数千年にわたる東西交流の中継地点として、イランはペルシャとして繁栄し、ときには東西両側の文明にも影響を与えてきました。
 
 17世紀にフランスの商人がペルシャを訪れ、シラーズワインを嗜んだという記録も残っています。また、それよりはるか昔、十字軍が何度もペルシャと交戦し、その結果多くの文化が西へと、そして東へと伝わっています。
 ハーフェズの詩に魅了され、シラーズのワインに憧れた西欧の知識人も多くいたはずです。そうした知識と味の記憶をヨーロッパに持ち帰り、例えばローヌ地方での葡萄の改良の長い歴史の中に、人々のシラーズの記憶が注ぎ込まれたことはなかったのでしょうか。その記憶がDNAは異なるものの、現在のシラーズというブランドの中に密かに息づいているとしても、誰も疑うことはないはずです。文明が生み出す様々な文化は、このようにして世界に伝播しているのではないでしょうか。
 

葡萄とワインの都市が記憶する人々と文化の交流

 現在、シラーズワインはフランスの南、あのアルルでも有名なローヌ地方からオーストラリアに留まらず、南米各地など世界に広がり、赤ワインの代表的なブランドの一つとなりました。
 そんな元祖であるローヌ地方でのワイン造りの起源はローマ時代にも遡ります。ローマ人のワイン好きは多くの記録に残っています。アルルには古代ローマ帝国の名残として闘技場がほぼ昔のままの姿で残っています。温暖で風光明媚なローヌ地方は地中海からもそう遠くはありません。そして、シラーズもイラン南部にあって、海からもそう遠くなく、ローヌ地方と似た地勢の中で栄えた街です。
 
 ローマ時代、人々は当時パルティアと呼ばれた東の帝国と覇権を争い、さらに交易や交流も盛んでした。パルティアはペルシャで衰亡をくり返した帝国の一つです。ローマ人もペルシャ人も、ワインを粘土で作った土製の器に注ぎ、アンポラと呼ばれる大きな土器に入れて運びました。ヨーロッパ世界とペルシャとは、2000年以上にわたる交流があるのです。
 そして、イランからは「ペルシャの商人」という言葉があるように、何世紀にもわたって交易隊が東に向かい、中国や時には朝鮮半島にまで姿を表しました。
 
 DNAによる鑑定はともかく、こうした人々の交流と文明の厚い記憶を無視してシラーズの起源を断定することは、現代人がいかにも陥りそうな短絡的な誤解なのかもしれません。詩を日常の中で味わう機会も少なくなった今日この頃、ハーフェズは天国から我々のことを哀れんでいるかもしれないのです。
 

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『細密イラストでわかる 服装と民族の風俗史』大津 樹 (編著)細密イラストでわかる 服装と民族の風俗史』大津 樹 (編著)
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