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ある一人のアメリカ人の死に寄せて

Long an outspoken critic of US cultural ignorance of Asia, especially Japan—this failure to understand Asian affairs Reischauer contended led directly to US political failure in the area.

(アジア、特に日本の文化への無知に対して常に厳しく批判し—アジアへの理解の欠如はその地域へのアメリカの政策にも悪い影響を与えてしまう、とライシャワーは主張していた)
― ブリタニカ より

今夏亡くなった長年の友に思いを馳せる

 今年も夏が終わろうとしています。
 コロナ禍の中でのオリンピック開催で世間が騒がしくなっていた7月のはじめに、一人のアメリカ人が癌のため他界しました。
 マイケル・ブレーズ、77年の生涯の大部分を日本で過ごし、編集者、翻訳者、著者として活躍していました。
 私との付き合いは80年代の初め頃からで、すでに40年の月日が流れていました。
 彼と最後に会ったのは3年前のこと。航空会社の協賛で、日本橋の江戸文化を英語で紹介するプロジェクトに関わったときでした。
 その後も、私自身が本を書くときは彼の時間が空いている限り、英文訳をお願いしたものです。9月も半ばを過ぎた先週の金曜日に、ふと彼のことをしみじみと思い出すできごとがあったのです。
 
 先週、ニューヨークの友人であるジョン・ギレスピーから、メールで一つの依頼が舞い込んできました。ジョンはニューヨークのジャパン・ソサエティーのディレクターをしていたこともある人物で、日本の演劇について深い知識を持つジャパノロジストです。
 ジョンはメールで、彼の先輩にあたる人物が森有正のエッセイを翻訳したので、それを出版する権利について問い合わせてくれないかと依頼してきたのです。
 
 森有正は哲学者、フランス文学の研究者として多くの著作を残した人物です。フランスで教鞭をとりながら、欧米の文化と日本の文化についての多くのエッセイを発表したことで知られています。フランスで森有正に指導を受けて日本文化について学習し、来日後、日本で実業家としても活躍することになるクリスチャン・ポラックは今どうしているのだろうと思ったとき、そういえばマイケル・ブレーズが日本に永住を決めたのは、クリスチャン・ポラックが来日した頃だったなと思ったのです。
 

ベトナム戦争を忌避したアメリカ青年の歩み

 そう思ったのには理由があります。
 クリスチャン・ポラックが来日したのは1971年のこと。当時はベトナム戦争の末期で、アメリカから多くの若者が徴兵され、ベトナムのジャングルでの過酷な戦争に苦しんでいたときでした。ベトナム戦争へのアメリカの介入に反対する反戦運動がアメリカ中に広がり、日本にもベトナム戦争はアメリカの侵略行為だとして、反戦運動を支援する若者が多くいたのです。
 彼らは、アメリカ軍を離脱したり、徴兵を逃れ、軍紀違反として追われているアメリカ人の若者を匿ったり、といった活動も積極的に行っていました。沖縄からはB52爆撃機が毎日のように、ベトナムの熱帯雨林にナパーム弾を投下するため離陸していました。アメリカ軍はベトナム兵のゲリラ活動を抑え込むために、枯葉剤も散布して森林を破壊します。その結果、ベトナムでは奇形児が産まれるなどの被害があり、有名な結合双生児ベトちゃんドクちゃんの存在は世界に衝撃を与えました。
 
 マイケル・ブレーズは、そんなベトナム戦争を忌避し、日本に潜伏していた若者の一人だったのです。彼はその行為によって長年にわたりアメリカに帰国することができず、そのまま日本に永住したのでした。
 
 その後マイケルは、日本文化を海外に英文で紹介していた講談社インターナショナルという会社で、編集者として勤務しました。
 文学の編集が彼の担当で、昭和に活躍した日本の作家の作品の多くが彼の手によって海外に紹介されました。私も会社の後輩としてマイケルとは親しく交流していたのです。私にとっては温厚で朗らかな先輩でしたが、他のアメリカ人の同僚によると、お酒の席などで、いきなり感情的になる側面もあったとのことでした。
 彼はのちにアメリカへの帰国を許され、故郷に一時帰国したこともあったと聞いていますが、終生日本を離れることはありませんでした。
 

日本と欧米とをつなぐ人の糸を切らさないために

 日本からフランスに渡り、パリで一生を終えた森有正と、その教え子のクリスチャン・ポラック、戦前戦後に関西で宣教師として活動していた父親をもつジャパノロジストのジョン・ギレスピー、そして7月に亡くなったマイケル・ブレーズ。この四人の間には何のつながりもありません。しかし、それぞれの人生に共通している日本と欧米との糸。そして戦後という時代。そこで私も育ち、2021年になって彼らのことを考えていることに、一つの時代の変遷を感じてしまうのです。
 
 実は、こうした欧米と日本とをつなぐ濃い人の糸が、今どんどん細くなってきているように思えるのです。アメリカにいて森有正のエッセイを翻訳するような人物が、今どんどん少なくなってきています。マイケル・ブレーズの死はそんな現象を象徴しているように思えます。これでまた一人、日本を深く語ることのできる海外の人がいなくなりました。
 しかも、日本の戦後を語り、ベトナム戦争や冷戦の確執を体験した目で現在を語れる人が一人、また一人といなくなろうとしているのです。
 
 日米関係は不動の同盟関係だと、よく政治の世界では言われていますが、人と人との交流が薄くなることは、双方への理解がなくなり、ただ利害関係だけで外交やビジネスが行われることを意味しています。日本大使であったことでも知られるエドウィン・ライシャワーは、戦前に日本の文化に魅せられ、そのことで戦争中も米軍が京都を破壊しないように強く助言していたと言われています。どんな時代でも、そうした人脈が国と国との危機を救い、交流を深めてきたのです。
 ライシャワーは、右や左、貧富などの格差を超えた人脈づくりが、その国を理解し、付き合ってゆくためには必要だと、よく語っていました。こうした広いネットワークをもつ人こそが、単にビジネス上の交流を超えた理解を促し、それが最終的にはビジネスや外交での利害にも返ってくるのです。自らの所属する会社や団体という狭い世界を超えた人脈とネットワークの広さは、それ自体がお金には代えられない資産です。その資産を海外にも伸ばすことのできる人が、今の日本には特に必要です。
 
 マイケル・ブレーズという一人のアメリカ人の死が、ちょうど地球の温暖化によって崩れ去る一塊の氷山と同じような、損失の象徴とならないことを祈りたいものです。
 

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今回の記事に登場したジョン・ギレスピー氏のインタビュー動画を紹介します。カジュアルな英語を話したい、リスニング力を上げたい人は、ネイティブが話すリアルな日常英会話をぜひ聞いてみてください。在宅ワーク中の聞き流しにもおすすめです。⇒動画はこちらから
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山久瀬 洋二 (著)、マイク・マニーア (監修)、マイケル・ブレーズ (訳)
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