ブログ

カウボーイと侍にとっての「アイコンタクト」と「沈黙」とは

 width=

“Don’t project on others your thoughts/values: Listen deeply. And, just talk simply and openly about cultural differences.”

(自分自身の考えや価値観だけで想定せず、よく話を聞こう。そして簡潔に、心を開いて文化の違いについて語り合おう)
― あるグローバル企業での異文化研修マニュアルより

強い視線と寡黙さを「武器」にするコミュニケーションスタイル

 19世紀にアメリカの西部で活躍したカウボーイは、日本の浪人と同じように西部劇の題材としても取り上げられた人々でした。浪人と同様、孤独で辺境の町から町へ転々とするステレオタイプなイメージが語るものは、寡黙でありながら拳銃の達人。それは、浪人が剣の達人であったことにも通じます。 黒澤明が浪人をテーマにした「七人の侍」という映画を発表し世界的に評価されると、それを模した「荒野の七人」がアメリカで制作され、カウボーイを主人公にした映画として人気を博したことは有名な話です。
 
 このカウボーイと浪人に共通したもの。それは、闘うときにお互いの目をじっと見つめる強いアイコンタクト、そして寡黙なことでしょう。無駄なおしゃべりをせず、ニヒルで孤独でありながら、人情に飢えている姿に多くの人が惹かれたのです。 また、彼らは常に人に雇われずさすらいます。とはいえ、実際のカウボーイは牧場経営者に雇われていましたが、その多くは雇用者を変え荒野を転々としていた季節労働者です。浪人は仕事を失った侍(さむらい)で、文字通り組織に属さない孤独な存在でした。
 
 20世紀になって、カウボーイも浪人も過去の人となったとき、そんなヒーローとは全く関係のない庶民のコミュニケーション文化が、それぞれの国で拡散しました。 実のところ、それはアウトローだったカウボーイや浪人とは異なる、一般の人々が元々持っていた伝統的なコミュニケーションスタイルに他なりません。
 
 まず日本に注目すれば、江戸時代まで厳しい身分制度があり、身分の低い者が身分の高い者とアイコンタクトを取ることは無礼とされていました。そんな昔の日本人の風習がそのまま現在に残り、今でも多くの日本人は、自分の意見を述べるときは相手に遠慮しながら主張を抑え、アイコンタクトも控えめに語り合います。つまり、浪人の寡黙さは引き継ぎながら、アイコンタクトは薄まりました。 次にアメリカを考えるならば、元々が移民社会であったことを忘れてはなりません。はるばる海を渡り、新大陸で競争に揉まれながらのし上がるために、強いアイコンタクトをもって相手にどんどん自らをアピールし、プレゼンテーションをする風習が広まりました。カウボーイの強いアイコンタクトは維持しながら、人々は寡黙さを捨てたのです。
 

 width=

日本人とアメリカ人との間に生じるコミュニケーションギャップとは

 では、アイコンタクトを失い寡黙さを維持した日本人と、アイコンタクトを維持し寡黙さを失ったアメリカ人とが交流するとき、一体どのようなコミュニケーションギャップが発生するのでしょうか。
 
 一つの実験をしてみました。 今まで20年近くにわたり、それぞれ2000人以上の日本人とアメリカ人の管理者に、日米で共同作業をしたときの相手に対する印象を語ってもらったのです。その結果は面白いものとなりました。 アメリカ人の多くは、日本人が何を言いたいのか理解できず、終始不可思議な笑みと曖昧な表現で我々を煙に巻いてしまい、情報を共有できないんだ、と苦情を言います。そして最終的には「結局、日本人は自分たちが最も優れていると思っているんじゃないだろうか」という結論に達するのです。 次に日本人です。日本人の多くは、アメリカ人はともかく自分の意見を強く押し付け、こちらの言うことを聞いてくれない、と胸の内を語ってくれます。それでいて物事がうまくいかなくなるとすぐに言い訳をして、こちらがはっきりと意思を表明しないからだと逆に文句を言ってくる、とアメリカ人のやり方を批判します。そして最後には「結局、アメリカ人は自分たちが一番だと思っているんじゃないだろうか」と結論付けるのです。
 
 異文化の環境でコミュニケーションの問題が起こったときは、片方だけが不満に思っているわけではありません。必ず双方が双方に対して不信感を抱き、似たような誤解を抱いてしまうのです。 アメリカに進出した日本企業や、日本に支社を持つアメリカ企業の中で、アイコンタクトを失った日本人と寡黙さを失ったアメリカ人は、お互いに強い不信感を抱きながらも、なんとか仕事を続けているというわけなのです。 日本人が一番気にするのは、アメリカ人が締切を守らず、品質管理が良くないこと。それに対して、アメリカ人の不満は先に解説したように、日本人が情報共有をしてくれないことです。お互いにこうしたギャップを埋めてゆくには、コミュニケーションの文化、そしてスタイルがあまりにも異なっているのです。
 
 アメリカでは、多くの人が雄弁に持論を展開します。強い口調でのコミュニケーションを通して、相手に対してアドバンテージを取ることは当たり前のことだと考えます。もちろん、強いコミュニケーションには強いアイコンタクトが付き物です。 ですから、何かのプロジェクトの前に戦略を練るとき、あるいはイベントに向かって自らの意見を述べるときには、我々から見れば喧嘩でもしているのではないかと思うほどに、彼らはお互いに意見を戦わせ、自分の意思を表明することに躊躇しません。
 
 このとき、言われた側もその意見に同意できなければ、遠慮なく口に出して反論します。きちんと反論し、自らの意思を明確に主張した方が相手も敬意を抱くのです。 逆に、日本の社会では強く反論すれば、それがお互いのしこりとなるおそれすらあるため、このようなコミュニケーションスタイルは育まれませんでした。 カウボーイと浪人の末裔は、このコミュニケーションスタイルの違いに苛まれ、共同作業をするにあたって四苦八苦しているのです。
 

 width=

異なる文化・スタイルを理解して海外の人と語り合おう

 では、こうしたギャップを埋めるにはどうすればよいのでしょうか。 日本サイドで考えるならば、感情的にならず冷静に、しかし、ここまで語っても大丈夫かなと思うほどまでに自分の思いをしっかりと相手に伝える訓練をしなければなりません。 そしてアメリカ人に対して、日本人の寡黙さを理解してもらうよう、日本人が語っているときは途中で話の腰を折って自分の意見を表明したりせず、最後までしっかりと日本側の話を聞き、それに理解を示しながら自分の意見も述べる方法を伝授する必要があるでしょう。日本人とアメリカ人とが、コミュニケーションスタイルにおいて互いに歩み寄らなければならないのです。
 
 世界がますます狭くなり、海外の人との情報共有とチームワークの組成の必要性が問われている昨今、このコミュニケーションスタイルの違いに視点をおいて、誤解を避け、調整をしてゆくノウハウが、これまで以上に重要視されなければならないのです。
 

* * *

外国人とビジネスをするためのテクニックを学ぶなら

『異文化摩擦を解消する英語ビジネスコミュニケーション術』山久瀬洋二異文化摩擦を解消する英語ビジネスコミュニケーション術』山久瀬洋二、アンセル・シンプソン (共著)IBCパブリッシング刊*山久瀬洋二の「英語コミュニケーション講座」の原稿は本書からまとめています。文法や発音よりも大切な、相手の心をつかむコミュニケーション法を伝授! アメリカ人のこころを動かす殺し文句32付き!

山久瀬洋二の活動とサービス・お問い合わせ

PAGE TOP