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「絶滅危惧価値」を抱き戸惑う日本人の未来とは

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“Japan-isolated itself from the rest of the planet for some two hundred and fifty years, has had a change to incubate its value system and develop enduring and idiosyncratic forms. When modernism finally came, ‘Japaneseness’ was not swept away but became absorbed into modern life, making Japan’s modern life at once strange and familiar to us.”

(日本は250年にわたって世界から孤立し、自らの強靭で特異な価値観を育んできた。その後日本がついに近代化の波に晒されたときでも、「日本人であること」は抹消されず、それらは社会の中に吸収され、我々にとっては奇妙でありながらも馴染みのある日本の現代社会ができあがったのだ)
Japanesenessより(Stone Bridge Press,英文は一部省略)

日本の近代化をもたらした分業とTacit Knowledge

 日本人の価値観が大きく変化しようとしています。 そんなことを考えるために、まずは江戸時代に時計の針を戻しましょう。 江戸時代はある意味で、日本の近代化の礎となった時代でした。 多くの人は、江戸時代の日本は鎖国をした閉鎖的な封建社会であったと思っています。それは一面では事実です。確かに、江戸時代には厳しい身分制度があり、人々は移動の自由も職業選択の自由も厳しく制限されていました。代々家業を継ぐことは当たり前で、例外はあったものの、武士の子は武士に、町人の子は町人に、ということが当然とされた時代でもありました。 しかし、このことが日本の近代化に思わぬ恩恵をもたらしたことに気付いている人はあまり多くありません。 実は、身分によって職業が分けられ、その職業も代々親から子に引き継がれていた江戸時代であればこそ、極めて高度な手工業の技術が世代から世代へと引き継がれることが可能だったのです。
 
 しかも、江戸時代には職業はすでに細分化され、社会は分業によって成り立っていました。 楊枝や馬の蹄鉄、さらには桶から茶碗まで、一つ一つの製品が代々受け継がれた専門職人によって製造され、流通していたのです。こうした専業化による技術は、文章化や数値化されることなく世代から世代へと引き継がれ、時とともに進化も遂げます。こうした「文章化されずに受け継がれる繊細な知識」のことを Tacit Knowledge と言います。 海外との交流が極度に制限されていたとはいえ、江戸などの大都会はそれなりの競争社会でした。より洗練された商品が売買され、その要求に沿って職人も腕を磨いたのです。流行もあれば、厳しい淘汰もありました。こうした環境にもまれ、Tacit Knowledge はまさに匠の領域へと成長していったのでした。 ある裕福な商家が、両替商を営み小判を扱うために、親は子供に純金を混ぜたものしか触らせなかったという逸話が残っています。子供が成長したとき、小判を触っただけでそれが本物かどうかを見分けることができるようにするためでした。親から子供に伝えられたこの感触こそ、数値化できない Tacit Knowledge だったのです。
 
 こうして受け継がれた日本人の器用さ、洗練を求める感覚が、明治以降日本が近代化の道を歩み始めたときに、その発展に極めて大きな役割を果たしたのです。 「加減」という言葉があります。この言葉はお茶の熱さを示すときなどに使われます。お茶は熱すぎても、ぬるすぎても風味を損なうため、そこそこの加減が必要なわけです。この加減を極限まで突き詰めたとき、例えば自動車のエンジンに使われるピストンの「あそび」や、楽器での微妙な空気の抜け具合などといった最適な加減を極めることができるわけです。日本の近代から現代までの産業を牽引してきた無数の下請け工場では、こうした究極の加減を極めた職人が新幹線や自動車の部品を作ったり、精密機械の組み立てを行ったりしてきたのでした。 そして、このようにして伝承され、阿吽の呼吸で制作された商品は、世界に認められ、戦後の日本経済の発展をさらに支えることになったわけです。
 

