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池袋駅のリフォームをしたペルシャ人の背中に見えるものとは

It is important to have safe borders, but at the same time, we cannot forget what brought us here. This is an immigrant nation.

(国境の安全は大切だ。でも、我々はなぜここにやってきたのかを忘れてはならない。ここ〔アメリカ〕は移民の国なのだ)
― Dara Khosrowshahi(ダラ・コスロシャヒ)の言葉 より

自らを「ペルシャ人」と呼ぶある職人さんとの出会い

 先週の土曜日のことでした。「私はペルシャ人です」と、自宅の薪ストーブの煙突を掃除するために訪ねてきた職人さんが話してくれました。
 今、世界中に拡散しているイラン系の人の多くが、自らのことをそのように言うのです。以前にも、この背景については記事で触れたことがありますが、ここで改めて解説してみましょう。
 
 実は、彼らの多くは1978年から79年にかけてイランで起こった革命によって、祖国を離れた人たちなのです。彼らの多くはヨーロッパやアメリカに移住します。その数は200万人を超えると言われ、アメリカだけでも100万人前後のイラン系の人々が生活しているようです。
 彼らに共通しているのが、革命によってイスラム化した現在のイランとアイデンティティを区別するために、自らをペルシャ系と呼んでいることです。ペルシャはいうまでもなくイランの別名で、元々は国名としても使用されていました。イランで1978年に起きた革命は、通常の革命とは異なり、西欧化の流れに逆行した宗教革命でした。新しい国家が極端なイスラム化を推進したことで、故国を追われた人々が世界中に拡散したのです。そうした人々の中には、日本にやってきて定住した人もいます。
 
 「僕は日本に何十年も住んでいるから、今は夢も日本語になっているよ」
彼はそう語ってくれます。もちろん彼の顔は日本人とは異なり、一見すると欧米人かと思ってしまいます。明らかにアーリア系の血が流れているのでしょう。
 実は、彼は日本人からデイビットさんと呼ばれています。私は不思議でした。
「デイビットって、英語圏によくある名前だね。そもそも旧約聖書のダビデからきた名前だと思うけど。ペルシャ人なのに、なぜデイビットという名前なの?」
 そう尋ねると、彼は答えます。
「僕の名前はダボットだけど、そう言っても誰も覚えてくれない。ドボとかドブとか、色々と間違って呼ばれるので、いつの間にかデイビットと呼んでもらうようになったんだよ」
 確かに、彼を紹介してくれた日本人は、「おそらくあの人はアメリカ人の血が混じっているかもしれないけど、日本語でちゃんと仕事をしてくれるよ」と、不思議そうに語っていました。
 

世界に拡散し活躍する中東からの移民たち

 イラン系アメリカ人といえば、まず思い出すのが、ヘッドラインで紹介したダラ・コスロシャヒ氏ではないでしょうか。彼は、Uberの最高経営責任者として知られています。
 一般的に中東からの移民は優秀だとアメリカでは評判です。特にイラン系(ペルシャ系)の人々は家族や同胞を大切にし、教育にも力を入れていると言われています。イラン系移民は他のイスラム系の人々と同じように、数学に強くコンピュータ関連や教育関連への進出も目立ちます。
 
 私のアメリカ人の友人にもアリというイラン系の人がいて、今中西部に4つの英語学校を経営しています。
 そんな友人のアリがいつも言うのが、ネットへの警戒です。彼の発言がイランに批判的である場合、もしそれがネットを通してイランに伝われば、残してきた一族に累が及ぶかもしれないというのです。イスラム至上主義への強い警戒感が窺えます。
 そして、煙突の掃除のために自宅にやってきたデイビットことダボットさんも、宗教は人を混乱に陥れるだけだと言って、今のイランを批判します。
 彼のコメントが真理をついているかどうかは何とも言えません。宗教が人の心の支えとなっていることもあるからです。しかし、彼らが20世紀後半から間断なく続いてきた中東での混乱の犠牲者であることは事実です。そして、その混乱の背景にはイスラム教のあり方をめぐる政治闘争があったことも事実です。
 
 イランは革命のあと、イスラム教でも宗旨の異なる人が多く住む隣国のイラクとの泥沼の戦争を経験しています。
 その戦争中にイラクを指導していたサダム・フセインと対立したために、投獄されていた人がいました。その人はオサイラン氏といって、イラクに西欧の医療技術を紹介した人物でした。シャリーフという息子は、その父を救出し、レバノン経由でアメリカに移住。その後、留学生への保険ビジネスで成功したのです。
 そんなシャリーフ・オサイランは私の友人で、現在ロサンゼルスで生活しています。彼は、スターバックスに行く時もきちんとネクタイをした正装姿で外出していた亡き父親を懐かしんでいます。
 イランの宿敵イラク出身のシャリーフと、アメリカ中西部で学校を経営するアリとは、私の関係する英語教育のビジネスを通して交流があるのです。
 
 そして日本に移住してきたダボットさんとの出会い。20世紀後半に起きた中東での様々な波乱が難民を生み出し、世界に流れ出た人がアメリカと日本で私と出会い、友人となったのです。
 アメリカに移住した二人は教育事業に関わり、企業家となり、日本に移住してきたダボットさんは建築関係の下請け業を経て独立し、今に至っているのです。
 「池袋駅の東武側のホームは僕がリフォームしたんだよ」と、彼は得意そうに話してくれました。
 

日本は移民をどのように迎え入れ共生していくのか

 ところでアフガニスタン西部は、昔はペルシャの一部でした。
 そして、ペルシャ系の人々はアフガニスタンやパキスタン北部で様々な王朝をつくり、中世の中央アジア世界を彩りました。そんなペルシャと深い縁でつながるアフガニスタンが、再びタリバンに占領され、数多くの人々が世界に拡散しているのです。
 
 20年後、そして30年後にそうした人々が、あのイラン革命で海外に出ていった人々と同じように、世界のどこでどのように活躍しているか。それは移住者を我々がどう迎え入れ、人として尊重し、違いを楽しみながら共に暮らせるかにかかっています。
 
 小学校に行けば、そこに勤める先生がアフガニスタンの出身で、おまわりさんに道を聞けば、その人がアフリカからやってきた人という日常が、すでに欧米では日常となっているわけです。大切なことは、ヨーロッパなどの国々では、多様な文化の流入に寛容でありながら、同時に受け入れた側のオリジナルの文化もしっかりと保持されていることです。
 
 ダボットさんが正月に初詣を楽しんでいるかどうかはわかりませんが、初詣や盆踊りがちゃんと受け継がれながら、世界の多様な文化が街のあちこちに見え隠れし、グローバルな知恵が流通する社会。それが30年後の日本社会なのかもしれません。それは、日本が考えなければならない大切な選択なのです。
 

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9月にアフガニスタンに関する記事で紹介した、ワシーム・マアムード氏へのインタビュー動画をYouTubeにアップロードしました。ぜひ立ち寄ってみてください。
前編は⇒こちらから
後編は⇒こちらから
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『日本語ナビで読む洋書 What is Global Leadership?』山久瀬 洋二(ナビゲーター)/アーネスト・ガンドリング、テリー・ホーガン、カレン・チヴィトヴィッチ(原著者)日本語ナビで読む洋書 What is Global Leadership?
山久瀬 洋二(ナビゲーター)/アーネスト・ガンドリング、テリー・ホーガン、カレン・チヴィトヴィッチ(原著者)
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