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ディアスポラと国際政治

By the end of the 1980s the number of Chinese-speaking students in the United States was about 90,000, easily the largest number of any ethnic group. At that point the Taiwanese alone accounted for roughly one in every four candidates for doctorates in electrical engineering in the United States.

(1980年代末には、アメリカにいる中国語圏の学生数は約9万人となり、あらゆる民族の中で最も多くなった。この時点で、台湾人だけでアメリカの電気工学の博士号候補者の4人に1人を占めるに至っていた)
― Joel Kotkin 著『Tribes』より

国境を越えてネットワークする「ディアスポラ」の存在

 ロシアがウクライナに攻撃をしかけているとき、なぜ中国は台湾に侵攻しないのかという問いに、多くの人はそのリスクの大きさを指摘します。
 まず、ウクライナ侵攻のときに西側諸国が見せた強い結束を目にした中国が及び腰になっているという指摘があります。
 次に、すでに中国は香港やウイグルなどでの言論の弾圧により、アメリカなどと緊張関係にあり、これ以上火に油を注ぐことはリスクだという判断があるのではという見方もあります。
 しかも、ゼロコロナ政策への固執から中国経済は失速し、外交での孤立と共に習近平政権にとっては痛手が大きいことから、このまま問題を起こさずなんとか政権を維持してゆきたいという意向もあるのでしょう。
 
 しかし、ここにもう一つ大きな視点が欠けていることを今回は特集します。
 それは「ディアスポラ」という国家を超えた人類の大きなネットワークの存在です。ディアスポラ(diaspora)というのは、民族の離散を意味する言葉です。元々は、ユダヤ系の人々が自らのアイデンティティをもって世界に拡散していることを指す言葉で、様々な理由で祖国を追われたり、祖国から移住してきたりした人々のことを言うようにもなったのです。
 
 ニューヨークの5番街と47丁目が交差したあたりは、ダイヤモンド街といわれ、世界中のダイヤがここで取引をされる有名な場所です。取引が行われる店には誰でも気軽に入れますが、その取引額の多さや、ダイヤを扱うユダヤ系の人々の雰囲気に押され、ちょっと気後れする人もいるかもしれません。確かにそこでダイヤモンドの取引に従事する人々は典型的なユダヤ系のディアスポラです。
 ある店のドアを開け、中に入って一人の男性に話しかけました。すると彼は言いました。
「俺はイランから逃れてきたユダヤ系だよ。横にいるのは俺のカミさん。彼女はイスラエルから移住してきた正真正銘のユダヤ人ってわけ」
 彼は陽気にそう語ります。そんな彼の携帯が鳴りました。彼らはペルシャ語で話をします。あとで聞いてみると、オーストラリアにいる友人との電話で、その友人もイランでイスラム革命が起きたときに祖国を逃れ、シドニーに移住したということです。彼らは国境を越えてつながり、取引をし、時には政治的にもネットワークをするわけです。
 

中国が台湾に侵攻できない背景にある歴史

 このディアスポラのネットワークをもつ民族はユダヤ系に限ったことではありません。
 19世紀の中盤以降、中国は列強の侵略と国内の革命運動という混乱期を経験しました。その折に、多くの中国人が世界に拡散し、ディアスポラとなりました。このネットワークを活用して1911年から1912年にかけて辛亥革命を起こしたのが孫文でした。衰退しながらも、専制君主政治に固執していた清朝を倒そうと、命懸けで革命を指導した孫文を経済的にサポートしたのが、こうした海外に住む中国人ネットワークだったのです。
 そして、戦後になって中国に共産主義政権が誕生すると、民主主義国家を目指していた中国人の多くが新たなディアスポラを形成します。そんな彼らの動かす資金によって、台湾が守られているという一面があるわけです。台湾を支持する華僑はアメリカやヨーロッパ、日本を含むアジア各地に拡散し、文字通り国境を越えてネットワークします。さらに、それぞれが居住する国でも成功した者は政府へのロビー活動を行い、時には政府の中でも活動します。
 