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始まった暗黙知の崩壊とアイデンティティー・クライシス

 そんな Tacit Knowledge の崩壊が始まったのは、バブル経済とその破綻の時代でした。バブル経済の波に乗って拝金主義がはびこることで、多くの職人の子孫は家業を横においたまま、不動産に投資しました。そしてバブルがはじけたあと、金融機関の資金回収によって、町工場の多くは閉鎖に追い込まれ、その空き地は駐車場やコンビニへと変化しました。 そしてわずかに生き残った Tacit Knowledge も、デジタル化によってグローバルに通用する数値化を余儀なくされ、次第に滅んでゆこうとしています。AI技術の進歩により、そうした繊細な技術自体も不要になろうとしています。日本人が何世代にもわたって培ってきた暗黙の知識が絶滅し始めているのです。
 
 このことは、思わぬ余波となって社会全体を見舞うことになります。江戸時代以来、日本人の間で育まれてきたコミュニケーション・スタイルそのものが消滅し始めているのです。Tacit Knowledge に慣れてきた日本人は、常に阿吽の呼吸でお互いの意図を察し、時には物事の加減を考え、状況に応じて融通をきかせて臨機応変に対処してきました。そうした日本社会ならではの柔軟性が、バブル経済とその後のデジタル化、グローバル化の波によって失われ、全てが数値や法律の条文に従ったマニュアルで稼働する機械的な社会へと変化を始めたのです。
 
 文化には強い部分と脆弱な部分とが、コインの表と裏のように同居しています。 例えば、融通のきく社会は人情味に溢れ、人と人との紐帯を育成します。反面、融通という価値の裏面を見るならば、知人を優遇し、他者を排斥する内と外との枠ができ、時には癒着や賄賂の温床をつくってしまいます。ところが、裏面が悪であるとして、それを削除し尽くしたとき、実は表にあった良い部分をも削り取ってしまうことがあるのです。 グローバル化という今では陳腐にすらなったコンセプトによって、世界と共通のルールを適応し、世界に開かれた社会を求めたとき、日本にあった伝統的な価値観や感性をも同時に削り取ることで、日本人は自らをアイデンティティー・クライシスに追い込んでいるのかもしれません。
 
 日本が世界に開かれてゆくこと。世界と交流してゆくこと。さらには差別や偏見がない、違う価値を受け入れることのできる柔軟で多様な国となることは素晴らしいことです。ただ、そのことと、日本に長年培われてきた価値観の強い部分とが相殺されてしまわないようにするには、相当な工夫が必要なのです。
 

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世界各地の「絶滅危惧価値」を守るために

 私は、失われつつあるこうした価値観のことを、「絶滅危惧価値 / Endangered value」と呼んでいます。価値の裏側の負の遺産を削除しつつ、表側の次世代に残したい部分を育成しない限り、日本が日本である所以がなくなるかもしれません。 おそらくこうした世界的な標準化の波に晒され、自らの個性を失いつつある地域は日本に限ったことではないはずです。そんな自らのアイデンティティ喪失への危機感が、今世界的に問題となっている人々の右傾化への原動力となっているのかもしれません。 異文化での異なる価値観を尊重する行為の中で、こうした世界各地の価値観に対する教育や啓蒙が、地球規模で共有されることも必要なのかもしれません。
 

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『日本人のこころ Heart & Soul of the Japanese』山久瀬洋二 (著)、マイケル・クーニー (訳)日本人のこころHeart & Soul of the Japanese』山久瀬洋二 (著)、マイケル・クーニー (訳)いにしえから現代にまで受け継がれてきた日本人の感性を表す100のキーワードを、簡潔明瞭な英語で説明!日英対訳バイリンガル書。「恩」や「義理」といった日本人の心の原点ともいえる価値は、一体どこからきて、今の日本ではどのように捉えられているのか。本書はその壮大なテーマに挑み、日本を代表する「日本人の心」を100選び、和欧対訳で簡潔に説明する。キーワードの例:「和」「中庸」「根回し」「型」「武士道」「節度」「情」「忠」「禊と穢」「もののあわれ」「因果」「仁義」「徳」「わび」「さび」「幽玄」など。山久瀬洋二の活動とサービス・お問い合わせ

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