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分断によって引き返せなくなった中絶を巡る議論

The draft opinion signaled a new era for anti-abortion activists. Next goals include a national ban and, in some cases, classifying the act as homicide.

(〔連邦最高裁判所の〕判断への草案は、人工妊娠中絶反対派にとっての新たなステップとなる。それは全米での違法化と、場合によっては中絶を殺人という犯罪にすることにつながる)
― New York Times より

アメリカで噴出する人工妊娠中絶をめぐる議論

 ウクライナへの容赦ないロシア軍の侵攻、アフガニスタンで女性は屋外でブルカという衣服で顔を含めて一切肌を露出させてはいけないという法律が施行されるなど、人権を蹂躙するようなニュースがゴールデンウィークの間も世界を駆け巡りました。
 
 そうした中、アメリカでも人権に直接関わる問題が公になりました。人工妊娠中絶を違法とすることを容認する方向での討議が、アメリカの連邦最高裁判所で行われているという情報がリークされ、社会が騒然としているのです。
 アメリカでは伝統的にキリスト教右派の人々を中心に、人工妊娠中絶は殺人にあたるという主張がありました。それに対して、子どもを産むか否かは女性が判断しなければならない基本的な人権だという主張があり、最近ではその主張が概ね認められていたのです。人工妊娠中絶を認めるべきだという主張を「プロチョイス(pro-choice)」と言います。(編注:人工妊娠中絶に反対する立場は「プロライフ(pro-life)」と言う。)
 例えば、レイプによって女性が妊娠した場合、中絶を認めないとはどういうことか、とプロチョイス派の人は訴えます。もちろん望まない妊娠という状況は、レイプなどの犯罪だけが原因とは言えません。しかし、今テキサス州などの保守派が多数派となっている州では、人工妊娠中絶を違法とする法律が通り、多くの人が強い危機感を抱いているのです。
 
 州でそうした法律が通った場合、それを合衆国の憲法と照らし合わせ、容認できるかどうかという判断を下すのが連邦最高裁判所です。
 連邦最高裁判所の判事は9名で、大統領が指名し、上院の諮問を経て任命されます。任期は終身です。現在、民主党の大統領が在職中に指名した判事が3名、共和党の大統領が指名した判事が6名と、圧倒的に保守系の判事が多いのです。
 もし、連邦最高裁判所がプロチョイスを否定した場合、保守系が多数派の州で人工妊娠中絶を違法化する動きが予想され、それに多くの人が危機感を抱いているのです。
 奇妙なことに、このニュースが報道され、全米で議論が沸騰している中で、基本的にプロチョイスを認めている民主党の支持率は7%しか上昇せず、逆に共和党の支持者は9%も上昇していることがわかりました。
 

プロチョイスを通して見える「個」への意識の欠如

 実際、プロチョイスの問題は、一つの課題を我々に投げかけます。
 まず人工妊娠中絶を違法とすることに賛同する人の多くが男性だという事実です。彼らのほとんどは共和党の支持者です。しかし、社会全体でいうならば、65%以上の人がプロチョイスを支持しているのです。つまり、女性で共和党支持者の多くは、この問題についてはプロチョイスを支持しているわけです。プロチョイスを保守、リベラルの2色で語るのではなく、女性の人権として捉えている人が多いことがこの数字から見て取れます。
 同じように、ウクライナへのロシアの侵攻については、ロシアに対して強い対応を求める人が圧倒的に多く、これも民主党、共和党の区別なくアメリカの世論は一つの方向に傾いています。しかし、それでも社会は分断され、人種、貧富、教育等、様々な格差に人々は怒りを覚えています。
 
 人の心は複雑で、一つの顔があればその側にもう一つの顔があり、あることには賛成でも、それに賛成した人と常に同じことに対して同意するかというと、そうではないでしょう。
 アメリカのFiveThirtyEightという、世論調査をもとにしたニュース記事を発信するWEBメディアが、最近興味深い記事を掲載しました。それは、人々が一つの課題を語り合うとき、政治的な立場や宗教上の教義(ドグマ)を持ち込むと、そうした対立が先鋭化する傾向があるというのです。
 例えば、自分の住んでいる町の森を守るかどうかという議論をするときに、地球温暖化の課題から議論に入れば、人々は瞬く間に分断されてしまいます。しかし、その森そのものの価値や、そこに住む人々にとっての思い出など、課題となっている森そのものに対して心を開いて話し合うと、思わぬ融和が生まれるというのです。
 
 プロチョイスの問題は、女性の人権の問題です。しかし、同時に人の「命」への問いかけの問題でもあります。その課題を党派やドグマの主張として意見をぶつけ合うことが、いかに社会にマイナスな影響を与えるかということが見えてくるのです。人権と命の問題として、個々人が個々人の課題として話し合いにくくなっていることが、この問題が21世紀の今になって沸騰する背景にあるわけです。
 
 これはプロチョイスの問題だけではありません。イスラム教の特定の教義に固執し、他者を排除するタリバンを育んだアフガニスタンでの課題でもあり、ロシアという国家へのナショナリズムに固執した結果として行われたウクライナ侵攻の背景にある課題でもあるようです。
 例えば、戦争で兵士が射殺されます。ナショナリズムからその行為を捉えれば、「それは仕方のないこと」とされてしまいます。しかし、一人の家族を持つ人間の死として捉えれば、敵も味方もなく、そこに共有できる悲しみがあぶり出されます。
 この個々の人間の思いへの配慮が欠けつつあることが、現代社会の大きな危機なのかもしれません。
 

二元論を超えて多様性を尊重する寛容な社会へ

 アメリカは11月に中間選挙を迎えます。民主党はバイデン大統領のリーダーシップが欠如しているという批判にさらされ、劣勢に立たされています。そこに保守派が多数を占める連邦最高裁判所が、プロチョイスの問題で、共和党の右派の主張に賛同するような判断を下そうとしているわけです。
 従って、この問題は今後、党派とドグマの問題として社会の分断に拍車をかける論点になってゆくかもしれません。その結果、人権を蹂躙された女性の政治不信が新たな分断の原因になってゆく可能性もあるでしょう。
 現在、我々は白か黒かという二元論で物事を考えることに慣らされてしまっています。リベラル派から見れば保守派は悪で、逆もまた真なりと思っています。しかし、今回のプロチョイスをめぐる統計を慎重に分析すれば、二元論からは何も生まれないことがわかってきます。
 
 社会に柔軟性を与え、多様な意見を尊重するには相当な寛容性が必要です。しかし、人間が寛容性を失ったとき、一人ひとりにそれぞれ家族があり、親や子ども、友人や同僚がいるという「個」の心が無視され、それがウクライナやアフガニスタン、ミャンマーで起きている悲劇へとつながるのではないでしょうか。
 
 最後に、今回は取り上げませんでしたが、ここ1か月、中国が不気味な静けさを維持していることを記したいと思います。ゼロコロナ政策への異常な執着の背景に、指導部の中で何か異変が起きているのではないかと疑われます。次回は、そんなテーマについて解説してみたいと思います。
 

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