権限委譲が求められる日本の今後


“Those men and women, to whom we delegate authority and responsibility, if they are good people, are going to want to do their jobs in their own way.”

(もし権限委譲をした人が優秀な人であれば、その人は彼ら独自のやり方で業務をやっていこうとするはずだ)
― William McKnightの言葉 より

ヒット商品誕生のウラに「権限移譲」の発想

 アメリカに本社のある3Mは、その卓越したマネジメント戦略でよく話題になってきた会社です。年商370億ドルを超え、世界に9万人以上の従業員を抱えるこの企業は、一般には「ポスト・イット」で知られる会社です。
 昔、この会社での研修を担当したことがありました。すでに20年以上前のことです。研修はアメリカやアジア各地、そして日本でも何度か実施しました。テーマは、異なる文化背景をもつ国々でどのように業務上のコミュニケーションを促進し、グローバルに活動をしてゆくかというノウハウについてでした。
 
 今、コロナウイルスの脅威に世界が怯え、マスクが不足しているというニュースが飛び交う中、防塵や空気清浄のための技術に同社が卓越していたことを思い出しました。確かに3Mの技術は多岐にわたります。ポスト・イットの糊といった各種化学製品にはじまり、道路標識などで使用される反射板やダクトなどの浄化装置に至るまで、3Mはその製品の幅広さで世界的に知られているのです。
 
 先週、ある日本の企業で研修を行ったとき、そんな3Mの社是を引用することがありました。それは3Mの中興の祖といわれる、ウィリアム・マックナイト(William McKnight)のスピーチの中にある「失敗に寛容であれ」という一言です。そして、現場にできるだけ権限を委譲し、社員の創意工夫を促進しようという考え方です。
 英語で「権限委譲」とは delegate responsibility と言います。3Mがその業績を伸ばしてきた要因は、一にも二にも、この権限委譲の発想にあります。
 
 その典型的な事例が、ヒット商品となったポスト・イットにあります。
 教会の聖歌隊で合唱の練習をしていた社員が、歌集を開くときに付箋が落ちてしまうことから、糊付きの付箋を作ろうと思いついたことがポスト・イットを生み出すきっかけとなりました。しかし、歌集に付箋が張り付いてしまえば意味がありません。そこで容易に剥がすことのできる糊を作ろうと思い立ったのです。剥がれる糊などとんでもない発想だと、周囲は反対し相手にもしなかったといいます。そこで彼は、会社の勤務時間の15%は自分が探求したい目的のために使ってもよいという制度を利用し、ポスト・イットを開発したのです。上司にも告げず、自分が信じた商品を開発できる制度は「密造酒造り」とも言われました。
 こうして出来上がったポスト・イットが今、世界中の文具店で売られているのです。日本では日本人の趣向に合わせて、ハートなど様々な形のポスト・イットが開発されました。
 
 そんな3Mが日本に初めて支社を開こうとしたときの逸話が残っています。都内のホテルでその準備をしているとき、アメリカから赴任してきた経営幹部たちが、準備に忙しい日本人社員のために飲み物を提供しようとしたというのです。本社から来た人々のその態度に驚いた日本人が恐縮すると、「日本の市場は日本人が一番よく知っている。我々にできることはこれくらいのことだから」と彼らが語ったというエピソードです。
 

中央集権・上意下達の日本に求められる転換

 こうした伝説が、今も新しい伝説を生み出す原動力になっているかどうかはさておき、今日本の多くの企業が世界に進出するときに、この「権限委譲」というテーマをしっかりと考えておく必要があることを、今回は強調しようと思います。
 
 現場で即断即決ができず、常に中央の判断を待つという体制は、今回のコロナウイルス騒動にも見られる対処の遅延にも繋がります。
 しかも、世界に拡大する日本企業にとって、これはさらに最も大きな課題なのです。経営体制がどれだけ多国籍化しているか。そして、現地の支社にどれだけ決裁権が与えられ、現地の会社の経営が現地の人材に任されているか。さらに、企業の生命線ともいえる研究開発部門(R&D)にどれだけ世界の血液が還流しているか、といったテーマを我々は考える必要があるのです。
 
 シリコンバレーなどの先端企業を訪ねると、若手社員がいきいきとしています。会議などでは上司を差し置いて、そうした社員が発言をしています。
 経営陣から見れば、新しく採用した人材が上司や顧客の前で黙っていると、かえって評価が落ちてしまうといいます。たとえ新人が会社や業務のことには疎くても、その発言から新しい発想が生まれることもあるからです。
 日本のように、新人は上司の横で黙ってメモだけを取っている、という状況とは対照的です。さらに、そうした企業に勤務する人の国籍も人種も多様で、我々がアメリカ人の典型と意識する白人系の人の方が少なく思えます。もちろん性別や肌の色への偏った見方は遠い昔のことのみならず、法律でも平等はしっかりと保証されています。
 
 実は、企業にとってR&Dは最も保守的なセクションであるといわれています。
 というのも、R&Dこそがその企業の個性や核となる技術が育まれる場所だからです。企業からしてみると、技術を現地支社に移すにあたって、そう簡単に安心して現地に任せることはできないのです。しかし、そうはいっても権限委譲を成功させない限り、コアテクノロジーの現地での進化は望めません。また、現地での新しい発想が本社のR&Dに新しいイノベーションを起こす可能性も潰してしまいます。
 
 「目から鱗」という発想の転換は、世襲のように日本人から日本人へと受け継がれるだけの組織からは生まれません。これからの企業は柔軟さと寛容さをもって、組織という織物の経(縦)糸と緯(横)糸の双方にメスを入れてゆく必要があります。縦糸の改革とは、世代間の民主化を意味します。若手とシニア層双方に発言の機会を与え、経営や戦略に積極的に参加できる組織をつくる必要があります。横糸は世界に広がります。人種や国籍を超えた人材の還流を促し、性別や学歴といった国内での横糸もしっかりと揉みほぐしてゆかなければなりません。
 

「ものづくり日本」の強さをグローバルレベルに

 日本の企業に来て働きたいという人が増え、働いてよかったという人がさらに増えるようにするには、まだまだハードルがたくさん残っているというのが現状です。このことが、日本の競争力そのものの将来にも影を落としているのです。
 日本の本社が10年後の目標としていることが、海外では来年には着手しようとしている、という現状に危機感を覚えるどころか、その情報すら掴んでいないと、ある大手自動車メーカーの駐在員がぼやいていたことを思い出します。
 グローバルレベルでの技術革新のスピードが加速しているだけに、そうした変化に迅速に対応できるアンテナを持ち、傍受した情報を即座に自らの業務に吸収できる組織の改革が急がれるのです。
 
 「ものづくり日本」の強さを活かし、世界に拡散させるためにも、企業の「日本色」「男性に偏った組織の体質」「若手に沈黙を強いる階層への固執」の三悪を、一刻も早く払拭する勇気が求められるのです。
 3Mでの「密造酒造り」の伝説は、そうした改革のヒントになるかもしれません。
 

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