 同様のネットワークはインド、ロシア、中東などから世界に拡散した人々にもあり、こうしたディアスポラの見えないネットワークが複雑に国際政治に影響を与えているのです。
 例えば、ウクライナのゼレンスキー大統領がユダヤ系であることは有名な話です。しかも、ロシアは帝政時代から現在にかけて、執拗にユダヤ人差別をしてきたことで知られています。であれば、ロシアがウクライナに侵攻したとき、イスラエルとその同盟国アメリカがロシア包囲網を作ったことは容易に頷けます。先ほどのニューヨークのダイヤモンド街でのエピソードからもわかるように、世界中の経済を動かしてロシアに対抗することができるのです。
 
 先ほど紹介したユダヤ系イラン人の話をするならば、1978年に起こったイラン革命によって、イランは厳格なシーア派イスラム教の国家になりました。そのとき、イランから新たなディアスポラが世界に流れ出ます。彼らは、ユダヤ系だけではなく、様々な背景を持つ人々で、イスラム国家イランに住めなくなった人々です。つまり、イランのディアスポラを見るとき、ユダヤ系のみならず、今のイランの宗教国家になじまない様々な人々が世界で相互にネットワークを始めたことになります。
 これは中国系の人々にも言えることで、彼らの中にはキリスト教系の中国人もいれば、天安門事件などによる政治亡命者もいるわけで、その背景は一様ではありません。アメリカでもヨーロッパでも、こうした人々の背景を巧みに利用しながら情報を収集し、さらに時には彼らの本国とのやりとりも行うのです。
 ですから、中国は台湾に簡単には侵攻できません。言論を統制弾圧していた中国の王朝が、ディアスポラのネットワークによって支援された運動から辛亥革命に至って滅亡した経緯を、彼らは誰よりも知っているからです。このネットワークの末端が自らの政府の足元にも滲み込んでいるかもしれないことは、彼らの誰もが気にしていることなのです。
 
 こうした、国境を越えたネットワークに恐怖心を抱くとき、人々は陰謀論を語り、そうした民族への弾圧を始めることもありました。
ユダヤ系の人々が世界を陰で支配しているという陰謀論は特に有名で、それが極端な形で具体的な政策となったのが、ヒトラーによるユダヤ人への虐殺行為(ホロコースト)だったわけです。
 似たようなことはアメリカでも起こりました。20世紀になって中国や日本からの移民に対する脅威から、排中移民法、排日移民法などが制定され、不当な差別をしたことがありました。その背景にあったのが、アジアの黄色人種がヨーロッパ文明を侵食しているという「黄禍論」で、それはドイツをはじめとしたヨーロッパに拡散し、アメリカにも少なからぬ影響を与えたのです。アメリカでのアジア系移民への差別は、戦後になって公民権法が制定されるまで続きました。
 差別や荒唐無稽なこうした陰謀論は、一見すると説得力をもって人々を惑わし、時にはナショナリズムの高揚にまで利用されることがあるのです。
 

「日本人のディアスポラ」とつながらない日本人

 こうした世界の動きを見るときに、日本人は一つの特徴を持っています。それは世界に拡散した日本人のディアスポラとのネットワークの希薄さです。
 戦前も戦後も、日本人は外に出ていった人々を忘れがちで、そこからの情報を大切にはしませんでした。これが日本人の外交下手の一つの原因であるという指摘もあるほどです。日本を「内」、そして海外を「外」としてきれいに区別し、「内」だけでグループを作る日本の政策が、過去に何度も世界情勢を読み誤る原因を作りました。
 
 ディアスポラのネットワークとそれぞれの国家の国益との交錯を読み解くことが、これからの世界情勢を見つめてゆく上でも、極めて重要なことなのです。
 

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